阪神・淡路大震災を描き、その復興の中で一条の光を放った
実在の人物を主人公に、逆境にあってもけなげにそして逞しく
生きる人間を描いた映画『ありがとう』を観ました。
【ありがとうより引用】
1995年1月17日、暗闇の朝の衝撃が再び胸に迫る映画でした。
大阪南部に住むわが家も「ドン」という突き上げるような一瞬の
衝撃と共に始まった激しい揺れに、ただ事ではない事態にうろたえました。
当時私は、大阪の私立高校の非常勤講師をしており、
その学校には神戸方面からもたくさんの生徒が通っていました。
連絡が取れない生徒、通学不能な生徒、混乱と不安の中
悲しい連絡が入りました。
崩壊した自宅の下敷きになり、生徒が亡くなったのでした。
彼女は一番好きだった制服を着た姿で天国に召されていきました。
本当に本当に誰を恨むことも、何を憎むことも出来ない
ただ悲しみだけが有るだけでした。
この映画もまた、無数の悲しみがあることこを伝えていました。
ほんのさっきまで、当たり前に存在した全てが一瞬に失われてしまう
地震に見舞われつつ、そこに生かされた『生』の「生かされた意味」を
見出す人々の姿が描かれていました。
詳しい内容は書かないでおきます。
お時間があれば是非ご覧になって頂きたいからです。
しかし一つだけ。。。
ありがとうは『有難う』と書きます。
これは『難儀、有り』の意味であると、教えて頂いたことがあります。
難儀有りてまた、有難う。
人間の営みの真理に迫るメッセージに感謝でした。
実在の人物を主人公に、逆境にあってもけなげにそして逞しく
生きる人間を描いた映画『ありがとう』を観ました。
【ありがとうより引用】
1995年1月17日、暗闇の朝の衝撃が再び胸に迫る映画でした。
大阪南部に住むわが家も「ドン」という突き上げるような一瞬の
衝撃と共に始まった激しい揺れに、ただ事ではない事態にうろたえました。
当時私は、大阪の私立高校の非常勤講師をしており、
その学校には神戸方面からもたくさんの生徒が通っていました。
連絡が取れない生徒、通学不能な生徒、混乱と不安の中
悲しい連絡が入りました。
崩壊した自宅の下敷きになり、生徒が亡くなったのでした。
彼女は一番好きだった制服を着た姿で天国に召されていきました。
本当に本当に誰を恨むことも、何を憎むことも出来ない
ただ悲しみだけが有るだけでした。
この映画もまた、無数の悲しみがあることこを伝えていました。
ほんのさっきまで、当たり前に存在した全てが一瞬に失われてしまう
地震に見舞われつつ、そこに生かされた『生』の「生かされた意味」を
見出す人々の姿が描かれていました。
詳しい内容は書かないでおきます。
お時間があれば是非ご覧になって頂きたいからです。
しかし一つだけ。。。
ありがとうは『有難う』と書きます。
これは『難儀、有り』の意味であると、教えて頂いたことがあります。
難儀有りてまた、有難う。
人間の営みの真理に迫るメッセージに感謝でした。