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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画19.土佐光孚『張良』

2022年07月11日 | 能楽ー絵画

先に、江戸後期土佐派の絵師、土佐光孚による能画『江口』を紹介しましたが、土佐光孚の能画がもう一つありましたので、今回アップします。

全体、63.8㎝x193.8㎝。本紙(絹本)、49.9㎝x108.9㎝。江戸後期。

掛け軸の大きさ、絵のタッチは、先回の品とよく似ています。前後して描かれたものでしょう。

【あらすじ】漢、高祖の臣下、張良は夢の中で老翁と出会い、兵法の伝授を約束されます。夢の中での約束どおり、橋のほとりに行くも、時間に遅れてしまいます。老翁は遅刻を咎め、また五日後に来いと言い去ります。五日後、張良の前に、威儀を正した老翁(黄石公)が馬に乗って現われ、履いていた沓を川へ落とします。張良は急流に飛び込み沓を取ろうとしますが、大蛇が現れ妨害します。張良は剣を抜いて立ち向かい、大蛇から沓を奪い返します。大蛇は、張良の守護神となって天空へ消え、黄石公は張良の武勇をたたえ、兵法の奥義を伝授したのでした。

黄石公と太公望は兵法の祖とされています。張良は、黄石公から授かった太公望兵書によって大軍師となり、劉邦の漢の建国に貢献したのです。

 

馬に乗った黄石翁が、端の上から川へ沓を投げ、張良がそれを取りに行こうとしている場面です。

能舞台ですから、川も橋もありません。そこに橋があり、川がとうとうと流れている様を感じ取るのは観客の役目です(^^;   黄石翁は馬のつもりの桶に腰を掛け、台(橋のつもり)の上に座しています(^^;

黄石翁と張良は、ともに正装をしています。

二人とも能面をつけていません。いわゆる直面(ひためん)。人間の顔自体を能面と考えるのです。喜怒哀楽を直截的に表さない能では、直面で演じるのはかえって難しいとされています。

 

『張良』でもう一つ特徴的なのは、シテとワキの関係です。通常の能では、当然シテが主役であり、すべてのことがらがシテを引き立てるように能の構成はなされています。

ところが、『張良』では、どう考えてもワキが主人公なのです。能『船弁慶』でも、大活躍するのは、ワキの弁慶です。このように、シテではなく、ワキが主人公の能は珍しいです。

投げられた沓。

黄石公の左足の沓だったのですね。能では、頃合いを見計らって、後見が沓を舞台に投げます。そして、張良は大蛇と戦い、沓を取り戻します。沓が投げられた位置によって、シテは演技を微妙に変えなければなりません。普段の能では脇にまわるワキ方にとって特別の舞台であり、力量が求められる大曲です。

落款は、先に紹介した『江口』の場合と同じです。同時期に描かれたのでしょう。

今回の『張良』とほとんど同じ能画が、国立能楽堂に所蔵されています。おそらく他にもあるのでしょう。

以前のブログで、版画とは異なり、能画は絵師への依頼によって描かれた物、いわば一品物だと書きました。しかし、このように、同一パターンの能画が存在するのですから、少なくとも江戸後期の土佐派では、商業的に能画を製作していたと考えられます。

土佐光孚の色絵は非常に多く現存します(偽物ではない品が(^^;)。おそらく、弟子なども動員した工房体制がとられていたのではないでしょうか。


祝、ブログ開設4年! 能画18.浮世絵屏風『砧』

2022年07月09日 | 能楽ー絵画

今日で早くもブログ開設、通算(Yahooブログ含め)4年になりました。実は、昨年と同じく1か月間違えていて、正確には4年1か月です。来年は間違えないようにします(^^;

というわけで、いつものようにとりとめのないガラクタ類では格好がつかないので、少しマシな品物をアップします。

能『砧』の2曲屏風です。

高さ176.1㎝、幅187.4㎝。江戸時代後期。

能『砧』の一場面を描いた肉筆浮世絵屏風です。

 

【あらすじ】九州の芦屋の里で、上京している夫を妻は待ち続けています。晩秋の夜、夫の帰りを待ちわびて、一人、砧を打ちます。侍女が夫からの便りを持って来ました。それは、今年も帰らないとの知らせでした。悲しさのあまり妻は病を得、やがて亡くなります。妻の訃報を聞いて急遽帰国した夫の前に、妻の亡霊が現れ、恋心と恨みが入り混じり、妄執に苦しんでいることを訴え、夫を責めますが、読経により成仏するのでした。

