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知花子ども会・知花ときわ会

知花子ども会・知花ときわ会の活動と地域の情報を広く紹介、情報共有することで地域活性化を目的に、このブログを開設しました。

沖縄の行事【11月・12月】

2023年12月09日 | ★歴史・伝統・文化

【11月】
◆カママーイ(竃まわり)
 (旧暦10月1日)
 沖縄本島とその周辺離島で旧暦10月1日におこなわれる部落レベルの年中行事。
恩納村谷茶で
は旧暦9月9日、火事にならないようにと区長たちが各戸の竃(火の神)を巡視する。その前に各戸では竃をはじめ屋敷内外の掃除をおこなう。

ノロたち
が部落の御嶽・殿と呼ばれる拝所で、火が出ないようにと祈願することにより〈ヒーマーチの御願〉と称する部落もある。玉城村糸数ではヒーマーチの御願(旧暦10月1日)と竃回り(旧暦12月1日)に分かれている。読谷村座喜味ではカンカーウスメー(5、60歳の老人)が各戸を回ったという。
 かっては
村役人が各戸の竃、屋敷の清掃がされているか巡視したという。本島北部では、この日をキリシタンチョーと称し、区民が公民館などに集まってこの1年間に生まれた子どもの報告をおこなった。玉城村中山、糸満市喜屋武でも同様の行事がある


【12月】
◆冬至(トゥンジー) 12月22日(日)


 トウンジージューシーは冬至の日に行われる行事。
各戸夕食時に火の神や仏壇に田芋を入れた
雑炊(トゥンジージューシー)を供えて冬至折目(おりめ)の報告をするだけという地域が多い。中には家族の健康・繁栄を祈るところもある。7品(田芋・昆布・肉・カマボコ・ニンジン・ネギなど)でチンヌクジューシーをつくる地域が多いが、ところにより、ターンムニーやピサシズーシー(豚肉入り雑炊)であったりする。『琉球国由来記』にく聖上、玉庭に於て北極を拝む》とある。沖縄本島中部の具志川では日の出時に冬至馬小(トゥンジーンマグワー)をみるといって東天を拝んだというが、他の地域からの報告事例は聞かない。冬至のことを正月ガマ(宮古)、冬至正月(与那原町板良敷)、冬至元旦(与那国)ともいい、雑炊を食べたら年齢が1つ増えたのと同じといわれた。こ。れは古く中国の暦法で冬至をもって暦を改めたことからきたものと思われる。


知っておきたいミニ知識
供えもの④
●ウチャヌク・ウチャナク
 ウチャヌクはウチャナクとも呼ばれ、白い丸餅を大・中・小の3段重ねたもの。3段にした餅を3つ、すなわち9個を一組として供える。ウチャヌクは、御嶽やカー(井
泉)などを拝むときや屋敷
ヌ御願などの代表的な供物で、これらの行事の時期になるとスーパーマーケットの店頭でも販売されているのを見ることができる。

 ウチャヌクという名称は、古い時代に茶菓子や軽食の類を「お茶の子」といったことに由来するようである。鎌倉中期ごろ、中国伝来の禅宗が日本でささかんになるに従い、禅寺で行われた中国式精進料理の「点心」という間食の風習が知られるようになり、これが室町期には「お茶につき従う子のようなもの」という意味から「お茶の子」と呼ばれるようになった
。江戸期には「茶の子餅」といって軽食用の餅を行商する者もいたという。

 もともとは茶菓子や軽食を意味した。「お茶の子」の語は、沖縄に伝わると重箱や膳料理などに比べで軽いということからであろうか、餅や菓子などの供物を指すようになり、やがてその中でもさかんに使われた3つ重ねの丸餅の呼称としで定着したものと思われる。なお、他県でも彼岸などの仏事で供物や配り物とする団子などの菓子類を「茶の子」という地域がある。

また黄・赤・白の色紙を敷き重ねた上にウチャヌクをのせ、正月の供物として仏壇や火ヌ神などに供えたとき、ウトゥシジャマ(御歳玉)、
カガンデーなどと呼ぶことがある。カガンデーとは鏡餅のことで、古くは日本でも正月に供えたり贈ったりする丸餅いわゆる鏡餅を「歳玉(としだま)」といった。時代が下ると贈り物のほうは餅から金品にかわり、これが現在われわれのよく知る「お年玉」である。
 つまり、ウトゥウシジャマの語もまた、古い時代の名残をとどめたものといえる。

トゥンジーソーグヮチ(冬至正月)

