ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

どこへ行く?

2013年07月30日 | NP大学院
まだ合格通知が届かないので本格的な就職活動は始めていないが毎日求人情報はチェックしている。昨年始まった政府の特別予算で新しいポジションが年間に45ずつ作られるので2年前に比べて就職状況の色はかなり良い。ということは選り好みが可能ということでどこにしようか迷っている。

緩和ケアに情熱を注いできた13年間。今でも緩和の仕事をするとやり甲斐を感じる。ちょうどがんセンターでサバイバーシッププログラムとしてGPのいないがん患者(アンアッタチ市民でがん患者 と呼ぶ)のプライマリーケアをするNPの募集がある。隣の市で通勤も30km圏内。今までの経験と知識をプライマリーケアに生かすことができる。
私の取ったプログラムはファミリーNPで小児、周産期(妊娠)、成人、老人の4分野。学生中、思いの外小児と周産期を楽しんだ。なのでこのまま成人を選ぶと小児と周産期を忘れてしまいそう。
プライマリーをしっかり習得してから好きな分野に動くのが一番良い。がその時に自分のやりたい職がなかったら、、、、と心配になる。

プライマリーをやりたいのならこれまた隣の市でインディアンコミュニティーのNPを募集している。これは何でもありで当に学んだことを最大限活かすことができる。それにここのクリニックで現在働いているNPはよく知っている先輩で仲良くやっていけそう。

もう一つノースショアで緩和専門のNPを募集している。コンサルテーションのNPで在宅死を推進するためにアンアッタチ市民を中心にケアを行う。今まで緩和のコンサルテーションチームでクリニシャンとして働いてきたので、これこそ自分にピッタリと思う。しかし、遠いことと専門すぎることで躊躇している。ノースショアには旦那の両親が住んでいる。同居?も悪くない考え??

この他にもペンバートンやバンクーバー島などでのプライマリーケアNPの仕事にも惹かれる。がノースショアの仕事にしても引越しが関係し絵里佳の転校、旦那の仕事などが関係してくる。独りごとでは済まされないのでかなり検討しなければならない。

面接をできるだけ受けて受かってからどこにするか決めればいいこと、、、今迷うことではない。

オスキー

2013年07月18日 | NP大学院
卒業、卒業と言っても免許試験に合格しなければNPとして働くことはできず、オスキー試験の合格通知を待つばかり。他の職種と違って合格がはっきりするまでは面接にも呼んでもらえない。何故って合格率が低いからだ。以前にも書いたが3度落ちるとアウトになる(もしくは学校のやり直し)。過去に3度も落ちてしまった卒業生もいる。なので仮免許で働くことを雇用者側は望まないのだ。

NPに入学してからオスキーのことは耳にタコができるほど聞いてきた。オスキー対策は入学してすぐ始まった。合格率が低く合否決定が不透明と悪評が高かった。年々改善され合格率は改善された。しかし、この試験をしなければいけない州はBC州だけで、アメリカでも稀である。医師、歯科医師にはある試験なので医師のオスキー対策本はあってもNP対策本はなし。こういう事が難しさを悪化させる。試験費用も高いし絶対一度で受かりたいと肩に力が入る。

最後の3週間はとにかく練習を重ねた。医師の試験対策本を2冊こなし、お互いに対応に難しい患者を装ったり、難しいシナリオを作り上げた。はじめはこの試験はノンセンスと思っていたが練習を重ねるうちにその意図が見えてきた。系統的で的をついた問診、カウセンリング、治療方針の説明がとてもスムーズに行えるようになった。実習中5分や10分ですべてを終えることができる時はとても少なかった。一人に20ー30分かけていた。5か10分以内ですべてを終えなければならないこの試験のおかげで効率が上がり短時間で且つ効果的な診療技術に磨きがかかった。

ベテラン看護師出身は受からないという神話があった。その理由がわかった気がする。経験があるからこそ経験に頼って系統的に客観的に診察ができない。基本に基づいてしっかり技術を身につけることが大切なのだ。経験は素晴らしいが客観的になれなければ簡単に誤診につながるのだ。早さだけではない。どれだけ患者とエンゲージできているか、マナーや働きかけ方なども評価される。2年間しっかり勉強してその技術を身につけることができて良かったと思う。

試験当日スタミナが持つか心配だった。過去には緊張のあまり嘔吐したり胸痛、めまいを訴える受験生が居たとか。私も胃がキリキリと痛んでいた。しかし、始まってしまえばあっという間の5時間だった。嵐のように駆け抜けた感じだった。