『砧』は世阿弥作の名曲です。特に、前半、夫を待ちわびる妻が、一人、砧を打つ場面は、「砧の段」と呼ばれ、一番の聞かせどころ、見せ所です。この浮世絵屏風は、「砧の段」を描いたもので、ものがなしい情景の中に、夫を待ちわびる妻の寂しさと悲しさが美しく表現されています。

「砧の段」:蘇武が旅寝は北の国。これは東の空なれば。西より来るの風の。吹き送れと間遠の。衣打たうよ。
古里の軒端(のきば)の松も心せよ。おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。
今の砧の声添へて君がそなたに。吹けや風。
余りに吹きて松風よ。我が心。通ひて人に見ゆならば。その夢を破るな破れて後はこの衣たれか来ても訪ふべき。来て訪ふならばいつまでも。衣は裁ちも更(か)へなん。
夏衣。薄き契りは忌(いま)はしや。君が命は長き夜の。月にはとても寝られぬにいざいざ。衣打たうよ
かの七夕の契りには。一夜ばかりの狩衣。天の川波立ち隔て。逢瀬かひなき浮舟の。梶の葉もろき露涙。二つの袖や萎(しを)るらん。水蔭草(みづかげぐさ)ならば。波うち寄せよ泡沫(うたかた)。
文月七日の暁や。八月九月。げに正に長き夜。千声万声の憂きを人に知らせばや。
月の色。風の気色。影に置く霜までも。心凄き折節に。
砧の音。夜嵐悲しみの声虫の音。交りて落つる露涙。ほろほろはらはらはらと。いづれ砧の音やらん。

秋の夜、月明かりのもとで、砧を打っています。軒端には、一本の松の木があります。妻は、嵐の風に砧の音をのせて、東の彼方、夫のいる京へ届けと送るのです。「おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。」・・・松の枝に嵐を留めないで、砧の音を夫に届けておくれ、とけなげに衣を打つのです。

しかし、その願いは、夫からの便りによって、空しく打ち消されてしまいます。

文を抱えた、若くて美しい侍女。

着物も艶やかです。

一方、初老の妻は地味な装い。

肉筆浮世絵の大作です。江戸時代、版画を除けば、絵画は絵師への注文品でした。この絵も、武士や裕福な町人から依頼を受けた絵師が描いた物でしょう。歌舞伎とは異なり、能画が版画として大量に刷られ、庶民の手に届くことはほとんどなかったと言えます。

この絵の作者、美葉栄については不明です。

人物の描き方からすると、歌川派の絵師ではないかと思われます。

注目されるのは、二人の女性の唇です。

下唇が緑色です。

江戸時代後期、紅花から作られる「紅」を塗り重ねて、下唇を玉虫色に光らせる化粧(小町紅)が大流行しました。この「緑色」(光の調子により玉虫色)の口紅は、「笹紅」ともよばれ、当時、女性たちの人気化粧法だったのです。

この屏風に描かれた女性の下唇の色調は、彩色された時はどのようなものであったか、想像するのも楽しいですね。ひょっとすると、玉虫色に光っていたかもしれません。

比較のため、近代に描かれた『砧』をのせておきます。

全体、45.7㎝ x 108.9㎝、本紙(紙本)、27.6㎝ x 32.2㎝。大正。早川世外(明治6年ー?)筆。

6年前に、岐阜県博物館で行った展示会、『美術工芸品で味わう能文化』のポスターにも、この屏風絵を使いました。

ついでに、故玩館にある唯一の砧。

布を柔らかくするために打つのですが、長年使われているうちに絹の油が移って、得も言われぬ味わいの砧になるそうです。が、残念ながらこの品は、穀物を打つのに使われていた槌だと思います(^^;

 


豆土人形『高砂』『熊野』

2022年07月07日 | 能楽ー工芸品

ここしばらく、能の土人形を見てきました。

面と同じく、私の蒐集は、人形の場合も基本的には木彫品なのですが、こういう土物や金属製の人形も紛れ込んでいます。そこで、今回は在庫セール。うっかりすると見過ごしてしまいそうな豆土人形を探し出しました。

『高砂』

尉、高 4.4㎝、姥、高 4.1㎝。昭和。

尉は立ち、姥は座る。尉のみ箒持つ。

 