冬至とは、天文学的には太陽が最も南寄りになる瞬間をいうが、一般的には一年の中で最も日の出から日没までの時間、すなわち昼が最も短くなる日として知られている。つまり、逆の言い方をすれば、冬至以降は日ごとに昼の時間が長くなっていることから、太陽は冬至を迎えれば新たに力強く生まれ変わり、これと同時にすべての生命も生き生きと蘇ると考えられた。

不遇が続いた後、一転して運が向いてくることを「一陽来復(いちようらいふく)」というが、これは「一陽復(ま)た来(きた)る」と読み、本来は中国の古典『易経(えききょう)』にみえる冬至を表す語であり、「陰の気は10月に極まり、11月の冬至を境にして再び陽の気が訪れる」ことを意味するものである。

また、一年間を24に分けて表した二十四節気の中でも、冬至は特に重要視され、旧暦(太陰太陽暦)は冬至のある月を11月にするという大前提のもと一年の暦が組み立てられており、古くは冬至の日を一年の始まり、すなわち元日とする暦が用いられていた。

沖縄にトゥンジーソーグヮチ(冬至正月)という言葉があり、トゥンジージューシー(冬至に祖霊に供える炊き込みご飯)を食べれば年を越したも同じ、などと言われてきたのは、こうした中国の古い習俗に由来するものである。

なお、中国をはじめ、日本や沖縄など東アジア一帯のみならず、太陽の復活と生命の再生の日として冬至を祝う風習は、世界各地に広く分布している。今では宗教的なものを越えて世界的な年中行事となり、年末のイベント化した感のあるクリスマスも、古い時代に北欧で行われていた冬至祭が、そのルーツのひとつとされている。

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉

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知花・松本のウマチー

2023年08月06日 | ★歴史・伝統・文化

(1)ウマチーとは

ウマチーとは、御祭り(又は穂祭り)のことで、本来はノロが司祭する主に麦、粟、稲の初穂、収穫儀礼である。しかし、ノロの不在や、五穀栽培の衰微により多くの地域で本来の祭祀の主旨は形骸化し、門中という一族の始祖拝み的なものになっている。特に都市地区では形骸化がいちじるしく、祭祀組織も崩壊しているのが現状であるが、知花・松本のウマチーは都市地区では珍しく、少なくとも形式においては、本来の祭祀の主旨を残している。本来ウマチーは麦は旧暦2月か゜初穂、3月収穫の二祭、稲・粟は5月が初穂、6月収穫の二祭と年に4回、15日を中心に行われたのであるが、私たち知花・松本では稲の豊作祈願祭として毎年5月15日には初穂儀礼、6月15日には収穫儀礼をとり行っている。

 

(2)知花・松本のウマチー行事の概要

知花・松本のウマチーは15日で、供え物や祭場の準備などは前もって公民館が行う。まず当日午後、知花ノロ殿内に祭祀関係者が集合する。昔は知花ノロが知花・松本・池原・登川の4集落を統轄していて、このウマチーも知花ノロが司祭し、各集落の神女が参列して行うのが本式であるが、現在は知花ノロ不在で、知花ノロの供神的存在と思われるウッチヌハンシーという神職者が司祭的役目を果たしている。他に各ムラ元家出自の神女(ウクディ)3名、それにウムイシンカ(神謡の唱詩者)という男性が各ムラから二人ずつ参加する。

<2023.8.6沖縄タイムス記事抜粋>

<2023.7.20沖縄タイムス記事抜粋>

<2023.7.13沖縄タイムス記事抜粋>

<2022.8.11沖縄タイムス記事抜粋>

<2020.8.13琉球新報記事抜粋>

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グスク講座で歴史ロマン ~縄田さん講師 市内6カ所解説~

2023年07月19日 | ★歴史・伝統・文化

<2023.7.19琉球新報記事抜粋>

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五月ウマチー前に「ウタカビ祈願」行う!

