最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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(2)

2010-03-10 08:32:47 | Weblog


●仕送り

 恐らく今の若い人たちに向かって、こう言っても、理解できないだろう。
「私は結婚前から、収入の約半分を、実家に送っていた」と。
私の親類の中には、無神経な人がいて、「そんなはずはない」と言った人もいる。
「そのお金は、どこに消えたのか」と。

 私が送ったお金のたいはんは、母が貯金していた。
また別のたいはんは、母から、さらに母の実家を守る伯父に渡っていた。
伯父は定職にもついていなかった。
ほかにも、いろいろある。

 が、私が書きたいのは、このことではない。
私の生まれ育った時代には、それが当たり前のことだった。
珍しくも、何ともなかった。
収入の何割かを、毎月実家へ仕送りしていた人は、いくらでもいた。

 で、ここにも書いたように、そういう話をしても、今の若い人たちには理解できない。
いつも「現在」を基準にして、ものを考える。
話の内容こそ正反対だが、織田信長の時代に、携帯電話があったと思うのと、どこも
ちがわない。

●「学校」意識

 織田信長の時代に携帯電話という話は例外としても、こうして並べて考えてみると、
「歴史とは何か」。
そこまで考えてしまう。

 「学校」にしても、日本人がもつ「学校」意識は、明治以後の国策のひとつとして、
作られたもの。
富国強兵策のひとつとして利用された。
そういう歴史的背景があって、日本人は、子どもを見れば、「学校」「学校」というように
なった。

 もちろんこうした意識は、国によってもちがう。
隣の韓国は、世界に名だたる受験国家として知られている。
その影響もあって、韓国の新聞各紙を読んでいると、「順位」が話題にならない日はない。

「韓国は、世界~位になった」「~位にさがった」と。
とくに相手が日本のときは、日本の順位と並んで、「日本に勝った」「負けた」の記事が
並ぶ。
今度のTOYOTA自動車のリコール問題についても、韓国内では連日、大々的に
報道されている。
「日本車の信頼は、地に落ちた」という記事まで載った。

●意識

 私たちは、つねに自分の意識を疑う。
言いかえると、私たちがもっている意識ほど、あてにならないものはない。
ときにその意識が、そこにある(真実)を、覆い隠してしまうこともある。
とくに、作られた意識には、警戒したほうがよい。

 コンビニで買ってきた本に、こんな話が載っていた。
2つの話を並べてみる。
みなさんは、この2つの話の共通点がわかるだろうか。
内容は、少し私のほうで変えさせてもらった。

(日本の中学校で・・・)

【問】「織田信長は、本能寺で、家来の(     )に、殺害された」
「また織田信長は、壮大な(     )を、作り上げた」

(K国の学校で・・・)

【問】「我が国の偉大かつ輝ける指導者である金xx様による賢明な指導により、
建設された、P市大通りに面したところにある、音楽室の面積は、60平方メートル
である。縦の長さは、横の長さより、4メートル長い。縦と横の長さを求めよ」

その本の中で、ある中学生は、こう書いた。

【答】「織田信長は、本能寺で、家来の(宴会中)に、殺害された」
「また織田信長は、壮大な(ロマン)を、作り上げた」

 思わず笑ってしまったが、よくよく考えてみれば、この中学生の書いた答のほうが、
正しいのかもしれない。
正解は、(明智光秀)(安土城)ということになるが、どうして(明智光秀)(安土城)で
なければならないのか。
もしそうなら、ついでに、そのとき火を放った、ほかの家来たちの名前もいっしょに、
出題したらよい。
それともこの問題を出した教師は、その名前を知っているのだろうか。

 またK国の数学の問題にしても、しかり。
こんな問題なら、何も長々と、金xxをたたえた文章を、前置きとして書かなくても、「3
行ですむ」
(同書)。

 ともに無駄なことを教え、それを「教育」と錯覚している。
つまりこれが共通点でである。
そしてその中で、私たちの意識は作られていく。

 まとまりのない話になってしまったが、織田信長と携帯電話の話は、おかしい。
同じように、答に「明智光秀」と書かせるのも、これまたおかしい。
そのおかしさをわかってもらいたくて、このエッセーを書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【追記】

●織田信長

++++++++++++++++++++++++++

織田信長は、なぜ、消防自動車を呼ばなかったのか?
「織田信長は、家来の(宴会中)に殺された」では、なぜまちがっているのか?

