ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

どこへ行く?

2013年07月30日 | NP大学院
まだ合格通知が届かないので本格的な就職活動は始めていないが毎日求人情報はチェックしている。昨年始まった政府の特別予算で新しいポジションが年間に45ずつ作られるので2年前に比べて就職状況の色はかなり良い。ということは選り好みが可能ということでどこにしようか迷っている。

緩和ケアに情熱を注いできた13年間。今でも緩和の仕事をするとやり甲斐を感じる。ちょうどがんセンターでサバイバーシッププログラムとしてGPのいないがん患者(アンアッタチ市民でがん患者 と呼ぶ)のプライマリーケアをするNPの募集がある。隣の市で通勤も30km圏内。今までの経験と知識をプライマリーケアに生かすことができる。
私の取ったプログラムはファミリーNPで小児、周産期(妊娠)、成人、老人の4分野。学生中、思いの外小児と周産期を楽しんだ。なのでこのまま成人を選ぶと小児と周産期を忘れてしまいそう。
プライマリーをしっかり習得してから好きな分野に動くのが一番良い。がその時に自分のやりたい職がなかったら、、、、と心配になる。

プライマリーをやりたいのならこれまた隣の市でインディアンコミュニティーのNPを募集している。これは何でもありで当に学んだことを最大限活かすことができる。それにここのクリニックで現在働いているNPはよく知っている先輩で仲良くやっていけそう。

もう一つノースショアで緩和専門のNPを募集している。コンサルテーションのNPで在宅死を推進するためにアンアッタチ市民を中心にケアを行う。今まで緩和のコンサルテーションチームでクリニシャンとして働いてきたので、これこそ自分にピッタリと思う。しかし、遠いことと専門すぎることで躊躇している。ノースショアには旦那の両親が住んでいる。同居?も悪くない考え??

この他にもペンバートンやバンクーバー島などでのプライマリーケアNPの仕事にも惹かれる。がノースショアの仕事にしても引越しが関係し絵里佳の転校、旦那の仕事などが関係してくる。独りごとでは済まされないのでかなり検討しなければならない。

面接をできるだけ受けて受かってからどこにするか決めればいいこと、、、今迷うことではない。

母親として

2013年07月21日 | 家族
こんなブログを書いていたことを忘れていました。昨年10月に書いていました。

大学院は今年で4年目になります。プリスクーラーだった絵里佳は小学2年生になりました。
お母さんは忙しい人という観念が定着したようで、お母さんは忙しいからダメだよね、と前置き入れるようになった。それでも諦めないでクラスパーティーに持っていく食事を作って欲しいとか、クラスにボランティアとして来てくれるのはいつなのかとか。
今期は学校に連れて行くのも旦那、お弁当や連絡帳のやり取りも旦那の仕事。私は全く関与していない。
習い事も大変。バレエもヴァイオリンも週に2回ずつのレッスンになって、それも3:45からとか、共働きの家庭では絶対連れていけないような時間帯。日本のように公共交通が発達していないし12歳以下はマイナーとして、一人で歩かせることは出来ないし。高い授業料払って、レッスンに参加できないなんて、たまりません。何とか同じ学校から同じレッスンにいっている親御さんに頼むことが出来たので良かったけれど。
日本語学校は連れて行くことが出来ないと一昨年に辞めたし。
子供をサポート出来る良い親になるのも大変です。と言うより私はずっと前に失格か?



今は家族といる時間をとても楽しんでいます。こんなに幸せを感じるのかと思うほど幸せです。いつも何処かで勉強のことを考えていた自分。心ここに在らずってとこでしょうか。こんなママが戻ってくるとは思っていなかったと家族も喜んでいます。家族って本当に大事なものなのね。

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オスキー

2013年07月18日 | NP大学院
卒業、卒業と言っても免許試験に合格しなければNPとして働くことはできず、オスキー試験の合格通知を待つばかり。他の職種と違って合格がはっきりするまでは面接にも呼んでもらえない。何故って合格率が低いからだ。以前にも書いたが3度落ちるとアウトになる(もしくは学校のやり直し)。過去に3度も落ちてしまった卒業生もいる。なので仮免許で働くことを雇用者側は望まないのだ。

