最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●日本の学校、今(2)

2010-03-08 09:41:42 | Weblog


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【乳幼児期の重要性】

●今日の講演(歴史の生き証人)

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これからN市の保険医師会主催の、講演会で
講師をすることになっている。

ドクターたちの集まりだから、その道の
専門家も多い。
だからというわけでもないが、今、ひとつの
ことを考えている。
講演の前段で、こんな話をしてみたい。

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この21世紀に入ってから、教育の世界が
大きく変わってきたということ。
「変わった」といっても、制度的な変化を
いうのではない。

現在、(教育)と(心理学)と(大脳生理学)の、
この3つの分野が、融合されつつあるということ。
私たちは今、たいへんおもしろい時代に、
遭遇しつつある。

今はまだわからないかもしれない。
しかしこのあと、20年とか、30年とか過ぎたあと、
「あの時代に、この3つの分野が融合した」という
ことが、わかるはず。

たとえば子どものやる気にしても、教育の世界では、
(弱化の原理)(強化の原理)という言葉を使う。
「子どものやる気を引き出すには、どうしたらいいか」
というテーマは、とく話題になる。

しかし大脳生理学の世界では、辺縁系にある帯状回という
組織が、どうやらそのやる気を司っていることが
わかってきた。
さらにカテコールアミンというホルモンが、やる気に
関係していることもわかってきた。

またフロイトが説いた「性的エネルギー」についても、
根源は、どうやら視床下部あたりが、それを司って
いることもわかってきた。
そこから発せられる信号が、ドーパミンの分泌を促し、
もろもろの欲望も、そこから生まれる。

さらに善悪感覚にしても、ホルモンの作用によるという
ことまでわかってきた。

「悪」については、まだ未解明な部分も多いが、
「善」については、同じく辺縁系にある、扁桃核が
司っている。

何かよいことをすると、大脳の皮質部のほうから
信号が送られ、それに反応して、扁桃核が
モルヒネ様のホルモンを分泌する。
エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンである。
それが大脳全体を、甘い陶酔感で満たす。

「いいことをすると、気持ちよい」というのは、
そういう理由による。
先にも書いたように、やる気については、カテコールアミン
というホルモンが関係している。
もっとも私自身は、それがどういうホルモンであるかは
知らない。
知らないが、生き生きと活動している子どもは、
表情が輝いている。
その(輝き)こそが、カテコールアミンと、考えてよい。
私は勝手にそう解釈している。

さらに近年の大脳生理学の発達には、驚くべきものがある。
最近になって、「敏感期」「臨界期」という言葉を
よく聞くようになった。

人間の基本中の基本は、実は、0歳から7か月前後までの
間に決定されるという考え方である。
従来、「乳幼児には記憶がない」と考えられていた。
しかしこれもとんでもないまちがいであることがわかってきた。
今から10年ほど前、ワシントン大学のメルツォフ教授がそれを発表した。
むしろこの時期、怒涛のごとく、記憶が蓄積されていることがわかった。

まだある。
今度は、それまで愛着行動は、親の側からの一方的なものと
考えられていた。
しかしこれについても、実は、乳幼児のほうからも、愛着行動が
発せられていることがわかってきた。
もちろん無意識のうち・・・というか、本能的なものだが、
あの乳幼児が育ててもらえるよう、自ら親に向かって働きかけを
している。
親に向かって、(赤ちゃんらしいかわいさ)を、子どものほうからも
発信する。
それを受けて、母親は、子どもに乳をくれる。

相互に愛着行動を繰り返すので、「ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着)」
という。

さらに、たとえば(人間性)にしても、この時期に、その基礎が
形成される。
反対にこの時期をのがすと、人間性の基礎もままならなくなる。

野生児をその例にあげるまでもない。

また人間にも、ある種の鳥類に似た、「刷り込み」が
あることがわかってきた。
この時期を、「敏感期」と、心理学の世界では呼んでいる。

一方、大脳生理学の分野では、重に、脳の神経細胞の
研究の分野から、この時期の(刺激)が、重要な意味を
もつことがわかってきた。

これはモルモットでの実験だが、(というのも、人体で
人体実験をすることはできないので)、たとえば生後
直後から、モルモットの片目を何かで塞いでしまうと、
そのモルモットの視覚を司る神経細胞は、機能を停止
してしまうという。
停止するばかりか、その塞いだものを取り除いても、
神経細胞が再生するということはない。
(一部、輪郭だけは見えるようになるという説もあるが・・・。)

