ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

ハンディな旦那様2

2011年05月31日 | 日記
我が家って南北に細長い家なので(うなぎの寝床と言うんですかね)、家の真ん中あたりは光が入ってこない。消防法で隣家に接する面の窓の面積は表面の15%以下と決められているからだ(家事があった時、窓が多いとそこから火事が隣家へ飛び火する可能性が高いからだ)。1階は南北に大きな窓があるので、まだ良いのだが、2階はすべて寝室になっているので、それぞれの部屋が戸を閉めてしまうと、暗い廊下となってしまうのだ。夜が長い冬にはとても暗い気持ちになる家。だから天窓をつけて明かりを家の中へ取り込めるようにしたかった。

で、屋根の修理に伴い天窓をつけたのが12月。厳しい予算のため工事が中断になり再開したのが最近。そしてとうとう完成しました!



昔はただの天井。向こう側に見えるのが屋根裏部屋へ行く折りたたみ式の階段。壁の色も塗り替えようといろいろな色をトライ中。


天井をはがす前に屋根側を終了させて、

   
天井をはがしたときは、後光が差してきて天使様でも降りてくるかと思うほど2階が明るくなった。
構造的に屋根の重みを支えている部分は切ることができないので、まるで大きな木組があるように見せかけてのフィニッシュ。暖かい空気は高いところに集まってしまうので、シーリングファンをつけて冬は暖かい空気を居住空間に圧すように。夏は逆方向に回して暑い空気が天窓から外へ出るように。



昔の電燈はつまらなかったので、前回日本へ行ったとき買った和紙の電燈をを3本たれ下げて。夜は和紙からほんわりと明かりがともされてとても暖かい光になる。
のれん、、、、旦那が好きなのです。1000円ショップで購入したものなのにこれが日本の芸術と。わざわざ竹を買いに行って、それにぶら下げています。


和紙といえば、、、、。ブラインドを障子に変えました。開け閉めができない窓で隣家が見えるので、けっしてあけないブラインドがあって、障子にしたいと言っていた旦那。少しデザインをモダンにしてみました。こちらもやさしい光が差し込み、工場で作ったブラインドよりずっと素敵。



家の内装工事のアイデアは尽きない彼。先日御自分の家を建築された日本人夫婦のお宅をお邪魔したものだから、彼はとても刺激を受けて改装への思いが大変高まっている。屋根裏部屋、玄関とやりかけのプロジェクトがある。どちらを先にするのでしょうかね、、、、。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村

威厳

2011年05月26日 | 日記
CRNの仕事をしていて思うのだが、自分の立場をとても前に出して人を威嚇する人。大嫌いだ。病院で言えば医師は看護師より偉いんだぞ!とばかり、同じチームの一員として認めない、卑下するなんてとんでもないことだと思う。教育年数の差だとか資格の違いとかそういうことが大切なのではない。重要なのはそれぞれの職種の視点から患者のニーズを見極め、その情報をチームでシェアをしてより良いケア計画を立てていくことだ。看護師だからと引けをとらない。堂々と自分の立場から意見がプロとして言える、そういうプロフェッショナルを心がけている。でも前回のブログの時の電話のシーンを振り返ると、うーん私も自分の方が偉い!っと思っていたのかな~と考えてしまった。

CRNはRNの上になる。責任も重くなれば仕事内容も複雑化し、もちろん給料もあがる。だから普通はRNでもLPNでもCRNには一目置く。なのにあのチャージナースは私をまったく無視した。だから呆れたし、むっとしたのだろうかと。しかし自分としては知らないことを認めようとせず、患者のケアゴールからかけ離れた指示をもらって満足している。そういう彼女にむっとしたと思いたい。

