ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

阿闍梨餅

2006-11-20 22:33:23 | 美味しいもの
京都のお話のついでに、私の大好物で京都のおいしいお菓子を
一つご紹介させていただきます。

『阿闍梨餅』と書いて、「あじゃりもち」と読みます。



阿闍梨という言葉は、高僧を意味する梵語を語源とており、
日本では天台・真言の僧位を表しているそうです。
中央部が盛り上がった形は、比叡山で千日回峰修業を行なう阿闍梨が
かぶる網代笠を象ったもので、厳しい修業中に餅を食べて飢えをしのいだ
ことにちなんで考案されたとのことです。

この阿闍梨餅の特徴は、何といってももっちりとしていながら薄くて
ほんのり甘い皮とコクのある餡との絶妙の味わいだと思います。

苦くて渋いお茶にも、ほろ苦いコーヒーのどちらにも会う逸品です。
京都でも限られた百貨店でしか販売されていない貴重なお菓子です。

この阿闍梨餅をつくる満月さんは、
「一種類の餡で一種類の菓子しかつくらない」という基本方針をもって
職人気質を貫いた菓子造りをしておられます。

すさまじい修行を積んだ高僧阿闍梨は、山道を足音一つ立てずに歩くと
言います。そんな修練の極みをこの和菓子に感じつつ、いつも頂きます。


にぎわう京都に想う・・・

2006-11-19 20:29:25 | そぞろ歩き
先日ご招待を頂いた特別講座のため、京都へ行ってきました。

青蓮院門跡で行われた講座は、大変盛況で外国からの方も加わり
慣れない手つきでお手前を頂いておられました。

まさしく『一期一会』。
その瞬間の出逢いをいとおしみ、相手を気遣う中に、亭主と客人の
豊かな関係性の世界を作り出す、稀有な文化を体感できる貴重な
機会でした。

無作法な私ですが、母が揃えてくれた袱紗などでお手前を一服
頂きました。


講座の帰り、近くにある平安神宮を訪ねてみることにしました。



本当にすごい人が秋の京都観光に訪れていました。
次々とバスが行きかい、様々な言葉も飛び交う賑わいでした。
そこで、私の目に飛び込んできたのは、この平安神宮の大鳥居の前
にセブンイレブンでした。

「神宮通り」と名づけられた通りには、その風情を損ねないように
工夫を凝らしてディスプレイされたお店が、京とらしさを演出しています。
その道をそぞろ歩いた最終ポイントにコンビ二!!
正直「え~!?」という感じです。

そんなことを思いながら、今度は祇園に向かいました。



満員のバスに乗って八坂神社前に降り立った私は、またしても
立ち止まってしまいました。目の前にはローソン

日本文化の本拠地として、雅なるものを求めて日本中から、いえ
世界中から愛され、人々を魅了してきた京都が本質を失いかけて
いるように思えて仕方がありません。

平安神宮と八坂神社が、単なる名所旧跡としての観光地になってしまう、
そんな危惧を覚えました。
京都の人自身が、集客力のあるシンボルとしてしか捉えていないのか?

コンビニの手軽さと便利さは誰もが承知し、恩恵に与ってもいます。
しかし、しかしです。
その「場」が持つ情景と情緒を一瞬に失わせる「軽さ」をもって
いるのではないでしょうか。

先人達が長い年月をかけて築き上げ、また受け継いできたものが
あるからこそ、京都は京都たる魅力を現代につなげていることを思うと
なんとも『もったいない』思いがしてなりませんでした。

これ以上、ただの観光地にならないで欲しいと思う京都めぐりでした。

ストップ!いじめ

2006-11-18 22:43:04 | 教育


おそらく全紙に掲載したのだと思いますが、『ストップ!いじめ』
というメッセージが文部科学省から出されていました。

日常的に繰り返されるいじめがなくなることは、大変難しいと思います。
ならばどうするのか?
これまでの学校や家族の見解を見ると、「いじめに気づかなかった」
「いじめられてるようには感じなかった」という発言が目立ちます。

教育関係者は、いじめの事実認定をすることによって後におこる、民事裁判
や責任問題を見越しての発言も有るかとは思いますが、保護者は違うはずです。
ただでさえ思春期の子どもの心を読み取ることは、大変です。
自分の世界観を持ち、大人に対してはことさらに壁を作っていることが
多くみられます。

しかし、学校内では(クラスでは)確実に誰が誰からいじめられているか
は、ほとんどクラス全員が分かっているはずです。
自分の小中学校時代を思い出せば分かるはずです。

いじめられている子をかばう前に、いじめている子をかばってきたつけ
ここに問題の根が有るように感じています。
教室内で犯人探しをしてはいけない・・・
みんなで考えよう・・・
などと言う言葉で、虐めを矮小化してしまってはいけません。

誰かを虐めることが、黙認されるから子どもは絶望してしまう
のではないでしょうか?

