知花子ども会・知花ときわ会

知花子ども会・知花ときわ会の活動と地域の情報を広く紹介、情報共有することで地域活性化を目的に、このブログを開設しました。

「美里知花」と「村芝居」の経緯

2012年11月21日 | ★歴史・伝統・文化

 【経緯】
戦前から知花村には数年おきに「村芝居」が行われ、これは青年会が中心となって運営されていた。その運営費は当時のB円で8,000円(1947年頃の給料180円~200円)であった。1956年当時の「村芝居」に出演した方々に聞き取りを行う中で、その1演目に「美里(んじゃとう)知花(ちばな)」という知花にしかない踊りがあることがわかった。「美里知花」の語句の意味合いは美里間切りの知花の踊りとの事。
 これは、青年会入りたての村の若者6人~8人の男子が踊り、同じ人が2回踊ることはなかったという。この踊りを踊った村のお年寄りは現在、お二方しかいらっしゃらない事がわかり、56年ぶりの伝統芸能復活に向けて、子ども会世話役が中心となって動き出した。

 
「美里知花」の特徴

踊りは6人~8人で、村の若い青年が踊り、小さい棒(チーグーシー)を使ったゼイ踊りだという。「スリ !スリ !スリ ! サーサー !」の掛け声とともに足を高く蹴り上げ、カマキリのように棒を振り回し、一回転するなど短い曲ながらも激しい踊りである。

衣装は? 白い長そでYシャツ、長ズボン、脚ハン(白黒模様)、腰帯、赤タスキ、前結び白ハチマキの軽装姿に裸足で踊った。

曲や作詞者は? 原曲は八重山(西表島)民謡の「マルマ盆山節」との事であり、八重山民謡が沖縄本島へ渡り古典の「タヌムジュー節」となり、各地の民謡に編曲されっていったと推察される。「美里知花」の作詞者は不明(詠み人知らず)で、当時、1番、2番までしかなく、短い踊りであった。平成14年に字のお年寄りが短いため3番、4番を作詞し付け加えた経緯がある。

 

 参考資料

西表島
現在、祝舞として歓迎会やお祝いの席で踊られるおめでたい唄である「マルマ盆山節」。年の変わり目を祝う行事「節祭(シチ)」のメインである「ユークイ(お正月)」で踊られる奉納舞踊でもあります。

 「マルマ盆山」 
唄三線:那根操さん
 「マルマ盆山」島唄連載『恋ししまうたの風』第18回西表島

 まるまぼんさん節(西表島)練習風景1
西表島「まるまぼんさん」舞踊

まるまぼんさん節(西表島)練習風景2
西表島「まるまぼんさん」子どもたちの太鼓と踊り付き

村芝居の経緯

【戦前】

戦前知花部落は大変組踊りが盛んで、当時、公民館を中心)、
メーグミ(東・前組)、クシグミ(西・後組)に分かれて、何かにつけて、双方で競争しあった。組踊り、村芝居、7月エイサー等を競っていた。
「村芝居」は毎年実施するというよりも、何となく青年、成人がアシビナー(公民館広場)で話をする中で声掛けを行い
賛同する人が多いと実施するということであった。

「村芝居」は3年に1回程度の割合で開催され、その年は豊作になることが多く、7月から約3カ月程度練習が行われ、午前中は畑仕事をし、午後2時頃から、部落の古老によって口伝えで教えられた
「村芝居」の出場者は、14歳位から46歳の男子と制限されており、部落でも出演を希望する男子は沢山おり、部落の有志の方々が40人余に厳選した。


「村芝居」は9月の1日・2日行われた後、5日・7日・9日と奇数の日を9回にわたって、屋根もないあしびなーで行われた。
「村芝居」をやろうと言い出した人は根屋(ニーヤー)にお願いをして「村芝居」を上演することを報告した。報告をすると、どんなことがあっても実施しなければならず、それを怠ると神のたたりがあると言われていたという。

村芝居の衣装は部落負担で毎年大事に保管され、開催時期になると他部落からも見物客が大勢訪れた。組踊り等を他部落
から要請され出演した際は、その報酬として酒1升、重箱30個を貰った。その時の出し物は弁慶、牛若丸、久志の若按司、
森川の子(
森川の縁)、クラファ(蔵波)などであった。

当時は部落中の人が村芝居を楽しみにしていたので、畑仕事がおろそかになっても、部落の繁栄になるということで、両親からも激励されていた。楽しみであった村芝居も戦後になってからは、途絶えてしまい淋しくなったことを覚えています。私は17歳から24歳まで村芝居をやっていた。

参考資料
「農業と生活」 -池原・登川・知花- より抜粋(一部追記あり)
(沖縄県中部農業改良普及所発行/昭和58年3月発刊)の第6章「私の生活誌」 池原長善(当時90歳)1893年(明治26年)生まれ


【戦後】

戦後に入り村芝居は1953年~1956年までは毎年村芝居が実施されており、きっかけは戦争で公民館(村屋)が壊され、現在の美里中学校は軍用地であり、そこからコンセット(かまぼこ型)を兼本商店の横(広場)に移動し、仮公民館のお祝いを行った。そのお祝いと称して、現在の屋号・次男城間の場所(広場)にて戦後、第1回目の村芝居を行われた。

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伝統行事ウスデークが注目される!

2012年11月21日 | ★歴史・伝統・文化

知花区の伝統行事である「ウスデーク」が9月30日に村の仲大屋の庭にて御願儀式が行われ、獅子を先頭に村のお年寄りの女性たちが、道じゅねーを行った。その後、公民館ホールで獅子舞の後、獅子を囲んでお年寄りたちが、国の伝統工芸に指定された、知花花織の着物をはおり、昔から継承されたウスデークの歌と舞が行われた。今回は「知花花織」が注目を浴びていることもあり、多くの観客とマスコミの方々が集まる中、約2時間の伝統芸能が披露された。

沖縄市広報(12月号)
    ↓
http://www02.bbc.city.okinawa.okinawa.jp/kouhou/H24/12/index.html


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