ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

母親として

2013年07月21日 | 家族
こんなブログを書いていたことを忘れていました。昨年10月に書いていました。

大学院は今年で4年目になります。プリスクーラーだった絵里佳は小学2年生になりました。
お母さんは忙しい人という観念が定着したようで、お母さんは忙しいからダメだよね、と前置き入れるようになった。それでも諦めないでクラスパーティーに持っていく食事を作って欲しいとか、クラスにボランティアとして来てくれるのはいつなのかとか。
今期は学校に連れて行くのも旦那、お弁当や連絡帳のやり取りも旦那の仕事。私は全く関与していない。
習い事も大変。バレエもヴァイオリンも週に2回ずつのレッスンになって、それも3:45からとか、共働きの家庭では絶対連れていけないような時間帯。日本のように公共交通が発達していないし12歳以下はマイナーとして、一人で歩かせることは出来ないし。高い授業料払って、レッスンに参加できないなんて、たまりません。何とか同じ学校から同じレッスンにいっている親御さんに頼むことが出来たので良かったけれど。
日本語学校は連れて行くことが出来ないと一昨年に辞めたし。
子供をサポート出来る良い親になるのも大変です。と言うより私はずっと前に失格か?



今は家族といる時間をとても楽しんでいます。こんなに幸せを感じるのかと思うほど幸せです。いつも何処かで勉強のことを考えていた自分。心ここに在らずってとこでしょうか。こんなママが戻ってくるとは思っていなかったと家族も喜んでいます。家族って本当に大事なものなのね。

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ばいばいMissyちゃん

2012年10月31日 | 家族


Missyはうちの猫ちゃんです。AJの10歳の誕生日に我が家へやってきました。

私動物が苦手なんです。旦那は以前飼っていた猫の死に方がいやで動物はもう飼わないと言っていました。でもあまりにAJが強請るので、誕生日プレゼントとして承諾しました。時期的に子猫は見つからず、猫のシェルターを訪れました。そしてMissyと出会いました。他の猫や動物とまったくそりが合わず、展示場へもつれていくことができず、一人でひっそり座っていた彼女。目が合ったときからピーンと一目惚れ。その夜夢に出てきたくらいで、翌日引取りに行きました。

家族の一員となり、いろんなエピソードがありました。昔は丸々と肥満ではないかと思われていたのに、すっきりと痩せてきて、缶詰からオーガニックの生肉に変えたからかな、と思っていました。ここ数ヶ月吐く回数が増え、食べた後はお腹が痛いのか、うなるような泣き声をしていました。で、先週の金曜日からまったく飲まず食わずとなり、おしっこもまったくなし。土曜日に獣医へ連れて行って、血液検査や尿検査、そして点滴をして帰宅。再び水を飲むようになり、食事も少しずつ食べるようになったし、おしっこも出るようになった(失禁だったけど)。お腹に腫瘍のようなものがあるし、腎機能が低下していると、水曜日エコー下でバイオプシーをする予定でした。

火曜の夜は落ち着きがなく、歩くこともおぼつかないのに私たちのベッドの横に作った特別ベットから抜け出して、ずりずりとどこかへ行こうとする彼女。痛いのかうめき声もひどくて、、、眠れない夜でした。痛そうなのにさすってあげること意外何もできなくて、そばに行くとずりずりと動こうとするし、、、エコーしてももう遅いかも、、、と実習へ行くのもキャンセルして一日付き合うことにしました。

エコーは朝9時。エコーはしなくても、痛み止めとか、もしかしたら安楽死について獣医と話がしたいと、予定通りでかけることにしていた。旦那が絵里佳を学校に連れて行っている間に、私は一人でMissyのそばに居ました。夜中と違って体を持ち上げることもできない彼女。私の涙がポテポテ落ちてきたら急に彼女が頭をスリスリしてきたと思ったら、急に呼吸が変わって、、、あっという間でした。抱き上げて旦那が運転する車に乗り込んで近所のクリニックに向かいました。下顎を使って一生懸命最期の一息を吸い込む彼女。人間とまったく同じなのね。獣医の待合室で彼女は私の腕の中で動かなくなりました。

