気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

短歌人12月号 12月の扉

2015-11-29 23:19:47 | 短歌人
九月九日冬の到来のきざしなり除雪機早期予約のチラシ

祖母が縫ひし合はせ布団がかいまきとチラシにありてさう、さう言つてゐた

(澤志帆 福島民報折り込み広告)

六個入りお手ごろ卵本日の目玉なりとぞ あをぞら広し

新聞の折り込み広告積みゆけば持ち重りするゆめの嵩とや

(伊藤冨美代 ゆめの嵩)

擦れちがう家族をつなぐ砦ともひときわ華やぐマンション広告

陽炎のなかのマンション揺れている 駅・徒歩六分耐震構造

(大場恭子 駅・徒歩六分)

虫の声(ね)のはつかにきこえ折り込みにふかく息づく草花もみぬ

秋一日アールグレイにミント入れ声だして読む「四季の和菓子」を

(木戸 敬 浅瀬にて)

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短歌人12月号、12月の扉。題詠*新聞の折り込み広告を詠む

短歌人のみなさま  2月号原稿〆切は、12月7日必着です!!


短歌人11月号 同人のうた その3

2015-11-21 22:27:18 | 短歌人
ポケットに手を入れたれば触れてくるハウスキィひとつ帰りなんいざ
(青柳泉)

菜園も今年最後と渡さるる母の西瓜のずしりとぬくし
(水谷澄子)

冷蔵庫まだなきころの家しずかときおりミシンを踏む音のして
(木曽陽子)

石ひとつひつそりとわが腎にあり美しき色とふいに思ひぬ
(大谷雅彦)

ひとりづつ行方不明になるやうな夜をかたまる家族三人
(宇田川寛之)

本日の主婦業おわりと言いて飲む缶ビール一本三五〇ミリリットルを
(今井千草)

都バス待つわれをあざけるごとく降り金輪際降りやまぬ秋霖
(藤原龍一郎)

名にし負う福島沖のメバルにてことさら大きくまなこを張りぬ
(川田由布子)

プログラムに写る練習光景のなかにいつしかわたしも動く
(紺野裕子)

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短歌人11月号、同人1欄より。



短歌人11月号 同人のうた その2

2015-11-11 19:36:00 | 短歌人
母の手の甲にみたりし老斑を自らにみて薔薇を剪りたり
(佐々木通代)

ざふきんがけした日カレンダーにZと書き間遠になりてゆくこそ悲哀
(酒井佑子)

うしろより抱かるる気配におほいなる安心(あんじん)のあり岬のゆふかぜ
(斎藤典子)

誰が誰に言うさよならか夜の部屋にラジオの運ぶサヨナラ試合
(谷村はるか)

化粧塩ほどこされたる若鮎をおいしくいただき瞑目をせり
(三井ゆき)

トラノオは十本ばかりも庭に咲きわれのかなしきひとみに映る
(小池光)

日本語の森に迷ふをよろこびとせよとの言葉しみて思へり
(竹浦道子)

月見草さはに咲く野に風たちてうす紫のゆふべがせまる
(岡田幸)

映りいぬ手指もっとも母に似て仏になりしいもうとの遺影(かげ)
(松圭子)

わが蹴りし丸き小石がこっくりと九月の影を曳きつつ止まる
(守谷茂泰)

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短歌人11月号、同人1欄より。

賞味期限八月六日の赤玉子つつしみ食めり白飯に埋め
(近藤かすみ)

短歌人11月号 同人のうた

2015-11-07 11:22:42 | 短歌人
ふりかへる藍色の鹿うるおひて古染の鉢のかたすみにあり
(青輝翼)

映りたる静けき空に釣り糸を垂らして待てり少年ふたり
(岩下静香)

今生の最後の枇杷を食べしのち母は眠りぬはつかともりて
(杉山春代)

放課後を遊びに行かぬようになり子の本棚の重松清
(鶴田伊津)

萎れればどのあさがおも同じ色 赤紫が指に張りつく
(猪幸絵)

病室の窓いつぱいに東京湾華火降りけり終(つひ)の繚乱
(有沢螢)

「地方こそ主役」のポスター色褪せてやや疲れたる宰相の顔
(谷口龍人)

しろじろと睡蓮の花咲きにけり小さな池を宇宙となして
(小林登美子)

ソフトクリイムねじれたとたん溶けはじめ氷見シネマまへ夏がはみだす
(花鳥佰)

大津過ぎ空席おほき湖西線みづうみ見ゆる右側の窓
(大森浄子)

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短歌人11月号、同人1欄より。

ヤマト・アライバル 香川ヒサ つづき

2015-11-03 00:05:26 | 歌集
この椅子に坐るすなはちその椅子にまたあの椅子に坐らないこと

グーグルマップ航空写真にびつしりと地上を覆ふ固有名詞が

生きてゐる間はせめて思ひたい他の生き方あるかもしれぬ

来し方をさながら夢に日の名残り湛へしづかに流れゆく雲

重たいが自分で運ばねばならぬ袋の中身は私だから

屑籠に紙の溢れて部屋隅に棄てたものとして現れてゐる

徒歩または馬にて旅をした頃にたつぷりあつた考へる時間

わかることわからぬことのあはひにて読む小説に立つ林檎の木

火を見つつ思ふ思想は感覚の影なれば常に暗く虚しも

フランス窓開け放ちたれば夏の庭しんと広がり父歩み来る

(香川ヒサ ヤマト・アライバル 短歌研究社)

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一首目。確かにその通りで、ここにいることは、別の場所にいないこと。この人生を選べば、別の人生を歩めないことを暗示している。しかし、三首目のようにかすかな希望が生きているうちはある。
四首目は、きれいで読んで心地いい歌。二句切れで、三句目の「日の名残り」が効いている。五首目は、自分を俯瞰している点が好ましい。覚悟が潔く、勇気づけられる。八首目は、結句に林檎の木を置くことで、詩になっていると思う。十首目、この作者の歌ではじめて父が登場したことに驚いた。いままで家族の登場は、ほとんどなかった。初期の歌集で、夫と息子が将棋をしている横を通るとき、すっと駒を動かすという歌があったと思うが、それ以来かもしれない。
香川ヒサが家族をうたったらどんな歌になるのだろう。現実の姿から、限りなく離れた人物が登場する気がする。そう思えば、家族詠など、まだ足を踏み入れていない領域は多い。どういう方向に進むのか、気になるところだ。