ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

1.17 阪神大震災犠牲者に捧ぐ

2007-01-17 05:47:42 | つれづれに
大地のいななきに人間が造ったあらゆるものが、破壊された
あの日から、12年が過ぎました。

叩きつけられるような衝撃に襲われ、恐怖に震えた平成7年1月17日
一瞬のうちに崩落した家屋の下敷きになり、声も出せずに突然命を
落とした犠牲者の方々の声なき声を思い、ただ一心にご冥福をお祈
りしました。

家族を失い、友人を失い、恋人を失った人々の悲しみは、
幾重に月日を重ねたとて、癒されるものではありません。

それでも、悲しみを乗り越えて生きていこうと立ち上がった
被災者の皆様の逞しいお姿に、胸が詰まる思いです。

あの時、予想だにしない天災に、私達は何を持って立ち向かうことが
出来るのだろうか。

この問いに、答え続けようとすること。
そして、いかにあろうとも生きていくこと。

夢半ば、志半ばで天に召された皆様にお誓いしなければならない、
そう思いました。

地方自治が汲々とし、予算削減が叫ばれる今だからこそ、
地域コミュニティーの充実と連携が必要です。
お金などかかりません。誰がどこに住み、どのように生活しているか
隣近所の絆を今一度取り戻すことが、何よりの力強い安心感を生む事を
改めて教えてくれているのではないでしょうか?

震災から12年、地域社会はますます崩壊しました。
この日を震災の日として心に刻むのみではなく、無念のうちに命を
落とした犠牲者の方々に、何があっても助け合える地域社会の再構築
を誓いたいと思います。

不二家の甘さ 

2007-01-11 23:07:36 | つれづれに
私の町の不二家も重たいシャッターが閉まったままです。

「賞味期限がとっくに過ぎてしまっていても、においをかいで
 大丈夫だと判断して、使っていた。そのまま廃棄すると怒られた」

しかも
「この事実がマスコミに判明すれば、雪印の二の舞になる」

このように事実関係を十分認識した上での、衛生管理のずさんさ
はまさに確信犯であると言えるでしょう。

不二家自身が想像したとおり、この隠蔽が明らかになった途端
不二家は全国的に閉鎖に追い込まれました。

私の知人は、以前こんな話をしていました。
約30年前、田舎町から大阪に就職してきた時、不二家で食べた
ショートケーキに感激したと、こんなに安くでこんなにおいしい
ケーキを食べられるなんて!!
不二家は、この方のように高度経済成長時代のおいしい洋菓子の
象徴のような存在だったのではないでしょうか?

しかし、時代が移り変わり、大量消費時代から個性を生かした
パティシィエがこだわりの洋菓子を好む時代になりました。
私自身、もう何年も不二家のケーキを食べたことがないことに
気付きました。

この時代の変化に適応できない大企業の応用性の低さから、
ひたすらにコスト削減だけを社員及び生産工場にしいた結果
今回の状況に立ち至ったものと思います。

お菓子、殊にケーキは「嬉しい時、心通う者同士が、笑顔で」
食べる食品です。
生命を維持する食事と違って、多くの場合が「特別な意味」を
そこに重ね合わせて、食べるものであるといえます。

この「甘い」ひと時を彩る名脇役の重要性に気付いていなかった
不二家の甘さに、どれだけの人が辛酸を舐めるのかを思うと
ほんとうに悲しくなります。

企業理念の重要性。
改めて感じます。

えべっさん 2

2007-01-09 22:42:25 | つれづれに


えべっさんでおみくじを引いてみました。

結果は『中吉』でした。

本当にビミョウ~です

でも何が起こっても、どんな事態となっても「それもまた良し」
との心構えで一年を過ごし、あるがままに、そしていつもこの時
を懸命に生きたいと思います。

これがなかなか難しいのですが。。。



この福福しいお顔 思わずにっこりですよね!


えべっさん 1

2007-01-08 18:30:05 | つれづれに
『商売繁盛で笹もってこい!』

の掛け声で有名な「えべっさん」今宮戎がはじまりました。

  

9日宵戎
10日本戎
11日を残り福
といい、商売人の街大阪は「えべっさん」に商売繁盛の願いを
込めてお参りします。

今宮神社では、神事に先がけて樂奏や舞いを神様に奉納していました。
今年選ばれた福娘たちも臨席していました。



次々と本殿で舞が捧げられている姿は、圧巻です。
平安絵巻さながらの衣装を付け、古式ゆかしく舞われる『舞』
その見事さに目を奪われてしまいました。



ご利益を求めてえべっさんに集うことばかりが、伝えられますが
全て神様と共に生きることに感謝をもって、行われた神事であることに
改めて気付かされたひと時でした。

日本人の優れた美意識と、民族風習に深く浸透した「畏れ」の
思いを感じました。


ホワイトカラー・エグゼンプション 2

2007-01-07 22:40:28 | つれづれに
引き続き、ホワイトカラーエグゼンプションの問題点を私なりに
考えてみたいと思います。

年収400万以上が対象、つまりほとんどのサラリーマンが対象
になる本制度。

本制度の基本的概念が成果主義による限り、成果基準の明確な
提示が必要であります。
しかし、現在多くの企業では、この成果主義に対して査定基準が
あいまいで社員が不満を抱いているようです。

