気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

うはの空 西橋美保 

2016-07-26 11:22:34 | 歌集
をさな日の恐怖のひとつ姿見のうらに塗られて剝がれし朱色

散らばりやすきわれをやうやく取りあつめ首飾りてふ鎖で縛る

子と声をあはせて読めばたのしくてよき歌ばかり茂吉も晶子も

袖で拭く窓に映りし少年の面輪に透けてあは雪の降る

つばくろの雛ふと黙(もだ)しぬさるびあの蒼ふかぶかと咲けるま昼を

午さがりの霊安室で生きてゐる人間だけがしんそこ怖い

幅ひろき昭和のネクタイ足首にまつはりまつはり行く手をはばむ

芳一を隠してあまる耳ふたつ「観」からはじまる般若心経

ぬばたまの夜はふかまるあぢさゐの青くおほきな花のうつはに

いつかわたしはわたしを手放す せせらぎに笹船ひとつうかべるやうに

(西橋美保 うはの空 六花書林)

****************************************

短歌人同人の西橋美保の第二歌集『うはの空』を読む。

西橋さんは兵庫県姫路の人。短歌人関西歌会でご一緒していたが、兵庫歌会が始まってからは余りお会いすることがなかった。17年間の作品がまとめられていて、読みごたえがある。西橋さんには西橋さんの美学があり、短歌にそれがよく現れていてぶれない。

彼女の持つ美意識と、周りの期待する嫁のいう立場との齟齬に苦しむように見受けられる。短歌がどこまで現実と重なるかという問題に突き当たるのではあるが、フィクションとして読むと救われる。

一首目の姿見、七首目の昭和のネクタイに、時代が表れていて視点の鋭さを思う。わたしより五歳くらいお若いとは思うけれど。
二首目は自意識の歌で、散らばる我を首飾りに託したところが彼女らしい。鎖で縛るとまで言ってしまう。三首目は、幼かった子との楽しいひとときを詠みながら、なんとなく茂吉や晶子は好みではないように読んでしまった。白秋や寺山修司が好きなのではないだろうか。四首目は美しい歌。初句の「袖で拭く」の動作にリアリティがある。
五首目のつばくろ、さるびあ、九首目のあぢさゐは、ひらがな表記を生かして、文句なく綺麗でよくできた歌。堂々としている。
六首目は看取りを詠んだ連作「鬼の道」から。亡くなったのは姑なのか実母なのか。死者とあり、わたしにはどちらかわからないし、わからなくていい。「生きてゐるときから死者のやうだつた死んでも生きてゐるやうなひと」も強く印象に残る。怖い歌は良い歌という言葉を思う。八首目は発見の歌だろう。こういう発想の歌をもっと読みたい。
十首目は、歌集最後の一首。この一首に読者は救われる気がする。笹船の具体がいい。

歌集一冊を読んで、かな使いのことを思った。集題は『うはの空』。「われの住むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む」から取られている。旧かなが西橋さんの世界には合っているし、新かなとは違う世界感を出すことが出来る。
今年の短歌人会全国集会は姫路で開催。お会いするのが、楽しみだ。



九年坂 田上起一郎 

2016-07-10 11:11:03 | 歌集
ふくふくと交差点わたる老女なり空の縫ひ目のほどけつつ春

のつそりと厨にきたり餅をやくもちはさみしき食ひものなるよ

真夜中の卓上にある桃ひとつ われは悩みぬ食つてもよいか

踏切を渡れば左右わかれ道夕日みちびく右にはゆかず

娘(こ)と孫娘(まご)の引越ししたるアパートの戸口に立ちぬ居らぬを知れど

みなれたる三十五年のかへりみち路傍の牛が暗闇にゐる

公園の木にもたれたる自転車のきらきらとせり 今宵飛ぶべし

ふたつめの明治キャラメルなめをれば夜の多摩川はや越えにけり

できたできた湯船のなかでほつこりと卵のやうな良き歌できた

この世への戻り道などありませぬ 黙黙とゆく蟻の十ばかり

(田上起一郎 九年坂 六花書林)

******************************

短歌人同人の田上起一郎の第一歌集『九年坂』を読む。
田上さんは神奈川県の方で、全国集会で数回お会いした。また、6年前、当時の横浜歌会に出かけたときにお世話になった記憶がある。あとがきに「若い頃から何をやっても自分の性格と折り合いをつけることができず、うつうつと過ごしてきた。これではならぬ、このままでは死ねぬと、六十代半ばとはいえ短歌を始めた。心がすこしずつ解放され・・・。歌に出会えて良かったと思う。」という一文が印象に残った。田上さんの歌は、特に感情を言わず、素っ気なく、小池光的とも茂吉的とも読める。跋文で小池さんは、岡部桂一郎の影響を言及している。
わたしは、五首目の歌に強く惹かれた。もう居ない娘と孫娘を忘れられない。引っ越してしまったアパートに、過去のまぼろしのようにしばらく前の家族がいる感覚がよくわかる。
以前の短歌人誌で、娘さんの家の近くまで行って、訪ねないままに帰る歌があった。この歌だったのだろうか。それとも別の歌か。この歌のことも忘れられない。