しかし、同じ日に違う患者、違う医師でこんなやり取りがあった。患者の状態は急速に悪化しているし痛みも増強している。痛みの観察から腫瘍の圧迫による神経系の痛みでオピオイドの増量と鎮痛補助剤(ガバペンチンとデキサメサゾン)を始めたら有効だと私は思った。主治医に連絡すると、そんなことをする必要はないからオピオイドを2倍にしたいと言う。レスキューを計算に入れた一日量の2倍だ。その上、オピオイドをローテーションするので、100%の変換をするのも私は懸念するのに。200%の増量なんて、と不安になる。患者は高齢で腎機能は正常値内だが上昇して来ている(だからローテーションの必要があった)そんなに急に上げなくてもレスキューでカバーすればよいのではないかと言うと、この患者はあまり文句を言わないからこうした方が良いと言う。OIN(過剰投与による中毒症状)になるのではないかと心配する私。しかし彼女は納得しない。挙句の果ては「あなた自分が指示を出しているの?」と言ってきた。そうですCRNとして意見は言えても指示は出せないのだ。医師である彼女だけが指示を出すことができる。私は緩和のスペシャリティーとして意見を加えるだけだ。「いいえ私は看護師だから看護師としての意見を述べているだけです。あなたは医師ですから。指示が出せるのはあなただけです」と言うと「そうよね。だから私の言うことを聞きなさい」とまで言ってきた。とても悔しいと思った。思いが届かない。鎮痛補助剤を過小評価してオピオイドだけに頼る。良くある間違いだ。いつもなら緩和医師のゾイにバックアップを頼むのだが彼女は超忙しくて彼女が来てくれる望みはない。

症状が不安定と。行きたがっていたホスピスへの転送を保留にしなければならなかった。ホスピスへ行く前に亡くなるのではないかと、眠れなかった。翌日訪れると案の上、患者はOINの症状を表していた。しかし、患者は薄れ行く意識の中で、痛みに比べればこれぐらい、、と言う。ビックビックと手足や肩が時折動く(OINの症状のひとつ)それを止めるためもうひとつ薬を追加して彼はホスピスへ行った。この医師は私がチャージナースにむっと来たのと同じ思いだったのだろうか。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

たちが悪い

2011年05月20日 | 日記
知識がないのは困りものだ。自分が何を知らないのか、知らないことが一番恐ろしい。だからオープンに人の助言を聞くということはとても大切だと思う。看護師になって21年。ずいぶん長い間やっているものだ。だからといって何もかも知っているというわけではない。一般的な看護。ホスピス緩和看護なら任せて!と言えるが専門的な母性看護を聞かれたら、うーんあてにならない。だから自分の知らないエリアでは謙虚でいたいものだ。

療養施設にいる、ノーマンのペインコントロールを頼まれた。非がん患者だし、本来なら緩和医師が行くのだが彼女はスーパー忙しくて行けないから代わりに行ってちょうだい、と言われ関わりだした。4年前の術後から虚血性のダメージで下半身麻痺。今はとても深いジョク創か尿路感染からの敗血症を何度も繰り返したノーマン。ジョク創の痛みが一番でどんどんエスカレートしてきている。その上主治医が一日量の麻薬の22%にもあたるレスキューを処方して、レスキューをあげるたびに意識不明になったり呼吸抑制が起こっている、と厄介な状態。妻はスタッフに対する不満が頂点にたっしている、と厄介な状況に追い討ちをかける。

一日目は念入りに観察をしてノーマンと妻の訴えをコンコンと聞いた。「ようやくわかってくれる人に出会えた」と二人は喜んでいた。タイトレーションをするために投薬のルートを変え、痛みの原因だったドレッシングをWCCと相談して変えた。痛みの原因を取り除くしルートの変更もしているので、増減のない100%の変換をした。来週様子を看に来るから、とスタッフにもノーマンにも伝えてあったけれど、なんだか今日いやな予感がして病棟に電話を入れると、ドレッシングを変えた後も痛みは増すばかりでとても痛がっている。15回もレスキューを使ったと言う(実際は11回だった)。それならどうして連絡をしてくれなかったのか?!とぶつぶつ思いながら、それでも他にどうしても看ないといけない患者の訪問を済ませてから病棟へ向かった。病棟に着くとチャージナースが医師と電話で話している。彼女が持っていたカルテはノーマン。メモには私が今日来て薬の調整をすると書かれている。電話で指示をもらいるようで、「昔はこの薬でコントロールできていたのに、戻すべきだ」と言っている。「あー急速にタイトレーションをしたい時は徐放性製剤を使わない方が良いのに、、」と思い。彼女の前に自分の名札をみせて、そのことなら私に話させてとジェスチャーを送るのに、ハエを追っ払うようにあっちへ行けとばかりに追い払う。ひつこくひつこく同じことを繰り返し医師に伝える彼女。3度ぐらい彼女の注意を得ようとしたが、「え?誰かが私の邪魔をしているから良く聞こえません!」とまで言われた。医師の指示を書き込む彼女。みてみると、昔の指示に逆戻り。「だー」と思いながらも。走り去る彼女を引き止めて、事情を説明しようとすると「忙しいから後にして」とまったくの無視。