結果は8月中に出る予定だ。どうぞ合格していますように。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村


卒業しました

2013年07月13日 | NP大学院



5月28日に卒業し修士号を取得しました。その前日にナースプラクティショナーの筆記試験に合格して、先月実技試験を終えて結果を待っている状態。マスターの2年、NPの2年、合わせて4年、長かったような短かったような。一つだけ言えるのは人生で一番勉強した4年間だった。ブログもウェブもほったらかしで、交友も狭まり、母親としての役割も変わってしまった。母親業を兼業してくれた旦那とAJには頭が下がる思い。4才だった絵里佳は8才になり、私より旦那を頼る子になってしまった。仕方がない。彼女の学校のボランティアもすべて旦那がしてくれたのだ。

罪滅ぼしという言葉を使いたくないが、フロリダのディズニーワールドに10日間旅行へ出掛けた。実技試験終了後すぐの出発だったので放心状態で最初の数日は勉強しなくていいという事実に不安を感じた。どっぷりと遊び、笑ったりしたおかげで、だんだん昔のギアに戻ってきた。幼児期から成長して少女になった娘の姿に感心する旅でもあった。

家族を持って勉学に勤しむことの難しさは予測していた。授業を受けることだけが勉強ではない。論文書きや提出物の多さ、自主的な勉強会も沢山参加した。家に居ないのは学校関係。家にいても食事以外は机に向かっている状態で浮気よりもたちが悪いと現役のNPの旦那さんが言った言葉がその通りだった。離婚せずにいられたのも家族のお陰とこれまた頭が下がる。



卒業式は学部別で、学士、修士、博士で行われた。博士の人たちをカッコいいなーと思ったがこれこそ雲の上的なもの。卒業生の数だって全然違う。学士が120人ぐらいに対して、修士は30人程度、博士は3人ぐらい。誰でも挑戦できるものでないことがわかる。それにアカデミックの世界はサメのタンクにいるようなもので食うか食われるかの世界だそうだ。なので家族を捨てる気ぐらいで挑まないと博士を取得することが難しいし、それをキャリアに活かすことも出来ないとか。AJと絵里佳には自由のたくさんある時に好きなだけ勉学を楽しんでもらいたいものだ。


卒業式を前に行われたWhite Coat Ceremony。白衣を着ているのがクラスメイトでそれ以外は教授陣。みんないい顔しているよね!

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村


お久しぶりです

2013年02月18日 | NP大学院
久しぶりのブログです。先日大学院最後の試験が終わりました。卒論もほぼ完成に近く、2ヶ月の実習を終えると5月28日に卒業となります。なので卒業式まで大学へ足を運ぶことは、おそらくないと思う。4年間、特に最後の2年間はしんどい時期だった。課題の多さ、毎日24時間費やしたって足りないほど学ぶことが沢山あって、、、それでもここまできたんだなーと振り返って嬉しく思う。

20代、30代のクラスメイトに囲まれ、44歳の私が第二言語でよくやったもんだと自分を褒めたくなる。何せ日本語で看護を学び看護師になり、こちらに来てからも自学で医療英語を学び働いていた私だから解剖学、病態生理学、薬理学の用語を学ばなければならないし、通学時間を使ってよく勉強したよとも思う。

看護師になって23年が経とうとしている。其の間に出会った患者さんとその家族、沢山のことを学ばせてもらい経験を積んできたことが私を支えてくれたと強く思う。

家族の支えも大きかった。家事を手伝ってもらい、落ち込んでいる時は励ましてもらい、感謝の気持ちでいっぱいだ。

ここまで来たと嬉しさと同時に気持ちも緩みそうになる。しかしNPになるための試験は筆記が5月下旬、実技が6月下旬。

卒業生と話をしたら、また胃がひっくり返るような気分の悪さに襲われた。両方の試験に備えて卒業したからと言って仕事に戻らず、フルタイム(一日8時間、週に5日間)で勉強をしたそうで。我が校は筆記の平均が北米の平均を遥かに上回る高成績。OSCE (オスキーと呼ぶ)と言われる実技試験の合格率は昨年が96%、一昨年が100%と他校が50-60%と比べものにならない程の高成績。その影には集中して試験対策をしたお陰だと、ならばそれぐらいしないと合格しないのだと現実の厳しさがわたしの胃を攻撃する。

