ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

何時の間にか

2011年09月27日 | NP大学院
先週は昔のボスの退職パーティーだった。そこの部署で働いたのは昨年のクリスマス以来。だから参加していた人たちは、懐かしい人ばかりだった。懐かしい顔ぶれ、楽しいひと時だった。
私が2年前にPCCをやめた時、正直いって、このボスが退職したら絶対もらえる仕事だろうなと思っていた。でもその頃彼女は退職する気は全くなかった。辛い思いをして古巣へ戻ってきた私を温かく迎えてくれたし、励ましてくれた。

昨年の一年間は私にとって、一昨年にましてもっと辛い一年だった。可愛がってくれた大ボスと目標としていた人の辞職仕事の面接にことごとく落ち、将来のことを深く考えさせられた。興味のあること、幅の広い経験が積めるようにと、訪問看護に転向した。NPコースへの変更も挑戦した。道がふさがっても、変更が効くように自分を準備しておきたいと、前へ前へと進んできた。

以前のボスの退職が決まって以来、会う人ごとに言われたのが、「美加が彼女の後を継ぐんだよね」と。
2年前だったら、NPコースに入学が決まっていなかったら、そのとおりだと思う。しかし今は違う。
NPになるから、と返事をするとだれからも絶賛された。スゴーイ!美加だったら人気のNPになるよ!と。昔の同僚からもコメディカルの人からも言われた。なんだか尊敬の目線で見つめられているのを感じた。私を雇ってくれなかった二人の大ボスさえも、感心していた。

そして3つのことに気がついた。
前へ進んでいる内にどうやら、とても高いところに来たようだ。私ができるくらいだからたいしたことない、と思っていたけれど、それはどうも違うようだ。何時の間にかたどり着いところ。まだ始まったばかりだが、もうこの時点で誇りに思って良いのだと。

次にあれだけ欲しがっていた仕事。今絶好のチャンスがあるのに、まったく興味がない。逆に考えると、もし仕事がもらえていたら、きっとNPに挑戦しようと言う気にはならなかっただろうな、と。つらい2年間だったけれど、これはきっと運命だったのかもと。

最後に、パーティーの時に思ったのだが、言い訳する人って実に多いこと。「もっと若かったら、私も挑戦したのに」とか、”もうすぐで退職だから今更学ぶなんて”、”小さい子供がいるから”、と。だれも聞いていないのにこうやって言い訳。
確かに私も若かったら、、、て思う時はあるけど、私の若い時だったらきっと今のようには出来ない、英語もできるようになって、経験を積んでネイティブでない分それでカバーして、と。今だからこそやるこだと思う。子供が小さいのに、と言われる時もある。でも今を逃したら頭がもっと硬くなって学べないような気がする。体力的にも難しいと思う。子供を言い訳にすると、子供のせいでと、私はかえって、恨んでしまいそうな性格がある。身勝手な母親だと思う時もある。しかし長い人生のたった2年だ(いやいやマスターの2年を入れると4年になるか)。それにNPになることで、家族にメリットもあるのだ。遊び明けているのではない。学ぶなり働くなり、何かに打ち込んでいる姿をみて、きっと子供達も理解してくれると信じている。と、振り返ると私ってブルドーザーみたいに自分のやりたいことを押しまくりながら進んできて、言い訳をしないんだ、と。そういう自分に改めて気づいたのだ。

人生はたった一度。妥協せず、自分のしたいこと、信じることをやって生きていたいものだ。こんな私を支えてくれる旦那には心から感謝しています。出会えてよかった。

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NPってなーに?