++++++++++++++++++++++++++

●珍回答

 「織田信長は、本能寺で、なぜ消防自動車を呼ばなかったのか?」と聞いた、子どもが
いた。
子どもといっても、中学生(?)である。
年齢はわからないが、漢字をそこそこに使えるところをみると、それくらいの年齢である。

 一方、「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」と、歴史のテストで答えた子どど
もいた。
こちらも、中学生(?)である。
年齢はわからないが、ともに小学校の高学年児かもしれない。
あるいはひょっとしたら、高校生かもしれない。
「高校生」とは名ばかり。
歴史の知識にかぎらず、その程度の常識しかない高校生は、いくらでもいる。

●バカげた歴史教育

 そこそこに歴史の知識のある人は、こうした子どもたちの疑問や、回答を笑う。
かれらがもっている常識でもよい。
その常識を笑う。
織田信長の時代には、消防自動車は、なかった。
また織田信長は、家来の(明智光秀)に殺された。

 が、ここで私は、ハタと考えてしまう。
私たち自身だって、一応常識的な人間と思っているが、その一方で、非常識な情報に、そ
のつど振り回されている。

 織田信長にしても、日本では歴史上の人物となっている。
しかし(ほめたたえるべき人物)であったかどうかということになると、それはどうか?
見方をほんの少し変えると、織田信長は、ただの殺戮(さつりく)者。
それを本能寺で討ち殺した明智光秀も、これまたただの殺戮者。
言うなれば、本能寺での異変は、ただ単なる、殺戮劇!

 権力の座についたというだけで、この日本では、「歴史上の人物」ということになる。
名を残すことになる。
事件があった年まで、記録され、今になっても、子どもたちは、それを暗記させられる。
どうしてそんなことが
必要なのか。
重要なのか。
さらに一歩、踏み込めば、このバカげた歴史教育に、なぜ、私たち日本人は、気がつかな
いのか?

 たとえばあなたの近所で、親の遺産を取り合って殺人があったとする。
そうした殺人と、織田信長や明智光秀がした殺人と、どこがどうちがうというのか。
あなたはその(ちがい)を説明できるだろうか。

 「戦国時代の昔、いろいろな武将がいて、国を取り合った。
その中に、頭のおかしい武将もいて、家来に殺されることもあった」と。
その程度の知識で、じゅうぶんではないのか。
またどうしてそれではいけないのか。
年号を正確に言えたからといって、それがどうしたというのか?
必要であれば、そのつど、調べて、それを書けばよい。
ちなみに私は「本能寺の変」という言葉は知っているが、何年にそれが起きたか、知らな
い。

 大切なのは、中身。
今に残る、中身。
つまりなぜ私たちが歴史を学ぶかと言えば、過去の人たちのなした経験を、「今」に生かす
ため。
失敗でもよい。
そういうことをしないで、一方的に織田信長を美化するから、いまだに「国盗り物語」よ
ろしく、政治家の中には、権力闘争に明け暮れる人がいる。
またそういう人が、いつまでたっても、後を絶たない。

●大切なのは中身

 もし本能寺での異変が重要な歴史的事実であるとするなら、なぜそういう事件が起きた
か。
その背景を教える。
そこに至る経緯を教える。
ついでに権力闘争の醜さや、無意味さを教える。
それが歴史教育だと、私は思う。

 だからテストの内容も、こう変えればよい。

【問】

 「織田信長という独裁者が、本能寺という寺で、家来の明智光秀という人に殺された。
なぜ、明智光秀は、織田信長を殺したか。またあなたはこうした権力闘争を、どう思うか」。

 ともかくも日本の歴史教育は、暗記一辺倒。
暗記に始まって、暗記に終わる。
この教育姿勢は、明治の昔からまったく、変わっていない。
ウソだと思うなら、大学の受験生たちがもっている歴史の参考書を見てみればよい。
センター試験の問題を見てみればよい。

 重箱の隅の、そのまた隅をほじくり返したような問題ばかり。
教える側も、それを教えるのが歴史教育と錯覚している。
教わる側も、それを暗記するのが歴史教育と錯覚している。

 ちなみにこうしたバカげた歴史教育をしているのは、この日本だけ。
欧米では、教師が生徒にテーマだけを与えて、そのテーマに沿ってレポートをまとめるの
が、歴史教育の(柱)になっている。

