本日、誕生日を迎えました。
いくつになっても自分の誕生日だけは、何だか特別な日ですよね。
いつものように仕事をしながらも、「誕生日」というキーワード
が、頭の中をぐるぐる回っていました。
そんな中でふと思い出したことがありました。
私が高校3年生の時、大学受験の推薦入試のための学校面接で
校長先生から「あなたの死生観は?」と聞かれたことです。
死生観・・・と言われても、的確な答えに到達できずに、とっさに
「人は誰でも死にます。死ぬことを見つめて生きることで
人間は本当に生きると思います。」
と言う感じで、訳の分からない答えをしたのを覚えています。
「誕生日」は文字通り「誕生した日」です。
それは、人が「生まれ」た日です。
しかし、人は生まれた途端に「死」に向かっているのですから
まさに限られた間、「命」を預けられた存在のようなものですね。
「命」を預けられたものと思えたならば、またその預けられた時間を
いかに過ごそうか、そしていかに用いようかを、わが身に問わなければ
と思います。
生と死の間にあるひと時の命だからこそ、かけがえのないものである
とつくづくと感じます。
私が生まれた日少なくとも私の両親は、私の命の誕生を心から喜び
こぼれおちる笑顔で私を迎えてくれたことでしょう。
ならば私が死を迎えた時、預けられていた命がどなたかの笑顔に
つながるような死でありたいと思いました。
私もいよいよ人生本番!
まだまだ山あり谷ありを繰り返すとは思いますが、わが身に恥じる
ことのない生を生きたいと思った一日でした。
私を選んで預けられた命を輝かせるために頑張ります!
いくつになっても自分の誕生日だけは、何だか特別な日ですよね。
いつものように仕事をしながらも、「誕生日」というキーワード
が、頭の中をぐるぐる回っていました。
そんな中でふと思い出したことがありました。
私が高校3年生の時、大学受験の推薦入試のための学校面接で
校長先生から「あなたの死生観は?」と聞かれたことです。
死生観・・・と言われても、的確な答えに到達できずに、とっさに
「人は誰でも死にます。死ぬことを見つめて生きることで
人間は本当に生きると思います。」
と言う感じで、訳の分からない答えをしたのを覚えています。
「誕生日」は文字通り「誕生した日」です。
それは、人が「生まれ」た日です。
しかし、人は生まれた途端に「死」に向かっているのですから
まさに限られた間、「命」を預けられた存在のようなものですね。
「命」を預けられたものと思えたならば、またその預けられた時間を
いかに過ごそうか、そしていかに用いようかを、わが身に問わなければ
と思います。
生と死の間にあるひと時の命だからこそ、かけがえのないものである
とつくづくと感じます。
私が生まれた日少なくとも私の両親は、私の命の誕生を心から喜び
こぼれおちる笑顔で私を迎えてくれたことでしょう。
ならば私が死を迎えた時、預けられていた命がどなたかの笑顔に
つながるような死でありたいと思いました。
私もいよいよ人生本番!
まだまだ山あり谷ありを繰り返すとは思いますが、わが身に恥じる
ことのない生を生きたいと思った一日でした。
私を選んで預けられた命を輝かせるために頑張ります!