2011年09月22日 | NP大学院
カナダにNPが生まれて11年。BC州はまだ6年。60年以上の歴史のあるアメリカに比べてまだまだひよっこです。なのでNPを知らない人はたくさんいます。だから自分の役割を市民に説明することも大切です。

で、NPが何かと言うと、まず教育はコメディカル(医療と看護)によって行われ、教育年数は医師と同じ8年(医師になるには、サイエンス系の学位を取得後にメディカルスクールへ入って4年。NPは看護系4年制大学を卒業後、臨床を2年、大学院でNPコースを2年となる)。

NPは診断、薬の処方、スペシャリストに紹介状も書けるし、診断に必要な検査のオーダーもできる。一つだけできないことは、出産を行うこと。カナダではまだ、麻薬とベンゾ系薬品の処方ができませんが、これもあと数年の内に改善され予定になっています。医療法などで使われていた、「医師」と言う言葉はすべてプラクティショナーに変更されたからだ。医師不足のカナダ、特に過疎地での不足は深刻だ。

歴史は浅いけれど、新しい歴史を造っている一部になれることに喜びを感じる。それに今までの経験を生かした幅の広いプラクティショナーになって地域に貢献したいなと今からうきうきの心は隠せません。

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初のテスト

2011年09月21日 | NP大学院
マスターの時は覚えると言う授業は全くなく、論文の読解や議論によって知識や思考過程を深く広くするものだった。なのでテストなるものはなく、ひたすら論文を書いたものだ。
しかし、NPプログラムは覚えることがたくさん。覚えた知識を試すということで、テストが頻繁に行われる。で、明日が初の試験だ。

アドバンスヘルスアセスメントのクラスで、HEENT(頭、耳、目、鼻、喉、首)の診察のスキルテスト。けっこうやることってたくさんあるのだ。眼底検査なども含まれている。
私は家族四人が患者役になってくれるので、毎日練習ができた。でも他のクラスメートは実習室を借り切って、今週は毎日のように練習しているようだ。

自信?手技はすべてマスターしたと思うけど、試験官に何を観察しているのか、そして所見をやりながら言わなければならない。もちろん英語で(あたりまえ)。日本語で看護を学んだ私だが、患者に解るように英語で説明するのは問題ない(12の脳神経の名前も機能も日本語ならすぐに出てくるが医学英語だとスラスラとは出てこない。でも医学用語を使わず誰にでも解る英語なら問題ない)しかし試験中はちゃんと医学用語で話さなければならにので、発音につまるとしゃべれなくなる。これさえパスできればきっと大丈夫かな???

そう言えば、患者役になったBrody。片耳の聴力が低下していることがわかり、耳鼻科へ連れて行くことに。難聴になるからと注意しても聞かなかった彼。どうやら代償を支払わなければならないようだ。イヤホンで音楽をガンガン聞いたり、リノベーションを手伝っている時耳栓を使わず、と耳を守っていなかったから。
これからも、いろんな診察の仕方を学びます。患者役になりたい方、受付中!

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どっちがすごい?

2011年09月15日 | 訪問看護
先日、ペインコントロールが難しい患者の訪問を頼まれた。大腸がん。ペインコントロール目的でTPCUにしばらくいた。腸閉塞が疑われたが、ネガティブだった。退院後もコントロールできていないとのこと。分厚いチャートの情報を入念に読んでみる。退院と同時にがんセンターからも退院させられた。理由は治療の対象ではなくなったからだ(薬が効かなくなった)。スペイン語を母国語として英語力は乏しいと書いてある。前回の訪問は通訳と一緒に行われた。私だってスペイン語話さないのに、、、と訪問前から文句を言いそうになる。できる範囲でやってみようと、出かける。

アパートの入り口のインターコムは壊れていた。電話をかけると本人がドアを開けに来てくれた。笑顔とスタスタ歩く姿に兄弟?と思ったほどだ。でも皮下注射のポートが腕からブラブラしている。
問診を始めると、今のペインは7/10だと言う。え?あんなに元気そうに歩き笑顔いっぱいで、会話もできるのに???彼の英語は悪くなかった。根気良く聞いていると、詳しく話してくれる。
一時間に渡る訪問中に私が感じたのは、彼のトータルペインだ。移民前は歯科医だった。カナダへ来て英語を学んでいる時にガンと診断された。妻も彼の治療や介護に追われて学校を辞めなければならなかった。小さなアパートに姉と3人で暮らしている。子供達は母国に残して来たままだ。最近は治療のことを考えて眠れないと言う。いつになったら手術でガンを取り除いてくれるのだろうかと。病院やがんセンターからの記録によると手術の対象ではないと言われている。熱心なカトリック教でもある。スピリチュアルペインについてはすべて否定をする。
もちろん基本的なペインコントロールの目的や注意点をおさらいした。使っているレスキューの頻度は多い。しかしメインの麻薬が急上昇しているし、非言語的な症状からは必要性が見出せなかったので、タイトレーションはしなかった。