『高砂』

尉、高 3.6㎝、姥、高 2.5㎝。昭和。

立っている尉と姥の豆人形です。二人とも箒を持っています。

 

『熊野』(あるいは『船弁慶』)

高 4.0㎝。昭和。

 

『熊野』

高 3.6㎝。昭和。

右手に扇、左手に母からの手紙を持っています。 母の病気の知らせに、帰郷を平宗盛に願い出るも、聞き入れられない場面です。カンナクズで手紙を表すとは、芸が細かい(^^;

 

これらの豆人形の時代や産地はわかりません。お土産品の類でしょう。

掌にピッタリおさまるので、愛玩には最適です。

一緒にこんな物も出てきました。

高 1.8㎝。昭和。

中国の故事に関係した物?それとも、角兵衛獅子でしょうか。

 

同じ土人形でも、こんなにも違いがあるのですね。

 

博多人形が入れば、いっそう多彩(^.^)


京人形『猩々』

2022年07月06日 | 能楽ー工芸品

能の土人形はまだありました。『猩々』です。

幅 14.2㎝cm、奥行き 8.0㎝、高さ 22.2㎝。昭和。

彩色土人形は古くから京都で作られてきました。京都らしい落ちついた雰囲気の品です。

かなり時代が付いた桐の共箱に入っていました(桐は他の材より早く時代が付きますが)。おそらく、戦前の品でしょう。平安祥鳳の銘があります。

能『猩々』は、これといったストーリーがあるわけではない祝言物の一つです。『高砂』よりももっとシンプルに、汲めども尽きせぬ壺の酒で、常しえの世を祝福します。

主人公の猩々は、人ではなく、空想の動物、赤く酔った妖精です。

そう思うと、酔っぱらった男の顔が、人を越えたもののようにも見えてくるから不思議です(^.^)


博多人形『黒塚』

2022年07月05日 | 能楽ー工芸品

先回のブログで、能の土人形『江口』を紹介しました。

もう一つ、大きな能の土人形がありました。

能『黒塚』(観世流のみ『安達原』)です。

幅 30.8㎝、奥行き 19.3㎝、高さ 45.3㎝。昭和。

博多人形には、能を題材にした作品が多くありますが、ほとんどは『羽衣』や『熊野』のように、優美な女性の舞い姿の物です。その意味では、今回の物は例外的です。依頼製作の品かもしれません。

能『黒塚』は、『道成寺』、『葵上』とともに、三大鬼女ものといわれ、いずれも強い怨み、怒りを持った女性が主人公です。

【あらすじ】諸国行脚の山伏たちが、奥州、安達ケ原の一軒家に宿を求めます。主の女は、一度は断ったあと、一行を不憫に思い招き入れます。そして、糸車を回しながら、 自分の境遇を悔やみ、人生の虚しさを嘆きます。その後女は、奥の寝室を決して見てはいけないと言い残し、薪を取りに山へ出かけます。従者が女の部屋を覗くと死体が山積しており、一行は慌てて逃げ出します。女は怒り、鬼女となって襲いかかります。しかし、山伏たちに祈り伏せられ、去って行くのでした。

裏切られた女が怒りのあまり鬼女となって襲いかかる場面です。

裏切られた怒りと悔しさにあふれています。

博多人形特有の細やかな彩色が生きています。

シテが手にしている扇も土でできています。

 

般若面は沸騰する怒りをあらわしていますが、

やはり、どことなく哀し気な表情が見てとれます。

後ろ姿にも、業を背負った人間の悲哀が滲み出ています。

旅の一行をあばら屋に招き入れ、暖をとってもてなそうと、山へ薪を取りに行っている間に、自分の一番恥かしい部分を見られてしまった ・・・・・・女との約束を破ったのも人間、それに怒り狂い鬼女となるのも人間。

能『黒塚』は、永遠に逃れようのない人間の業と哀しみを、山奥に棲む鬼女と山伏たちによって炙り出す物語なのです。

作者太田卯三夫は、博多人形伝統工芸士。

かなり大きな人形ですが、

両足で立っています。

足の下に箸ほどの太さの木が着いていて、それが木の台に差し込まれています。よく、これだけでもつものです。

先回の相良人形と較べると、同じ土物ながら、作行きの違いに驚かされます(^.^)