2023年07月05日 | ★歴史・伝統・文化

6月30日(旧5月13日)知花、松本、池原の自治会長が一堂に集い、地域の子孫繁栄と五穀豊穣(ほうじょう)を願う「ウタカビ祈願」がこのほど、知花のノロ殿内で行われた。これは旧暦の5月15日の五月ウマチーの前に合わせて行われる。

   

ウタカベ

お崇べ(おたかべ)とは神女が神に対して祈願する唱え言。崇詞。対句、語句の繰り返しが多い。 字伊良皆の2月ウマチーでは、2日前の13日夕方に3軒の根屋でウタカビが行なわれた。 字楚辺では、神アサギの周囲に縄を張りウタカビをした。ウタカビが始まると針や鍬を使ってはいけないといわれ、禁を破るとハブが出るといわれた。

<読谷村しまくとぅば単語帳参照>

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沖縄の行事【7月・8月】

2023年07月01日 | ★歴史・伝統・文化

【7月】

◆五月ウマチー
7月2/(旧暦5月15日) 

ウマチーとは方言で御祭りのこと。五月ウマチーは、豊作を祈願する旧暦5月の稲の初穂儀礼。
稲穂祭、シチマ、三穂祭ともいい、久米島ではツマ、またはツマガナシ、渡名喜島では新穂花(あらほばな)お祭り、八重山諸島ではスクマ、米スクマなどという。
 古くは麦稲四祭のなかでも最も重んじられた祭儀で、歴代国王も稲作発祥地とされる南部の知念玉城の地を巡拝して、その順調な成長を祈り、さらに5月中に吉日を選び、国中に稲穂祭を挙行させた。

首里城内や村々でもノロを中心に御嶽や殿(祭場)で祈願した。殿での行事が終わると、それぞれの門中の宗家に集まり祖霊をまつる。平安座島や粟国島のような粟作地帯では、5月の祭りも粟穂や粟粥をそなえる粟作祈願である。
現在、祭りはノロ不在のため村落祭祀より門中祭祀に移行した地域もあり、簡素化が進んでいる。

知花部落においてはウマチーの際は公民館職員が神酒(ミキ/米を発酵させて砂糖を加えた飲み物)をつくり部落内の各根屋に配り訪れた各門中に振舞われるのが伝統行事となっている。

知っておきたいミニ知識

供えもの②
ジュウバク(重箱)・ウジュウ(御重)、ウサンミ(御三味)

1.肴(料理)の種類
 シミムン(煮しめ)・アギムン(揚物)・カマブク(かまぼこ)などの料理を奇数の品数(5、7、9品)詰めるのが一般的。

2.行事の種類と重箱の内容
 地域や家庭によってさまざまだが、一例をあげると次のとおり。
 ア、年中行事(彼岸・御清明・盆など)、大御焼香(二十五ヽ三十三年忌)
   かまぼこ・・・赤カマブク
   昆布・・・結び昆布
   三枚肉・‥身を上向きに詰める

 イ.七日焼香(七七忌)、新十六日、若御焼香(一、三、七、十三年忌)
   かまぽこ・‥白カマブク
   昆布‥・返し昆布
   三枚肉‥・皮を上向きに詰める。

※田芋は子孫繁栄を意味するカリーナムン(縁起物)とされるので、法事には用いない(大御焼香でも使わないのが普通)。



3.久米村の御三味
肴は豚肉・鶏肉・魚の身をゆでて裂いたものなどで、醤油・酢・おろし生姜で作ったシタジ(つゆ)をつけて食べる。・・・中国の「三牲」にちかい。

・ムチ(餅) 
白餅、あん餅、トーナチン(とうきぴ)を入れた餅など、重箱料理では肴と対にして供える→ひとつの重箱や皿に盛る数は奇数にするのが習わし。
【例】5個×3列=15個
   7個×3列=21個

・ウチャヌク・ウチャナク
白餅を大中小の3段重ねたもので、普通3個をー組とする→おもに屋敷ヌ御願や拝所などへの神拝みに供える。                  

【8月】
 
◆六月ウマチー
 8月1日/(旧暦6月15日)
 
沖縄諸島の稲の収穫儀礼。稲大祭、ウフウマチー、大折目(渡名喜島)とも。新穀を祖霊に供えて豊穣を
感謝し、村や門中の繁栄を祈願する。村ではノロ、掟神、根神ら神役が〈殿廻り〉(祭場の巡拝)をし、それが終わると門中ごとにムートウヤー(宗家)に集まり、クディ(おこで)の司祭で祖霊を祀る。この祭りでは、新米の花米、ウンサク(粥を発酵させた飲物、神酒)、グシ(五水、泡盛)を供え、にぎやかに鼓を鳴らしウムイをうたって神遊びもする。王府時代は公儀の祭りであったが、しだいに地域差があらわれ、さらに村落祭祀から門中祭祀に移行しているのが現状である。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】



