今日で早くもブログ開設、通算(Yahooブログ含め)4年になりました。実は、昨年と同じく1か月間違えていて、正確には4年1か月です。来年は間違えないようにします(^^;
というわけで、いつものようにとりとめのないガラクタ類では格好がつかないので、少しマシな品物をアップします。
能『砧』の2曲屏風です。
高さ176.1㎝、幅187.4㎝。江戸時代後期。
能『砧』の一場面を描いた肉筆浮世絵屏風です。
【あらすじ】九州の芦屋の里で、上京している夫を妻は待ち続けています。晩秋の夜、夫の帰りを待ちわびて、一人、砧を打ちます。侍女が夫からの便りを持って来ました。それは、今年も帰らないとの知らせでした。悲しさのあまり妻は病を得、やがて亡くなります。妻の訃報を聞いて急遽帰国した夫の前に、妻の亡霊が現れ、恋心と恨みが入り混じり、妄執に苦しんでいることを訴え、夫を責めますが、読経により成仏するのでした。
『砧』は世阿弥作の名曲です。特に、前半、夫を待ちわびる妻が、一人、砧を打つ場面は、「砧の段」と呼ばれ、一番の聞かせどころ、見せ所です。この浮世絵屏風は、「砧の段」を描いたもので、ものがなしい情景の中に、夫を待ちわびる妻の寂しさと悲しさが美しく表現されています。
「砧の段」:蘇武が旅寝は北の国。これは東の空なれば。西より来る秋の風の。吹き送れと間遠の。衣打たうよ。
古里の軒端(のきば)の松も心せよ。おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。
今の砧の声添へて君がそなたに。吹けや風。
余りに吹きて松風よ。我が心。通ひて人に見ゆならば。その夢を破るな破れて後はこの衣たれか来ても訪ふべき。来て訪ふならばいつまでも。衣は裁ちも更(か)へなん。
夏衣。薄き契りは忌(いま)はしや。君が命は長き夜の。月にはとても寝られぬにいざいざ。衣打たうよ。
かの七夕の契りには。一夜ばかりの狩衣。天の川波立ち隔て。逢瀬かひなき浮舟の。梶の葉もろき露涙。二つの袖や萎(しを)るらん。水蔭草(みづかげぐさ)ならば。波うち寄せよ泡沫(うたかた)。
文月七日の暁や。八月九月。げに正に長き夜。千声万声の憂きを人に知らせばや。
月の色。風の気色。影に置く霜までも。心凄き折節に。
砧の音。夜嵐悲しみの声虫の音。交りて落つる露涙。ほろほろはらはらはらと。いづれ砧の音やらん。
秋の夜、月明かりのもとで、砧を打っています。軒端には、一本の松の木があります。妻は、嵐の風に砧の音をのせて、東の彼方、夫のいる京へ届けと送るのです。「おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。」・・・松の枝に嵐を留めないで、砧の音を夫に届けておくれ、とけなげに衣を打つのです。
しかし、その願いは、夫からの便りによって、空しく打ち消されてしまいます。
文を抱えた、若くて美しい侍女。
着物も艶やかです。
一方、初老の妻は地味な装い。
肉筆浮世絵の大作です。江戸時代、版画を除けば、絵画は絵師への注文品でした。この絵も、武士や裕福な町人から依頼を受けた絵師が描いた物でしょう。歌舞伎とは異なり、能画が版画として大量に刷られ、庶民の手に届くことはほとんどなかったと言えます。
この絵の作者、美葉栄については不明です。
人物の描き方からすると、歌川派の絵師ではないかと思われます。
注目されるのは、二人の女性の唇です。
下唇が緑色です。
江戸時代後期、紅花から作られる「紅」を塗り重ねて、下唇を玉虫色に光らせる化粧(小町紅)が大流行しました。この「緑色」(光の調子により玉虫色)の口紅は、「笹紅」ともよばれ、当時、女性たちの人気化粧法だったのです。
この屏風に描かれた女性の下唇の色調は、彩色された時はどのようなものであったか、想像するのも楽しいですね。ひょっとすると、玉虫色に光っていたかもしれません。
比較のため、近代に描かれた『砧』をのせておきます。
全体、45.7㎝ x 108.9㎝、本紙(紙本)、27.6㎝ x 32.2㎝。大正。早川世外(明治6年ー?)筆。
6年前に、岐阜県博物館で行った展示会、『美術工芸品で味わう能文化』のポスターにも、この屏風絵を使いました。
ついでに、故玩館にある唯一の砧。
布を柔らかくするために打つのですが、長年使われているうちに絹の油が移って、得も言われぬ味わいの砧になるそうです。が、残念ながらこの品は、穀物を打つのに使われていた槌だと思います(^^;