「なぜ虐めはいけないの?」

私は色々な理屈はいらないと思っています。
「あかんことやから!」と言い続けたいと思います。
そして、自分で死ぬことも「あかんこと!」です。

深まる秋

2006-11-18 20:21:14 | つれづれに



冷たい空気に触れた木々が、美しい装いに衣替えをし
私達の目を楽しませてくれる晩秋になりました。

毎朝通る通勤路の木々が、日一日と色づいていく姿に季節の
移ろいを感じています。
春は生命力豊かに芽吹いた葉が、夏は優しく木陰を作り
秋は色づいてはらはらと散っていく・・・・
一本の木の中で起こるストーリーに、私達人間はどれほど
励まされ、心和んでいることでしょう。

心一つではない時も、一言も語らずに語りかけてくれる木。
これも恵みと感謝した瞬間でした。


教育基本法反対の声について

2006-11-17 20:25:31 | 教育
教育基本法に反対する北星女子中学3年生が首相に意見書を提出
したそうです。

 十六日、衆院本会議で可決された教育基本法改正案について、
北星学園女子中高(浅里慎也校長、札幌市中央区)の中学三年生
が同日、改正反対を訴える安倍晋三首相あての意見書を送った。
同校は現行の教育基本法をつくったメンバーの一人、
河井道(一八七七-一九五三年)の母校で、生徒たちは
「先輩がつくった基本法の精神を曲げないで」と訴えている。

 意見書はA4サイズで四枚。教育の目標として
「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを掲げた改正案について、
「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、
おしつけられるものではない」と指摘。
安倍首相に「本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか?
返答をください」と求めた。

 社会科で教育勅語について学んだのがきっかけ。改正案で「愛国心」
が重視されていることを知った三年生一クラスの二十七人が「戦前の
ように心が強制されるのは嫌」と相談。連名で意見書を作成し、
安倍首相のほか各党、扇千景参院議長にファクスで送った。

 改正案に反対する声は学校全体に広がり、中学では署名活動も行い、
高校も意見書を作成したほか、一人ずつ反対意見を記したカードも募集した。
十七日にも安倍首相や伊吹文明文部科学相などに郵送する。

 高校三年の生徒は「国にとって好ましくない人物というだけで、
仕事などに影響が出るのは怖い」と訴える。意見書を送ったクラス担任の
北野聡子教諭(32)は「子どもたちの行動力に驚いた。
考える力が育っている証拠で、担任として誇りに思う」と話している。

  【北海道新聞より引用】


この記事を読んで、私の第一印象は社会会の時間で教育勅語を学んだと
言っても、どのよう観点で学んだのか?と疑問に感じました。
なぜなら、私自身小・中学校時代は、日教組バリバリの先生から
「望んで戦争に行った者などでれもいない、赤紙一枚で人の命を
奪う戦争ほど愚かなものはない。
戦前の教育は間違っていた。自由がなく、思想統制が図られ子ども達を
戦争へ送ってしまった責任は大きい」
と言うようなことを、何度も何度も言い聞かされたのを思い出します。

そのような言葉と関連つけて話される、教育勅語についても天皇から
くだされたもので、戦争に人民を駆り立てる思想的道具であったように
聞かされていました。

だから、戦後天皇がなぜ優遇(すみません)されているのだろうと
大きく疑問に感じた時期もあったほどです。

今思えば、なんて純粋でいたいけな子どもにしかも絶対的な立場の
教師が一面的な教師の思想を押し付けていたものだ、と辟易とします。

この中学生も、ある意味まじめで純真で潔癖で正義感溢れる生徒なのでしょう。
しかし一面、全くもって欠如していることがあると思います。
奇しくも、担任教師が『考える力が育っている証拠』と語っていますが、
この考える力の根底に必要なことが、教えられていない。ことを思います。

考えるためにには、そして、自分の意見を導き出すためには、
多面的な情報の収集と精査が必要であることを、この学校では教えていない
ことを露呈しているからです。

このような学校のありかたこそ、戦前のような情報操作と思想操作が
起こりうる土壌のような気がしてなりません。

それにしても、この学校の社会科教師の教育勅語の授業を、一度受けて
みたいものです。







ご招待頂きました

2006-11-16 20:40:20 | つれづれに
京都伝統産業青年会展において催される特別イベントに
ご招待を頂きました。



裏千家の準教授であられる「ランデー・チャネル 宗榮氏」によって、
お茶の作法や歴史を教えていただく特別講座です。

えっ外国の方が!?