仕方がないノーマンのところへ行ってまずは診察からなんて思って行くと、妻に頭ごなしに怒鳴られた。「あなたのせいで夫はこの2日間痛みに苦しんでいるのよ!訴えてやる!」とそんな中にチャージナースが入ってきて、新しい指示をもらって何もかも、元通りにしたらか、この内服さえ飲めば大丈夫、と去る彼女。本当かよと内心思いながら何も言わない私。言うだけ言って叫び尽きたらカンカンに怒っていた妻は次第に納まって、落ち着いて話ができるほどに。カルテをみると、鎮痛補助剤がすべて医師によって私が去った後に削除されていた。あらら、これなしだったらそりゃあ痛みも増すだろうに、と。担当医師はお休みだったので他の医師にすべての薬を必要なものに再度切り替えてもらった。

ことが納まったころにチャージナースに電話の邪魔をして悪かったと詫びた。そして改めて自己紹介をした。動じない彼女、まるで私が悪者のような顔。彼女に彼女がとった指示について質問してみた。どんな目的があったのか、と。彼女は「私が指示をだしたんじゃないわ。医師が出したのよ(って私そばであなたの言葉を聞いていたんですけど、、、)それもその指示は一度も患者を診たことのない医師。主治医に連絡が取れないのでディレクターからとった貴重な指示だ」と。貴重な指示ってそれじゃあ患者の痛みは改善しないのだけれど、、、。結局彼女は知らぬ存ぜぬで通す。受け持ちの看護師と最新の指示について話すと「私、緩和ケアの講習に行ったから、チャージの言うことはおかしいなと思ったんだけど、チャージには逆らえないし、、、」と。いえいえ誰でも納得のいかないことはしなくて良いのです。たてついているのではありません。患者のためにベストなケアのために意見を交わすのです。そのためには広い心で人の意見に耳を傾け、自分の知識と経験を増やしていくことが大切なのです。
チャージの彼女に緩和ケアの講習に行くように伝えたかったけれど、焼け石に水のように思えたので、今回は言わなかった。いつかわかってもらえるかな~

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

古巣へ戻る

2011年05月18日 | 日記

訪問看護が面白くて、これを極めようと積極的に訪問で働いている。CRNとして以前は3つのエリアで病休や休暇が入るとカバーしていたが、最近は一箇所だけカバーすることにしていた。で、そこでも2月に働いて以来しばらくお邪魔していなかった。今月は休暇をカバーするために3週間きてくれない?と頼まれ、久々にCRNの仕事を引き受けた。3ヶ月ぶりだがなんだかずいぶん昔のように思える。
そのせいか初日はとても緊張。仕事をどうやってやるんだっけ??と不安が広がる。朝一から会議に出席してと休暇のカバーの割には内容が濃い。それでもホスピス時代からのチームメイト。それはそれは手厚く迎えてくれました。ゆっくりはじめたら良いよ、と言われ、しかしながら患者のそばへ足を運ぶと何もかも自然になる。人間って一度学んだことは忘れないものだね~。病院のスタッフも訪問のスタッフもホスピスのスタッフも久しぶり!と親しく声をかけてくれる。嬉しい。古巣へ戻るのもたまには良いことだ。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村

訪問看護

2011年05月16日 | 日記
をしていると言うと、へー家へ行って体を拭いたりとかするの?医師の往診について行くの?と言われる。いえいえ全然ちがうことがカナダでの訪問看護だ。

