どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

活動内容

2011-03-19 20:35:11 | Weblog
取材の打ち合わせを受けた。
俺達の活動内容がテレビで流れます。

より多くの人達に知ってもらえるから、普段なら余程じゃないと断るが、
「お願いします!」
と言ったのは初めてかもしれない。

活動内容
◆ガソリンを集めて、家族や友人の捜索に車が必要な方に譲る。(生活での消費に関しては知らん。アホ。チャリンコで行け。)
◆犬や猫が気掛かりで避難所での生活に影響が出ている場合(放置して避難出来ない等)の一時保護
◆病院や避難所を含む施設等へ灯油や食料等を運ぶ
◆そういう仲間を増やすこと。やれる範囲で構わない。
目的は、命を諦めないってこと。

後輩や、遠方の方々が俺達に資金を援助してくれている。
俺達は文字通りのガソリンを皆に。
彼等は俺達に資金というガソリンを分けてくれている。

色々整うまでの【つなぎ止め】の活動ですが、この一日一日が命の最後の時間かもしれない。
今日だって、また生存者が瓦礫の下から見つかった。
諦めない。

何もかもが整ったら終わりにする。

南三陸町

2011-03-19 16:35:04 | Weblog
色々と活動してたら朝になっちまった。
南三陸町。
昨日、一週間ぶりに再会したという親子。
そんな二人にまだ真っ暗な朝方、瓦礫の町並みの中で出会った。
地震と津波の恐怖からトラウマを抱えた母親を抱き、息子が俺達に、
「乗せてってくれませんか!」
と頼んできた。
母親は恐怖でパニックになり、
「怖い~!殺される!」
と叫ぶ。
「乗らない~!怖い怖い怖い怖い!」
ゆっくりゆっくり車外でお話しをして、俺は出来る限り優しくお名前を呼んだ。
途端に目付きが変わり、
「じゃあ乗る…」
と乗ってくれました。
車がぎゅうぎゅうで、タケチンが非常に近く、見たら目が合い、
「すみません。距離が近くて。」
と謝罪をうけるが無視。
車で二時間弱かけて、息子が案内する友達の家に送り届けた。
いつ崩れるか分からないような橋を渡り、暗黒に近いトンネルを抜けて到着した。
半島を一周したカタチになる。
送り届けた同級生の実家。
高台だったため、地震の爪痕は目立つが、びくともしていない。
むしろ、この半島に近い南三陸の地盤は固いのかもしれない。
瓦が落ちてないからね。
津波がひどかったのだろう。それがよく分かるエリアです。
彼だけは被災後に一週間そこで世話になり、昨日、志津川の避難所に送られて来た。
夜になり不安からパニックに陥った母親は、避難所を逃げ出す。
息子と二人で、真っ暗な中歩いていたというわけである。
同級生の父親は顔を曇らせ、
「ウチには置けねぇ。こんな状況で。アンタら仙台に帰るんだったらまた避難所に送ってくれないか。」
と言った。
ギリギリの表情で話す父親。
複雑な表情で話を聞く息子。
今にも泣きそうな表情の母親。
その先の話しは分からない。
分からないけど、災害は全てを狂わせる。
それが悲しかった。

南三陸町は噂に違わぬ状況でした。

「頑張れ」
とか、
「日本人は強い!」
とか、
激励の言葉やコピーは、災害の現場じゃ、あまり意味がないと思った。
だって、彼らにそれを面と向かって言えなかったからね。
じゃあ何が言える?

俺は何も言えなかった。
全ての言葉がチープ過ぎて当てはまらない。
一番しっくり来る言葉が絶望。
渡したものは大変喜んで頂けた。
まだまだ微力であると痛感したが、策は尽きても、俺には諦めないという策がある。