気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

むかれなかった林檎のために 中津昌子 つづき

2015-07-06 14:44:43 | 歌集
どこからも春はくしゃみの響きつつあたたかきかなこの世というは

症例の一つのわれが歩みゆく真白に燃える雪柳の径

百合のつぼみが壊れゆくのがうつくしい夜をしずかに追うカポーティ

栗のスープにとぽんと沈む銀の匙なめとこ山に秋がふかまる

かちあわせる胡桃の二つぶこつなる音をたてれば手より離さず

萩になお少し間のある真如堂大亀が来て首を伸ばせり

両足を大きくひらきもちあげる弓ゆうゆうと秋はふかまる

目も鼻も時間の内にとけ入りて小さき丈の石仏一つ

背後よりぐっと空気をたわませて燕抜けたり荒神橋へ

一人がけのバスの座席に前を向く母を流れて風景がゆく

(中津昌子 むかれなかった林檎のために 砂子屋書房)

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一首目。短歌を作る人には、けっこう後ろ向きな人がいるが、「あたたかきかなこの世」という把握にほっとする。三首目は、文句なくかっこいいと思う歌。四首目は、「とぽん」「なめとこ山」の言葉がのどかで楽しい。
五首目。「二つぶこつなる」の音の響きが面白い。ほか、真如堂、荒神橋の地名が親しく楽しく読んだ。最後もまた母の歌。風景として母を眺めながら、いつまでも続くはずのない時間を惜しむ気持ちが伝わる。

この歌集から、また新かなに戻っている。旧かな新かな、歌人は常に模索し、選択に悩むものだ。私は、旧かなで作っているが、短歌を読みなれない人には読みにくく、自己満足なのではないかと思うこともある。それぞれに捨てがたい魅力があり、悩ましい問題だ。