最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

2/2 封建時代

2011-12-10 12:21:43 | Weblog


●過去から学ぶ

こう書いたからといって、どうか、誤解しないでほしい。
私は何も日本の歴史を否定しているのではない。
歴史は歴史として、当然、評価されなければならない。
しかしここにも書いたように、その「負の遺産」に目をくれることもなく、あの封建時代
を一方的に、美化してはいけない。
もっと言えば、悲しいかな、私たち日本人は、かつてただの一度も、あの封建時代を
清算していない。

たとえば「明治維新」にしても、英語では、「Meiji Restoration」と翻訳されている。
英語で、「レストレーション」というと、「王政復古」をいう。
革命でも、何でもない。
つまり「王政復古」である。

そういうものをもって、日本は近代化の道を歩み始めたとか、さらには江戸時代を清算
したなどとは、思ってはいけない。
清算していないばかりか、ここにも書いたように、むしろ、それを美化している。

この静岡県でも、徳川家康の出身地ということもあるが、徳川家康について悪く書くのは、
いわばタブー視されている。
この静岡県では、敬愛の念をこめて、「家康公」と呼ぶ。

が、こういう姿勢では、私たちは過去から何も学ぶことはできない。
できないばかりか、へたをすれば同じような歴史を繰り返すことになる。
今の今も、国盗り物語よろしく、政治を、己の出世欲を満たすための道具として
利用している人は、いくらでもいる。

●過渡期

話を戻す。
平等という言葉がある。
しかし「平等」というのは、たがいに高い次元で、認めあうことをいう。
民族の融和にしても、さらには文明の融和にしても、その平等感覚がなければならない。
「わが民族は優秀である」と思うのはその人の勝手だが、だからといって、相手に
向って、「あなたがた民族は劣っている」と思ってはいけない。

民族には上下はないし、今はもう民族をうんぬんする時代ではない。
むしろ問題なのは、その上の段階の「文明意識」ということになる。
もう一度、私が書いた、段階論を見てほしい。

家族意識(先祖意識)
    ↓
 同郷意識
    ↓
 同国意識
    ↓
 民族意識
    ↓
 文明意識(無意識)
    ↓
 人間意識(無意識)
    ↓
 生命意識(無意識)

つまり今は、(民族意識)から、(文明意識)への過渡期ということになる。
さらに進めば、(人間意識)→(生命意識)となるが、それはさておき、
この段階あたりで、ウロウロしている。
それがこの極東アジアでも、もろもろの紛争の火種となっている。

●では、どうするか?

言うまでもなく大切なことは、文明の融和である。
そのために第一に、情報の交換をする。
その国の内部の人たちは、外の世界を知る。
外の世界の人たちは、その国の内部を知る。
これを頻繁に、行う。
これができれば文明の融和はできる。
できなければ、できない。

ひとつの例として、あのK国を見ればよい。
今のこの時代にあって、情報を遮断している。
国外に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
国内に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
その結果、アインシュタインの言った、「exaggerated nationalism」だけが、
異常なまでに肥大化してしまった。

もうおわかりのことと思うが、私たちは、その逆のことをすればよい。
私たちは自分の考えていることを、外の世界に向って、どんどんと発信していく。
と、同時に、外の世界の情報を、どんどんと取り込んでいく。
その結果として、私たちは人間のレベルを、つぎのステージにもちあげることができる。

最後に、よく「インターネットは、第二の産業革命」と言われる。
それが最終的に評価されるのは、もう少し時代を経てからになるが、私はそう断言して
よいほど、インターネットには、秘められた力がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
民族意識 文明意識 民族主義からの脱却 インターネット 文明の衝突 誇張された
民族主義 はやし浩司 文明論 民族論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●江戸時代は悲劇の歴史

 こんな原稿を書いたこともある。
一部は、中日新聞に載せてもらったことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夏休みの宿題(ある女子中学生の宿題より)

+++++++++++++++++++++++

(1) 共通テーマは、武士、700年間の時代の中で、
人々が、幸せに暮らしたのは、いつか。

(2) 社会の安定、自由、繁栄、平和、家族という視点
の中から、ひとつ選んで、追究する。

+++++++++++++++++++++++

 中学1年生のKさんが、こんな宿題をもってきた。
春休みの宿題だという。

日本の教育も変わってきた。
もちろん宿題の内容も変わってきた。
これを見たとき、私は、「日本の教育は確実に欧米化している」と感じた。

(暗記)から(思考力)へ。
(ジェネラリスト)から(スペシャリスト)へ。
(従順な子ども)から(問題意識をもった子ども)へ。

 その変化は、いろいろな言い方で説明できる。
しかし教育というのは、「学校で学んだことを、すべて忘れてしまったあとに
残っているもの」とするなら、こうした教育は、その(残るもの)を目指した
教育と言える。