土曜日の時点で腎石や感染、もしくは慢性の腎機能不全だったら治療ができるけど、癌だったら安楽死を勧めますねといわれていた。12歳の彼女。まだまだ若いから希望は捨てないでと、迷いながらのエコーの予約でした。AJも絵里佳にも朝そばにいるか学校に行くかどっちがよいか選択をあげました。二人とも学校へ行くことを選びました。

獣医もクリニックのスタッフもとても親切で、まるでホスピスにでもいるような気分でした。個室を用意してくれて、旦那と交代で抱っこしながらMissyにお別れをしました。

火葬か埋葬か、旦那の希望で個別火葬で遺灰を受け取ることにしました。一週間ぐらいかかるそうです。ばいばいMissyちゃん。






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大好きなおばあちゃん

2012年06月21日 | 家族
私の祖母は99歳、数えだと100歳になる。44年前祖父が死んだ後から独り身。祖父が広範囲な心筋梗塞で急死した時私は母のお腹の中にいた。臨月少し前だった。よく祖母にあんたの年とお父さん(祖父)の死んでからの年が一緒だけえねえ、と言われた。あんたはおじいちゃんの生まれ変わりみたいなもんだわねとも。

毎年夏休みは祖母のところへ泊りがけで遊びに行った。祖母の家は海辺にあって楽しいことはたくさんあった。祖母は海岸で海苔を摘んで自家製の板海苔を作ったり、畑で野菜を作ったり自分の家では経験できないことができるところでもあった。
しつけに厳しい人で、箸の持ち方の特訓は忘れられない。何せきちんと持てるまでご飯はダメと言われたので、それはそれは頑張って大豆を皿から皿へ移す練習をした。
もてなしが上手な祖母はお客さんが来るとなるとそれはそれはたくさんの食事を作りテーブルに隙間がないほどだった。お正月は親戚中が集まり、叔父や叔母いとこに会えるあの家は楽しい集いの家でもあった。
自転車でバス停まで迎えに来てくれた祖母が電動スクーターで道先まで来てくれるようになり、小高い山にある祖父の墓に最後に一緒に行った時は急な階段で祖母を旦那が負ぶって行った。

物忘れが激しくなり、火事を起こしそうにり、施設へ行ったのが4年前。認知症が進んでも、きりっとした祖母の態度に変わりはなかった。
2年ぶりに再会して小さくなった祖母に驚いたがそれでも気品高い祖母の気配は変わっていなかった。胃腸のどこからか出血しているが検査を拒み(年齢的に検査をして出血もとがわかっても手術にはならないので、私も叔父や叔母の決断に賛成だ)。食べる食べないもはっきりしている祖母。食べるのをやめてから随分経つそうだ。水分も気が向いた時に少しだけ。わたしが訪ねた時もはっきりいら無いと首をふった。目は開けない祖母だが首を少しだけ横か縦に振るかでしっかり意思を伝える祖母。痒いところをうまくかけなくて「そこじゃないわね!」と突然大声が出た祖母。

祖父の命日に「あー迎えにきてくれたん?」と一言、言ったことに母を驚かせた。数日後私は、今度おじいちゃんが迎えに来て、おばあちゃんが行きたかったら行っていいよ、と言うと祖母の首が縦に動いた。
しっかり厚く働く人の手だったのに小さく柔らかい手になっていた。その手を握りながら、心の中でありがとうとさようならを言った。4人の子供、10人の孫、15人のひ孫。長い人生。終幕も祖母らしく、変わらない祖母に熱い気持ちがこみ上げてくるのであった。