神経細胞の完成しているおとなであれば、一時的に
目を塞いだからといって、目が見えなくなるということはない。
しばらくすると、機能は回復してくる。

こうした事実から、乳幼児期における早期教育の重要性を、
説く人も多い。
この時期に適切な刺激を与えることによって、子どもが
本来的にもつ「力」を、外に引き出すことができる。
そうでなければ、ここに書いたように、脳の神経細胞そのものが、
そのまま退化(「退化」という言い方が適切かどうかは
知らないが・・・)してしまう。

この時期に音楽的な刺激を受けた子どもは、音感にすぐれた
才能を発揮するようになる。
そうでなければ、神経細胞そのものが、退化してしまう(?)。

こうした現象がもっとも顕著に現れたのが、「野生児」である。
インドで見つかったオオカミ少女を、今さら例にあげるまでもない。
その後、2人の少女は、死ぬまでインド政府によって手厚く
保護され、教育を受けたが、最後まで人間らしい心を
取り戻すことはなかった。

腹が減ったときだけ、動物的な声を張り上げて、「怒った」と
いうような記録は残っている。

大脳生理学の分野では、この時期を、「臨界期」と
呼んでいる。
教育の世界でいう「敏感期」と同じに考えてよいのでは
ないだろうか。

こうして(教育)と、(心理学)と、(大脳生理学)が、
今、三つ巴になって融合し始めている。

考えてみれば、これはものすごいことではないか。
それぞれの分野で、未解明だったり、経験的にわかって
いたにすぎなかったことが、今、解明されようとして
いる。
私たちはその歴史の生き証人として、まさにその
時代の中で、それを目撃していることになる。

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●乳幼児期に作られる「私」。

 私たちは例外なく、乳幼児期に「私」が作られる。
「私は私」と思っている人は多い。
しかしそれでも、その「私」は、乳幼児期に作られる。
さらに言えば、今の私は、そのころできたレールの上に乗っているだけ。
けっして大げさなことを言っているのではない。
「私」のことがわかればわかるほど、そのことがわかってくる。

 言いかえると、それまでに作られる「私」がいかに重要かが、わかる。
さらに言いかえると、それまでの(子育て)が、いかに重要かが、わかる。

 「私」を知ることは、それほどまでにむずかしいということにもなる。
あるいは、「おもしろい」ということにもなる。

●過去をのぞく

 しかしここで誤解しないでほしい。
自分の過去をのぞいてみたとき、その過去が、仮に悲惨なものであっても、
それはそれ。
ほとんどの人は、多かれ少なかれ、そうした過去を背負っている。
恵まれた環境で、何一つ不自由なく、親の豊かな愛情に包まれて育った人の
ほうが、少ない。

 たいていの人は何らかの問題をもっている。
家庭騒動、両親の不和、経済問題などなど。
問題はそういう問題があったということではなく、そういう問題があったことに
気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
とくに自分の子育てで、どこかにぎこちなさを感じている人は、一度、自分の
過去を静かにのぞいてみてほしい。
子どもに対して極端に甘い親、反対に、極端にきびしい親など。
のぞくだけでよい。
あとは、時間が解決してくれる。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無知

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「無知」を地でいくような話が、ある雑誌に載っていた。
こんな話である。

織田信長は、本能寺で焼け死んでいる。
それについて、ある子どもがBLOGにこう書いた。
年齢はわからないが、漢字の使い方からして、
中学生くらいではないか。

「どうして消防自動車を呼ばなかったか」と。

それに答えて別の子どもが、「電話線も切られて
いたんじゃない?」と。
そこで先の子どもが、反論した。

「携帯電話はもっていなかったのか」と。

それについても、「電池が切れていたのかも」と。

会話がつづいた。

A「信長だろ、消防自動車くらいは、呼べたはず」
B「家が木造だったから、火の回りが早かったかも」
A「消火器はなかったのか」
B「なかったかも」と。

この2人のやり取りを読んだ別の子どもが、こう書いた。

C「お前ら、ちゃんと勉強したのか。
信長は、赤ん坊を助けるため、火の中に飛び込んだんだぞ。
それで焼け死んだんだぞ」と。

(以上、「週刊アスキー」に載っていた記事を簡略。)

