ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

涙が止まらない

2006-11-30 20:18:09 | つれづれに
好天の影響でダイコンの出荷量が増え、値下がりが続くため、県内最大の
ダイコン生産地、萩市吉部の「千石台だいこん」の生産者でつくる
千石台出荷組合(松田秀男組合長、14戸)は29日、約200トンの
ダイコンを廃棄処分にした。農家が複雑な表情で見守る中、ダイコンは
トラクターで次々と畑で処分された。

 中略

 廃棄作業を見守る農家は「涙が止まらない」「手間暇掛けて作ったダイコン
を捨てるなんて」と唇をかんでいた。

 中略

 松田組合長は「非常に残念な結果で、現状では出荷しても赤字になってしまう。
消費者はもったいないと思うでしょうが、生産者も同じ気持ちです」と
悔しがっていた。

        ≪西日本新聞より引用≫

雨の日も晴れの日も、早朝から水をやり雑草を抜き育てる。
作物は、どれだけ手をかけて育てられたかを教えてくれます。

手間を惜しまない農家の方によって作物は育ち、私達のいのちを
作って下さっているのです。
そうして豊かに生った作物を売れば売るほど、農家を苦しめている
のです。

経済社会の理不尽がここにありました。

処分作業に立ち会う農家の姿を思うと、私も胸が締め付けられるよう
な思いがします。

農家は作物をつくると同時に、人間の「いのち」をつくっている。
そして「いのち」を支えている。
この自負心が過酷な労働にもめげない農家の原動力であると
教えていただいたことがあります。

そのいのちが儲からないことで、安易に捨てられていくのは
農家の方にとってその原動力が処分されているように思われたのでは
ないでしょうか。

農政改革が叫ばれる中、今だ生産調整と称する「いのちの処分」は
農家の現実を私達に示しています。
農家が農家として、労働に値する対価を得て、日本人の食を支え
いのちをつくり続けていける作付提案や、改善がなされなければ
こんな悲しい現場に立ち会う第一次産業を支える人が、いなくなるのでは
ないかと大きな危機感を持ちます。

先進国で最下位の自給率40%の日本。

「美しい国」は、原風景に農耕風景を思い描く日本であるとも言える
のではないでしょうか?

処分以外に何か方策はなかったのか・・・
無策な私になす術のないことを痛感します。

教育再生会議「いじめ問題への緊急提言」に思う

2006-11-29 02:07:24 | 教育
いじめ「見ぬ振りも加害者」・・・教育再生会議が緊急提言

安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は29日午前、首相官邸で、
首相も出席した総会を開き、「いじめ問題への緊急提言」をまとめた。

 提言は8項目で、いじめをした児童・生徒に出席停止など
厳しい措置を取ることを念頭に、問題行動に対する指導・懲戒基準を
明確にして毅然(きぜん)と対応するよう求めたほか、
いじめにかかわったり、放置・助長したりした教員を懲戒処分の対象
とすることなどが柱だ。いじめを傍観した児童・生徒の指導強化も盛り
込むなど、踏み込んだ内容となった。

 首相は総会で「いじめは社会全体で真剣に取り組むべきだ。
政府も真摯(しんし)に受け止め、提言を具体化するよう努力したい」
と語った。

    ≪読売新聞 より引用≫

『出席停止』という言葉だけがなぜか独り歩きし、今もって本質的な
問題点になかなか近づけないもどかしを、誰もが感じているのでは
ないでしょうか?

●いじめにかかわったり、放置・助長したりした教員を懲戒処分の対象
 
 この当たり前のガイドラインが示されたことに意義はあると思いますが


●問題行動を取った生徒への毅然とした指導

●見て見ぬ振りをした者への指導の強化

 との提言の中のキーワードである『指導』の部分は、全て学校裁量と
 さらに言えば、教師の裁量に委ねられているのです。
 
 大多数の教師が、大学では教職取得課程では教科の知識の習得はあっても
 その指導法や、教育学や保護者への対応などはほとんど学ぶ機会もなく
 採用後は教壇に立つのです。

 新人研修と呼ばれるガイダンスは行われますが、それも先輩教師による
 指導であり、その先輩教師の価値観の中でどのような「指針」が
 示されているかの実態把握はよくわかりません。

 つまり『的確な指導』を謳えば、教育現場では『的確な指導』が
 施されるとの前提での、提案に多いに疑問を感じているのです。

多くの先生方が
 「今の子は、悪いことをいけないといっても、そのこと事態が
  通じない。親もまた然り」
と嘆きの言葉を吐露されていることをよく伺います。

『指導』することがどれほど難しく、この点において先生方が
迷いや困難を感じているかの現状認識が乏しい中で、この提言に
よって、この問題の突破口が開かれたように思うのは無理があると
思います。

だからこそ、
『何を』『指導するのか』
『その指導をいかに行うのか』の提言がなされなければ、
本質的な解決につながらないのではないでしょうか?