帰る頃には本人も妻も私の訪問を喜び感謝していた。SWへの紹介も承諾してくれた。
わたしは経済的な不安や文化の違いによるギャップについてSWに関わってもらいトータルペインが軽快しないだろうかと思ったからだ。
オフィスに戻って他の看護師と彼の話をした。
彼女はSWより緩和医師への紹介の方が大切なのではないかと言う。しかしTPCUですべのワークアップをしたばかりだ。リポートを読んでみると社会面や経済的なところが抜けていると感じたし、観察からもその必要性が疑われた。彼女は看護歴も緩和ケア歴も長い。緩和ケアが大好きな彼女との論議はいつも楽しい。しかし今回は少し違った。英語が話せない患者と通訳無しで訪問してどうしてこんなに情報が集まったのかと。彼女は言った、気にしないでね、みかはアクセントがあるでしょう、だからみかが話したことに好い加減に答えていたんじゃないのか、と。移民者のことをそう言うふうに考えている、英語スピーカーとしての高飛車な態度だと思った。私は大声で言い返したかった。あのね、私は彼の立場にいたのよ、英語が話せない、聞こえない、理解できない、苦しみを。だから英語が話せるあなたより、ずっと忍耐強く聞くことができるし、話しやすい環境作りもできるの!って。
流暢に話せることよりその人の苦しみが聴けるハートの方がずっと大事なんだから!て。きっとこの気持ちは文化も言語も違う異国に住んだことがない人にはわからないだろうな、と思い会話を終わらせてしまった。

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年の差

2011年09月14日 | NP大学院
クラスメートは二十代から三十代前半。若いって時間がたくさんあって自由があるなーと思う今日この頃。自分も若い時はそうだったから、別に羨ましがっているわけではない。年を重ねて家族を築き、母親としての責任は子育て、経済的にもあるのだ。週に3日学校へ通い3日働き、休みは週に一日だけ。家事と宿題に追われ、学校に行っているから、仕事をしているからと夕方や夜にかけてのんびりするわけには行かない。家にいない分、貴重な子供との接触時間を失いたくないし、充実したものにしたい。自分で選んだ道。今しかできる時はない。あと二年したら終わりなのだ、それなら頑張るとコース変更を決意したのだ。

マスター時代はどんなストリームを選ぶかによって、取得科目が違うしペースもまちまち。どの教授につくかにも左右される。しかし、ナースプラクティショナーは違う。14人のクラスメイトが同じクラスを二年間取るのだ。だからマスターの時ととは比べものにならないくらいクラス感覚があるのだ。みんなで力を合わせて乗り越えよう、と。お互いに助け合ってと言うことは良いことだ。しかし、休日返上してでもパーティーに参加するというのは私にとってはつらい。1週目は付き合ったけど、毎週となると。勉強会も授業の前後なら参加できるけど、別の日に改めてではつらい。週末のパーティーには仕事だから行けないと言ったら、え?日勤でしょ。終わってから来たら良いんじゃない?って、がっくり!あなたのように仕事と学校だけが人生ではないのよ~と叫びたくなる。毎日新しい企画を考えて盛り上がっているクラス。ついていけない、と落ち込んできた。さみしいとか羨ましいとかそういう思いからではない。自分を孤立化さすのは避けたい。そのためには付き合いも大切なのか?と。コースで成功するためにはみんなで仲良くしなければいけないのかと。
旦那に相談した。彼いわく、他のクラスメートは看護の経験も少ないから知らないことがたくさんあって不安なんだよ。それにそんな不安を聞いてくれる家族もいないわけだから、どうしても”みんなで”って発想になるのさ、と。なるほど。大切なのは無理して付き合うことより、授業中にクラスメートとの関係を大切にしたら良いんじゃないのと。
家族がいて、仕事をしていて(ほとんどのクラスメートは働いていない。フルタイムのクラスに集中できるようにそう進めらたが、わたしはコアコースを終わっているので続けることができる)、遠くから通っているってことはちゃんとわかってもらえるよ。それを付き合いが悪いなんてとってしまうクラスメートなら、仲良くなる必要はないよ、って、、、、とっても気持ちが楽になった。
時間はないけれど、こうして支えてくれる家族がいるって本当に財産だと思った。

