ちさき青磁の皿に桜桃数顆のせ昭和に逝きし父母(ふも)に供へむ
布巾かたく絞りて厨のこと終へぬおそき寝待ちの月のぼらむか
折り返しかへらむ標(しめ)と見放(みさ)け来しかのゆりの樹を誰か伐りたる
トラウマとよぶべきものかわが性は孤をさびしまず人をおそるる
ほどほどの歯ごたへたのしきくわりん糖花の図鑑をめくりつつ嚙む
古きインクをたたへしやうな夜空より零れ来(く)若書き相聞の片
まだ知らぬ界にしあればいかように死を惟ふとも挽歌つたなし
ときに自恃ときに自虐といろ変へて老いの心身あやしつつ生く
手の甲に山脈に似る青き筋うかび齢(よはひ)も高みに到る
トルコブルーの敷物に遊ぶいもうとが見え来(く)とたぐる杳き日のこと
(蒔田さくら子 標のゆりの樹 砂子屋書房)
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八月に九十二歳で亡くなられた蒔田さくら子の最後の歌集。文語旧かなできっちり詠まれた歌に蒔田さんの長い修練の日々が思われる。漢字とかなの使い分けには、渾身の心配りがなされる。歌人でありながら、どこまでも主婦として厨歌に取りくんでいる。人の中で生き生きと語る方かと見えていたが、孤をさびしまず人をおそるる、という下句にも驚く。さまざまな個性の集まる中で「短歌人の良心」と呼びたい。ご冥福をお祈りする。