そうなのです。なんと今回はカナダ人の方が講師なのだそうです。
NHKの「英語でしゃべらナイト」に出演中だとか・・・
外国の方からみた日本人の「美」の文化と風習など色々お伺いしたい
ことが募っています。

当日は、母と二人で久しぶりに着物を着て、秋の京都をそぞろ歩きしながら
京の風情を楽しみたいと思います。
またご報告いたします。

初収穫!

2006-11-15 17:57:36 | つれづれに
4年前に頂いたかりんの木がようやく実りの時を迎え、
収穫の喜びを与えてくれました。



色々な方からおいしい頂き方を教えていただきました。
まずは、かりん酒とかりんジャムに挑戦します。

この苗木を下さった方は、
「かりんはね、どんなに土地が悪くても、手入れが行き届かなくても
必ず実をつけてくれるけなげなで逞しい木なんだよ」と教えて下さいました。
人間もどんな環境を与えられても、実りある人生を歩みたいものだ。
とも話してくださったのを覚えています。

2年前天に召されましたが、この言葉を思い出しながら初収穫の時を
感謝しました。


二宮金次郎⑥「金次郎の実践」

2006-11-14 18:38:58 | 先人に学ぶ
ここまで、金次郎の働きについて思想面を軸に書かせていただきましたが
ここではもう少し具体的に、金次郎の実践がいかなるものであったかを
考えてみたいと思います。

●金次郎(尊徳)が34歳の時、小田原藩は「農民のために
 なることがあれば申し出よ」と広くアイデアを募集しました。
 金次郎(尊徳)の出した提案とは・・・

 『年貢を正確に測れる枡』を設計し提案でした。

当時、武士の横領のために年貢米を計る枡(ます)の大きさが
バラバラでした。そこで、金次郎は3杯で1俵と1升になる
枡(ます)を考え出しました。これにより年貢米は平等になりました。

●小田原藩の建て直しにあたった尊徳(金次郎)は、農民にやる気を
起こさせるために、始めたことがありました。

良く働く農民を表彰して、褒美を与えることでした。

働けど働けどその労苦が報われなかった農民の希望の光になりました。
良く働く農民を表彰し、クワやカマを褒美として与えたり、時には、
家を新築したり、1年間年貢を納めなくて良いということもありました。

これらの金次郎の実践は、金次郎自身の貴重な経験が生み出したものでした。
それは後に『報徳思想』と呼ばれましたが、金次郎によって導き出された
「豊かに生きるための知恵」でした。

そこには、金次郎の実践の原則 ”徳に対して、徳を報いる”
全ての人・物に徳(ねうち)がある。だからこそ、全ての徳に感謝する
思いが述べられる思想として、明治・大正時代の経済哲学の基となったのでした。




ちーろぐの感想

薪を担いだ少年金次郎の勤勉さだけしか、知らなかった金次郎の真の姿は
『農業改革者』であったことに、大きな感銘を受けました。
貧しいばかりの農民が、意欲をもって働けてこそ貧しさからの脱却が
あることを、制度をもって農民自身に伝えた功績は、どれほどのもので
あったことでしょう。

機会の均等など望むべくもなかった封建時代にあって、汗水を流して
田畑を耕す農民に、努力を惜しまない労働の向こうには、結果の均等が
用意されていることを示す、画期的な改革であったと思いました。

それにしても、いつの時代も汚職とごまかしの社会があったのですね・・・

次回は二宮金次郎最終回です。


心の教育とは・・・

2006-11-13 19:19:58 | 教育
この2ヶ月いじめが原因での自殺報道がなかった日はありませんでした。
子どもが死に、先生が死に、学校のなかで「死」に直面した日が続いて
います。徐々にこの問題が、教育という枠の中でだけ語ってたのでは
埒が明かないことを、切実に感じ始めているのではないでしょうか?

「命を大切に」
「心の教育」

と言葉では語られますが、なぜ命が大切なのか。そして大切にするとは
どういうことなのか?
また、心の教育とは具体的に何を子ども達に語ればいいのか?