教育指導の本質は、
 ●全ての子どもに光を当てる
   ・・・発表の機会、発言の機会、言葉掛け
 ●人間社会の真理と普遍性を伝える
   ・・・日本の素晴らしい先人の人生を学ぶ
ことであると、私は思っています。

まどろっこしく思えるかもしれません。
これもまた遠くから進むみちかも知れません。
しかし、真理の追求なしに問題解決の道はないと思います。


新年度保育用品の新製品見本完成!

2006-11-28 21:55:06 | 保育用品




これは、新年度保育用品新製品見本の中で、ご紹介している
メイト出席ブック・出席シールです。

様々な種類を取り揃えており、季節感溢れるイラストのカレンダーには、
子ども達が登園ごとに、出席シールが貼り付けられていきます。

春はまだもじもじしていた子も、この一冊にシールが全て貼られたら
もう元気にそしてわんぱくに、大きく成長している姿を思いながら
お届けさせて頂いています。

このように成長の記録が刻まれる一冊、
子ども達の思いを伝えるクレパス、
発見や感動が詰まった自由画帳、
子ども達の宝箱のお道具箱、
先生とお母さんの架け橋の連絡帳

どんな子がどんな思いで使ってくれるのかな?

いつも新学期用品の見本をお届けする時の私の思いです。
そして、元気にはつらつとした幼児期を過ごして欲しい・・・
エルピスの願いです。

セアカゴケグモ がいました

2006-11-27 20:35:39 | つれづれに
会社の小さな菜園を、これから迎える「お正月」に備えて
新年らしい花を植えようと、掘り返していると
『セアカゴケグモ』が出てきました。

1995年に大阪高石市で発見され、強い毒性をもつことから
警戒を促されていましたが、実際に見たのは初めてでした。

ちょっと気持ち悪いですが、参考のために載せさせていただきます。

本来の生息域は、東南アジアやオーストラリアなど、熱帯から亜熱帯が中心
だそうですが、日本でも越冬して発生を繰り返しているとの見方が有力で、
外来種として位置づけられています。

毒は神経毒で刺されると強烈な痛みを伴い、発熱などを引き起こすために
特に子どもなどは、医療機関での適切な診察が必要だとのことです。

それにしても、生息地が「熱帯・亜熱帯」なのに
日本でしかもそろそろ12月を迎えようというこの時期に
活動していることに驚きました。

私達の子ども時代は、11月も末になるとピリッとした寒気に
身を縮ませて朝、学校へ通ったものです。

便利・快適を求めるあまりに、日本人の暮らしを忘れてしまった
ため、風土環境まで変化させてしまったことを思いました。
決して日本人だけが、地球の温度を上げているのではありません。

地球全体が、ジリジリと限界地に近づきつつあるような、
言い知れぬ恐ろしさも感じました。
私ができることは小さいです。
しかし、少しの心がけこそ大切であると改めて思う出来事でした。

チーム・エコ精神ってどこでもいつでも実践出来ますもの。

コンビニフィットネスを体験

2006-11-26 17:30:06 | そぞろ歩き


心斎橋で『コンビにフィットネス』を体験していました。
マスコミで話題になったので、私が行ったときも満員でした。

たった10分で体脂肪が燃やせる!!

この宣伝文句に私もイチコロです。やらせてくださいっ!



機械に乗って500円を入れたら、・・・・・

ブルブルブルブル ブルブルブルブル

体中のあらゆる脂肪という脂肪が、ブルブルブルブル
何だかとっても暑くなって汗もタラ~っと言う状態です。

しばらくすると、内臓が締め付けられるような感じがしたので
そばにある説明書を読むと、そこには・・・・・

「内臓が鷲づかみにされるように感じる人は、内臓脂肪が
 たまっている人です」

そうだったのですね。
内臓にまで脂肪と仲良くなってしまっていたのですね。

はなればなれになってしまう脂肪を、内臓が引き止めていた
苦しみだったなんて。。。なんて感動的なことと思いつつ
早く離れろ~!と念じながらブルブル体験が終了しました。

