遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

伊予江山焼

2019年02月22日 | 古陶磁ー国焼
伊予の江山焼

 愛媛県伊予市で焼かれた江山焼です。

 楽焼き小皿12枚それぞれに、絵と名所、名物が描かれています。
 この手の皿は、京焼きの定番ですが、京名所?いまさら、とういう感じですね。
それに対して、地方の名物を素朴ながら一生懸命に描く・・・・・こういうの、私は個人的に好きです。





共箱には、「伊豫名勝 歌絵皿   伊豫国三津浜 江山造」 、内側には、「昭和九年」と記されています。


         伊豫の松山名物名所
         紫井戸の片目鮒
         小かきつばた
         うすずみ桜



            道後のゆ
            三津のあさ市
            ひのかぶら
            十六日の初桜




         高井の里のていれぎ
         伊予かすり
         音に名高き五色素麺
         吉田さし桃

 どうやら、この品は、伊予松山のお座敷唄、伊予節の皿ですね。

 ♪♪~ 伊予の松山 名物名所 三津の朝市
      道後の湯 おとに名高き五色ぞうめん
      十六日の初桜 吉田さし桃こかきつばた
      高井の里のていれぎや 紫井戸や
      片目鮒 うすずみ桜や 緋のかぶら
      ちょいと 伊予絣 ~♪♪


 江山焼は、明治中期から昭和前期まで、伊豫郡中町湊町(現在の伊予市湊町) の陶芸家、槇江山(万延元年ー昭和11年)によってつくられた焼物です。
 江山焼の制作年は不明の品が多いのですが、今回紹介した絵皿は、共箱に昭和9年の記名があり、江山、最晩年の作と言ってよいでしょう。

 全国に点在する、こういった個人窯は、趣味人、道楽者、大旦那のお遊びといったものが多いのですが、江山焼はどうでしょうか。
 江山は、 伊藤博文、東郷平八郎、秋山好古、伊予松山藩主久松勝成、高浜虚子、下村為山、河東碧梧桐らと交友があったと言われています・・・・・・・有名人に取り入った俗物か?

 江山は無欲恬淡で誰からも好かれる人物で、クリスチャンでもあったと言われています。
 一時は、東京に窯をもち、板谷波山にロクロを指導したほどの腕をもっていたようです。
 卓越した技能の職人で人格者・・・こんな人物像が浮かんできます。
 槇江山、実に興味深い人物です。

 最後に、疑問が。
 この伊豫名勝絵皿の箱には、「伊豫国三津浜 江山造」と書かれています。三津浜は、現在の松山市三津浜。同じ伊豫国とはいえ、江山の窯があった伊予市とはかなり離れています。
 最晩年には、三津浜にも窯があったのでしょうか?
 どなたかご教示を。

 








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そこまでやるか萬古焼4

2019年02月21日 | 古陶磁ー国焼
異国趣味の焼物

 馬上杯、ワイングラス・・・・よく似た形の焼物4点です。
 日本には元々なかった形の品で、幕末、異国との交流が盛んになってから、焼かれ始めた陶磁器でしょう。



一つずつ見てゆきます。















少しボテッとした半陶半磁の器胎に、犬山の押印、犬山焼です。















呉須赤絵写しに、犬山の書き銘。典型的な、犬山焼です。
















先の2点より、薄造り。焼きも堅い。絵付けは、呉須赤絵と南蛮風の中間。犬山か萬古か?高台の土見せに、釉薬をペタリとひとしずく置いていることから、犬山で、いかがでしょうか?