そして祖母は19日早朝、台風接近の嵐とともにやってきたた祖父と一緒に去って逝った。

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自分勝手

2012年06月18日 | 家族
ってどういう意味なんでしょうか?祖母の調子が良くない、その上父が前立腺がんと聞き、どうしようかなと思った。最後に会ったのは2年前。お金節約のため大学院卒業までは日本に帰らないと決めていた。おばあちゃん大好きっこだった私にしてみると日本へ駆けつけたい気持ちは山々。しかし年度末の6月。AJの卒業式を控えているし(式典やパーティーと子供にとっては一大イベントなのです)、父の日も控えているし(北米では母の日、父の日も大切な日です。プレゼントを送るというより家族と過ごすことが大切)、飛行機代は高いし、どうしようかと迷った。

絵里佳にはキッパリ、学校があるから私は行かないよ。お父さんとお姉ちゃんと留守番してるから、と言われた。悲しい。AJの卒業式を欠席することをAJは私だったら日本行きを選ぶから、卒業式は写真で我慢してね。料理したり、絵里佳のこととかお父さんを手伝うから、父の日も絵里佳と二人で盛大に祝うから行っておいでよと。あー頼りがいのある子に育ってくれたものだと感心。旦那は一人で行くことをとても心配しているけど(13年前に一人で帰った時喘息発作を起こして入院した私なので)、賛成してくれた。家族に背中を押されて帰国を決心した。

で、そのことを両親に伝えた時、帰ってきて欲しいなど言っていないし、そんなことはしなくても良いのにと言われた。家族を置いて、仕事も休んでくるなんて、なんて自分勝手な娘なのかと。

グサリときた。自分を振り返るといつも自分のしたいことが一番になる私。カナダへ来たことも、永住を決めたことも、大学院へ進んだことも。自分がしたいと思うことを突き進める私だ。妥協ということを考えないのも私の特徴だ。自分が幸せでなければ他人を幸せにすることはできないという信念もある。もし私が子供のために大学院進学を断念したら、私の性格では将来、後悔するというより、子供のせいで行けなかったと恨むようになると思う。こんな私だからだろうか、子供達も旦那もすんなり日本行きを認めてくれたのだろうか。仕事だって生きていくのに必要だからという目的もあるが仕事が好きだから働いている。絵里佳にとって共働きの両親は当たり前の環境なのだ。これって異常?私はいつも家族に迷惑をかけている?と深く落ち込んだ。

旦那に相談すると笑い飛ばされた。そういう芯の強いところに惹かれたから一緒になったんだよと。大学院生だからと言って母親業を放棄しているわけでもないし。いつも自分の目的をしっかり持っていて行動に移せるってなかなかだよと。妥協ではなくてお互いが支え合って、家族としても強く育って行くのではないかなと。

あー旦那と一緒になれて本当に幸せな私だと涙ぐむ私でした。

追伸
読み返していてギョッとした。絵里佳の一言って私に似ている?!あー貴方も両親にとっては頭の痛い子になるのねー

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素敵な学校

2012年06月03日 | 家族
絵里佳の通っている学校のWebサイトが新しく変わりました。結構いけるので紹介を。

http://www.langleyfinearts.com/

ホームページの右側にYouTubeのウィンドウがあるのでぜひそこのクリップをみてくださいませ。生徒が作ったビデオだけれどよくできているな、と思いました。

左のコラムのそれぞれの科目を選ぶとその内容や生徒の作品、表情やビデオクリップや音楽が聴けるようになっています。小中高一環の芸術学校。2つのダンススタジオ、レコーディングスタジオ、音楽用の個室やオーケストラルーム、劇場なども持っている、アートギャラリーも。

トップバーのElementaryをクリックすると1年生2年生の様子が出てきます。今あがっているビデオは最近の様子をまとめたもの。ピンクの豚の後に絵里佳がちょこっと写っています(顔だけ)。

絵里佳は低学年なので音楽、美術、ダンス、ドラマの4メイジャーを取っていますが、7年生になるころには2つに絞って最後の3年間はひとつに絞るようになっています。いったい何を選ぶのやら、楽しみ。