「あなたはトラガルファーの戦いについて、1年をかけて、調べなさい」
「あなたはフランス革命について、1年をかけて、調べなさい」と。

 そして年度の終わりに、自分の勉強したことを、調べたことを、みなの前で発表する。
そういう教育を、小学生のときからしている。
小学生のときから、受けている。

●知識は無価値

 暗記ということになるなら、ついでに明智光秀のほかの家来たちの名前も暗記したらよ
い。
ついでにそれぞれが、どのような作業を分担したか、それも暗記したらよい。
本能寺にいた織田信長の家来たちの名前も、暗記したらよい。
本能寺の住所も暗記したらよい。

 が、今では、こうした知識は、インターネットを使えば瞬時に手にすることができる。
詳しい内容を知りたければ、パソコンを使って調べればよい。
大切なのは、その上で、どう考え、どう判断するか、である。
そしてそれをどう「今」に生かしていくかである。

 私たちもそろそろ気がつくべきときにきている。
「暗記は無価値」と。
暗記といっても、このばあい、暗記のための暗記を重ねるような暗記をいう。
地理にしても、無罪とは言えない。

 この話で思い出すのは、5、6年ほど前に、つぎのようなことを暗記していた中学生で
ある。
その中学生は、こう復唱していた。
「長野の高原野菜、富山のチューリップ・・・」と。
そこで私がその中学生に、「高原野菜って何?」と聞くと、その中学生はあっさりと、こう
答えた。
「知らない・・・」と。

 で、私はこう言った。
「浜名湖のうなぎと、教科書には書いてあるけど、今ではうなぎを養殖している業者は、
ほとんどいないよ」と。

●新しい教育

 「織田信長は、家来の(宴会中)に、殺された」でも、よいではないか。
そのとき本当に宴会をしていたのかもしれない。
ひょっとしたら織田信長の家来たちは宴会でもして、油断していたのかもしれない。
それをまちがっていると証明できる人は、だれもいない。
百歩譲って、どうして「明智光秀」という名前を、書かねばならないのか。
またどうしてそれが重要なことなのか。

 さらに百歩譲って、それが重要なことというのなら、それこそ重箱の底をほじくり返す
ような知識を、生徒たちに暗記させたらよい。
暗記程度に応じて、成績をつけたらよい。
が、それは先にも書いたように、バカげている。
つまりこういうバカげた教育を教育と思い込んでいるから、その一方で、「なぜ消防自動車
を呼ばなかったのか?」という子どもが出てくる。
思考力そのものが欠落したような子どもである。

 が、これでは、いつまでたっても、日本人は変わらない。
進歩しない。
愚劣な失敗を、いつまでも繰り返す。

 たとえば私は、もう40年も前のことだが、北欧のどこかの国の首相が、議会まで自転
車通勤をしているのを知って、本当に驚いたことがある。
当時の常識(?)に凝り固まっていた私には、信じられないような話だった。
「首相が、自転車で通勤?」と。

 ちょうど同じころ、つまり私が金沢で大学生だったころ、石川県選出の代議士が、防衛
庁の長官に就任した。
たまたま駅でその凱旋パレードを見たが、それはまさしく大名行列そのもの。
何十台も車を並べて、夜の金沢市の町を駆け抜けていった。
それが当時の常識だったし、そういう光景を見ても、だれもおかしいと思わなかった。

 悲しいことに、現在の日本は、まだその延長線上にある。
その責任の大きな部分は、日本のゆがんだ歴史教育にある。
・・・と言うのは書き過ぎかもしれない。
しかしそれくらいの緊張感をもって、この問題を考えないと、今の日本の歴史教育を変え
ることはできない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 日本の歴史教育 暗記教育 暗記のための暗記 ゆがんだ歴史教育 
暗記教育)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不良老人

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昨夜は、映画『Dr.パルナサスの鏡』を観てきた。
家に帰ったのは、午前0時過ぎ。
寝るとき枕元の時計を見たら、午前1時だった。

星は4つの★★★★。

奇想天外というか、よくもまあここまで空想力、想像力
が働くものだと、そういうことに感心しながら観た。
おもしろかった。

数日前には、『オーシャンズ』を観たが、こちらは
説教ぽい映画で、星は2つの★★。
海洋生物の多様性には改めて驚いたが、もちろん
ストーリー性はない。
頭から「お前ら、バカか!」と言われているような
気がして、あまり楽しめなかった。