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あーキャンパスライフ

2011年09月14日 | NP大学院
ナースプラクティショナーコースに変わって一週間。マスターの卒業に必要なのは33 クレジット。NPは56クレジット、二倍近くになる(私はマスター時代にとって15クレジットのうち6クレジットは使えないので62クレジットで卒業となる)。なので、消化することも多く、授業に参加する日がおおくなる。今期は週に3日間通っている。ちなみにBCでNPになるのに必要な実習時間数は600時間。しかし私の行っている学校は1000時間。忙しい二年間が想像できる。それでもやっていけるのは、まずマスターのコースで取得した、9クレジットが使えるのと、家族のサポートのおかげだろう。
ま、こんなわけで今までに比べてどっぷりとキャンパスライフに浸かっている。おりしも新学期、院生ばかりでなく、大学生もいるわけだから、大学はとにかく活気に溢れている。天気もよいし芝生でお昼をとったり、あちこちでクラブの勧誘やら、奇抜なオリンエンテーションが行われていたり、見ているだけで私も若返るような気になれる。
クラスメートは14人。もちろん私が一番年上。看護経験が2から6年が主。二桁以上は私だけ。初日に毎年平均年齢が下がっていると話していた。ま、古い頭だけれど、経験がバックアップしてくれるだろうと、びびってはいない。
子供を持つ母親は私を含めて2人。
移民者は私も含めて2人。彼はロシアからやって来た。もともと人間工学がメージャーだった彼はネズミより人間が相手が良いと、看護に転身したという、頭の来れそうな彼。
一番遠くから通っているのも私。片道二時間だから。でも実習は近所にしてもらえそうだから、ガマンガマン。
今期の授業は病理学とヘルスケアアセスメントだ。

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久しぶりのニコラ

2011年09月06日 | 旅行
旦那の大好きなニコラ湖。昔は毎年必ず訪れていた。最近はバンクーバー島がお気に入りで、トント御無沙汰していた。6年ぶり、セミ砂漠気候のこの土地。9月だというのに暑い日差しでくらくらしそう。来て良かったと思った。
そうなんです、カナダにも砂漠気候というものがあるのです。降雨量が少なく、海岸沿いに比べて針葉樹林が少ない。ポンデローサ(赤松?)とセージグラスに覆われた、薄茶色の山肌。放牧が盛んでカウボーイが似合う場所。私が始めてここを訪れたのはカナダへ来た年の夏の終わり。ロッキーへ行く途中だった。薄茶色の山肌を見て、伐採の後に植林をしなかったせいだと思い込んでいた。無知というのは恐ろしい。
で、キャンプ場選び。いつも行っていた州立のモンク。キャンプ場の1から26は子供の公園もあってビーチにも近い。しかし絶対そこには泊まらないのだ。と言うのも砂漠気候だから夕方の風が強くて、とくに1から26のサイトは湖から吹き上げる風を受けるからだ。テントキャンパーにはつらい。しかし私がこのキャンプ行になかなかgoサインを出さなかったので、予約をしようと思った時にはたった二箇所しか残っていなかった。それも1ー26のサイト。あーやな予感。
6年ぶり。松食い虫の被害でたくさんの赤松が切り倒されていた。1-26のサイトは木がなくてガラガラという感じだった。しかし、キャンプ場からの湖と氷河で削らたゆるやかな山並みの景色は最高。
二日目いつもの風が吹き出した。湖は白波が立ち出した。テントは風に押されてポールが折れないか心配になってきた。日がくれる頃には収まるはずなのに風は強くなるばかり。この日は連休が始まる前だったので、予約なしのサイトがキャンプサイト27-126であまだ数カ所空いていた。管理人の人に強風で居れないから変わっても良いか聞いてみた。場所代はどこも同じ金額だ。問題ないないと思った。しかし答えは今のキャンセル料金と新規の場所代128ドルを支払うのならどうぞと。すでに125ドルも予約料と場所代を支払っている上に?!交渉を試みたが管理人は聞く気まったくなし。ええい、最悪の場合はテントをたたんでデリカの中で眠ればいいやと、覚悟を決める。この天気がどれくらい続くのかは知らない。
家族四人で知恵を出し合い、夜を過ごした。テントやピクニックテーブルのキャノピーを壊せば損失は128ドルどころではなくなる。夜9時を過ぎても止まない強風にケチった決断をし自分を悔いそうになった。風は明け方4時ごろ止んだ。デリカの中で眠ることもなく、テントやキャノピーを壊すことなく朝を迎えた。
翌日は快晴で湖は鏡のようだった。強風は二度と吹くことはなかった。



