ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

久しぶりにいい映画

2011年06月28日 | 映画
を見ました。旦那の同僚に薦められてたもの。ドイツと日本が舞台で老夫婦の物語。あ~人生の中で自分の好きなものを捨てないって大事だね~。
心から両親を労わっていますか?子供が立派に育ってくれたことを喜んでも、子供から鬱陶しがられる現実は厳しいですわ。旦那と子供を育てるってそういうことも教えていくことだよね、としみじみ。
外国人が思う日本の角度も面白いのでどうぞ。もちろん映画はドイツ語で英語の字幕が入っています。日本では上映されたのかな?

なぜかしらクリップが貼れないのでこちらでチラッとみてくだされ。

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当直

2011年06月27日 | 訪問看護
訪問看護を始めて6ヶ月がたった。最近は当直も始めた。訪問看護の時間帯は朝8時から夕方4時半まで。在宅緩和ケアは24時間の支援が約束されているので、残りの時間を誰かがカバーしなければならないのだ。訪問のオフィスによっては呼び出し制にしているところもあるが、うちのオフィスは当直制。12時半にオフィスに入って夜の9時まで勤務。4時半までは日勤者と同様、予定されている訪問をする。4時半以降は携帯に患者から電話が入るようになる。電話対応ですむ時と、必要性と安全な地域であれば、訪問に出かける時がある。ちなみに夜9時以降から朝8時まではBC州全体のテレ看護(電話による看護)につながり、必要があればCRNオンコールにつながるようになっている。こうして在宅緩和ケア患者に24時間の支援を行っている。

で、この当直はたった一人でするのだ。広いオフィスに4時半以降は一人ぼっち。寂しいし怖い。アクセスカードがなければトイレだって行けないこのオフィスビル。でも掃除のおばちゃんが来たり、ごみ集めのおじちゃんが来たり、警備の人が見回りに来たり、ドアが開くたびにどきどきする。オフィス全体が見渡せるなら良いけど、ドーナッツの形で4つある入り口をすべて見ることができるポジションはない。18階立てのビルの中働いているのは私一人。初日は怖くてたまらなかった。

日勤のときは外回りのサインを出しておいて時間通りに帰ってこなければ、オフィス内で働いているスタッフによって捜索の手順が開始される。一人で働いているから当直中に呼ばれて外回り中に何かあった時は誰も気づかない!なんてことになってしまう?!いえいえ、出勤前にどこどこ訪問へ行っているか、自分の名前や車の特徴ナンバープレートを留守電に入れるのだ。7時と9時に警備会社にチェックインをすることが義務付けられていて、それをしないと、できない状態にいると判断されて、捜索の手順が始まるようになっている。安全が確保されていてホットする。ビル内にいるときはパニックボタンも持ち歩くようになっているし、怖がることはないのだけれどね。呼ばれることがなければラッキーとたまっていた仕事をしたり、宿題をしたり、と有意義な勤務時間を過ごせる。呼ばれまくるときはすごいらしいが、、、。高台から見下ろす街明かりは素敵。今は夏だからガラス張りのビルが暗闇に包まれることはない。でもこれが冬だったら、、、4時には真っ暗できっともっと寂しいんだろうな~とついつい思ってしまう。

不安だったら地下の駐車場まで警備員の人にエスコートを頼むこともできる。最初はこれも怖かったが、今は平気になった。人間新しい環境に順応するのって本当に早いわね~

地下の駐車場といえば、ベンツを先日こすってしまいました。とても疲れていて、朝起きれなくて、10分遅れて家を出たうえに、ボーっとしていたせいか込んでいる高速に入ってしまい。のろのろ運転の末なんと30分の遅刻。あせっていつもはとめないような狭い駐車場を選んだうえに隣の車が斜め駐車ではみ出していてそれにぶつけないように気を取られていたら反対側の後輪付近をコンクリートの柱でガリガリっと、、、、。修理代12万円だって!保険でカバーはしてもらえるけど(自責は2万5千円)、あ~新車のベンツが、、、、と落ち込みました。疲れ焦り、よくない組み合わせですね。自分に優しく、、、、。

