ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

2005年の教室!いよいよ実現!

2006-07-31 11:14:54 | エルピス
文科省が打ち出した『2005年の教室構想』では
ITを教える授業からITで授業をする、ことを実現させるための
設備構想がうたわれていました。

しかし、近年の地方自治の財政難から地方交付税交付金として
交付された教育予算が、思うように執行されずに各地で
『2005年』のはずが気がつけば、2006年になってしまいました。

それがようやく、私が日ごろお世話になっている泉大津市で
実現化されることになりました。
パソコン教室の充実
普通教室においてのパソコン整備
プロジェクターの整備
学校内LANの整備
様々学校内のインフラ整備が整い
この度、『インタラクティブユニット』
    『アクティブボード』    が
『電子黒板』として導入されます。

その納入のご用命を弊社エルピスが、賜ることになりました。
心から感謝です。

・わかりやすくて
・たのしくて
・そして、何より子ども達の心に残る授業
この先生方のご要望にお応えできる商品をお届けできることを
嬉しく思っています。

昨日、先生方にご使用説明をさせていただく為の
講習会を内田洋行さんが開催してくださいました。

(インタラクティブユニット)

(いつもお世話になる前田さん、分かりやすく説明してくださいます)

来週から怒涛の講習会を開催いたします。
未熟ですが、何卒よろしくお願いいたします



靖国問題って!?【神道について】

2006-07-29 19:26:41 | つれづれに
富田元宮内庁長官による『富田メモ』により
「昭和天皇はA級戦犯が合祀されたことに不快感を
お持ちになられたから、ご参拝されなくなった」
との、論調でにわかに靖国神社においてA級戦犯を分祀
させる。とか慰霊施設を無宗教で設立させるとか、
多方面で論争が活発になっています。

ここで、私達が知らなければならないのは、
●神道において、一度合祀された御霊は、分祀させることは
 教義上ありえないことである。

神道は、外形的規範や規律を表面化させないために、
何となく融通の利くあいまいな宗教であると誤解されがちです。

皆様も伊勢神宮に行かれたことがあると思いますが、
そのどこにも、説明書らしいものはなく、ただ厳かな雰囲気が
漂っているだけです。
つまり、神道は長い歴史を通じて培われた、日本人の普遍の信仰心を
中核にした自然を尊び、享受する感謝の信仰を持つ宗教ということが
出来るのではないでしょうか。

だから、○○でなければならない、○○をしてはならない・・・
等と言う戒律を書き連ねるのではなく、連綿と時代を送るもの達が
尊ぶべき事柄を、語り伝え、示して伝えてきたのではないでしょうか。

そのこと自体が、日本人の美しい文化となって今日も、言葉や習慣に
残されているのではないでしょうか。

少し、話が遠回りになってしまいましたが、
そのような日本人の精神に深く入り込んでいる神道の中で、
手厚い祀りをされてきた英霊を、他国の理解を得られないということで
その解説策を講じるばかりに、「無宗教の慰霊施設建設」などと
単純に言ってしまっていいのだろうかと、考えます。

そもそも、「亡くなった方の身体はこの世になくなっても、
その心(御霊)は、永遠であり、供養してお祀りする」
こと自体がすでに、宗教的思考であり、
その思いを無宗教でなどということ事態に矛盾を感じます。

なぜ、皆口々に無宗教でと言うのでしょうか?

それは、政教分離が憲法にうたわれているからですが、
これは、アメリカにおいて、特定のキリスト教教派が優遇されたり
政治利用されたりすることを禁じるために、定められた概念です。

私達が考えているような「政教分離」の憲法概念であれば
アメリカ大統領が大統領就任式において聖書に手を置いて
宣誓することなどありえないでしょう。

私は、言葉のもつあいまいな響きや、世にいう著名人たちの
発言におもねているのではなく、本来の本質を常に求めていなければ
ならないと強く思っています。

新聞にも、各紙底流にある精神と思考があります。
そのことを忘れずに、いたいと思いました。

夏野菜カレー!!