湖と山並みがよく見えるキャンプ場。今まで12人用のテントを使っていたけれど、家族縮小に(AJはもう一緒に来たがらないし、Brodyは同じテントで寝たがらないので別のテントで寝るようになった)、6人用のテントへ変更。


ぎらぎら輝く太陽泳ぐの大好き絵里佳ちゃん


あまりの暑さにお母さんも水の上でぷかぷか



砂埃あがる暑さが伝わるでしょうか?

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2011年09月06日 | 日記
を買いました。授業や実習にuptodateと言う、プログラムが必要で、マックプロダクトか手軽なコンピュータ機器の購入を勧められたから。ブラックベリーは日本語のタイプどころか見ることもできなかった。だからこれで、長い通学時間の間に、日本語のネットの閲覧やツイッターを送ったり、メールもできると大喜び。
Ebookも読める!これで本を持って歩かなくても良いぞー、へービデオも見れる?!カメラもビデオカメラも?!と子供のように喜ぶ私。
で、今回のキャンプ旅行。読みたい本は図書館からebookをダウンロードして、移動中に絵里佳が静かにできるように日本語ゲームやビデオも入れた。カメラも持って行かなくて良いと、これ一台にに頼ることにした。楽チンお手軽と。バッテリーは10時間もつし、車にはチャージャーもあるから問題なしと。
マックはコントロールフリークで有名。自社との機種は問題ないのに、他の機種とはまったく対応しない。USBポートと電源の間の変換機はブラックベリーのを使えば良いと思っていた。ところが充電していませんとサインがでる!まさか、、、、とトイレにあった電源でも試してみた。車にはUSBの接続もある。しかし、普通のプラグに比べてとても遅いのだ。結局10時間の半分を充電するのになんと6時間もかかったのだ。その間本は読めないし、写真もとれないし、一つのものに頼るとこういうことになるのだ、、、と今回も新しいことを学んだのであった。

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読書月間

2011年09月06日 | 日記
本読みよりマンガで育った私。母は沢山読み聞かせをしたらしいが、期待にそぐわなかった私。夏休みの読書感想文なんて、前書きと後書きを読んで書いたぐらいだ。好きなジャンルは推理やサスペンス。気にいればかなりのめり込む。
旦那に面白いよと薦められたのは、数年前のこと。読み出したけれど、最初の30ページで面白いと思えなくて放ったらかしにしていた。7月の中旬、映画をビデオで見たら、引きずりこまれた。で、あっという間に3部作を一気に読んでしまったのだ。

The girl with the dragon tattoo

The girl who plays with fire

The girl who kicked the hornet nest

多くの国で販売され、スウェーデンでは映画化。ハリウッドも映画制作を始めたと聞いた。日本ではミレニアム上下で出版されている。
次から次へと展開していく、複雑なストーリー。本を閉じることが出来なかった。
この作者、3部作を書き終えた後に突然死をしてしまった。作者が死んでしまったことで、編集が不可能になったと思う。出始めはスローすぎるし、カットできそうなシーンは沢山のある。それでも読者を魅了するのは、強いメインキャラクターとストーリーラインのおかげだろう。
あーこれを機会に読書嫌いの私が読書好きになったようだ。

映画のプレビューはこちらで




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