先日も1-2年生の発表会がありました。発表会というよりショータイムと言ったほうが妥当なノンストップの1時間のショーでした。絵里佳は蜂になってダンスをして、コーラスにも参加していました。みんな生き生きして楽しそうでした。

素敵な学校に入れて本当に良かった。

ショータイムと言えば週末にはバレエ学校のショーもありました。れっきとした劇場を借りて3時間のショーを2回。絵里佳のバレエの出番は一度とフィナーレそして凧を舞台に出すチョイ役が一回。クラスのリードダンサーをしっかりこなして、母の目はうるうるしていました。今年で3年目。そういえばうまくなりたいって願っていたな~立派になったものだとしんみり。ほら、ポーズだって様になって来ました(アーやっぱりローテンションの仕方がわからない)。



今回はボランティアとして舞台裏を手伝いました。リハーサルから当日まで、2日間丸まる費やして(義姉は3日間)、母はどっと疲れました。昨夜は10時半帰宅で絵里佳をベッドに連れて行ってから(車の中ですでに寝ていた彼女。お疲れ様でした)、ビールを一杯。おいしかった。

楽屋で子供たちのメーキャップや髪結い、衣装そして出番の間の監督、舞台裏で出番を待たせたり、思ったよりずっと大変でした。大きな子たちは自分で何もかもするけれど、衣装のピースが見つからなかったり、髪が崩れたりするとパニックになったり、とにかく舞台裏はぴりぴりしている子供たちのバイブが伝わって来ました。

あまりの労力の多さにもう絶対このボランティアはしない!と思ったけれど、これを15年もしている義姉。頭が下がりますわ~

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依存症 最終回

2012年05月18日 | 家族


数ヶ月前にBrodyが家から出て行き母親と暮らすようになった。何故かというと家族全員がBrodyと住むことがとてもストレスになり、、、、私たちが追い出したのか、彼は自分から出て行った。

Brodyは小学校4年生の時にADDと診断され内服を始めた。彼の落ち着きのなさ、強い不安症は1年生のころから表れていたが遅生まれなので診断がなかなかつけられなかった。内服を始めてからクラスで集中することができるようになったし、不安症状がぐっと減った。

ティーンになって食べ盛りになったからだと最初は思っていたが、異常なまでの量を食べるようになった。特に自分が好きなものは見境がなく目の前からなくなるまで食べ続ける。サバンナでようやく獲物にありつけたライオンみたいな食べっぷりで見ているだけでこちらの気分が悪くなるほどだ。仕事が忙しい私は食事の作りおきをすることもある。明日の夕食だから食べないようにと伝えて、メモまで入れ物に張っていても食べてしまう。仕事から戻ってきて夕食がなくなっていることに腹を立てる私にまったく悪びれる風もない。買い入れの量を増やしても彼の好きなものはあっという間になくなる。

テレビゲームが好きな彼。昔は一日のリミットも決まっていた。それが母親が買い与えたテレビを部屋に置くようになり、ゲームもすべて部屋の中でするようになった。私も旦那も忙しさのあまりか規則もゆるくなって部屋に閉じこもってゲーム三昧の日々になった。XBOXをせがまれ最初はPS2があるから買わないと言っていたがあまりの懇願に誕生日とクリスマスプレゼントと自分のお小遣いを合わせて購入。正直XBOXが何であるか知らなかった私たち。WiFiをつなげて以来彼の生活、性格、習慣は急激に変わっていった。部屋に閉じこもって食事にも出てこない、成績はどんどん下がり学校もサボりだした。家族との外出も参加しなくなり、シャワーも浴びなければ下着も替えない。XBOXやWiFiにタイマーをパスワードつきで入れてもそれを変えられたり、強制的に電源を抜くとそれはそれは怒りまくるようになり。体も大きくなり知識もついたので小さいときのように親が大きく出ることで解決するような状態ではなくなった。食事に来ないのに急に部屋から出てきたかと思うと台所をあさり食べのをつかんではまた部屋へ引きこもり。部屋中にごみや食べかす、食べ残しのものが腐り、食器は割れ異臭を放つようになった。たまに納得させて食事に参加すると、家族の会話にはまったく参加せず食べ終わると食卓につっぷしていつになったら部屋へ戻っていいのかとそればかりだ。こんな状態なので顔を合わせると小言から大喧嘩になる状態で誰もがぴりぴりしていた。