節制を心がけ心身ともに健康になりたいと思いました。
皆さんも一度お試しを

映画『ありがとう』

2006-11-25 19:03:48 | つれづれに
阪神・淡路大震災を描き、その復興の中で一条の光を放った
実在の人物を主人公に、逆境にあってもけなげにそして逞しく
生きる人間を描いた映画『ありがとう』を観ました。

【ありがとうより引用】

1995年1月17日、暗闇の朝の衝撃が再び胸に迫る映画でした。

大阪南部に住むわが家も「ドン」という突き上げるような一瞬の
衝撃と共に始まった激しい揺れに、ただ事ではない事態にうろたえました。

当時私は、大阪の私立高校の非常勤講師をしており、
その学校には神戸方面からもたくさんの生徒が通っていました。

連絡が取れない生徒、通学不能な生徒、混乱と不安の中
悲しい連絡が入りました。
崩壊した自宅の下敷きになり、生徒が亡くなったのでした。

彼女は一番好きだった制服を着た姿で天国に召されていきました。
本当に本当に誰を恨むことも、何を憎むことも出来ない
ただ悲しみだけが有るだけでした。

この映画もまた、無数の悲しみがあることこを伝えていました。

ほんのさっきまで、当たり前に存在した全てが一瞬に失われてしまう
地震に見舞われつつ、そこに生かされた『生』の「生かされた意味」を
見出す人々の姿が描かれていました。

詳しい内容は書かないでおきます。
お時間があれば是非ご覧になって頂きたいからです。

しかし一つだけ。。。

ありがとうは『有難う』と書きます。
これは『難儀、有り』の意味であると、教えて頂いたことがあります。

難儀有りてまた、有難う。

人間の営みの真理に迫るメッセージに感謝でした。



地方小売店の事情に思うこと

2006-11-24 18:25:06 | つれづれに
弊社エルピスは保育用品と学校教材を中心に商品を
お届けさせていただいています。
その取り扱い品目は2万点を超えております。
チョークからロッカー、三角定規からパソコンソフト
ジャンルも多種多様です。

大きく分けると消耗品と備品に区分けすることが出来ます。
その消耗品の流通形態が、この3年ほどで大きく変化しました。

『アスクル』に代表される消耗品通販が一般化し、
学校の購入形態として有効に用いられるようになりました。

また、大手100円ショップがあちこちに出店し、
「こんなものまで100円!?」と驚くことがしばしばになりました。
便利・早い・安い!!が当たり前の時代です。

今日おいで下さった仕入問屋さんとこのようなお話をしていると
地方では、そのような事態に小売店は対応できずに、わずか2年で
5件あった小売店全てがなくなってしまったそうです。

さて、小売店がなくなって真っ先に困ったと声が上がったのは、
地元住民と教育施設関係者だそうです。
確かに100円ショップに行けば、画用紙などの消耗品もあるけれども
作品つくりに必要な微妙な色合いのものがない。

大阪のような都市部で暮らしていると、実感がわかないだろうが
地方ではこのようなことが頻繁に起こっていると話してくれました。

もちろん100円ショップを非難するつもりなどでは全くありません。
しかし、このような消費者の選択が総合機能を持っていた町全体の
保水力みたいなものを、失わせているのではないかと感じました。

そしてこのような問題は、事務用品に限らず、食品を含めたあらゆる
産業の中で起こっているのではないかと思うのです。

消費者は、便利さと安さを追求して当然です。
業者はその消費者のニーズに応えてこそ、必要とされるものです。

しかし、消費者の選択基準が便利さと安さだけでは、町の総合機能を
最終的に失ってしまうことにも、気づいておきたいと思います。
商店街が活気ある頃、町ゆく子どもを見守る防犯機能を
持っていました。
そのようなものがどんどんと失われているのです。

ここにもまた社会のひずみの原因があるように感じます。
それと同時に、便利・安さを超える魅力ある販売店たる知恵を絞り、
社会に必要とされる有り方を、目指さなければならないことを
突きつけられています。

諸行無常を伝えたい

2006-11-23 20:03:49 | 教育
『平家物語』の冒頭に語られる「諸行無常」のくだりを
覚えておられるでしょうか。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。


諸行無常とは、現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化する
ものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない
ことをいいます。
この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法を現しています。

虐めを苦に命を絶つ子ども達に、この諸行無常の理(ことわり)を
伝えたいと思います。

子ども達は、小学生であっても高校生であっても生活空間や
接している社会が大変狭いものであるために、過酷な状況にあればあるほど
その状態が延々と続き、八方塞がりの心境に追い込まれてしまう。
これが、絶望となり自らを暗黒の世界へ導いてしまうことが
あるかもしれません。