▲<2020.8.13琉球新報記事抜粋>



<▼沖縄タイムス2018.8.12>

六月カシチー
 (旧暦6月25日)
 新米の収穫祝いの折目(年中行事の中で、生産休養日の〈遊び〉をともなう収穫祭や予祝行事の日)。沖縄本島とその周辺離島に分布する。各家庭ではカシテーと称される新米や轜米の強飯とお汁を、火の神や祖霊に供える。部落行事として夜は綱引が行われる。
 この綱引は、カシチー綱(大人綱)といい、6月15日の頃のミーメー綱小(童綱)を大き<作り直したものとなる。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】白カシチー(小豆などを入れずに炊いた白い強飯)、汁物など


旧七夕
 (旧暦7月7日)
 墓掃除をし、墓前で線香をたき、酒などを供えてお盆の案内をする。かつては、虫干しや洗骨なども行われた。宮古の砂川や狩俣では墓参しないという事例もみられ、自宅近くの畑から墓の方へ向かって遥拝するか、仏壇に線香をたいて七夕を報告するにとどまっている。沖縄の七夕は、八重山のナンカソーロン(七日精霊)という語に示されるように七夕盆であり、盆の一環として捉えられている。墓の移転は日取りに制約があって容易でないが、七夕は日なしとされ、タブーを伴わずに移転できる。位牌を仕立てるにもいい日とされる。

【御願する対象】・トートーメー

旧盆・ウンケー
8月28日(旧暦7月13日)

各家で精霊を迎える盆入りの行事。迎え盆。
門の両側でトウブシあるいは竹を焚く。墓参りして先祖を迎えるところもある(石垣島・与那国島など)。位牌の洗い清めや仏壇の掃除をし、仏壇には、地域によって多少異なるが、サトウキビ2本(精霊の杖)・ミソハギ(精霊の手足を清める帯)・アダンの実・餅・リュウガン
・スイカ・クネンボ・ナス、さらに、精霊が手土産運搬に用いるとしてガンシナ(ワラなどを輪の形にした敷物)が供えられる。呼称はウンケー(沖縄諸島)・ンカイ(宮古諸島)・ンカイピー(石垣島)などの盆迎え・精霊迎えの語意にちなむものと、ソーロンヌシキルヒー(石垣島)・シキルピン(波照間島)にみられる仏壇に関連するものがある。

【御願する対象】トートーメー
【お供え物】花、お茶、お酒、ロウソク、線香、ウチカビ、果物類、提灯、グーサンウージ(クーザンは杖、ウージはさとうきび)、葉付きしようが、ガンシナ、ミンヌク(餓鬼や無縁仏用の食べ物)、ウンケージューシー(炊込みご飯)・酢の物等の夕食

旧盆・中の日(ナカヌヒー)
 8月29日(旧暦7月14日)
 14日は中の日といい、3度の食事を仏壇に供える。また、お中元を持って親戚宅へ焼香に回る。

【御願する対象】トートーメー
お供え物】冷素麺や素麺の吸物等

旧盆・ウークイ
 8月30日(旧暦7月15日)
 15日の夜から16日未明にかけて各家で祖霊を送る。送り盆。3日間仏壇に飾っておいた供え物を下げ、その初物をとって精霊の土産とし、ウチカビとともに各家の門口、あるいは村境や墓への道の途中まで持っていき、線香を焚いて送る。奄美大島では墓まで送る。呼称はウークイ(沖縄諸島)・ウフーイ(宮古島)・ウクルヒー(石垣島)などがある。各地でエイサーなどの芸能も行われる。

【御願する対象】トートーメー
お供え物】重箱料理(肉、かまぼこ、煮物、揚げ物など)、餅、団子、ウチカビなど

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉

 

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第32回沖縄全島エイサーまつり出場記念

2023年05月28日 | ★歴史・伝統・文化

昭和62年(1987年)第32回沖縄全島エイサーまつり出場記念/沖縄市・琉球新報社・沖縄テレビ主催

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琉球銀行知花支店オープン記念パンフ〜昭和59年(1984年7月16日)〜

2023年05月27日 | ★歴史・伝統・文化

昭和59年7月に琉球銀行知花支店オープに伴い知花の航空写真がチラシ掲載されていましたのでご覧ください。
<資料提供:池原次治>

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コザ信用金庫知花支店オープン活用の航空写真~昭和55年(1980年12月1日)~

2023年05月26日 | ★歴史・伝統・文化

<資料提供:浦崎清子>

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沖縄の年中行事【1月・2月】

2023年01月04日 | ★歴史・伝統・文化

【2022.12月】
▼ムーチー(鬼餅) 
 (旧暦12戸8日) 12月30日(金)

