どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

南三陸町

2011-03-19 16:35:04 | Weblog
色々と活動してたら朝になっちまった。
南三陸町。
昨日、一週間ぶりに再会したという親子。
そんな二人にまだ真っ暗な朝方、瓦礫の町並みの中で出会った。
地震と津波の恐怖からトラウマを抱えた母親を抱き、息子が俺達に、
「乗せてってくれませんか!」
と頼んできた。
母親は恐怖でパニックになり、
「怖い~!殺される!」
と叫ぶ。
「乗らない~!怖い怖い怖い怖い!」
ゆっくりゆっくり車外でお話しをして、俺は出来る限り優しくお名前を呼んだ。
途端に目付きが変わり、
「じゃあ乗る…」
と乗ってくれました。
車がぎゅうぎゅうで、タケチンが非常に近く、見たら目が合い、
「すみません。距離が近くて。」
と謝罪をうけるが無視。
車で二時間弱かけて、息子が案内する友達の家に送り届けた。
いつ崩れるか分からないような橋を渡り、暗黒に近いトンネルを抜けて到着した。
半島を一周したカタチになる。
送り届けた同級生の実家。
高台だったため、地震の爪痕は目立つが、びくともしていない。
むしろ、この半島に近い南三陸の地盤は固いのかもしれない。
瓦が落ちてないからね。
津波がひどかったのだろう。それがよく分かるエリアです。
彼だけは被災後に一週間そこで世話になり、昨日、志津川の避難所に送られて来た。
夜になり不安からパニックに陥った母親は、避難所を逃げ出す。
息子と二人で、真っ暗な中歩いていたというわけである。
同級生の父親は顔を曇らせ、
「ウチには置けねぇ。こんな状況で。アンタら仙台に帰るんだったらまた避難所に送ってくれないか。」
と言った。
ギリギリの表情で話す父親。
複雑な表情で話を聞く息子。
今にも泣きそうな表情の母親。
その先の話しは分からない。
分からないけど、災害は全てを狂わせる。
それが悲しかった。

南三陸町は噂に違わぬ状況でした。

「頑張れ」
とか、
「日本人は強い!」
とか、
激励の言葉やコピーは、災害の現場じゃ、あまり意味がないと思った。
だって、彼らにそれを面と向かって言えなかったからね。
じゃあ何が言える?

俺は何も言えなかった。
全ての言葉がチープ過ぎて当てはまらない。
一番しっくり来る言葉が絶望。
渡したものは大変喜んで頂けた。
まだまだ微力であると痛感したが、策は尽きても、俺には諦めないという策がある。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-03-19 17:17:24
テレビに映される非難所はまだ良い方。
物資も届きつつあるのだろう。要求のレベルが上がりつつあるのが証拠だ。
それが悪いとは全く思わない。むしろ良い事だと思う。

でも映らない所はまだまだあって、未だに食料と暖かさをもとめている。
情報も物も、何も足りていないし、一週間前と何も変わっていない。
本当に酷いところは映っていないと思う。

実際はまだまだ、もっともっとひどい現状がある。
早く救ってあげたい。

人としての尊厳が残っているうちに。

早く絶望から救ってあげたい。

私にはその力がないのが悔しい。

平さん、現実に挫ける事無く行動してください。

負けないで。

自分の無力さが歯痒い。
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