土曜は朝6時半におき、掃除して、パスタをゆで、トマトの缶詰をかけて食べ、スカイダイビングへ。風が思った以上に吹いていたが何とかジャンプ。僕の使っているギアは古く19年経っている。20年で期限切れと定められているのであと一年で処分となる。今のギアは、予備のパラシュートを開かなければならないとき、右のハンドルを引けば、主のパラシュートが切り離され、それによって予備のパラシュートを誘因するようにできてい . . . 本文を読む
トランスパーティ
http://blog.goo.ne.jp/cape_town/e/18198f0028f6d5f2e83639c1eb654377
チェロ
http://blog.goo.ne.jp/cape_town/e/a9e617302fdf4f112fd5d03f7fbf5d7a
ライオンズヘッド
http://blog.goo.ne.jp/cape_town/e/2357555d . . . 本文を読む
ケープタウン、グリーンポイント、ワールドカップスタジアムの座席が前回http://blog.goo.ne.jp/cape_town/e/b767996382a466f4b200426ce531cf87と比べると明らかに整い始めている。報告では、工事は順調、日程どおり進んでいるとのこと。工事中スタジアムに入るツアーのようなものもあるようで、僕がきくラジオで中を見た人はとんでもなくすごいものになると豪 . . . 本文を読む
11日、ジンバブエ大統領Robert Mugabeはコレラの危機は抑制されたと首都ハラレで発表し、これで、西側がジンバブエを征服する理由はないと述べた。
狂牛病を理由に英国を征服するかとのたまった。
国連人権団体はコレラは全く持って抑制されておらず、死者は783人に達しており、ろくな援助がなく感染者は拡大する一方であるとしている。 . . . 本文を読む
昨日、薬物中毒の息子の首を絞め窒息死させた母親への判決が下された。母親Ellen Pakkiesは法廷で、息子Adam、20歳を昨年9月12日にロープで殺害したという起訴事実を認めた。
母親は幼い頃に、性的、肉体的、精神的虐待を受けている。ようやく彼女の人生が安定しだしたころに息子が薬物中毒で手に負えない状況になり、Adamは母親を虐待し、金目の物を家から盗んでは薬物を買っていた。また、母親の手 . . . 本文を読む
知らなかったが、CANSA(Cancer Association of South Africa)によると南アフリカは世界で最も皮膚がんの多い国である。2番手がオーストラリア。
同組合のウェブサイトからのアドバイス。
健康な日焼けなるものはない。 SPF15以上のサンクリームを使用。露出している肌に満遍なくぬる。首の裏、つま先、耳、腕、足、手。最低2時間おきに、または泳いだ後、汗を書いた後 . . . 本文を読む
11日、北リンポポ(Northern Limpopo)州自治体の発表によると、Vhembe全地区がコレラ危険地帯と指定されるべきとしている。ジンバブエ国境の町Beitbiridgeはコレラに襲われており、Vhembe地区のMusinaと接している。
Vhembeは現在何とかコントロールされているが、完全に対策が行われるよう緊急事態宣言によって政府の支援が迅速に行われることを求めている。
Bar . . . 本文を読む
2007年、640万の家庭が最低一泊以上の遠出をしている。2006年では610万人。2005年570万人。(General Household Survey 2005-2007) . . . 本文を読む
昨日、労働後、ライオンズヘッドへ。最近、といっても2週間ぐらいだけど登っていなかった。6時くらいから登り始めたが、もう夏、まだ日が高く暑い。登山客を狙った強盗が最近起きており、中途、警察官が見張りをしていた。テーブルマウンテンの登山客を狙った強盗は、何度かニュースで耳にしたことがあるが、ライオンズヘッドは稀である。運よく、一度も遭遇したことは無い。
いつ登っても気持ちがいいものである。頂上には数 . . . 本文を読む
ワールドカップ関連のイベントを指揮する重役員Gerhard Patzerは、南アフリカが2010年のワールドカップで訪れる客を受け入れるだけの宿泊設備を持たないという見方に反対した。同氏は以下のように述べている。
「押し寄せる客を収納するための目標とする55000部屋のうち、33000は補われている。また、試合が行われる都市だけでなく郊外もワールドカップの恩恵を受けるよう最大限活用したい。学校な . . . 本文を読む
こないだ、Nadiaからギグをするので見にこいと携帯にメールがあった。Nadiaと始めてあったのは数年前で彼女がまだ大学生のときだった。1,2年会わなかったこともあるが、たまに連絡を取り合っては何とかお互いを忘れないでいた。
音楽家の家に生まれた彼女は小さな頃から音楽に親しんでおり、ピアノ、ギター、チェロと、全く音楽と縁の無かった自分は感心するだけだ。特に、チェロは本格的でオーケストラで演奏した . . . 本文を読む