カウンセリングにも連れて行った。セラピーが始まると行くのを拒否するようになった。子供のころからお世話になっている小児科の先生からも部屋からテレビやゲーム類をすべて除くように言われ、それを実行、もう一度家の規則をきっちりしていこうと、家族会議をした後、それがいやで出て行ったのだ。

出て行ってしまうと親としてもう少しがんばれたのではないかとか後悔すると同時に平和を心の底から喜ぶ自分たちがいた。
そう、Brodyは恋ちゃんなのだ。愛ちゃんの4倍も食べないと満足しない。そしてサイバー依存症でもあり、、、この上タバコやアルコールの味を覚えたらどうなるのだろう。考えただけでも恐ろしい。

カンファレンスのとき講義がすべてBrodyと重なった。しつけでどうにかなることだと、お手本を見せればどうにかなるかと、欲望に流されずに自分をコントロールできる子になってほしいと思っていた。それがすべて間違いだと気づかされた。化学物質の変化がああさせていると理解できると彼の行動がとても理解できる。テレビゲームを買い与えたのは最大の過ちだった。朝から晩まで時には眠ることもなく一日何十時間も戦争のゲームをしている。友達はオンラインでたくさんいるようだが実際付き合う友は一人しかいない彼。どれだけ彼のピッチャーは大きくなったのだろうか。もともと基礎があった上にゲームによって加速、悪化させてしまった。

今のところは母親が張り切って”母親”になっている。しかし長持ちはしない彼女。彼が母親と暮らすことは永遠ではないと旦那も私も感じている。もっと早くゲームの害を知っていれば、依存症のことを理解していれば、、、後悔は止まない。

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依存症 3

2012年05月15日 | 家族


刺激因子と受容体をつなぐのがドーパミン。ドーパミンってとても大切な化学物質なのです。これについて話し出すととても難しくなってしまうので省略。

で、依存症を克服した!と喜んでもピッチャーサイズの受容体は求めているので、有害な刺激因子以外のもので受容体を埋めなければならない。

例は基礎に疾病があればその治療薬であったり、スポーツや仕事、趣味に打ち込んで、刺激因子、ドーパミン、受容体のバランスを保つ。いわゆる普段の生活の中で得られる満足感や達成感が健康な刺激因子。それで置き換えれば良いのだ。と、言うのは簡単。依存症になってしまった人は社会的に孤立してしまっている人が多く、職も失いなかなか健康な刺激因子を見付け出すことができない。入れ替わるものが見つけられない。これがチャレンジになるのだ。

余談だが、ロックスターが薬物依存症になりやすいのは。コンサートなど普通の人は味わえないような達成感、満足感が過剰な刺激因子となり受容体が増えてしまう。毎日激しいコンサートをするわけにもいかず、それに入れ替わるものが必要になるのだけれど、手っ取り早く薬物に、、、と手が伸びてしまう例だ。

祭りの後、放心状態になってしまうことってありませんか。無気力になって何も面白いと思えなくなって、、、、過剰な刺激の後、受容体が空っぽな感じ。きっと多くの方が経験されたことがあるでしょう。しかしほとんどの人が薬やアルコールに頼らず時間の経過と共に普通の生活に戻っていけたでしょう。依存症がある人は祭りの後の放心状態が強く長く続き有害な刺激因子に頼ってしまう人のことを言うのです。空っぽな放心状態だけならよいが、その上不安感がずっしりと覆いかぶさったり、集中力を欠いて仕事に戻れなかったり、イライラする気持ちばかりが先立ち空回りの焦燥感だけが走り、、、、