以前にも書いたが、ホームヘルスと呼ばれるものは急性期、慢性期、リハビリに分かれている。私が所属しているのは急性期。主な訪問の理由は術後創やジョク創のケア、在宅IV療法の指導と管理、そして緩和ケアだ。慢性期で働いている人たちはケースマネージャーと呼ばれる看護師で、在宅介護が必要な人のアセスメントをして在宅介護を調整したり費用の計算(収入によってコストは変わるので)をすることが仕事だ。在宅介護は斡旋会社を通してケアエイド(日本でいう看護助手かな?6ヶ月の教育で職に就くことができる)によって行われる。
患者の紹介は病院からが多く、次に家庭医、緩和などはがんセンターから紹介を受ける。
日本は個人経営の訪問看護所が多いと思うが、カナダ、BC州は病院と同じく政府の施設のひとつで給料は病院勤務と変わらないし、情報の共有という点からも病院とのつながりが強い。
8時間半勤務で看る患者さんの時間数は20ポイント(=5時間)前後。術後創やジョク創のケアは大体3から5ポイント(45分から1時間15分の看護と記録と交通)なので、こういう患者さんだけを看る日だと5-7人訪問する。IV在宅療法は教育が入っているかいないかによってずいぶん変わる。PICCのドレッシング交換だけなら4ポイント(1時間がつく)緩和は基本は4ポイントとなるのだ。
私の所属しているところはこの辺では一番大きい市の北半分を担当している。日勤でくる看護師は平日で15-16人ぐらいで休日は10人となる。
朝8時に仕事場の入って患者の情報収集をしてミニカンファの後必要物品を車に乗せて出発。患者さんを一気に看てまわって事務所に帰ってくるのがおよそ昼ごろ。昼食をとってから記録にかかり、4時半に時間きっちりに事務所を出るといった感じだ。必要があれば家庭医や外科医や緩和医に連絡を取ったり、チームと話し合いをしたりと、ゴタゴタする時もある。しかし病院やホスピスで働いていた時のことを思うとストレスレベルはかなり低い。人気の秘密はここなのかもしれない。緩和ホスピスにどっぷりつかっていたので、在宅IVや術後創やジョク創のケアは新鮮で面白い。しかし緩和ケアの患者を受け持つことが一番好きだ。やりがいのある醍醐味のある仕事内容だからだ。
病院勤務のときは高い駐車場代を払わなければならなかった。しかし仕事に車は必須ということで、駐車場代もマイレージも払ってもらえる。ふふふ。ラッキーである。できるだけ長く居座ったいよう~。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村

最近めっきり

2011年05月14日 | 日記
いつもなら、タームの間はブログの更新に時間をかけるのだけれど、最後のコースが終了した4月10日から更新した数は、、片手でも数えられるほど。もちろんPCのプログラムの問題もあったのだけれど、それより最近めっきり力を注いでいるのが、がんばるTシャツの販売。HPも手がけて、おかげさまでこんなの作りました。

http://www.ganbarunipponproject.org/

日本語のページを作るのは課題です。あ~5月中に仕上げようと思っているけど、すでに半分が過ぎ、、、、。Google Webの利用は今回初めてで、四苦八苦。慣れるまでにずいぶん時間がかかりました。自分のHPもぜんぜん手付かずの状態なのに、、、とまったく自分の人助け精神に呆れます。

大学院の方はこの夏は修士論の下準備をするように言われました。教授と話し合い、文献レビューとかプリプロポーザルに取り組むようにと、、、。え~自主的にやるって、、自信がない。だって自主的ってことはやってもやらなくても自分次第ということで、期限とかがないと、何でも後回しにしてしまう私。その証拠にここ半月なにもしていないではないか~このまま夏が終わってしまいそうで、怖い。勉強モードにぜんぜん入れません、、、、。やる気のなさがにじみ出ていますね。はは。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村

フォニックス

2011年05月13日 | 日記
Brodyに薦められて映画を見た。Green Hornet。バンクーバー出身のSeth Rogen が脚本、主演の映画。もともとは30から40年代のラジオ黄金期のショーで60年代にはテレビシリーズとなった題材。プレビューでは3星とあまり受けなかったようだが、Seth Rogenのネタが好きなので結構楽しんだ。

で、Seth Rogenの相棒役のアジア人の役名が加藤。KATOと書くのだが発音は日本風に書くと「ケイドー」となるのだ。フォニックスって知っていますか?英語圏ではアルファベットを覚えると、次にアタックするのがこの フォニックス。これをマスターすると発音の仕組みと理解して、綴りも上達する、英語の基本の基本と呼ばれるもの。

母音と呼ばれるものは a, i, e, u, o これがまた日本語の「あいうえお」と並ぶからややこしい。決して日本語のように「あいうえお」にはならないことを頭に叩き込んで。

