気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

アネモネの風 渡辺茂子 不識書院

2021-06-19 12:25:00 | 歌集
アネモネは未知の風です いつもゆくシニア割引顔パスランチ

われの作るバッグはいつもアシンメトリー少し世の中斜めに生くる

今少し歌を紡ぎて老いゆかむ むべなるかなや残照日記

耳朶深く残りてあらむひぐらしは夢のなかにも羽ふるはする

時々はひとりとなりて湖辺(うみべ)とふやさしき語彙に影と歩めり

手のひらに光零して飛びゆけるほうたるかなしみの遠景として

駅までを抜きてゆきたる幾人か皆美しき背(せな)そよがする

『渡辺のわたし』とふ歌集見たし渡辺となり幾とせ経たる

すれ違へど気づかぬは良しマスクしてめがねを掛けて帽子かぶりて

雑然としたる脳(なづき)のこころよさ整然はときにわれを苛む

(渡辺茂子 アネモネの風 不識書院)

 
***********************************

「覇王樹」同人の渡辺茂子氏の第三歌集。学生時代から始めた短歌を続けてはや半世紀とあとがきにある。教師を退職後の暮らし、歌友との交流、手芸、孫の様子が端正な文体で描かれる。渡辺さんは、もっと外れた生き方をしたかったのかもしれない。しかし、結局収まるべきところに収まるものなのだろう。短歌作品と実人生の重なりは何割くらいだろうか。考えてしまった。

即興曲(アンプロンプチュ)田中成彦 

2021-06-15 00:36:26 | 歌集
昭和期の店の半ばは仕舞はれて昼なほしづか<猪熊通>

寄りて立つ句碑それぞれに相応しき花実たとへば紫式部

冷やしたる白味噌仕立ての椀のなか嵩の小さな蓴菜浮かぶ

渦を巻く潮の速さや寄りゐたる小さき漁船なべて傾く

善き父や夫や息子の優しさを奪ひ取るもの戦争と呼ぶ

南北の通りは融けゆく昼過ぎを交はる小路に雪深きまま

海ねこの生くれば泄らす白きもの大滝のごと岩を覆へる

五感もて味はふ春の駿河路や桜えびとふ名もいつくしみ

今すこし歌を綴ぢゆく日はあらむ箱に残れるホチキスの針

大浅蜊すなどる舟の幾つかを揺らすのみにて夕潮は引く

(田中成彦 即興曲(アンプロンプチュ))

*********************************

京都歌人協会会長、日本歌人クラブ近畿ブロック長の田中成彦氏の第六歌集。文語旧かなできっちり作られた歌はものすごく真っ当。読む方も襟を正してしまう。真面目なお人柄が作品に現れていて、最近なかなか見ないタイプかと思う。京都の碁盤の目の中の暮らし。京都愛に溢れる。

無常の武蔵野 宮田長洋 六花書林

2021-06-12 11:22:28 | 歌集
武蔵野の木々に曾ては護られて遠き世のごと療養所あり

精神をいたく病みたる者もいて樹木は頻り縊死をいざなう

樹木希林はやなく田村正和はこのごろ見ぬがわれの同年

門出づる作家の書簡(ふみ)は消毒の洩れなき旨の追而書あり

文学をもて名声を得んとすは鬼の所業と知るひとは知る

短歌なんかやってる場合じゃないだろと蚊が唆すような気がする

「いいところへ行きなされよ」と棺のひとへその叔母言いて顔を覆いぬ

死に方を考えていると一人言うカフェに老いびと四人向きあい

取り澄まして「この世の花」を唄いおりし頃の島倉千代子こそ花

パシッと蚊を叩き潰しし女あり得意気に血を人に見せおり

(宮田長洋 無常の武蔵野 六花書林)

*********************************

短歌人同人の宮田長洋の第四歌集。十数年前に新年歌会でお見かけしたとき、若々しく純粋な佇まいの方だった。北條民雄、上林暁の小説に傾倒する歌がある。宮田さんご自身も闘病で入院生活を送っている。死への眼差し、感覚が独特で、そこを歌にしようと苦心されているのがわかる。短歌は報告ではないし、読者は心して読まなければならない。樹木希林、田村正和といった固有名詞の歌に身近さを思うけれど、その奥を見なければならない。

未完成霊 諸岡史子 本阿弥書店

2021-06-04 00:23:09 | 歌集
壁にある写楽の寄り目月齢の太るにつれてますます寄りぬ

声残すテロの犠牲者三歳児「かみさまにぜんぶいいつけてやる」

安曇川ゆ蓬萊駅ゆ和邇に着く乗り来る人ら昔渡来人

朱の実のさるとりいばらからすうり甕にたつぷり秋を商ふ

八月六日九日十五日 未完成霊の黙を聞くべし

えらいひとが「しやうがなかつた」といふ言葉 かたりつぐといふ言霊もある

くきくきと手足動かす不可思議な生き物きたり赤ん坊といふ

吾が背子は雀の爺や定年後テラスに麦を撒くのが日課

邯鄲のこゑもとどかぬ姑のたなそこへおく大き有りの実

水無月の雨にふくらむ鬼灯の肩のあたりのいろづきはじむ

(諸岡史子 未完成霊 本阿弥書店)

********************************

短歌人会、鱧と水仙でご一緒している諸岡史子さんの第二歌集。題名に驚く。
巻末の文によると、戦争や不慮の事故で死んだ人の魂を未完成霊と呼ぶという。
広島の原爆で亡くなった人びとの霊を思い続ける正義感、使命感が溢れている。
真面目な中にほのかなユーモアを忍ばせて、味わい深い歌集となった。