2006-07-29 15:35:21 | 美味しいもの
わが家の家庭菜園も何とか順調に収穫の時を迎えました。
トマトなんかは、もう鈴なりに実がなっています。

たくさん採れたおいしい恵みを、いかにおいしくいただくか。
一粒たりとも無駄にしたくない!
そう思って調理に励んでいますが、その中でも今日思いつくままに
つくってみた『夏野菜カレー』がもう絶品でした。

お肉は入れないで、
  ナスビ
  トマト
  玉葱
  インゲン
  冬瓜
  ピーマン
野菜の甘味と、スパイスとの相性抜群で、ついついお代わり
してしまいました。

収穫する喜びは、それを頂くその瞬間まで喜びを与えて
くれることを教えられました。

不安だらけのアメリカ牛肉輸入再開

2006-07-28 17:30:09 | 食育
本日、アメリカ牛肉の輸入が再開されました。

BSE問題
【肉牛の脳が以上をきたし、その牛はへタレ牛となって
 歩行困難などの症状が出る。
 その牛肉の脊髄部分等を人間が食べた場合、同様な症状を
 発症しやがて死に至る。】

この問題が公になった後、日本では対応策として
全頭検査を敢行し、牛肉の安全供給の制度をようやく
完備させてきました。
そして、同時にアメリカ牛肉の輸入を禁止したのですが
日本が大きな市場であるアメリカは、手を変え品を変え
折に触れて、日本に牛肉再開を強硬に迫ってきていました。

農林水産省は、
●全頭検査を強くアメリカに要請したにも関わらず、
受け入れられず。

今年2月なし崩し的に輸入再開を決定しました。
結果、事前検査であっさり危険部位混入が見つかり、
中断ということになりましたよね。。。。

あきれ返って言葉もありませんでした。
アメリカになんか、もはや期待はしていませんが、
あきれたのは日本側の対応です。

「自国の国民の安全を確保すること」をその責務として
いなければならにはずなのに、
その処置のあいまいさにがっかりするばかりです。

今回の輸入再開を受けて、小泉首相は
「最後は消費者の皆さんが、ご判断して自由に選べば
 いいのですから」
と涼しいお顔ですが、

・使用量50%未満の加工品であれば、産地表示の義務がありません
・外食の場合、表示を奨励程度の制約しかありません
・給食を食べる子ども達に、食材選択の自由はありません
 間違って混入していても、だれもわかりません

このような疑問に首相はどのようにお答えなられるのでしょうか?

ちーろぐでは、今食育について少しずつ書かせていただいていますが
子ども達に『食育』を語る場合、大人である私達が、
まず安全な食品を、子ども達に与えることは大前提だと思っています。

安全性を、国民の最終責任に転嫁しようとする国家元首の
発言に大きな疑問を感じました。


教育産業に関わる誇りと使命感

2006-07-27 17:47:04 | エルピス
本日、お世話になっている仕入先さまが一年に一度の
商品説明会と懇親宴を開催してくださいました。

こちらの仕入先様とエルピスは大変お付き合いが長く、
かれこれ30年になります。
その中で、京都にある会社の社長様の御挨拶は大変心に
響くお言葉でした。

【戦後教育は、本当に正しかったのだろうか。
 マッカーサー司令官は、日本を占領下に置く戦略の中で
 日本人がいかに優秀であるかを、熟知していた。
 だからこそ、日本人の精神の根を断ち切る作戦を立てなければ
 と考えていたのだろう。

 勤勉でまじめな日本人は、その巧みな戦略にしっかりとはまって
 しまったのではないだろうか。
 それに深く関わった学校教育の、今見つめるべき課題は大きい。
 教育に関わる品物をお届けする身として、この認識を十分に
 持ち、日本の精神を育てる一助を担う仕事を、天職として存分に
 活躍しなければならない。
 
 そして、自らが職業を通して日本を支えているという使命感を忘れて
 自己の利益をむさぼるような、日本人であってはならない。
 自分の仕事を卑下してはならない。
 自らが卑下するような仕事に、人を喜ばせるような働きなどできよう
 はずもない。
 
 教育に貢献し、携わる誇りを持とうではないか。】

この社長様のお話は、私も日ごろわが身に問い続けていることです。

『言ってもどうしようもないことを、嘆くな』
 青年塾 上甲塾長の言葉と共に、与えられた環境で
 いかに生きているか。を問い続けて生きたいと思います。

尊いお言葉感謝でした。


蓮の花

2006-07-26 15:39:01 | つれづれに
今日うかがった小学校の校門横にある
小さな池にとっても美しい蓮の花が咲いていました。



極楽浄土に咲くというこの花は、
見ているだけで、ほーっとため息が出そうなくらい
神々しさを醸し出していました。

ブログを始めて、ふとした瞬間に出逢う全てのものに
それまで以上に目を留めていることに、気づかされます。
見ているようで見ていないものの多さにも、気づかされています。