で英語の言葉は子音と母音の組み合わせ。日本語をアルファベットに書くとかならず子音の後に母音が来るようになっている。たとえば滝沢「TAKIZAWA」。しかし英語はコンパウンドワードを除くと母音はひとつか二つしか入らないようになっている。CatとかFlag (FLは二つでひとつの子音になる)。このようにひとつの母音だと短い母音(short Vowel) になる(決してCat-ooとTの後にエキストラの母音を入れない)。ひとつの言葉に二つ母音が入るとLong Vowel となり母音の発音が変わるのだ。aと eの組み合わせか aと iの組み合わせがLong a sound と呼ばれるものに変わるのだ。発音は「エイ」に近い。

Cap, Can にe が付くだけでCape, Cane と変わるのだ。このShort Vowel と Long Vowelの見極めを小学校1年生で叩き込まれる。そして子音へと移っていくのだ。

で、この法則を当てはめるとKATOを加藤とは発音してもらえない。ケイトーとなるのだ。それがにごってケイドーとなる。私の名前はみか。MIKAと書くとたいがいマイカと呼ばれる。iがaによってLong Vowelへ変化するからだ。みかと発音してもらいたからったらMe-chaと書くといいよと言われたことがある。そこまでしなくてもよいわ、、、、みたいな。

それから母音は一語に2つまでとなっているので、3語以上の日本語は思っているようには発音してもらえない。子供に3語以上母音が入っている名前をつけると、英語圏では日本語のようには呼んでもらえないことを覚悟して、、、。TAKIZAWAを英語圏の人が見ると、理解を超えているので、勝手に名前を分解する。TAKI-ZAWAと二つに分けてLong Vowelとなるので「ていき、、、ぜいわ??」ってな具合に。例外は母音で始まる言葉。たとえばErikaは大丈夫。最初の母音を子音としてカウントするのか発音できるけれどTAMAGOは望みなし、てな具合で。

で、日本人は母音が必ずすべての発音の後に付くからどうしても付けてしまう。SaladなのにSa-la-daとするからわかってもらえない。エキストラの母音が英語圏の人にはとても耳障りと言われた。発音を上達したかったらフォニックスを学びましょう。グーンと上達します。私はBrodyに教えるために教材を自分で作って、その時に仕組みがわかって発音が変わりました(もちろん日本語なまりは永遠になくならないけど、ルールがわかったので昔のようにかけ離れた発音をしなくなった)。

で、BrodyはKatoがとても気に入って、自分のペットか子供にこの名前を付けると言っていた。名字なんですけど、、、、。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村


とても久しぶりの二人っきり旅行

2011年05月11日 | 日記

へ 行ったのが3週間前。帰ってきてすぐ記事更新をしようと思っていたのに、なぜか更新ができず、どうやらプログラムをアップグレイドして以来、ブログ会社の プログラムと合わないようで。いろいろトライしてみたけれど策がみつからず引越しを決意。これからもよろしく。 で、旅行の話、、、。 あ~楽しかった。楽しすぎていて現実に戻るのがつらい、、なんて言いたくなるのをぐっとこらえるのである。なんと6年ぶりに旦那と二人だけで小旅行へ行ってきました。一泊をしたことはあっても3泊4日は初めて。なんたって12年記念だから。 行き先はオレゴンコースト。カリフォルニア州とオレゴン州の境に近い街Bandonま で南下してそこから北上する。宿泊地はすべて海辺で窓から海が見えるところ。強い風と波の音がゴーゴー聞こえた。朝一番は海辺を散策。海を見ながら朝食を とり、海沿いのハイウエイ101を北上する。荒波で削られた海岸の岩々そして長い砂浜。灯台で足を止め、古い町並みを訪れる。早く家に帰りたい、車から出 たい、トイレに行きたい、とぐずる子供たちは後部座席にいない、思う存分好きなだけドライブをした、という旅だった。 子供たちの面倒をみてくれた義姉夫婦に感謝感激。お礼は義姉夫婦の記念旅行時に子供3人を預かること。子供スワップってやつですね。お勧めです。



ここがBandon ホテルの目の前にこんな海岸線。クジラの回遊期にはちょっと遅れたけれど、クジラの中には北上せず、根付くのものいるから、あきらめずに水平線を見ると見つけれるよ、と言われたけれど、成果はなし。