OSCE を課しているのはカナダでもBC州のみ。アメリカでもこれをNPに課している州はないと思う。
OSCE は医師、歯科医、薬剤師にとっては試験の一部。それに並ぶために作り出された。真のクリニシャンを証明するための難関なのだ。
実際の診察を想定して16人の患者が設置される。患者役は役者さんでメイキャップもバッチリ、怪我や患部もリアルに本物そっくりとか。
問診、診察 (レントゲンや心電図の読解を含む)、カウンセリング、診断、治療計画、治療薬の処方、紹介状の記入などなど、5分から10分と言う短い間にそれぞれを行い次の患者に移って行く、と言うとてもストレスが高い試験なのだ。

NP になれば本物の患者を相手にすることなので受かって当たり前なのだが、試験官の厳しい目線の下、限られた時間内で、次々とステーションを変えて行くことがストレスになるのだ。

落ちたくない理由は3つ。
試験費用がなんと一回で$2300(およそ20万円)。そして試験は年間に2回しか行われない。2度失敗すると学校のやり直しをしなければ受験資格がない。

なので緊張していても自分を発揮できるぐらい自信がないとパニクって試験は終わりになるわけだ。
今まで学んだことがどんなストレス下でもスラスラと出てくるように6月23日のテスト日までがんばりまーす!

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

知らぬ間に

2012年10月02日 | NP大学院
3ヶ月以上ブログを更新していないと、画像設定が変わっていました。

そう、とても忙しい日々を送っています。今日、今期初の試験も終わり、午後からは堂々プレゼンを終わらせて、ホット一息。いつもは勉学に勤しむ通学時間。頑張ったご褒美に今日はインターネット検索をしていました。あと8ヶ月で卒業。筆記と実技試験に合格すればナースプラクティショナーになれるまであと一年。

終わりのない長いマラソンを走っている気分ですが、頑張るの一言に限ります。

さ、2週間後の締め切りのペーパーを今夜から始めるかー

うれしいニュース

2012年06月14日 | NP大学院

先日、BC政府が次の3年の間に190のNPの仕事を作る政策を発表しました。22ミリオンドルの投入とか。今現在BC州に登録しているNPは225人。そのうち、75人はNPとして働いていない。今年は30人の卒業生が生まれる。てことは来年以降に残るのは90ポジションぐらいか。毎年卒業生は最大で45人。ということは就職先がある!ということだ。
自分のクリニックをオープンしたい私だが、情報を得れば得るほどその大変さを知るばかり。なので政府の元でプライマリーケアができたらなー、もちろん地元でと夢を膨らませる。

先週、今年卒業するNPたちの卒業パーティーに招かれて行ってきた。看護学校の時の帽子式や卒業式も感動だったけど、ホワイトコートセレモニーもなかなかでした。来年は私の番だぞーと意欲が湧きました。ガウンで参加する卒業式と二日連続。家族同伴で。楽しみだ。そのためにも夏の間に卒論を済ませなければ、、、、。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村



カンファレンス

2012年04月29日 | NP大学院


3日間のカンファレンスから帰ってきました。過疎地で働く医師会が主催で参加者は700人ぐらいだったでしょうか。
人間はなれない環境に飛び込むには勇気がいるもの。医師の学会にNPの学生として参加するのはついていけるのかとかなりドキドキ。風囲気もまったく違うように思えたし。しかしなーんてことはない。医療を提供する立場ではみな同じだった。

私の住むところはバンクーバーの市街地で中心部から車で1時間のところ。しかしGVRDの都市の一部なので過疎とは言わない。お隣の市はGVRDから外れるので過疎地となるのだ。がんセンターや大きな病院もあるのにだ。来年開催地となるビクトリアだって、区分けされると過疎となる。なんだかこの”過疎”の定義がいまいちピンとこない。

しかし、3日間どっぷりこの過疎医療に漬かっていたら、今住んでいるところにこだわらなくても、、、なんて気持ちになるから不思議。少々不便でも、空港が遠くなったって、必要にされているなら行ってもいいのではないかと。
旦那の仕事は?子供の学校は?と実際はそういうことを真剣に考えなければならないが。あと一年で卒業。しっかり考えたいことだ。

この学会、デイケアーがあったのだ。それもフリーで。なので絵里佳を連れてくることができた。何でも年々女医の比率が上昇してきて数年後には75%の医師が女性となるとか。そういうことも踏まえてデイケアーの提供は欠かせないとか。感心、感心。

とホテルのロビーの熊に寄り添う絵里佳



そうそう、やはりシャトーウイスラーとなるとサービスもよいし食事もよかったわ~毎日食べ尽くしでもう食べれませーんと言うほどになりました。
夕食で一晩外へ出かけました
ここ、3ヶ月ほどレストランをしているそうだけど、めちゃめちゃおいしかった。デザートも最高!写真を撮り忘れたけれど、ぜひリンクを見て、近くに行ったらトライしてみてください!