旅を終えて・・・感謝と共に

2006-07-25 13:53:56 | そぞろ歩き
今回の知覧の旅を終えて、私は改めて
自分に与えられた使命を全うする人生を生きなければ
ならないと、思いました。
そのためには、やはり今日、この時を懸命に生きる
しかないと思いました。

トメおばあちゃんには、特攻兵士の最後を
手紙に記し、憲兵の目を逃れてその遺族に届けました。
しかし、トメおばあちゃんは10歳で女中奉公に出され、
夫の鳥浜義勇さんに出会うまでは無学文盲の女性だったのです。
それが、当時珍しい大学まで進学した名士の息子義勇さんから
むさぼるように読み書きを習い、後にそれによって、
立派に手紙を書いて差し上げれるようになったのです。

人間が欲っしたから、叶えられるものはなく
使命あるところに万事備わることを、トメおばあちゃんは
伝えてくださるように思います。

知覧の母 鳥浜トメさんに
心からの感謝を捧げると共に、安らかに眠られますことを
お祈り申し上げます。



また、長文をお読みくださいましたちーろぐをご愛顧下さる皆様
本当にありがとうございました。

情報としては、抜けており不足していることばかりであります。
ちーろぐが旅したちーろぐの感想と思いでありますゆえに
何卒お許し下さいませ。
もし、機会がありましたら、是非とも知覧へお出かけ下さい。







受け継がれる鳥浜トメさんの志 2

2006-07-25 13:43:33 | そぞろ歩き
「伝え間違えてはいけないよ。
 あの子達の供養と、この国の安全と発展を祈るんですよ」

これがトメおばあちゃんの口癖でした。

にっこり笑って、涙ひとつも見せないで
日本のために、早く行かなければならないのですよ。
と言って出て行った特攻兵士達の供養は、
彼らが願って止まなかった、日本の発展と平和のための祈りと
一直線に通じていたのでした。

そして、トメさんは
「生きれども、生きれなかった人」がいたことを
決して忘れてはならない。と強く強く語られました。

この国のために・・・・・
現在では、『国』という言葉を使うと、すぐに右や左や
とその人の思想を特定しようとしたりするきらいがあります。
しかし、国を思うこと、国を愛すること
この『公』の思いのために、自ら『私』を捨てて
身を捧げた「生きれども、生きれなかった人」若者の
『公』に尽くした生き方に、私達は学ばなければならないのでは
ないでしょうか。

『私』ばかりが巨大化し、『公』の意味が忘れ去られた社会は
もはや共同体の姿を失い、育つべき「思いあう心」が育てられる
土壌すら消えようとしてしまうのではないでしょうか。

トメおばあちゃんは、
「生きれども、生きれなかった人」若き特攻兵士達にその
『公』の崇高さと、『今、自分が相手にもってなす行為』の
尊さを教えてくれているようでした。

戦後、知覧を訪れる多くの人々にトメおばあちゃんは
常に目じりに涙を浮かべながら、彼らのまさにここにあった命を
語られました。
そこで語られる話は、よく平和の願い、日本の悲しい歴史として
紹介されがちですが、それは戦後の歴史観に基づいたほんの一面
でしかないことを今回は強く感じました。

トメさんは、彼らの死を言い尽くせない悲しみとして背負いながら
彼らが、ただひたすら尊い使命を抱いていたことも語っておられるのです。
それは、人は、生きても死んでも「その人に与えられた使命」があることを
伝え、その使命を果たさんと願うところに、輝きが与えられることを
伝えているのではないかと感じました。

「生きれども、生きれなかった人」若き特攻兵士達が願った
『国』の平和と発展を願う『公』の思いに、今一度私達は
立ち返らなければならないのではないでしょうか。

『国』思う心・・・それは万里を越え
『郷』思う心になり
『父母』思う心と結びつき
『人』を思い合う心を育てる

そのようにトメさんは「当たり前」なことなんだよ、と
教えてくれているようでした。

「生きれども、生きれなかった人」彼らの心を
無にして生きないでおくれ。

トメおばあちゃんの人生をかけた
このメッセージを私は、聞かせていただいたように思いました。



今はサッカー場と野球場になった飛行訓練場跡に立つ
トメおばあちゃんです。
向こうに見える給水タンクを目印に、特攻兵士達は
飛び立ちました。

トメおばあちゃんは、確かに聞いていたのです。
「おばちゃん、人生50年と言うけれど
 俺は20才で逝くよ。
 俺の残りの人生を全部おばちゃんにあげるから
 元気で長生きしておくれよ。」