問題は、最後の盃です。



高さ5cm程の小さな盃です。精緻な絵付け、細工が施されています。ステム部は、複雑骨折を賢明に修理した跡があります。
これは、何焼き?似た形の杯洗をどこかで見た記憶が・・・・・・焼物の名称だけは、覚えています。
安東焼。早い時期に、萬古焼から分かれ、三重県安東村(現、津市安東)で焼かれた南蛮風の焼物です。



底に、「嘉永年製」と書かれています。日本の陶磁器に、「(大明)成化年製」以外の銘が書かれるのはまれです。何か特別の理由があったのしょうか?
 安東焼(古安東)はやがてすたれ、嘉永6年に再興されることになるので、その辺りに関係があるのかもしれません。


阿漕焼 VS. 萬古焼

再興された安東焼は、阿漕焼とよばれ、明治期、有節萬古風の盛り上げ絵付けの品を多く産出しました。

この品は、明治の阿漕焼です。


明治22年、画工、東江(大河内又四郎)による蝉笹図菓子鉢です。
当時流行のアールヌーボーの影響も少々。ほとんど無名の職人に銘をゆるすとは、ずいぶんすすんでいます。


裏側は、高台に阿漕の押印が10時の位置にあります。が、全体としては、締まりに欠けた造りです。

一方、これは、同時期と思われる萬古焼。日本的な絵付けの皿です。




裏側に、夏蜜柑の果実の残りが・・・・心憎いばかりの品です。
 阿漕焼と萬古焼、完全に、本家、萬古焼に軍配があがります。

 その後、再興安東阿漕焼は急速に衰退し、消滅と再興を繰り返すのですが、古萬古、古安東の趣をもった焼物が生まれることはありませんでした。



       焦熱代焦熱の 焔煙雲霧
       たちゐに隙もなき 冥土の責めも度重なる
       阿漕が浦の 罪科を
       助け給へや旅人よ 

 阿漕が浦は、能「阿漕」の舞台となった所です。禁を犯して密漁を行い、殺された老漁夫が、地獄の責めに苦しむ能です。
 今夜は、久しぶりに謡本を出し、阿漕の世界に浸ってみます。





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そこまでやるか萬古焼3

2019年02月20日 | 古陶磁ー国焼
あーるぬーぼー萬古焼

やはり、萬古焼の急須です。



デザインが素晴らしい。








ボディは竹で編んだ籠風、そこへ葡萄のツタがからんでいます。
葡萄の実の横にはトンボが。蓋にも。全部で、3匹飛んでいます。



この急須も相当使い込まれています。
明治の藤蔓の取っ手は、傷つきながらも、まだ現役。



萬古の印はありません。
かわりに(?)、底部の真ん中に、花びらの様な模様が押されています。これは何でしょうか?陶工の知らせ印?それとも、単なる叩き目?
 ほかにも、指跡のような模様がたくさん付いています。骨董屋のオヤジが言う手捻りの証・・・・・・よーく見てみると、何本もの筋が規則正しく付いています。これは指紋ではないですねー。キレイすぎます。指形の叩き具の跡と考えた方がいい。もう、骨董屋オヤジの甘言に乗らずに済みます。


次も、トンボ。



 瓢箪形の掛花入れです。瓢箪の口に繋がった蔓が首を巻いて、後ろで掛けることができるよう、凝った造りになっています。
 全体が練り込みでできていて、紐部も練り込みです。


大きなトンボが3匹飛んでいます。


     後ろ側は、こんな具合。


  しかし、蔓の部分、補修されています。前所有者がそのまま柱に掛け、重みに絶えられなかったんでしょう。



 そこで、麻縄を巻いて掛けました。ついでに、花も。花と花入れの競合は、思ったより小さい。茶室で使えるかもしれません。

 3匹のトンボ。ガレの絵付けにもひけを取りません。流行をすばやく取り入れ、新しい日本感覚の焼締陶器を作り上げた萬古焼。
いわば、アールヌーボーならぬ、あーるぬーぼー萬古焼。

今は、土鍋の生産がほとんどです。用の美はどこへ行ってしまったのでしょうか?