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

どうしてNP?

2012年04月22日 | NP大学院
まだまだNPの歴史の浅いBC州。一般の人にとって”看護師”のイメージは根強く浸透しているので看護師とNPの違いをわかってもらうのに、一苦労。そしてNPと医師の違いをわかってもらうのにもう一苦労するのだ。

だからNPがなんであるかチャンスあるごとに説明するのも大切な役割。実習中や普段でも広告活動を行う私たち。しかしいつもお決まり文句のように言われる言葉が、、、

”じゃあいつDrになるの?””メディカルスクールに入れるまでの繋ぎ?””どうしてDrよりもNPになりたがるの?”
私がNPを選んだのはもともと看護師だったから。自分は看護が大好きだから。看護が自分の土台になっているからが理由かな。

看護学校を経てメディカルスクールへ行き医師になった人を何人か知っている。NPコースの2年間はメディカルスクールの4年間より厳しいといわれることもある。看護師はすでに医療の基礎を持っていて、実践の経験もあって患者や医療の環境になれているところからスタートしているから最後の年数が短いわけだが、医学生が4年の間に分散して学ぶことをNP学生は2年の間に凝縮して学ぶからだ。もし私が今20代だったら、メディカルスクールをチャレンジしたかも知れない。しかし40代の私にとってその寄り道は遠すぎるからこの道を選んだ。

日本は診療所やクリニックで働く家庭医。専門医は個人病院を持ち合わせているか、大きな病院で外来医療、入院医療を行っている。国民は自由に専門医へ予約を入れて診察を受けることができる。BC州では少し違うのだ。まず私立の病院はなく、すべての入院施設は政府によって運営されている。病院には医師による外来診療はない(ERは例外)。専門医は個人のクリニックを持っていて(外来診療のみ)、専門的な入院治療を提供するために、病院と契約を結んで入院中の患者を診ることができる。プライマリーケアーと呼ばれるものはGPとNPによって行われている。
GPとはジェネラルプラクティショナー。ジェネラリストと呼ばれる医師は入院の必要がない人の健康管理、予防が主な仕事。そしてトリアージの役目も果たしている。トリアージはどちらの道に進めばよいか決めてくれる人と言えばわかってもらえるだろうか。プライマリーケアーで診断治療が可能であればそこで留まり、専門医が必要であれば専門医への紹介。命にかかわり急を要するものであればERへの紹介となるのだ。こうすることで医療資源を効率よく使うことを目的としている。

入院を必要とする患者も全員が専門医の下で入院医療を受けるわけではない。病院と契約を結んでいるGPもいる。最近はGPを持っていない人、GPが病院と契約を結んでいない人のためにハウスドクターとかホスピタリストといわれる職も増えてきた。上記の患者が入院したときGPとして入院患者を診るのだ。ここでも専門医への紹介がGPからとなっている。GPはプライマリーケアーでも入院医療でも重要な役割を果たしているのだ。

で、NPはこのGP不足を補う意味でも受けいれられるようになった。うーん不足している職種をカバーするために他の職種をその業務に当てる、、、、。なんとも耳慣れた話だ。それはRN(日本で言う正看護師)不足をLPN (日本で言う準看護師)で補っているBCの構図に似ている。医師の中にはNPのことをこれに比例させて非難する人もいる。

実は”不足を補っている”という言葉に誤りがあるのだ。医療の進歩と高齢化社会で医療のニーズは20年前に比べてずいぶん変わった。LPNの配置先はRNほどの知識が必要とされていない疾病、疾病期に限られている。ここでも医療資源の効果的な活用を目的としている。
GPの不足は事実だ。特に過疎医療は深刻だ。このプライマリーケアーでも前述したような変化が起こっている。前回も述べたがNPはGPのように出産を診ることはできない。プライマリーケアーへ来る人全員が出産が必要な人ではない。ここでも医療資源の効果的な活用が必要とされている。そのためのNPでもあるのだ。