 ムーチー・師走ムーチー・ウニムッチー・ムーチー折目(おり)などとも呼ぶ。石臼でひいた糯(もち)米(ごめ)の粉を練り、幅5~6cm、長さ12cmくらいに平たくのばし、ゲットゥクハ月(ゲッ)桃(トウ)(サンニン)や蒲(く)葵(バ)の葉に包んで蒸した餅(ムーチー)を、神棚や仏壇、かまどなどに供え、家族特に子どもの健康を祈願する。芋・麦(ンナムジ)・唐黍(トーヌチン)などを米粉にまぜた餅もある。また蒲葵(クバ)の葉で包んだ特大の餅を力餅とよび、神饌(しんせん)に供したり、男の子だけに与える。子どものいる家庭では、その子の年の数だけ餅を縄に結んでつるしたのを、サギムーテーといい、5歳以下の子の分は束ねて天井からつるしたのでジュークンジャーともいった。年内に子どもの生まれた家では初(ハチ)ムーチーを祝い、親類や近所に配る。この枡目が定日になったのは、尚敬23(1735)年から。

【御髪する対象】ヒヌカン・ト一卜-メー
【お供え物】ムーチー、線香12本3本

 

地域で異なるムーチーの日取り

現在、沖縄で発行されるカレンダーや手帳には、ムーチーは「旧暦12月8日」と記載されるが、西原町や中城村、北中城村の一部など沖縄本島中部の東海岸沿いを中心に、これより1日早い12月7日に行う地域が多くみられる。また、うるま市の与勝半島一帯では、12月1日がムーチーとなっている。

西原町一帯では、ムーチーを7日に行う由来について、かつては町内池田の山中に葬られた豪傑、御茶多理真五郎(ウチャタイマグラー)の霊が、ウユミシチビ(年中行事)のたびに村々に出没して各家庭の供物を盗み食いし、腐らせたことから、これを出し抜くために他の地域より1日早く済ませるようになったとの伝承が残されている。

琉球の正史『球陽』の巻13、尚敬王代の1735年の記事に「年浴・柴指・鬼餅等の日を改定す」と題するものがあり、これによると、ムーチーはもともと12月の庚子、庚午の日に行われていたが、1735年以降は「十二月初八日」、すなわち12月8日に定めたとある。つまりそれ以前は、庚子、庚午という干支により日取りされ、12月の何日に行うかは年ごとに異なっていたのである。今なおムーチーの日取りがいくつかに分かれているのも、こうした古い習俗のなごりとも考えられる。

そのほか近年では、金武町や宜野座村一帯など沖縄本島北部を中心に、行事の日付をそのまま新暦に移行し、新暦12月8日に行う地域もあり、ムーチーの日取りはさらにバリエーションを増している。

(文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師 稲福政斉)

<2021.1.14ほーむぷらざ記事抜粋>

【1月】

▼ウガンブトゥチ(御願解き)
 (旧暦12月24日) 1月15日(日)

1年間の加護に感謝し、年頭にかけた祈願を解く行事。

 

▼トゥシヌユール(大みそか)
 (旧暦12月29日) 月21日(土)

1年最後の日。豚肉料理と赤飯等の料理を仏前に供えてこの1年間の無事を感謝し、よい年が迎えられることを祈る。トウシヌユールの夕食は家族揃って食べる習わしがあり、各人の食膳にはニンニクの葉を添えて1年の邪気を払う。

【御願する対象】ヒヌカン、トートーメー
【お供え物】ソーキ汁等の豚肉料理、線香12本3本

 ▼旧正月
 
(旧暦1月1日) 1月22日(日)
太陽暦をもとにする新正月は大和正月といい、これに対して旧正月を沖縄正月ともいう。現在でも旧正月主体、もしくは新正月との併用が一部の地域にみられる。それらの地域では、旧正月に正月飾り・若水・年始贈答・お年玉等一連の正月慣行が実施されている。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】若木、黄赤白の色紙、ウチャヌク、みかん、炭と昆布

 ▼ハチウクシー(初起し)
 (旧暦1月3日) 1月24日(火)
 年頭に行う仕事始めの儀礼。正月2日か3日に仕事を手がけるまねをする。農家では〈ハチバル〉といい、畑を3度鍬(くわ)で掘り起こし朝のうちに切り上げる。漁民は〈舟起し〉としてサバニに供物をしたり、鰹(かつお)船などでは大漁旗を掲げ、船(ふな)霊(だまり)に年間の安全、豊漁祈願をして祝う。どの職業も本格的な仕事始めは初起しの翌日以降が多い。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】花米、酒など、先行12本3本