NPに入学してからオスキーのことは耳にタコができるほど聞いてきた。オスキー対策は入学してすぐ始まった。合格率が低く合否決定が不透明と悪評が高かった。年々改善され合格率は改善された。しかし、この試験をしなければいけない州はBC州だけで、アメリカでも稀である。医師、歯科医師にはある試験なので医師のオスキー対策本はあってもNP対策本はなし。こういう事が難しさを悪化させる。試験費用も高いし絶対一度で受かりたいと肩に力が入る。

最後の3週間はとにかく練習を重ねた。医師の試験対策本を2冊こなし、お互いに対応に難しい患者を装ったり、難しいシナリオを作り上げた。はじめはこの試験はノンセンスと思っていたが練習を重ねるうちにその意図が見えてきた。系統的で的をついた問診、カウセンリング、治療方針の説明がとてもスムーズに行えるようになった。実習中5分や10分ですべてを終えることができる時はとても少なかった。一人に20ー30分かけていた。5か10分以内ですべてを終えなければならないこの試験のおかげで効率が上がり短時間で且つ効果的な診療技術に磨きがかかった。

ベテラン看護師出身は受からないという神話があった。その理由がわかった気がする。経験があるからこそ経験に頼って系統的に客観的に診察ができない。基本に基づいてしっかり技術を身につけることが大切なのだ。経験は素晴らしいが客観的になれなければ簡単に誤診につながるのだ。早さだけではない。どれだけ患者とエンゲージできているか、マナーや働きかけ方なども評価される。2年間しっかり勉強してその技術を身につけることができて良かったと思う。

試験当日スタミナが持つか心配だった。過去には緊張のあまり嘔吐したり胸痛、めまいを訴える受験生が居たとか。私も胃がキリキリと痛んでいた。しかし、始まってしまえばあっという間の5時間だった。嵐のように駆け抜けた感じだった。

結果は8月中に出る予定だ。どうぞ合格していますように。

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卒業しました

2013年07月13日 | NP大学院



5月28日に卒業し修士号を取得しました。その前日にナースプラクティショナーの筆記試験に合格して、先月実技試験を終えて結果を待っている状態。マスターの2年、NPの2年、合わせて4年、長かったような短かったような。一つだけ言えるのは人生で一番勉強した4年間だった。ブログもウェブもほったらかしで、交友も狭まり、母親としての役割も変わってしまった。母親業を兼業してくれた旦那とAJには頭が下がる思い。4才だった絵里佳は8才になり、私より旦那を頼る子になってしまった。仕方がない。彼女の学校のボランティアもすべて旦那がしてくれたのだ。

罪滅ぼしという言葉を使いたくないが、フロリダのディズニーワールドに10日間旅行へ出掛けた。実技試験終了後すぐの出発だったので放心状態で最初の数日は勉強しなくていいという事実に不安を感じた。どっぷりと遊び、笑ったりしたおかげで、だんだん昔のギアに戻ってきた。幼児期から成長して少女になった娘の姿に感心する旅でもあった。

家族を持って勉学に勤しむことの難しさは予測していた。授業を受けることだけが勉強ではない。論文書きや提出物の多さ、自主的な勉強会も沢山参加した。家に居ないのは学校関係。家にいても食事以外は机に向かっている状態で浮気よりもたちが悪いと現役のNPの旦那さんが言った言葉がその通りだった。離婚せずにいられたのも家族のお陰とこれまた頭が下がる。



卒業式は学部別で、学士、修士、博士で行われた。博士の人たちをカッコいいなーと思ったがこれこそ雲の上的なもの。卒業生の数だって全然違う。学士が120人ぐらいに対して、修士は30人程度、博士は3人ぐらい。誰でも挑戦できるものでないことがわかる。それにアカデミックの世界はサメのタンクにいるようなもので食うか食われるかの世界だそうだ。なので家族を捨てる気ぐらいで挑まないと博士を取得することが難しいし、それをキャリアに活かすことも出来ないとか。AJと絵里佳には自由のたくさんある時に好きなだけ勉学を楽しんでもらいたいものだ。


卒業式を前に行われたWhite Coat Ceremony。白衣を着ているのがクラスメイトでそれ以外は教授陣。みんないい顔しているよね!

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