しかし、人間の社会にあってその一瞬たりとも「常」なるものは
ありえないと、説いたこの教えはその状況と苦しみが続くことは
ないと教えてくれています。

今瞬間だけに捉われて、本当に大切なものを自らの手で葬って
しまうような愚かな思いを抱いてはならないのです。

具体的な対策はもちろん必要です。
しかし、人の世に横たわる真理を語ることもまた必要であると
強く感じます。


母の祈り

2006-11-22 18:36:22 | つれづれに


北朝鮮の拉致により娘・めぐみさんを奪われた母・早紀江さんは、
深い悲しみと苦悩の中から聖書に出会いクリスチャンとなった。
どんな苦難の中にあっても希望を持って生きる横田早紀江さんと、
長年にわたり彼女を支え続けてきた友人たちが綴る感動の手記。

【目次】
1 悲しみと希望を分け合って(真保節子)
(あふれるばかりの恵み/転校して来た少女 ほか)
2 宣教師館の小さな集いから(斉藤真紀子)
(聖書を読む会/牧師の家庭に ほか)
3 この戦いはあなたがたの戦いではなく(牧野三恵)
(転勤で新潟へ/思わぬ展開 ほか)
4 苦しみに会ったことは(横田早紀江)
(だれのせいでもなく…/ヨブ記 ほか)

<本の紹介文より引用>


北朝鮮の非道な国家犯罪に遭い、今だ解決の糸口すら見出せない
ただ中にあってもなお、希望を失わなず祈り続ける
横田御夫妻のお姿に、こちらが目を覚まされる思いがします。

この「ブルーリボンの祈り」は早紀江さんが、めぐみさんの行方を
追い求めながら、過酷なあってはならない現実との間にあって
真実なる神の存在に出逢い、励ましあい支えあう仲間を得て、
祈り続けた日々が綴られています。

めぐみさんが拉致されて29年、どれほどの涙を流して来られたかを
わたしたち日本人は『我がこと』として、怒りを覚えなければなりません。
そして、自国の国民の生命と財産を守るべき日本という国が、
確固たる姿勢で北朝鮮に、「直ちにめぐみさんをはじめとする拉致被害者
を返せ!」といい続けなければなりません。

11月25日全国一斉に
めぐみー引き裂かれた家族の30年
が封切られます。一人でも多くの人々が観に行き、今この瞬間においても
ありえない拉致は続いていることを実感し、解決のために思いを注ぎたいと
思います。

 母は涙 乾く間なく 祈ると知らずや

賛美歌の一節です。
聞かれない祈りがないことを信じます。




中学校の購買部

2006-11-21 18:28:55 | エルピス
弊社エルピスは大阪市内の公立中学校での購買部を
約30年間続けさせていただいています。

制服や体操服に指定かばんなどを販売するため、週に2回
購買部は開店しています。
小さな購買部から見える学校の様子が、時代と共に様々に変化
しているのを感じているのです。

変化を感じるのは、まず第一に先生と生徒の関係です。
この中学校は非常に荒れた学校で、バイクが運動場を走り回って
いた時代もありました。
先生は、生徒を追い掛け回し、授業に入れと叫んでいたことも
しょっちゅうでした。

今も7~8人のグループは、毎日ほとんど授業には出ません。
いつも学校の中をうろうろしながら、持てあまるエネルギーの
はけどころを見つけられない完全燃焼男子ばかりです。
購買部が開くと、必ず現れて出て行こうともしません。

ところがそんな生徒を横目に見て、先生方は通り過ぎていきます。
生徒を追い掛け回して、授業への参加を呼びかけるようなことは
ほとんどありません。

ですから以前のように、先生と生徒の間に飛び散る火花のような
ものは感じないのです。
ピリピリした緊張感がないのは、もちろん悪いことではないのですが
その代わりに流れるのは、とろんとした無関心の鈍い空気です。

次は、親と子どもの関係です。
中学生になれば、購買部へ必要品を買いにくること自分で行うものとして
これまでは保護者が、現れることなどほとんどありませんでした。
しかし、最近はかなり頻繁に保護者がやってきます。

「子どもが恥ずかしいというから」
「先輩達がいて怖がっている」
「お金を持たせるのは心配だから」
このようなことがおもな理由のようです。

もう中学生なのだから、では済まされない外的要因もあるものの
少々過保護に過ぎはしないかと常に思うのです。

ぶつかって行くことを何となく避けながら、一方では過干渉。
無気力で、自我のない子どもになったと嘆く前にするべきことが
たくさんあると感じる購買部です。