▼ナンカヌスク(七日節句)
 (旧暦1月7日) 1月28日(土)
各家夕食時に火の神、仏壇に雑炊、汁を供える。地域により祈願目的に相違があり、折目であることを報告するだけ(与那原町板良敷八豊作を乞う(うるま市石川)、正月豚の初七日でその厄を払う(本部町備瀬)など。七日の祝いの料理は豚肉雑炊を供えるところが多いが、那覇市久米のように七草雑炊というところもある。竹富島ではこの日を後生の正月だとして墓地へいくのを込む。読谷村宇座、那覇市泊、うるま市与郵城伊計のようにこの日に正月飾りを取り払うところもある。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】雑炊等・線香12本3本

【2月】

▼ジュールクニチー(十六日)
 (旧暦1月16日) 2月16日(水)
元旦を中心とするイチミ(現世)の正月に対し、グソー(後世)の正月とされる祖先供養の行事で、清明祭と並び沖縄の二大墓前祭のひとつとされる。清明祭が盛んな沖縄本島中南部では墓の草刈や清掃を行う程度で済ませる例が多いが、本島北部や宮古・八重山・久米島地域では一族が揃って墓前に集い、重箱料理等を供えて盛大に祖霊を供養する。なお、ミーサ(過去1年以内の死者)のある家庭ではといって年忌等に準ずる儀礼を行う地域も多い。
御願する対象墓・トートーメー
お供え物線香・ウチカビ・重箱料理等


<2019.2.23琉球新報記事抜粋>

▼ハチカソーグワチ(二十日正月)
 (旧暦1月20日) 2月20日(日)
一連の正月行事の締めくくりとされ、正月用として年末に仕込んだスーチカー(豚肉の塩漬)を食べ尽くして容器の甕を洗うという意味で、沖縄本島では<カーミアレー正月>、奄美では<カメサレ><カメバレ>ともいった。
主として沖縄本島中南部、奄美大島の笠利・瀬戸内一帯で行われる行事で、那覇市首里や久米などでは正月飾りを取り払い、火の神や仏壇に田芋煮や大根イリチーを供えた。
又、那覇市辻ではこの日に一連の御願行事とともにジュリ馬行列が行われる。
【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉
 

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沖縄の行事【10月】

2021年10月01日 | ★歴史・伝統・文化

 


  【10月】


◆八月十五夜
(旧暦8月15日) 9月21日(火)


 農作物の豊作を祝い旧暦8月15日に行われる行事。たんに<十五夜(ジューグヤー)>ともよぶ。<お月お祭り>という月拝みや月見の宴もあり、農村ではこの日の前後に豊年祭の村遊びが続く。

この日は家の神棚、仏壇、火の神にフチャギ(吹上
餅)とよぶ赤い小豆粒をまぷした細長い餅を供え、晩には小豆入りの赤飯と、大煮とかンブシーという豚肉や豆腐、野菜などの煮付けを仏壇に供える。南西諸島では古く<麦初種子、米種子>という麦の播種(はしゅ)儀礼と籾(もみ)種の発芽のこころみが9月中になされ、トシ(生産年)の死と再生があるものとし、その直前の時期は農村共同体の最大の危機と考えられた。

 そこで<柴指八月><遊び月>ともいって、8月は
祓(はら)えと予祝(よしゅく)の行事が集中した。15日には<道ジュネー>といって、全員が出演の装束で行列を作り、村の草分け家の根屋、御嶽、拝所に参詣して練り歩く。村踊りの代わりに綱引きをする村もある。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】フチャギ、線香12本3本




◆カジマヤー
(旧暦9月7日) 10月12日(火)

数え年97歳のトウシビー祝い。一般に9月7日におこなわれる。今では最高の長寿祝いとして村をあげての盛大な祝賀の催しがある。
明治のころまで古俗を保っていた村では、現在と異なる習俗がみられた。たとえば、国頭村比地、大宜味村喜如嘉、名護市などのカジマヤーでは祝賀の行事はなく、模擬葬式がおこなわれた。

 名護では死装束をさせて7つのカジマヤー(十字路)を巡ったという。喜如嘉などでは墓まで行列していく死と再生の象徴儀礼がある。そのとき先頭の者は竹ほうきを持ったといい、村人は行列と出会うことを忌み嫌った。カジマヤーの語義は、老齢になれば童心にかえってカジマヤー(風車)で遊ぶからと説明する人が多いが、古俗から考えると7つの十字路を通過することからの命名ではなかろうか。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】赤飯、クーブイリチー、田芋リンガク、サーターアンダギー、赤まんじゅう等の祝い料理、線香12本3本