夜の道を歩きながら、ワイフとこう言い合った。
「ぼくら、不良老人だね」と。

世間では、「老人は規則正しい生活をするもの」とか、
「早寝、早起きが理想」とか、言う。
が、私たちは、不規則を旨として生きている。
若いときから、そうしている。
昨日も、映画を観るため、夕方1~2時間ほど、
仮眠した。

今週をのがしたら、『Dr.パルナサスの鏡』は、
打ち切りになる。
それでそうした。

つぎに観たいのは、『インビクタス』と『トイ・ストーリー・
3D版』。
何とか時間を作って、今週中に2本とも観る。
来週になると、また新作がいくつか公開される。

+++++++++++++++++++

●買い物

 買ってよかったと思うものに、3つある。
ひとつは、布団乾燥機。
ひとつは、ウォーキング・マシン。
もうひとつは、ビデオカメラ。

 布団乾燥機は、布団の暖房用として使っている。
羽布団の下、毛布との間に、サンドイッチにして使っている。
おかげで寝るときはいつも、温泉につかっているような気分。

 いくつかコツがある。

 布団は、軽い羽毛布団にすること。
重い布団だと、暖気がふとんをもちあげることができない。
タイマーが切れたら、それ自体は、ふとんの外に出すとよい。
切れたとたん、布団の通気性を悪くする。

 昨夜のように、寒い夜は、ありがたい。
どうありがたいかは、一度使ってみるとわかる。
(M社から、同じようなしくみの暖房機器が売りに出されて
いるとか。
生徒の母親から、そんな話を聞いた。
ただし価格は20万円以上とか。)

 もうひとつは、ウォーキングマシン。
朝起きると、すぐそれを使って運動する。
10分もすれば、体が温まる。
20分もすれば、ジワーッと汗が出てくる。
頭の働きもよくなる。
もちろん健康にもよい。
食事の前とか後、ちょっとした時間を利用して
運動できるのがよい。
ときどきビデオを観ながら、使うこともある。
こういうのを一石二鳥という。

ハハハ!

 で、3つめが、ビデオカメラ。
2009年度、もっとも活躍したのが、ビデオカメラ。
そのカメラを使って、私の幼児教室を、ほぼすべて
ビデオに収めた。
YOUTUBEで見られるようにした。
カメラは、VICTORのEverio。
一度も故障することなく、よく働いてくれた。
かなり荒っぽい使い方をした。
今度買うときも、VICTOR社のものにする。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車

 TOYOTA車のリコール問題について。
今では車といっても、電子機器のかたまり。
大きなパソコンのようなもの。

 パソコンを仕事で使っている人なら、みな知っている。
パソコンにトラブルは、つきもの。
私も昨年の12月(今月で3か月目)に、最先端の
パソコンを購入した。
あれこれとオプションをつけたら、軽く20万円を超えた。
(モニターは別。)

 そのパソコン、最初からトラブルつづき。
原因がわからないまま、毎日のようにメーカーに
相談した。
で、最終的に、原因がハードディスクそのものに
あることがわかった。
修復不能の不良セクターが、84Kか所もあった。

(ふつうは修復をかければ、不良セクターはゼロになる。
が、数回、修復をかけてみたが、それでも84Kか所も
残った。)

全体では、1000GBのハードディスクだから、
84K(=84000)程度など、微々たるものかも
しれない。
その84Kの部分で、いろいろな症状が出た。
突然、パソコンがフリーズするなど。
ハードディスクの丸コピーもできなかった。

 そういうことを知っているから、TOYOTAも
たいへんだなあと思う。
何しろ車である。
乗る人の乗り方によっても、影響を受ける。
たとえばオーストラリア人のばあい、日本人の私たちには
想像もつかないような、乱暴な乗り方をする。
荒れ地(アウトバック)で、大きな石を蹴散らしながら
走る。
アメリカ人も、そうだ。
しかも今年あたり、オーストラリアでは、
連日45度を超える日々がつづいた(南オーストラリア州)。

 そういうところで、それがパソコンだったら、
故障しないほうが、おかしい。

 それにしても頭にくるのが韓国。
自国のメーカーでもない。
自国では、数えるほどしか走っていない。
にもかかわらず、連日、TOYOTA車の欠陥問題を、
新聞の一面で報じている。
日本の(つまづき)が、よほど、うれしいと見える。
本当に、イヤ~~~ナ国!

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