と、だらだらと書いてしまったが、プライマリーケアーができる職としてGPであろうとNPであろうと担う役割は同じで、私としてはどちらでも良いというのが率直な意見だろう。

NPの給料はGPと同じなの?と聞かれる。答えはNOである。RNとLPNの給料に開きがあるのと同じで、同じことをしているのに給料は違うのだ。まだまだ始まったばかりのNP。給与のことはまだまだ道のりがあるのだ。

私は実習でとてもすばらしいNPのプリセプターに出会った。彼の診療はまさに看護が土台となっている。患者さんの反応を見ていると彼の技量に信頼を寄せているのが明らかであった。私たちはGPとNPを比べることを許されていない。似ている職種、しかし2つの職種だから比べるべきではないのだ。とは言ってもプリセプターとの経験は明らかにNPならではのものを語っていた。だから自分もそうなりたいと確信したのだ。

と最後に私たちクラスの活動。マラソンイベントに参加した時宣伝用のTシャツを作って参加しました。背中にはNP? Ask me! と書かれています。絵里佳もしっかり参加しました。クラスメイト14人中10人が参加しました。



えらく写真写りが良かったので自分の写真。あーでも年とったね~目じりのしわがくっきりだわ。





米国から日本の特定看護師導入を応援する先輩日本人NPの記事はこちら
読売新聞

日系メディカル

こちらは古い記事ですがカナダで活躍しているACNP

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへにほんブログ村

ようやく終わった実習

2012年04月17日 | NP大学院
先日、今期の実習が終わった。26日間、208時間。私自身が診断、治療をした患者の数は103。処方箋だって何枚書いただろう。生まれたばかりの赤ちゃんから90代のおばあちゃんまで、幅広い年齢層を診ることができた。バイオプシーもしたし、縫合もした。パップテストもしたし、乳房検診もしたし、前立腺検診もした。専門医への紹介状も書いた(ここでは専門医にかかるのはプライマリーケアからの紹介状がないと診てもらえない)。カウンセリングや患者教育に至っては、糖尿病、高血圧、喘息、避妊、性病などなど、、いろんな経験をさせてもらった。

授業は先週で終わっているので、これで正式に今期の終わり。前期はしんどくて何度も辞めようかと思った。しかし今期は全く違った。クラスについて行くのがやっとのように思えた前期とは正反対にクラスを引っ張る方に役替わり。学びの広さと深さが楽しくて仕方なかった。やはり根っからの臨床好きの底力が出たのかもしれない。

実習は今までの知識がつながって実が熟す感覚だった。経験を積んで良い臨床家になりたいと強く思った。
プリセプターの地域での成功を目の当たりにして、私もあゝなりたい、NPの将来は明るいと確信した。

NPの仕事は看護師の延長線上ではない。違う次元の仕事。重い責任のある仕事だとヒシヒシと感じた。診断と治療の正確さを導くための知識と技術は芸術のようだ。卒業までまだまだ実習と授業が続く。これからももっともっと学んで行きたいと思っている。

他のクラスメイトはもう一期残っているけど、私はマスターコースの間にとっているクラスなので、授業は9月までお休み!
と言っても、夏の間に卒論を終えてしまいたいし、休みの間にしっかり稼がなければならないので、フルタイムとして働く。なのでスケジュール的にはなんら変わりのない夏が待っている。
それに後回しにし続けた家庭の母親業もあるわけで、やっぱり働く母ちゃんは忙しいのである。