◆菊酒
 (旧暦9月9日) 10月14日(木
)

 旧暦の9月9日に、菊の葉を3枚、酒杯に入れて仏壇やヒヌカン(火の神)に供え、家族の健康と長寿を願って飲む行事。
 
菊は長寿と悪疫払いを意味している。 中国の古俗では、奇数を陽の数とし、月と日の同数が重なる日を、めでたい吉日とした。
 9月9日は中国では重陽・重九・菊酒節、登高節といい、日本本土では菊の節句、菊の宴、重陽の宴とよぶ。沖縄ではクングワチクニチ(9月9日)、チクザキ(菊酒)、クニチョイ(9日祝い)という。中国の陰陽思想に由来するもので、日本本土では平安時代初期に宮中行事として定着した。沖縄での始まりは定かでないが、17世紀後半の『使琉球記』、18世紀後半の『大島筆記』に菊酒を飲む記述がみられる。

【御願する対象】ヒヌカン・トートーメー
【お供え物】お酒、菊の葉3枚、線香12本3本



知っておきたいミニ知識 
  ■供えもの③
 ●カビジン(紙銭)・ウチカビ(打紙) 
 沖縄の古い時代の貨幣である鳩目銭の形を打ち付けた黄色の紙で、後生(あの世)の金とされる。5枚ないし3枚を一組として、祖霊に対して焼き供える。紙銭を焼いて供えることをカビアンジ(紙あぶり)といい、焼く際は燃え残りのないようにするべきものとされる。

【呼び名の意味】
 ●カビジン…紙でできた銭
 ●ウテカビ…銭形を打ち付けた紙
 ●アンジカビ…あぶる(焼く)紙
 ●ンチャビ…紙の美称。これを供えることから彼岸の行事を「ンチャビ」ともいう。
 
基本的に、紙銭一組はウサンミ(重箱料理)一組(餅と肴を各2段ずつ)とセットにして供えられるもの。そのため、年中行事のなかでも紙銭を焼いて供えるのは、春秋の彼岸、清明祭、盆のウークイなどのよ
うに、ウサンミを供える行事にほぼ限られている。

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉


 

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沖縄の行事【アブシバレー】

2021年05月04日 | ★歴史・伝統・文化

アブシバレー
5月下旬(旧暦4月中旬)
 田植えの後に畔の草刈りを行い虫払いをして、豊作を祈願する行事旧暦の4月14、15の2日間か、4月中旬以降の吉日を選定して行う村が多い。

集落全体で畔の清掃を行い、害虫(ネズミ・イナゴなど)を捕え、神役たちはこれを拝所に持っていき虫払いの祈願をする。その後、草や木で作った模型の舟に害虫を乗せ海へ流す。このとき虫が遠くへ去り再び戻ってこないようにと呪文を唱える。また、集落総出で競馬や角力、芸能などの娯楽に興じ、老若男女が酒食を共にした。この日は人畜ともに物忌みをし、特に肥料を担ぐことや針仕事は禁忌され、これを犯せばハブに咬まれるといわれた。またこの時期は山留で、山の口が開くまで木を切ることも禁じられた。王府が奨励した行事とされるだけに沖縄本島とその周辺地域を中心に広がり、現在も字単位で御願や宴会を催す例がみられる。


ミニ知識

・物忌とは

特定の祭祀行事にあたり、期間を定め日常的な行為を控え、不浄を避けて身を慎み過ごすことを物忌という。

沖縄本島一帯の物忌は旧暦2月のニングワチウマチー、4月のアブシバレー、5月のグングワチウマチーなどに伴い設けられ、八重山地域では田に植えた苗の成長期、穂の出はじめ、穂の成長期など、穂の生育過程に合わせていくつもの物忌があった。(竹富時までは、かつて月ごとに物忌があったという。)

これらはいずれも、農作物の生育と深く関わっている点が共通している。また、おおむね旧暦4月中に野山に立入ることを禁ずる山留や、海産物の採取を制限する海留めも物忌の一種で、ちょうど草木や魚貝の成長著しい時節に設けた海留、山留は、人々の行いを慎んで身を清めるとともに、日常生活に欠くことのできない天然資源を保護する役割もあった。