長時間残業を強いても、残業代が発生しないのだから、企業は
ますます安易に残業を言い渡すでしょう。

そこで私が最も懸念したのは、子育て中の女性社員に対しての
取り扱いです。
ただでさえ、晩婚化や晩産化が進む要因として、共働き夫婦の
家事・育児負担が挙げられているのに、残業時間が読めない
ような状況であれば、この傾向は一層強くなることが予想されます。

また、子どもを持った途端、今まで以上に企業内で働くことが
困難になり、女性はいやおうなくパートタイムなどの低所得層に
いこうすることになるのではないでしょうか?

この制度、表面的には、「労働者が自主裁量を持って労働できる」
とうたっているものの、実際には労働者が仕事に対して裁量権を
行使できるには、かなりの困難を伴う現実からかけ離れた、
机上の空論であるように感じます。

年収400万以上を対象とするのではなく、最低でも年収1000万以上の
給与所得者に限るように、と思います。

ホワイト・カラー・エグゼンプション 1

2007-01-06 00:18:03 | つれづれに
ホワイトカラー・エグゼンプションとは・・・

【オフィシャル解説より】
労働基準法に基づく労働の時間規制を外し、成果に応じて賃金を支払う制度。
1938年に米国で導入された。
一定の要件を満たした(1)管理職(2)運営職(プロジェクト・リーダーなど)
(3)専門職(教師や法律家)の3つの職種が対象。
当初は経営者に近い高所得者に限られた一種のステータスシンボルだったが、
現在はファストフードの副店長クラスにまで適用が広がっている

もう少し分かりやすく、イーウーマンの記事から引用します。

ホワイトカラー・エグゼンプションの「エグゼンプション」とは、
「除外」ということです。簡単に言えば、ホワイトカラーの社員を
労働時間の規制から除外し、自分の裁量で何時間働いても結構、
しかし残業代はつきませんよ、という制度のことなのです。

 そもそも英語の名前がついているからわかるように、
アメリカで実施されている制度です。これを日本でも導入しよう
という動きがあるのです。「アメリカからの輸入」が、
またまた論議を呼んでいるのです。

 2006年4月、厚生労働省の労働政策審議会(厚生労働大臣の諮問機関)
の労働条件分科会に対して、厚生労働省が提案し、検討が続けられています。
当初は専門家の間だけで話題になっていましたが、ここにきて、
サラリーマン・OLの働き方に大きく影響することがわかってきたことから、
賛成・反対の議論が白熱するようになってきました。
     

年収400万以上のサラリーマンを対象として実施しよう
というこの制度。つまり、ほとんど全てのサラリーマンが対象です。
問題点がどこにあるのかを、考えておきたいと思います。

本制度導入にあたり、来年、労働基準法の改正を目指す厚生労働省
においても、前段階での問題点が浮上している。
それは、「兼業禁止規定」を無効にする改正といわれています。

サラリーマンにとって、好都合に見える改正ですが、
年収400万クラスのサラリーマンが、一切の残業代をカットされ場合、
終電まで働かされても、給料が減る分、土日に兼業して取り返そうとしたら、
それこそ休みはなくなってしまいます。

会社側は、個人の収入増加を個人の頑張りで確率しようとするのを
容認する、という姿勢を表面上装うことが出来るから、企業にとって
は責任回避ができるのではないでしょうか?

会社は、何に責任を持ち、何を守り、何を追及するのか。

社会を形成する一員である人の収入に関して、また労働形態全てを
自己責任の範疇に任せてしまうことになるのではないかと、私は
大変危惧しています。

ホワイトカラーエグゼンプションの適用対象年収を引き上げる必要が
あるのではないでしょか?

