「浅草寺本堂」
この建物は昭和20年(1945年)戦災で焼失、1958年(昭和33)に再建されました
浅草寺旧本堂(国宝指定建造物)は、1649年(慶安2年)に完成し1721年(享保6、吉宗将軍)に大修復が行われるなど,度々修復を繰り返してきたが1945年(昭和20)戦災炎上に至る。
昭和大修理の企画は、享保の大修復の時に造られ、現に健在保存されている大鬼面瓦(享保6年作)を拝借し、忠実に部分原寸大の大屋根を復元しようとするものであり、同時に日本鬼師の会会員の伝統技術の向上を図ろうとするものでありました。棟大棟の飾りの上に、当時の貴重な鬼瓦に再び出現を願い(今では当時を知る人も皆無)少なくとも大正大震災当時の面影を想い出していただき、昔日の国宝浅草寺の大棟再現の姿を間近で鑑賞できることは、観音様の御心が伝わることと信じての修理でした。
鬼瓦雛形(表) 鬼瓦雛形(裏)
由緒書き 鬼瓦収納箱(檜材)
由緒書き拡大図
屋根の瓦 チタン製、厚さ0,3mm、総数:やく90,000枚、鬼瓦の数:18個(子鬼瓦ともアルミ製)、大きな鬼瓦:畳6畳分の広さ
三月三日、雛祭りにちなみ鬼瓦の背景、可愛い童女にしてみました。
こころなしか、鬼も笑って嬉しそうに見えませんか ?・・・・・ 写 楽 老 人
この建物は昭和20年(1945年)戦災で焼失、1958年(昭和33)に再建されました
浅草寺旧本堂(国宝指定建造物)は、1649年(慶安2年)に完成し1721年(享保6、吉宗将軍)に大修復が行われるなど,度々修復を繰り返してきたが1945年(昭和20)戦災炎上に至る。
昭和大修理の企画は、享保の大修復の時に造られ、現に健在保存されている大鬼面瓦(享保6年作)を拝借し、忠実に部分原寸大の大屋根を復元しようとするものであり、同時に日本鬼師の会会員の伝統技術の向上を図ろうとするものでありました。棟大棟の飾りの上に、当時の貴重な鬼瓦に再び出現を願い(今では当時を知る人も皆無)少なくとも大正大震災当時の面影を想い出していただき、昔日の国宝浅草寺の大棟再現の姿を間近で鑑賞できることは、観音様の御心が伝わることと信じての修理でした。
鬼瓦雛形(表) 鬼瓦雛形(裏)
由緒書き 鬼瓦収納箱(檜材)
由緒書き拡大図
屋根の瓦 チタン製、厚さ0,3mm、総数:やく90,000枚、鬼瓦の数:18個(子鬼瓦ともアルミ製)、大きな鬼瓦:畳6畳分の広さ
三月三日、雛祭りにちなみ鬼瓦の背景、可愛い童女にしてみました。
こころなしか、鬼も笑って嬉しそうに見えませんか ?・・・・・ 写 楽 老 人