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解剖生理

2011年06月20日 | NP大学院
最近、また忙しくなっていろんなことが後回しになりだした。ブログもそのひとつ。夏の稼ぎ時に入って、仕事量は増えるし、休みの日はがんばるTシャツの販売や配達、在庫管理と東西南北を奔走している状態で、自分の時間はまったくない状態。机は山のように書類であふれもう一つのテーブルも埋まりだした。こんな状態なので今週末はゆっくり自分の時間を作ろうと、誘われるTシャツセールも断り、オフィスの片付け、自分への栄養とお母さん友達と夕食へ出かけカラオケで歌いまくりで夜を楽しんだのだ。

で、書類を整理しながら、机の山から発見した大学からの手紙。そうそう、授業が始まる前に夏の課題があったのだ。それは解剖生理の復習のテスト。自主学習をしてテスト問題に答え、それを提出する。なーんだ簡単じゃん!とあけもしなかったファイル。全部で60問。すらっと答えが出たのはなんと1問。日本語だったら答えれそうなのは8問くらい。後はさっぱり。あ~これって全部英語ね~私、解剖生理を日本語でそれも24年前に習ったんだった!といまさら気づく。24年ってもう限りなく四半世紀に近いじゃん。

薦められている教科書を図書館に注文し、古い編集のものであれば職場で見つけたので、それを片手に、ネットも駆使して。で、その教科書の厚さと重みといったら、私が使った医学書院のそれとはまったくスケールと内容が違う。大学のカリキュラムを見ると、このコースは看護に進みたい人だけが対象になっているわけではない。人間サイエンス系の基礎コースになっている。だからかな内容が深いのは、、、。

て、ことは自分が持っている知識では到底足りるわけではなく、それも日本語変換はやめて英語でいちからやり直しか~とため息。そりゃあナースプラクティショナーとなり約75%の医師の業務をするくらいになるのだから、これぐらいできないとね、、、と、夏を思いっきり楽しむぞ~などと思ったのは大きな間違いだった、と気づいたのであった。

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心の健康

2011年06月11日 | ホスピス
数週間前の話。ホスピスへのアセスメントを頼まれた。非がん患者さん。しかし慢性で難治の疾患をもちここ一週間嘔気嘔吐がひどく、痛みも強く食事も取っていない。子供たちに「今回はだめかも、もう疲れた」と言う彼女。子供たちはいつもと違う。死が近いのなら一日でも早くホスピスへ移してくれと頼む。診察して気付いたのだが、疾患の部位と痛みの部位が一致していない。前回のカルテをみると以前の部位とも違う。血液検査もこれといって目立ったことはない。嘔気嘔吐はどこから来るのだろう。受け持ち医師はありとあらゆる制吐剤を使ってみたが効果がないと言う。診察前に痛みと制吐剤のレスキューを使ったがまったく効果は見られない。患者は薬はぜんぜん効かないと、とても苦しそうにしている。過去の記録には多くの精神科のエントリーがあった。子供のころの虐待による後遺症で精神的に難しい生涯を送っている姿がみられた。もしかしたら身体的な症状は精神的苦痛から起こっているのかも知れない、と思った。子供たちの一人は麻薬や薬をどんどん使えるんですよね。しっかり使って苦痛を取り除いてください、と言う。