旅行中はずっとシーフードを食べ続けた。でこのレストランが 一番おいしかった!漁港の一角にあり、魚屋さんとレストランの一体化経営。写真に写っているのは、魚を丸ごとから揚げにして熱いタイ風のちょっぴり甘い ソースをじゅわ~とかけて食べる。ライムもジュッと絞って。やわらかくて風味高いお魚の肉とソースが絶妙でした。そしてここのクラムチャウダーも他に比べ て格段の差!ちなみに魚屋さんでいわしの燻製とみつけて(私はただ焼いてあるだけだと思っていた)1匹1ドルじゃあ高いね、と思って2匹買って帰った。そ したらそれがおいしくて、もっと買っておけばよかった、と後悔。旅行中に気づいたのだが、BCの牡蠣が一番おいしくて値段も高いということ。最初のレスト ランで地元の牡蠣を注文。歯ごたえはよいけど味がない。きっとこのレストランが悪いのだ、と思った。で次のレストランではBC州、ワシントン州、オレゴン 州の牡蠣から選べるようになっていた。流通のコストのこともあるだろうが、値段がぜんぜん違うのだ。考えてみれば、BC州の牡蠣は本土とバンクーバー島の 間でほとんどが生産されている。バンクーバー島によって荒々しい外洋から守られている地形は瀬戸内海を思わせる。広島や岡山の牡蠣を好んだ私にとっては BC州の牡蠣が口に合うのは当然かもしれない。



ドライブ中に、素敵な橋を何脚も渡った。



ここはLion Caves と呼ばれるところ。海岸沿いの洞窟の大きさで一番のここにたくさん、アシカが住んでいるのだ。絶壁の上から海岸を見るだけでもアシカが泳いでいたり、岩の 上で休んでいるところが見れる(もちろん泣き声も聞こえる)。で、ここはエレベーターがあってそれで洞窟までグイーンと降りていく。そしたらいるわいる わ、アシカがたくさんいます。もちろん触ったりすることはできなくて檻の中からの観察。双眼鏡を持っていくことを薦めます。牛のようにでっかい体から出て くる泣き声はかなり大きいので、小さいお子さんは泣き出すかも。季節は春。赤ちゃんアシカもいてお母さんに寄り添っていて、かわいかった。



ここはYaquina state park. オレゴンコーストは荒海と霧の深さで有名。沈没船があちこちあるのだ。そんな海にとって大切なのが灯台。海岸沿いにはたくさんの歴史的な灯台がある。ここ もそのひとつ。ここは灯台だけではなく、マリンパークでもあって、干潮には潮溜まりでいろいろな海の生き物を見ることができる。ここにはそういう場所が二 箇所あって、一箇所は車椅子でもいけるようになっている。そしてこの写真はアザラシのたまり場。望遠レンズなんてものはないので、小さく写っていますが、 アザラシがゴロゴロと。中には体をまっすぐにして狭い岩の上で動かないので死んでいると思っていたら(死後硬直)急に首が動いて、双眼鏡を通して目が合っ てしまい、一人で大笑い。アシカとアザラシの違い?アシカは足(尾びれって言うんですかね)がしっかりしていてそれを使って泳いだり、岩を登ったりするの に比べてアザラシはおなかを使って岩を上る(ダブダブ)ってことは私はアザラシ系か



もちろんデート車はベンツ。海岸線ではスポーツギアに入れてカーブもヘッチャら、ブイブイ走りました



最終日に宿泊したCannonBeach。10年前に2年目の旅行で来たところ。ホテルは同じところに宿泊した。あー久しぶり。10年後の自分たちを考 えてもいなかった私たち。こうしてひとつひとつ年を一緒に重ねていくのね~としみじみ。そしてこれからもこういう二人の歩みでいったいどこへ行くのか楽し みだね、と



オレゴン州を離れてワシントン州を北上する私たち。オレゴンコースとよさようなら~



オレゴン州最後の街Astoria。西海岸ではサンフランシスコの次に古い街で、昔の栄かを思い浮かばせる建物がいっぱい。歴史的な建物好きにはたまらないところだ。 てな具合で旅行は終わったのだ。家へ着いたのは夜の12時。子供たちは義姉宅から戻ってちゃんと寝静まっていた。こういう旅をさせてくれてありがとう、、、、。


にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村