気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

日々のクオリア 

2015-07-15 10:29:35 | 今日の一首
死ぬまでにせぬこと出来ぬままのこと考えてゐる箸洗ひつつ
(近藤かすみ) 

http://www.sunagoya.com/tanka/ 

砂子屋書房のサイト、一首鑑賞「日々のクオリア」で、わたしの一首を取り上げていただきました。
最後の三行は、だれにも言われなかった鑑賞で驚きました。そこまで読んでいただいたのは初めてです。
松村由利子さま、ありがとうございます。

画像は、葉ね文庫さんに置いていただいている『雲ケ畑まで』です。

http://hanebunko.com/  







短歌人7月号 同人のうた その2

2015-07-15 00:04:30 | 短歌人
けさ出した速達はいまどの辺り 走りつつわたる赤信号を
(紺野裕子)

赤心は報はるるなき片思ひ大夕焼けも闇に呑まれぬ
(蒔田さくら子)

ああと応へおおと応へてゐるうちにコントラバスになりてしまへり
(中地俊夫)

水盤によちよち泳ぐ蘭鋳を西武屋上に孫とみてをりぬ
(小池光)

あちらからこちらへ視線をずらすとき記憶は白い影として去る
(猪幸絵)

丈ひくく生きて逝くまで花を愛で小鳥のように鳴かざりし母
(卯城えみ子)

いかに生くその真剣さに選りており夕べの惣菜売場のだれもが
(加藤隆枝)

微睡みの沼の深きに引き込まれ河童のお皿磨く夢見き
(おのでらゆきお)

夜の雨は大谷渡りの葉を打てり 父が私を呼びゐるやうだ
(原野久仁子)

呪文のごと祖母のつぶやくことありて「人の振り見てわが振りなおせ」
(高山美子)

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短歌人7月号、同人1欄より。

月と海 松尾祥子 

2015-07-09 22:50:02 | 歌集
病院に夫をあづけてひとりの夜バラバラのからだあつめて眠る

夫のため押す保護者印その夜の夢にいちりん紅梅咲きぬ

星月夜立つ力失せ横たはる父にしづかに犀が来てゐる

原発を止めぬ愚かさこの空は一切承知 青ふかみかも

気力なき身体に載りて冴えわたる頭あるなりわがものとして

死ぬ日まで生きねばならずさらさらと胃の腑にこぼれゆく粉薬

ここでないどこかはどこにもあらざれば回転木馬にわたしを乗せる

髪洗ふ泡によぢれて混じるもの流れゆくなり夜の暗渠に

わが裡の開かざる扉ぎいと鳴る芯へ芯へと白菜剝く夜

喜びはゆつくりと来よ焼きそばの鶉の卵さいごに食べる

(松尾祥子 月と海 柊書房)

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コスモス短歌会所属の松尾祥子の第四歌集『月と海』を読む。

あとがきには、52歳から55歳の四年間の歌を収めたとある。この間、お父さまを見送り、ご夫君を見送り、大変な暮しをしておられたことが歌からわかる。これを現実と読んで間違いないのだろう。娘さんの働く姿に接したり、婚約されたりという良いこともあるが、本当だと読むと辛い歌集だ。また、ここまで歌にされる覚悟と、それを読むことに何か罪のようなものも感じてしまった。その反面、これだけ濃い関係の家族の有り様を羨ましくも思う。
上句か下句のどちらかに、意外な具体が出た歌に魅力を感じた。


モーヴ色のあめふる 佐藤弓生 

2015-07-07 22:58:47 | 歌集
はじめての駅なつかしい夏の午後きいたことない讃美歌に似て

天は傘のやさしさにして傘の内いずこもモーヴ色のあめふる

人は血で 本はインクで汚したらわたしのものになってくれますか

ふる雨にこころ打たるるよろこびを知らぬみずうみ皮膚をもたねば

歩いたらわたし手紙になりたいよ空をくぐってあなたにとどく

空はいまうすむらさきに万国旗ゆれてわたしは意志をもつ船

あなたの耳は入り江のかたちあかつきの星を波打ちぎわにとどめて

ひとの恋ひとの死いくつも映せども空の鏡はわすれる鏡

曲がるたび月みえかくれするバスに耳たぶうすく透けゆく子ども

捨てられた子どもがつどう港あり月のいちばんあかるいところ

(佐藤弓生 モーヴ色のあめふる 書肆侃侃房)

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佐藤弓生の第四歌集『モーブ色のあめふる』を読む。

幻想的で夢のような世界。私自身は現実的で理屈っぽい人間なので、このような作品はできない。憧れのような気持ちで読ませていただいた。

むかれなかった林檎のために 中津昌子 つづき

2015-07-06 14:44:43 | 歌集
どこからも春はくしゃみの響きつつあたたかきかなこの世というは

症例の一つのわれが歩みゆく真白に燃える雪柳の径

百合のつぼみが壊れゆくのがうつくしい夜をしずかに追うカポーティ

栗のスープにとぽんと沈む銀の匙なめとこ山に秋がふかまる

かちあわせる胡桃の二つぶこつなる音をたてれば手より離さず

萩になお少し間のある真如堂大亀が来て首を伸ばせり

両足を大きくひらきもちあげる弓ゆうゆうと秋はふかまる

目も鼻も時間の内にとけ入りて小さき丈の石仏一つ

背後よりぐっと空気をたわませて燕抜けたり荒神橋へ

一人がけのバスの座席に前を向く母を流れて風景がゆく

(中津昌子 むかれなかった林檎のために 砂子屋書房)

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一首目。短歌を作る人には、けっこう後ろ向きな人がいるが、「あたたかきかなこの世」という把握にほっとする。三首目は、文句なくかっこいいと思う歌。四首目は、「とぽん」「なめとこ山」の言葉がのどかで楽しい。
五首目。「二つぶこつなる」の音の響きが面白い。ほか、真如堂、荒神橋の地名が親しく楽しく読んだ。最後もまた母の歌。風景として母を眺めながら、いつまでも続くはずのない時間を惜しむ気持ちが伝わる。

この歌集から、また新かなに戻っている。旧かな新かな、歌人は常に模索し、選択に悩むものだ。私は、旧かなで作っているが、短歌を読みなれない人には読みにくく、自己満足なのではないかと思うこともある。それぞれに捨てがたい魅力があり、悩ましい問題だ。