私はこういうケースの症状管理の難しさについて話をした。薬物療法単独では効果が得れないまま中毒症状が出たりする可能性など。子供たちに過去の記録から彼女はいろいろ背負って生きてきたことが伺えます。心の傷の深さはこういう時に再び大きくなることもあるし、何かお母さんが'やり残した、これだけはしておきたい’など思い当たることはないですか?と聞くと子供たちは「いつもいつも、悪い母親で悪かったって言うんです。でも本当に素敵な母親なんです。だからどれだけお母さんがすばらしいか伝えるんですけど」と。あ~もしかして、、、、。
私は子供たちに「お母さんがどれだけ素敵なお母さんだったかあなたたちをみてすぐわかりますよ。もしかしたらお母さん、素敵なお母さんだといわれてもお母さん自身は悪い母親って思えて、それがつらいのかも。お母さんが素敵だと言う変わりに、’そういう風に思っていてつらかったね’と彼女の気持ちを認めてあげたらどうですか?」と言ってみた。子供たちはすぐそうすると言っていた。

ホスピスのベッドに空きはなく週末を病院で過ごすことになった彼女。それを伝えにもう一度病室へよった。別人のような和やかな彼女。痛みもなく吐き気もないという。午前中は声かけに目を開けることもなかったのに、目を開ける彼女。「何かよいことでもあったのですか?」と訪ねるとにっこりとうなずく彼女。私の予感は的中したのかも。子供たちに否定され続けた’悪い母親’ようやくその苦しみを子供に認められて心のつっかえが取れたのだろうか。

結局、週末明けには食事も少量だが取れるようになった。数日後には歩けるようにまでになった。もちろんホスピスへの入所は中止となり、自宅退院に向けてしばらく内科病棟で観察ということになった。心の健康はとても大切だと思った。

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最近の結婚

2011年06月07日 | 家族
甥っ子がこの夏結婚する。招待状と一緒に送られてきた彼らのサイト。最近はこんなものがあるらしい。Our Casual Engagement Photoをクリックすると彼らの素敵な写真がみれます。美男美女の二人、その上プロに撮ってもらったから素敵ね~。でもカジュアルというくらいだから、ベッドの上だったり、義姉はちょっと、、、と愚痴っていました。あの一家はとてもキリスト教だからね。まフォーマルな写真ももうすぐあがってくるから。それに若々しさが出ていて私は好きだね~

若いってこの二人21才。高校3年生のときからの付き合いだって。まだ大学生で大学院に行くって言っていたから、まだまだ学生なのに、二人でもう家は買っていたり、よくわからない。まあ、一日でも早く一緒になりたいってやつでしょうか。ちなみにここのお兄ちゃんも16歳のときから付き合っていた彼女と22歳で結婚。早婚は家系でしょうか?

私も旦那もバツ一だからか、子供たちにはしっかり独身を楽しんでいろんな人と付き合いなさいと言っている。義姉宅とはぜんぜん違いますわ。私は23で結婚して26で離婚。結婚する時は周りから「早いんじゃないの?」と言われたけれど、お互いどうしても一緒になりたかった。3年3ヶ月で終わりをつげて、でも後悔はなかった。よい経験になったと。旦那は26歳で結婚して32歳で離婚。時々私も旦那ももっとお互いに早く知り合えていたらよかったのに、と話すこともある。しかしお互い苦い経験をつんでその後に出会ったから引かれたのかも。12年前に出会ったから今があるのだとも思う。運命ってこういうことなんだろうな、と。運命と言えば、私が結婚したのは1992年3月3日。旦那が結婚したのは1992年4月4日。不思議だよね~同じ年それも一ヶ月違いのぞろ目で結婚していたなんて。やっぱり運命だったんでしょうかね。

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3週間

2011年06月06日 | ホスピス
のCRNの仕事が終わりました。は~よくがんばった、と自分をほめたいぐらい目まぐるしい3週間だった。この仕事の忙しさはアップダウンがあるけれど、今回の3週間はノンストップでとても難しいケースのオンパレード。身体的症状の難しさではなくて家族関係や信頼関係の難しさ。一筋縄ではいかないケースばかりだった。