「生きれども、生きれなった人」の人生を無駄にしては
ならない、彼らが伝えたかった思いを語り続けたトメおばあちゃんは
多くの人々に、「今生かせれてある生に与えられた使命」を
見つけてほしいと伝えるられました。


散るために 咲いてくれたか さくら花
  散るほど もののみごとに ちりにけり
 (トメさんが遺した唯一の歌)

受け継がれる鳥浜トメさんの志 1

2006-07-24 14:23:56 | そぞろ歩き
私の知覧訪問日記にお付き合い下さりありがとうございます。
知覧で出逢わせていただいた全てのことに感謝しています。
中でも、泊めていただいた富屋旅館の女将さんには多くのことを
教えていただきました。

朝食を頂いている時、女将さんは
「良かったら、8時半からお話をさせていただいていますので
 お越しになられますか?」とお声をかけてくださいました。

8時半、他の宿泊者と一緒に富屋旅館の広間で
トメおばあちゃんと特攻兵士のこと、そして
トメおばあちゃんが伝えておくれよと言い残したことを
お話いただきましたので、最後にご紹介させていただきます。


 富屋旅館の女将さんです。
 女将さんはトメおばあちゃんのお孫さんのお嫁さんです。
 ご主人が交通事故で亡くなられてからは、トメさんと共に
 旅館を守り、現在はトメさんの志を語り伝えておられます。



  富屋旅館の広間は、富屋食堂の離れとして当時開放され
  特攻兵士達が、くつろいだ場所です。
  柱、さんぎ、等当時のままが残されています。



  この柱に兵士達が背をもたれて、飲み、語り歌ったのかと
  思いを馳せました。

富屋食堂 4【生き残った者達と共に生きる】

2006-07-23 14:08:39 | そぞろ歩き
富屋食堂での物語は宮川さん、光山さんだけではなく
他にも数々あり、ご紹介し切れないほどです。

悲しみを抱きつつも、特攻兵士達の最後の時を
心からのもてなしを行い続けました。
時には、憲兵がトメさんを時間外営業をしたとの理由で
暴行を加えたこともありました。
しかし、トメさんは
「私は、あの人たちからお金をもらっていない
 お金をもらっていない以上客ではない。
 何も言われることはない。」と言い返し、さらに殴られたのでした。

そして間もなく、終戦の日が訪れました。

特攻基地があった知覧にはアメリカ兵が乗り込んでくるから
という理由で、特攻兵士をはじめ軍関係者は
瞬く間に引き上げていき、関係資料はことごとく焼却されていったのです。

たまたま、トメさんと次女は特攻基地へ花を手向けに
歩いていたところ、ゼロ戦機がバラバラにされて今まさに
焼かれようとしているところを通りかかりました。

ふと足を止めたトメさんは、くず折れるようにその場に
じゃがみこみ「私があの子達を殺したのも同じだ」
と涙を流したのでした。

心が張り裂けそうな思いになりながらも、
立派にお国のために死んでおいでと、若者を奮起させ、
見送った自分をトメさんは悔やまれてならなかたのです。

この若者達の死を、無駄にしてはならない。
彼らの死を自分の全人生をかけて、伝えなければならないと
心に誓い、彼らの供養に人生をかけた日々が始まったのです。

雨の日も風の日も、暑い日も寒い日もトメさんは
一輪の花を持って特攻基地跡へ向かいます。
そこにあった飛行機の残骸の一部を特攻兵のお墓として
そこに花をたむけ続けました。

そんなある日、トメさんのもとを特攻兵士の生き残った方が
訪れました。
彼は、「自分は生き残ってしまった」この思いにさいなまれ
この知覧の地で戦友と共に過ごした日を懐かしんでから、
友のところに自分も行こうと考えていたのでした。

その思いを察知したトメさんは、
「死んだものにも、生き残った者にも
 死ぬ意味、生かされた意味があるのですよ」
「死んではなりません。」
と自らも涙を流して、励ましたそうです。

トメさんもまた、生き残ったことを悔やみ、悩み、
その意味を探り続けた人生であったことを思う時、
時代の荒波。。。などという言葉では到底語りつくせない
人間の葛藤があったことを知らされました。