依存症がどういうことであるか分かっていただけたでしょうか?依存症を心の弱い人、親の育て方が悪かった、危険な生活をしているからだ、などと言うことはなくなるでしょう。

とシリーズは先日行ったカンファレンスで学んだことでした。喫煙が止められない人を理解するのにとても役に立つ講義でした。タバコの有害性が語られファッションで呑む時代から体に必要で飲む時代に変わってきました。このところを理解していないとタバコを止めようとする人への適切な治療ができない。そのことから発して依存症、精神科、心療内科系の疾患にわたってとても学びの多いセッションでした。

なぜこの話題を”家族”のカテゴリーで書いていたかと言うと、、、

続く。

依存症 2

2012年05月14日 | 家族


精神科、心療内科系の疾患は遺伝性が多く、その他には生活環境からきている。両者も受容体の(化学物質)の変化が認められる。この化学物質の変化を適切に治療されていないと、受容体が空で刺激因子を求めるようになる。正確に疾病が診断されていなかったり、薬の量が適切でない場合、知らず知らずのうちに刺激因子で不足分を補おうとする。不安感やイライラ感を抑える、集中力を高めるため、リラックスできるからと喫煙、アルコール、カフェイン、薬物、ギャンブルへ走る人は多い。これがないと社会の中でファンクションできないほどのレベルになると依存症となる。不安感などを取り除き社会生活をスムーズにしようとする身体の反応が刺激因子の摂取行為の慢性化、エスカレート化する理由だ。

不安障害がある人の中には、きちんとどう対処するべきか対策や技術を得ることで解消することが出来る人もいる。しかしそれができなかった人にこの依存症の傾向があるのだ。

疾患別に喫煙率を調べると、それぞれ45-88%と高い割合が占めている。

恋ちゃんがタバコをやめようとする時は愛ちゃんよりもっともっと沢山のニコチンパッチやニコチンガムが必要になる。血中濃度を保つため安定性のあるものを使った方が効果がある。

それともこれが機会で今までに診断されていなかった精神科心療内科系の病気が判明して、治療を開始することによってタバコに頼らなくてもいいようになるかもしれない。ADD/ADHD, うつ病の人に多い例だ。

生まれつきピッチャーの受容体を持ってる人、もしくはなんたかの理由でコップからピッチャーになってしまった人。両者ともピッチャーはコップに戻らない。依存症から脱出しても、他に入れ替わるものがなければ受容体は求め続ける。

続く。

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依存症

2012年05月12日 | 家族


愛ちゃんはアイスクリームを1つ食べて10/10満足できる。でも恋ちゃんは3/10しか満足度が得られない。なので10/10の満足度を得るために、恋ちゃんは4つアイスクリームを食べなければならない。

もし愛ちゃんと恋ちゃんが姉妹だったら、親はどうするのだろう。アイスクリーム屋に2人を連れて行き、アイスクリームをひとつずつ買うと、愛ちゃんは満足しても恋ちゃんは満足しない。恋ちゃんに4つもアイスクリームを買えば愛ちゃんはどう思うだろう。かといって愛ちゃんほど喜ばない恋ちゃんを親はどう思うだろう。

依存症を理解するためには、ここを押さえておかなければならない。

依存症を持つほとんどの人が恋ちゃんなのだ。刺激因子に比べ、それを受ける受容体が沢山あるのだ。水を入れるコップとピッチャーを想像してもらえば容易だろう。愛ちゃんの受容体はコップで恋ちゃんのはピッチャー。両方の器を満たす水の量に絶対的な差があるのだ。水が刺激因子とすると、器を満たすには恋ちゃんには愛ちゃんよりもたくさんの水が必要なのだ。刺激因子はいろいろなものがあるが依存症に関係するものはアルコール、薬物、ニコチン、カフェイン、ギャンブルによる快感などだ。受容体は常に刺激因子を待っている。刺激因子が来ないと、それを求める、それが症状として出てくるのだ。