中でも印象強かったのはセナのケース。以前にも書いたが患者に正確な情報を伝えるのは医療者の義務で患者に「私ではなくて家族に言ってください」と言われない限り、一番初めに情報が行くのは患者だ。患者が病名や予後を知らずにいるということはまずない。で、このセナのケース家族がとても強い希望で本人に伝えてほしくない、と言う。こういう家族は多い。しかし患者の権利や情報を隠すことから患者が孤独感疎外感を味わうことなどを話すと、ほとんどの家族が納得をする。しかしセナのケースは違った。そんなことを言えば、それから生きる希望をなくして予後が早まるから言わないで、と。頼むだけではなかった脅しにまで至ったのだ。もし私がセナに伝えたら、ただではおかないと。子供が6人いるが一人がリーダー格でまくし立てるといったらありゃしない。もちろん私は他のチームメイトに助けを求めた。誰もが患者の知る権利を主張するが娘はまったく聞こうとしなかった。

娘の計画はホスピスへ行くと言わず「他の病院へ移る」だった。ホスピスへ行けばサインも名札もどこもかしこもホスピスと書いてあるに隠し通すことはできない。しかしその娘妙に自信を持っている。セナは目が悪いからめがねを隠せば良いと。そういう問題ではない。で、もちろん受け入れ先のホスピスからは拒否された。患者本人の承諾なしには受け入れられませんと。頑として考えを変えない娘。いつもミーティングは嫌気がするぐらいネガティブなエネルギーに包まれていた。彼女の態度も強暴的だからだ。他のチームメイトもうんざりしていた。娘として母を守らなければならない、と言うのが彼女の口癖だった。いったい過去に何があったのか、なんだか根深い何かを感じるのだが、オープンになろうとしないし、助けは要らないと拒絶するし、で八方塞がりだった。セナもセナではっきり返答してくれれば私たちもやりやすかったのに「私も知りたいけど、娘だけにも話してほしいし、半分半分なんてできますか?」ってケーキを半分こにするのとは違うのに、、、、。結局最後には患者に伝えることを決心した娘。セナはあっけらかんと受け入れた。拍子抜けするぐらいのリアクションだった。

いつも思うのだが、家族は患者を守ろうとする。しかし本人が一番知っている。自分の体だもの当たり前だ。私たちは患者を守るために(知る権利を守る)患者の代弁者となる。同時に家族も患者を守ろうとして(情報から守る)私たちに対抗する。両サイドが患者を思ってなのに反対側に立つというへんてこりんな図形だった。

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繰り上がり

2011年06月03日 | 日記
私の人生って綱渡りみたいとよく言われます。端から見ていて危なっかしくて落ちそうになるけどバランスを持ち直してまた歩き出すと。

今回もそれでした。落ちそうだったのに持ちなおした。ナースプラクティショナーのコースに編入が決まりました!

実は5月初旬にお手紙でだめだったと知らせが来ていました。電話で教授と話した時、今年は志願者が多くてね。15人しか採らないところに3倍以上の申し込みがあってと。で私の番号は16番と。だから繰り上がりになるかも知れないから、とは言われていた。でも期待して待っていても仕方がないと、CNSの道に留まろうと気持ちを取り直しつつある時だった。周りから絶対お呼びがかかるって、と言われてもできるだけ考えないようにしていた。

そうしたら、今日メールをもらいました。やったー。やっぱり綱わたり。最後の最後までわからないものだ。
しかし、教授と話すまで知らなかったのだが、BC州では1大学15席しかなくてそれも3大学だけがこのコースをやっていて、年間45人しかナースプラクティショナーは生まれないと。オンタリオ州は歴史的に10年先をいっているし、人口の差もあるとはいえ、オンタリオ州の135人に比べたらたった3分の1になる。アメリカに比べたらもっともっと少ないのだ。まだまだカナダでは歴史の浅いナースプラクティショナー。その歴史の一部になれるかと思うと今からワクワクしてきます。

さあ、9月からがんばるぞ~
ちなみにマスターとのダブルのコースなのでMN―NPという学位がもらえるので修士には変わりありませんよ~

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