家鳴りする鄙の生家にひとりなり豆粒ほどの消しゴムころがし
雨戸ひき枢(くるる)を落とす雷(らい)の夜祖母の肩ごしに見し稲光
聞き役に徹しきつたと一日(ひとひ)終へ骨の鳴る背より寝椅子に沈む
厚紙の切符なつかし手のひらに握れば角の跡四つつく
天井に明かり取り窓ひとつありつま先立ちて灯(ひ)のひもさがす
足袋の絵の木の看板も残りをり通ひ帳には律儀な字の跡
ぎりぎりに職場に飛び込みほんの少し出世したらしカフカとふ男
胴長の赤いポストが残る大路日傘の影がふたつ過ぎゆく
いいことが起こりさうだね母とならび藍に移ろふ空を眺める
畳の上(へ)の行李(かうり)を舟と乗り込みし二人のいとこ彼の岸に着く
(長谷部和子 月下に透ける 砂子屋書房)
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塔の長谷部和子の第一歌集。丁寧に行き届いて作られた一冊だ。長谷部さんは河野裕子のカルチャー教室の生徒さんで、歌のところどころに河野裕子調を感じてしまった。古い生家での暮らし、旅行、父の看取り、母の老いを見る姿などが、実に丁寧に詠まれている。言葉選びに独自の視点からの工夫がある。吉川宏志氏の跋文があり、あとがきもしっかり書かれていて、作者の真面目な人柄が伝わる。