沖縄では物忌において慎むべき行為として、肥桶(堆肥をいれた容器)を担ぐこと、針仕事や畑仕事を挙げる地域が多い。このうち、火桶を担ぐことを忌むのは不浄を遠ざけ身を清めるため、針仕事や畑仕事については、庶民の暮らしではごく日常的な作業であったことから、こうした仕事さえ控え静かに身を慎むとの意味であろう(針仕事を禁ずるのは「人の目に見えない神を誤って針で刺し、縫い留めてしまわないため」との説もあるようだが、これは後世のこじつけと思われる)。ただし、こうした禁止事項は沖縄独特のものではなく、物忌に際して下肥(人の糞尿を肥料としたもの)の扱い、畑仕事、針仕事を控える習俗は日本全土にひろく分布している。

一方、他県では肉食を避ける地位もあるが、これは沖縄では聞かれないようである。なお、沖縄では多くの地域で「物忌の定めに背く者はハブに咬まれる」とされたが、これは物忌の禁を犯すことへーの筒良い戒めの表れであろう。

〈文/沖縄国際大学・沖縄大学非常勤講師・稲福政斉〉

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繁栄願い「チナマチ御願」

2021年02月17日 | ★歴史・伝統・文化

知花の御嶽でのチナマチ御願は、旧暦の12月24日に行われる行事である。その意味は1年間無事に過ごせた事への感謝のお礼と村の繁栄を祈願する拝みでかつては4カ所の御嶽で行われていたが、今は3カ所になっている。

森口御嶽(ムイグチウタキ)・・・知花祝女殿内の後方に位置する。クシダウタキ(後嶽御嶽)とも言う。

上之殿毛・・・神アサギ(カンサジヤー)の上に位置し、松本之殿。ヒルマドゥン(昼間殿)、イーヌモーヌトゥン(上之毛殿)とも言う。

グシク御嶽・・・知花グシクの頂上東側の丘の岩陰に位置する拝所。牛の角に見立てて、チヌサチウタキとも言われている。

ミーヤ御嶽・・・名前の由来は「新屋(ミーヤ)」に関わる土地であったことからミーヤウタキと呼ばれ、又、近くに祝女殿内のモーヤマがあったことからモーヤマウガンとも呼ばれた。

<2021.2.11琉球新報記事抜粋>

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語れども 語れども(うまんちゅの戦争体験)

2019年10月03日 | ★歴史・伝統・文化

<2019.9.29沖縄タイムス記事抜粋>

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待ちに待った知花字誌を発刊 !

2018年07月07日 | ★歴史・伝統・文化

長年待ちわびた知花の字誌がついに発刊された。6月26日には桑江 朝千夫沖縄市長、比嘉 良憲沖縄市教育長代表とする市博物館、市史編纂室関係者が集う中、宇良 敢自治会長、中村 良男、金城 誠心、屋比久 盛徳(字誌編集委員)が同誌贈呈のため表敬した。中村良男委員から紆余曲折の中を19年かけて字誌の発刊までの経緯が報告され、自治会長から市長、教育長へ字誌が贈呈された。

字誌は8章編成で700ページ超からなり知花の歴史・文化・民俗・くらし・伝統行事・祭祀・戦争体験などが記録されている。また、自治会行事や各団体の活動の足あとなど思い出の写真などが掲載されている。

比嘉良憲沖縄市教育長、桑江朝千夫沖縄市長、宇良敢知花自治会長、中村良男、金城誠心、屋比久盛徳字誌編集委員(右から)


<2018.7.26沖縄タイムス参照>

<2018.8.08 琉球新報参照>

 

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知花ときわ会華やかに演舞披露する~第42回演芸の集い開催~

2016年12月03日 | ★歴史・伝統・文化

11月27日知花ときわ会恒例の「第42回演芸の集い」が公民館ホールにて華やかに行われた。高齢者の仲間づくりと健康づくりを目的に数か月前から練習に励んできた成果を披露し会場から喝さいを浴びた。

当日は雨にもかかわらず会場には他の方々が趣向を凝らした演舞を鑑賞しようと多く駆け付けた。今回の特徴は男性陣の演目、長老による知花オリジナルの「仲里節」(6名合計530歳)と寸劇オペレッタの「夜半参」、朗読劇「吾輩は猫である」のウチナーグチバージョン、戻り駕籠など14演目が踊られた。
 
 ▲花笠踊り                   ▲浜千鳥

 
▲夜半参                      ▲国頭サバクイ

 
▲戻り駕籠                    ▲盛り上がった会場風景

 

 

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