孤独の果ては滅び

2007-01-05 22:05:22 | つれづれに
新年の喜びもつかの間に、またもや耳を疑い目を覆う事件が
起きています。

兄が妹を殺害し、その遺体をバラバラにする。
書くのもおぞましいこの事件ですら、私達はもうそれほど
驚かなくなってしまった。
この麻痺した感覚にも戸惑いを禁じえないのです。

近親者による殺人はかつて「尊属殺人」とされ
刑法においては、死刑か無期懲役刑しかありませんでした。
しかし、平成9年の刑法改正により尊属殺人の規定は削除されました。
親の命・子の命それと第三者の命の重さを量刑によって差別される
べきではない、という解釈によってであるそうです。

同じ家に住み暮らし、血を分けた妹をかくも残忍に死に至らしめたのか。

これには、この兄だけが抱えているのではない、現社会にじっとりと
はびこった問題の本質があると思います。

それを私は『孤独』と言う事が出来るのではないかと考えます。

この兄は、恵まれた家庭に育ち、おそらく経済的には何不自由なく
と言ってもいい環境にあったことが覗えます。
かつて、凶悪犯罪の背景には、思わず胸が締め付けられるような
悲しい家庭環境や生育歴がありました。
なのに、彼にはそれが見当たらないのです。

兄は、将来の希望を思い描きつつも、何度も受験に失敗した。
妹は、将来の希望を胸に、自分の生きる道を見出し始めた。

兄が、自暴自棄になっていた・・・このように言うことも出来るでしょう。
しかしそれにもまして、兄が恐れて不安という深遠に迷い込んだのは、
「将来に大きな希望をもちたいという願いと、それが次々と断ち切られていく
 絶望の現実とにはさまれた故の、孤独」ではなかっただろうかと思うのです。

青白く、精気を失っていく彼に家人は気づいたのでしょうか。
希望と言う漠然に、行動をもって歩き始めたばかりの妹に兄の
孤独を受け入れる事は、困難だった事でしょう。

「~でなければ、必要とされない」

この「~」に「歯科医にならなければ」と自らを追い込んだ兄は
子の呪縛とも思える思考から、もう自分では逃れられなかった。
『孤独』がさらなる『孤独』を誘い込む。

自分の存在意味を見失った時、人は孤独に耐え切れなくなり
爆発し暴走し、人間の姿をした獣と化すと思えてならないのです。

人が人である限り、支え合う他者を求めるのではないでしょうか。

孤独の果てに、滅びがあるのなら、
合い和すの果てには、希望の興りがあると信じたいと思います。



仕事始め

2007-01-04 21:18:31 | つれづれに
お正月三元日も終わり、今日は仕事始めでした。

会社に着くや否や、もう一度新年の掃除を始めました。
年内に掃除はやり終えたつもりでしたが、はじめると
まだまだだった事に気づき、いつしか本格的な大掃除状態
になってしましました。

ようやく終わったところで、もう一度今年の私の行動テーマ
を決めておこうと思いました。

『勇気ある行動』

これを2007年行動テーマにいたしました。

一歩踏み出す時、敢えてほんの少しでも勇気のいる行動を
選ぶ事。
今まで私自身が苦手だと思っていた事に、勇気をもって
挑戦すること。
どんな事にも、どんな人にも勇気を持った言葉で話せるように
心がける事。

少しの勇気をしまいこまないで、奮い立たせれば、必ずや
希望に結びつくはずっ!

そんなふうに思ってたてた目標です。


厳かなお正月の思い出

2007-01-03 21:53:26 | つれづれに
祖父は、神道の神主でした。

お正月が来ると、装束に身を包み、まだ日も空けぬ早朝から
神様へのお供え物を準備する祖父の姿を思い出すのです。

それは、小学生だった私には到底声などかけられない
厳かな空気に包まれたものでした。

体を清め、心を鎮め、整然と神事に仕える祖父の姿を
間近に見つめた時が、今私にはとても貴重な時間であった
との思いと共に蘇ります。

見えないものに敬虔な心で、畏敬の念を捧げる。
このような日本人の精神に横たわる、深層の思いの源流
がその光景に現れていたのだと思います。

冷たくも澄みきった空気と共に、思い出すあの風景を
私も忘れないで、そして伝えられたら、と願いました。


お正月は・・・

2007-01-02 20:59:53 | つれづれに
皆様うららかなお正月(ちょっとお天気は崩れましたが)を
いかがお過ごしですか?

わが家では、お正月になると必ずこんな言葉を母が繰り返し
てきました。

ひとつ、けんかをしてはいけません
ひとつ、せかせかしてはいけません
ひとつ、煮炊きも極力してはいけません

どうして?と聞くと、

お正月は、一年の始まりだから、その始まりに
けんか・せかせか をすると 一年中けんか・せかせかし続けなければ
ならなくなるからだ、と言うのです。

煮炊きについては、これも一年中食べるに追われる、と
言う事だそうです。

静かに、心を鎮めて、ひっそりと過ごす。

これが正しいお正月だそうです。

・・・・・今日から始まったバーゲンなんか凄かったですね。
     こんな風景はお正月に似合わないのでしょうね。