どうして愛ちゃんと恋ちゃんにコップとピッチャーの違いが生まれたのだろう?依存症の原因は遺伝、生活環境、精神科・心療科系疾病、原因不明などからおこる。

生まれつきたくさんの受容体をもって生まれる。遺伝子の形態はまったく同じではないが似たような性格(受容体の)が依存症を持つ人、ADD/ADHD、行動異常、喫煙者に認められている。
生活環境とは何を意味するのだろう。過剰に刺激因子に接触することで受容体が増えていく。サイバー依存症といわれているのが典型的な例だ。テレビゲームは視覚、聴覚をかなり刺激する。最近のオンラインゲームはとてもリアルだし体の動きも加わって普段の生活では接することもないほどの刺激が脳に伝わる。過剰な刺激により増えた受容体。普段の生活ではその受容体が満たされず、学校や仕事へ行くことができなくなり、普通の人間関係を続けることができなくなることだ。

続く。

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最近はまっているもの

2012年04月18日 | 家族
忙しい、忙しいといいながらも最近はまっているものといえば、三国志。友人から貸してもらっていて全巻読みつくしてしまった。2010年に映画が7編出ているようで、YouTubeで英語の字幕入りをみつけてしまった。読みきってしまったので今度は映画を楽しもう。何をそんなに夢中になって読んでいるの?と不思議がっていた旦那と映画を見ることができる。きっと彼もはまるだろう。

それから日本のリフォームの番組。ビフォーアフターとドリームハウス。中国系のサイトに行くと中国の字幕つきで見れるのだ。もちろんここにもリフォームの番組があるけれど、日本の番組の方が限られたスペースをうまく活用する知恵があって感心する。光の取り入れ方も上手い。自分たちの家のリフォームの参考になるのだ。

リフォームといえば我が家の状態。リフォーム計画はたくさんあるけれど、先立つものがなければ進まないと、ここ2年近くはこつこつ屋根裏部屋改造に取り組んできた旦那。壁入れが始まって完成間近。完成するとここはリクリエーションルームとなる。ようは誰もの遊び場ということで、ヨガスタジオ、ダンススタジオ、テレビゲームそして子供たちのお泊りの場所ともなるのだ。ベッドを4台つけるので、お泊りパーティーにはもって来いの場所となる。パーティーはしょっちゅうあってもらっては困るけれど、客間としての活用もできるので、遠方から来てくれるお客様に使ってほしいとも思っている。国土が広いだけあって、大きな家に住む私たち。日本の住宅事情を考えるとなんて贅沢なスペースなんだ、と日本の番組を見るたびに思う。

カスタムメイドのベッドが完成するにはまだまだだろうけど、一応絵里佳の誕生会がここでできないだろうかと旦那は言っているが、さてどうなることか。 私としては晴れてくれて庭で元気よく遊んでくれた方が良いのだけれど (ちなみに昨年は大雨で家の中を子供たちが走り回っていました)。

で、庭といえば桜。絵里佳と同い年の桜の木もずいぶん大きくなりました。冬が長かったので開花も遅れようやく満開になった週末。暖かさに誘われてデッキファニチャーを旦那が出したけれど、それ以来再び冷え込み、そして雨。私は一度も庭でのんびりすることもなく雨にぬれる桜の木を家の中から眺めている。ま、晴れたら晴れたでガーデニングをはじめなければならいから、それも大変だけどね。早く夏になってほしいものです。



まだまだ雑然とものが散乱しています。何せ納戸になるところが完成していないので。ピンクのインソレーションが入っていない突き当たりは、窓が入る予定。



東側からの天窓からは日差しがたっぷり注ぎます。



絵里佳の読書コーナー。隠れ家的な場所がほしいとの彼女の希望で。



ここが納戸の入り口。絵里佳の読書コーナー下も収納になっています。ジップロックを抑える赤いテープ。高いところはAJ、低いところは絵里佳と二人が大活躍したとか。これ結構めんどくさい作業なんですよ。

さあ、5月11日に完成するのでしょうか?

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