で、NPってなに?と聞かれるので説明を。診断、治療、検査オーダーや専門医への紹介をすることができる。GPとの違いは、NPは妊婦や新生児を診ることが出来るけれど、出産を診ることができない。それだけが違いだ。あとは全て医師と同等の医療行為が出来るのだ。今BC州では10人に1人はGPがいないほどGPが不足していると言われている。引越ししても受け入れてくれるところがないので、遠くのGPまで通う人は多い。
私は自分のクリニックを自分の住む地元にオープンしたいと思っている。ホスピスや緩和の分野を得意とするGP/NPは多くない。この分野は私にとって大得意分野だ。慢性の疼痛コントロールも知識を深めて行きたいと思う。私は日本とカナダの2つの国で看護師免許を持っている。両方の医療を知っている者として特に日本からの移民者に頼られるNPになりたいと思っている。バンクーバーまで行かなくても日本語で診察が受けられるように。
日本とは違って病院やERは本当に病気、しかも重症な人が行くところだ。もっとプライマリーケアの診察やアクセスが充実していたら、喉の痛みや熱性痙攣、腹痛や下痢でERが溢れることが防げるはず。医療の進歩で平均寿命が長くなり慢性の病気を持ちながらも長く生きることが出来る時代。高血圧、糖尿病、心臓病や喘息をうまく管理して重症化させないこともプライマリーケアの大切なところだ。そのためにも多種職のクリニックを作りたいと思っている。病院と同じで薬剤師、栄養士、作業療法士、理学療法士、MSWが一緒になって患者の問題に取り組めるような。夢のような目標だけれど実現されたら現代のニーズに合うようなクリニックだと思っている。いつか夢が現実になります様に。

で、実習最終日は週に一度頼んでいた日本人のお弁当屋さんに特別メニューを注文しました。彼女のおかげで週一は夕食の心配がいらずそれも日本の味を味わうことができ、今期を乗り越えました。感謝感謝。特別メニューは串カツセット。美味しかったー。写真取るのを忘れた。そして苺のケーキ。とーっても美味しかったです、はい。有難うー。



にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

過疎医療

2012年03月13日 | NP大学院
カナダは大きな国だ。日本に比べて国土は27倍。そこに日本の人口の2/5が住んでいる。アメリカとの国境になる、北緯49度にそのほとんどが住んでると言うのだから、大部分が過疎医療となる。

過疎地での医師不足は深刻だ。誰もが都会に住みたがる。過疎へ行けば行くほど医師の給与は高額になるが、それでも不足は続く。

アウトポストナーシングと言う仕事がある。無医村地にスペシャルトレーニングをした看護師(ナースプラクティショナーとは違う)を医師の代わりとして送るのだ。看護師と医師は電話でつながり判断がつかないときにいつでも相談できるようになっている。期間は2ー4週間。代わる代わる看護師を送り込むのだ。政府機関や政府と契約を結んでいるエージェンシーなどがその母体となっている。
ナースプラクティショナーになりたい看護師は経験を積むためにこの仕事を短期間するものもいる。私のクラスメイトも2人がそうだ。ナースプラクティショナーになったあと、仕事が見つからない時にこの仕事で食いっぷちをつなぐ人もいる。ナースプラクティショナーの仕事が生まれた背景には過疎地での医師不足と言う社会状況があるからだ。

そんな過疎地での実習。回数を重ねて行くうちに、常連者、家族全員を知るようになった。100年前はゴールドラッシュで栄えた街。産業が後退して仕事がなくなった街。街のほとんどの人が年金受給者か失業保険をもらっている。昔からその地に住む人がほとんどだが、土地の高騰で安価な土地を求め、退職後に移動する人もいる。年々生徒数が少なくなって行く学校。空き家が目立つ街。

先週、患者数が少なかったので医師がレジデントと私を連れてローカルツアーに連れて行ってくれた。歴史をしっかり把握している彼のガイドは楽しかった。救急隊を訪れたり、ドライブインで昼ご飯を食べながら、いろんな話を聞いた。彼は言っていた、過疎医療には都会では味わえない面白さがある。しかし家族のことを考えるとここに住むことはできないと言う。

自然の美しさ、広々とした土地、空気の綺麗さは抜群だ。しかし高校の卒業率は都会に比べて低く、就職先のなさ、文化やスポーツの中心とは遠く離れと家族にとっては魅力に欠けるのも事実。

私は島根県の出身。過疎化の激しいところだ。出雲地方はそうでもないが石見地方は医療難民と呼ばれだしたとか。日本の過疎医療も深刻だと思う。しかしここカナダではそのスケールの大きさから、過疎が本当の過疎なのだ。日本はまだ国が小さいので過疎といってもヘリで飛べば何分の話だが、こちらは何時間のスケールなのだ。どんなに遠くても人が住んでいる限り、医療は必要だ。

来月ウイスラーである過疎医療のカンファレンスへ行くことにした。大きな医療施設が遠いところで、何ができるのか学んでみたいと思ったからだ。3日間の内容はとても充実している。カナダワイドのカンファレンス楽しみだ。

それから、来週末はクラスでファンドレイジング目的のマラソンイベントにも参加する。

なにやら過疎医療が身近に思える今日この頃。

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村