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そこまでやるか萬古焼2

2019年02月19日 | 古陶磁ー国焼
オドロキの大急須

 かなり大振りの急須です。
 やはり盛り上げで、日本の風景が描かれています。







 これでもかというくらい、色んな技法がつかわれ、装飾がなされています。取っ手は、練り込み。

 底には、控えめに、萬古の印が。


 
  蓋をとって、ビックリです。

   大きな茶漉しが付いています。



しかも、この茶漉し、金属の網ではなく、同じ土で焼かれているのです。
前の所有者は、毎日、これでお茶を飲んでいたのでしょう。茶錆が急須の内側全面にこびりついていて、少々の漂白では取れません。
かまわず、お茶を入れると、スーッと出ます。普通の急須とは大違いです。
ただ、練り込みの取っ手は危なっかしい。思わず、左手で底を支えてしまいます。

この萬古独特の濃密な色絵、どこか、異国風(中国?)な匂いがしませんか?




長崎に短期間滞在した中国の画人、沈南蘋の絵を彷彿させます。
少なくとも、私の持っている沈南蘋の掛け軸(当然、贋物)よりは、南蘋らしい(苦笑)。


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そこまでやるか萬古焼1

2019年02月18日 | 古陶磁ー国焼
萬古焼はいろとりどり

 江戸後期三重県に起こった萬古焼きは、ユニークで面白い焼物です。
 まず、非常に沢山の種類の萬古焼きがあります。
○○萬古、□□萬古、△△萬古、・・・・ざっと数えても20以上あるでしょうか。秋田萬古や江戸萬古も。極端な場合、陶工一人の名前を冠したものさえあります。
 また、技術的にも、装飾的にも多彩で、非常にバラエティに富んでいるので、いろんな面から焼物を楽しめます。


極薄の萬古急須

 独特の臙脂釉が赤土肌に映える美しい急須です。




  ビックリするのは、その軽さです。


 とにかく軽い。紙のように薄くできていて、手で持つとふわっとした感じがします。
 ある女性は、手のひらにのせて持ち上げようとして、お手玉のように空中に放り投げてしまいました。15cmほどでしたから、無事キャッチし、事なきをえました。私たちは、重さを見込んで、無意識のうちに上向きの力を入れているのですね。

 もちろん、摘みがまわります。蓋も薄造りなのですが、蓋、受け口が微妙に円形から歪んでいて、ある向きの時にしか蓋がはずれないようになっています。

 で、こんな事もできてしまう。


 とにかく、薄くて精作です。感覚的には、底を陽にかざすと、日本髪の女性が浮かんでくるコーヒー(紅茶)カップに似ています。美濃や瀬戸で作られた輸出向けのあの品です。私の部屋にもいっぱい転がっていたのですが、どこへいったのか、捜しても見つかりませんでしたので写真は略(笑)



 ○○萬古の印が押されています。○○は読めません。どなたか、ご教示を。

 骨董屋の親父は、「手捻りだ」と自慢していました。確かに、それらしき指跡が沢山ついていますが、これは口や取っ手部分を接合した跡です。本体部にはありません。大体、こんな薄作を生み出す魔法の手をもった陶工がいる?
 この急須は、萬古焼独特の木型を使って作られた品でしょう。この技法は、桑名萬古の特異技です。桑名萬古といわれる焼物には、とりわけ多くの○○萬古があります。この急須は、桑名の○○萬古だと思います。


萬古と兄弟萬古の取り合わせ

この急須に合う碗を捜してみました。




萬古の銘はありませんが、やはり萬古焼でしょう。明治期特有の蓮デザインに、臙脂釉が映えます。

こんな感じのセットになります。でも、茶碗が少し大きすぎるかな。

もう一種類ありました。


 小さな盃です。内側に風雅な絵付けがしてあります。石峯の銘も。手捻りです。
 これは、清水石峯作の温故焼。萬古焼の技法を取り入れ、美濃国不破郡赤坂村(岐阜県大垣市赤坂町)で焼かれた焼物です。ちなみに、その窯は、関ヶ原合戦で徳川家康が陣をはった御勝山のすぐ際にあり、そこから採れる白土と赤土を混ぜて焼いたと言われています。




 さすがに、萬古焼の兄弟窯。急須との相性も抜群ですね。










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