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●「学校は、どうしているの?」

 こういう記事を読むと、常識のある人なら、だれでも笑う。
あまりにも非常識というか、バカげている。
が、笑ってばかりは、いられない。
同じような無知、無理解は、いたるところで経験する。

 先日も、BS放送(NHK)を見ていたら、こんなシーンがあった。

 タイのチェンマイにある、屋台を紹介していた。
その屋台を、2人の子どもたちが、手伝っていた。
それを見たレポーターが、こう問いかけた。
「学校は、どうしているの?」と。

 子どもを見かけると、すぐ「学校」「学校」と問いかける。
日本人の悪いクセである。
10年ほど前には、こんなシーンもあった。
同じくNHKの番組だった。
戦禍のサラエボで、逃げ回る子どもに向かって、「学校は、どうしているの?」と。

●理解できない世界

 恐らく今の若い人たちに向かって、こう言っても、理解できないだろう。
「私は結婚前から、収入の約半分を、実家に送っていた」と。
私の親類の中には、無神経な人がいて、「そんなはずはない」と言った人もいる。
「そのお金は、どこに消えたのか」と。

 私が送ったお金のたいはんは、母が貯金していた。
また別のたいはんは、母から、さらに母の実家を守る伯父に渡っていた。
伯父は定職にもついていなかった。
ほかにも、いろいろある。

 が、私が書きたいのは、このことではない。
私の生まれ育った時代には、それが当たり前のことだった。
珍しくも、何ともなかった。
収入の何割かを、毎月実家へ仕送りしていた人は、いくらでもいた。

 で、ここにも書いたように、そういう話をしても、今の若い人たちには理解できない。
いつも「現在」を基準にして、ものを考える。
話の内容こそ正反対だが、織田信長の時代に、携帯電話があったと思うのと、どこも
ちがわない。

●「学校」意識

 織田信長の時代に携帯電話という話は例外としても、こうして並べて考えてみると、
「歴史とは何か」。
そこまで考えてしまう。

 「学校」にしても、日本人がもつ「学校」意識は、明治以後の国策のひとつとして、
作られたもの。
富国強兵策のひとつとして利用された。
そういう歴史的背景があって、日本人は、子どもを見れば、「学校」「学校」というように
なった。

 もちろんこうした意識は、国によってもちがう。
隣の韓国は、世界に名だたる受験国家として知られている。
その影響もあって、韓国の新聞各紙を読んでいると、「順位」が話題にならない日はない。

「韓国は、世界~位になった」「~位にさがった」と。
とくに相手が日本のときは、日本の順位と並んで、「日本に勝った」「負けた」の記事が
並ぶ。
今度のTOYOTA自動車のリコール問題についても、韓国内では連日、大々的に
報道されている。
「日本車への信頼は、地に落ちた」という記事まで載った。

●私は私?

 私たちは、つねに自分の意識を疑う。
言いかえると、私たちがもっている意識ほど、あてにならないものはない。
ときにその意識が、そこにある(真実)を、覆い隠してしまうこともある。
さらに端的に言えば、「私は私」と思っているのは、私だけ。
その実、私などどこにもないということになる。

 前にも書いたが、北海道のスズメも、沖縄のスズメも、同じ。
スズメはスズメ。
どこもちがわない。
その(ちがわない)という範囲で、私は私。

 私たちの意識は、常に何かによって作られ、操られている。

 では、どうするか?

 無知は、「私」の大敵と考える。
無知は、私を「私」から遠ざける。
言いかえると、「私は私のことをいちばんよく知っている」と豪語する人ほど、
自分のことを知らない。
一方、「私は何か」と問いつづけている人をほど、自分のことを知っている。
「私」を知らないで生きるということは、私がただの動物と同じ。
それにすら気がつかないで、ただ生きているだけ。

●無知

 無知の話から「私」論へと、話が脱線してしまった。
(脱線したという意識は、あまりないが・・・。)
織田信長と携帯電話の話はそれでよいとしても、こと「私」については、
無知であってはいけない。
その理由は、先にも書いた。

 ついでながら、織田信長の話を、小学5年生の子どもにしてみた。
冒頭に書いた話である。
それを聞いた、その子ども(男児)は、こう言った。
「信長の時代に、電話なんか、あるわけないよ」と。

 しっかりと勉強している子どもも、ちゃんといる。
それを聞いて、私は安心した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 無知 無知の知 無知という罪悪)


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