大人は目の前にいる我が子に迫る状況に、非常な危機感を覚えながらも
具体的な策を求めつつ、「今」の子どもの有り方を見守っておられるのでは
ないでしょうか。

私はいじめ問題を解決するため、ではなくもっと抜本的な教育構造の
改革が必要であると考えます。
現在の学校教育で抜け落ちた内容に光を当てることだと思います。

●道徳教育
●日本近代歴史教育
●宗教教育

それがこの3点であることを、青年塾の上甲塾長から教えていただきました。

「道徳教育」・・・
 大戦後、道徳教育の大部分は墨で塗りつぶされ日本人の素晴らしい
 思想や行為全てが『軍国主義につながる危険思想』と排除されて
 しまったのです。
 このブログにも何度も書きましたが、道徳教育が軍国教育なのではなく
 戦時下においては、あらゆる物が戦争のために用いられる状況でを
 余儀なくされるのです。
 だから、戦争はまさしく恐ろしいモンスターなのです。

「日本近代歴史教育」・・・
 皆さんは小・中学校時代どのよう日本近代史を学びましたか?
 私は、徹底的に侵略国家日本の凶行と、それを素地にした反戦教育
 でした。そのような一面は確かにあったと思います。
 しかし、そのことをもって近代日本人全てが傲慢で残虐であった
 と教えてきた日教組の教育は、これこそ糾弾されるべきです。
 
 日本の独立と自立のために心血を注いだ日本人に、気概と気骨
 を感じないではおられません。
 
「宗教心」・・・
 国家神道という宗教によって天皇は現人神とされ、日本人は泥沼の
 戦争に入り、罪のない国民の命を奪った。その反省に立ち、宗教は
 信教の自由によってこれを押し付けることは出来ない。
 との思想から、戦後公教育において、宗教は徹底的に排除されていました。
 全くのタブーであったとも言えるでしょう。
 
 しかし、思い出してください日本人は古来より農耕民族として
 大地を耕し、作物を植え、収穫する生活を営んできました。
 彼らは、収穫をもたらす天を神とあがめ、恵みを感謝し祈る
 敬虔な心を持った民族であったはずです。
 村祭りは全て神に捧げる感謝の祭りなのです。
 なのに、宗教がタブーだとは全く理解できない発想です。

 ひとつの宗教をことさらに教えること、が宗教教育なのはありません。
 宗教の持つ意義とそこにある倫理観と、哲学を伝えるのです。
 
 大東亜戦争敗戦の反省とGHQから教えられた自虐史観で、日本人は
 本当に【民族としての根】を失ってしまったのではないでしょうか?

 
漠然とした言葉で「心の教育」を謳っても、子どもの心には届かない
と思います。
戦後教育を受けた私達ですが、今ならまだ間に合います。
かの時代を生きた、人生の先輩がいらっしゃる間に大人である私たち自身が
学び、子どもに伝える言葉を持ちたいと願う者です。

 

サザエさんのマスオさんは何歳?

2006-11-12 19:29:38 | つれづれに
漫画サザエさんに登場するサザエさんの夫「マスオさん」は
何歳という設定で描かれていると思いますか?

昭和21年に誕生した「サザエさん」において、原作者長谷川まちこ氏は
マスオさんの設定年齢を28歳とされています。

えっ!?そんなに若かったの?

と言うのが、多くの方の印象のようです。
私もはじめこのことを尋ねられた時は、35歳から38歳ぐらい
と答えました。
それから、いろんな人に聞いてみましたがほとんどが同じ感想でした。

昭和21年と言えば、今から約60年前です。
平均年齢も結婚年齢も現代とはずいぶん違う、昔は早くに結婚したものだ
と言ってしまえばそれまでですが、私は少し違う感想を持ちました。

60年前の28歳に対する社会的イメージに、現代とずいぶん違いがある
と言うことです。
タラちゃんが3歳という設定も含めて、28歳にもなれば一家を背負い
家族を養い、常識的な人間関係を築ける「大人」という社会的イメージが
あったように感じます。

しかし、現代では個人差こそあれ、マスオさんに感じるような社会的イメージを
抱くのが35歳以上と言うことは、「大人」という社会的見方がなされるのに
7年以上もかかっているということになります。

つまり、60年前の日本人より現代の日本人の方が、精神的成熟が遅い
のではないかと感じました。

自分の好きにすることが自由
私が選んだ道を歩きたい
私はもっと可能性があるはず
今の仕事は私にあっていない
自分の好きな仕事をしたい  。。。。。

これらは自己実現と向上志向に満ちて、素晴らしい言葉であると思います。
確かに誰一人これらの希望を否定することは出来ません。
しかし、私も含めて案外この思想に振り回されて、今できることを
軽んじてはいないかと思います。

「大人」になることとは、たとえそれが望んでいなくても
懸命に取り組むことが出来、その場において新たなる己の道を見出せる
人ではないかと思うようになりました。

もしかしたら、私自身の「今」が望んでいたことではないからそのように
自分に言い聞かせているのかもしれません。
しかし、その道で歩けと導かれていると思えば、またそれもあり!
と思うマスオさんの年齢でした。