すばらしいことだと思う。

で、Kさんには、こう説明した。

(1) 武士の時代といっても、きびしい身分制度が敷かれていた。
    武士の立場で考えるか、農民の立場で考えるか、それによって、
    見方が大きく変わる。

(2)「幸せ」の定義をしっかりとしておくこと。何をもって「幸せ」というか。
   それによっても、見方が、大きく変わる。

(3)「安定、自由、繁栄、平和、家族」の中から、何を選ぶか。
   もちろんそのうちのどれを選ぶかで、見方が、これまた大きく変わる。

私「基本的には、あの江戸時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの
暗黒かつ恐怖政治の時代だった。それを忘れてはいけない」
K「結構、みな、楽しそうだったみたい」
私「だれが、そう教えたの?」
K「……教科書……?」

私「移動の自由もなく、職業選択の自由もない。もちろん言論の自由もない。
きびしい身分制度の中で、生まれながらにして、みな、職業が決まっていたんだよ」
K「武士にとっては、住みやすい時代だったかもしれないわね」
私「そう、武士にとってはね。でも、その武士は、6~7%。農民は、80~85%。
その農民たちは、武士に虐げられていた」
K「そう? 武士って、そんなに少なかったの?」と。

ちなみに、ヤフー・知恵袋によれば、つぎのようにある。

 「幕末の人口約3200万人のうちわけは、諸藩の統計を平均して、武士6~7%、農民80~85%、工商を含む町人5~6%、神官・僧侶1.5%、・1.6%と、
推測されている」と。

つまり人口の6~7%に過ぎない武士が、人口の80~85%もいる農民を虐げ、
好き勝手な生活を楽しんでいた。
「好き勝手」というのは、農民の納める年貢にしても、収穫高の4~5割を自分たちの
ものにしていたことをいう。

身分制度については、こんな話が残っている。

浜松市の西に、江戸時代に代々、庄屋として栄えた農家がある。
そんな農家ですらも、上から下まで、厳格な身分制度が敷かれていた。
小間使いは、一生、小間使い。
代々、小間使い、と。

また恐怖政治については、こんな話が残っている。

私の山荘のある地域では、明治時代に入ってからも、士族たちは、
刀をさして歩いていたという。
歩くたびに、刀の鞘(さや)が、カチャカチャと音をたてたという。

農家の人たちは、その音が聞こえてくると、道路の脇に正座して、頭をさげ、
その氏族という人が通り過ぎるのを待ったという。

この話は、10年ほど前、90歳でなくなった女性から、直接、私が
聞いた話である。

こういう(事実)をすべて無視して、「江戸時代は、自由な時代だった」とは、
私はぜったいに言わせない。

Kさんが、どんなレポートを書くかは、私は知らない。
しかしそれが、江戸時代を考える、新しいきっかけになればよい。

……私はKさんが数学の問題を解いている間、「幸せな暮らし」と何か、
それを考えていた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 武士 農民 比率 江戸時代)

++++++++++++++++++

前にも取りあげたが、あの信長ですら、
この日本では、英雄(?)になっている。
それについて書いたのが、つぎの原稿。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++++

●「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

 日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たよ
うな言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉
い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
 実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

 もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

 そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●福沢諭吉

 今の今でも、この日本には、封建主義が色濃く残っている。
それに気づくか気づかないかは、ひとえにその人の問題意識ということになる。
教育の場で、それを考えてみたい。

●血統空想

++++++++++++++

「私だけは特別でありたい」という
思いは、だれにでもある。そのひとつ
が、「血統」。

「私の血統は、特別だ」「だから私は
特別な人間」と。

あのジークムント・フロイトは、
そうした心理を、「血統空想」という
言葉を使って説明した。

年齢で言えば、満10歳前後から
始まると考えられている。

しかしそう思うのは、その人の勝手。
それはそれでかまわない。しかし、その
返す刀で、「私以外は、みな、劣って
いる」と考えるのは、まちがっている。
自己中心性の表れそのものとみる。

EQ論(人格完成論)によれば、
自己中心性の強い人は、それだけ
人格の完成度の遅れている人と
いうことになる。

わかりやすい例でいえば、今でも
家系にこだわる人は多い。ことあるご
とに、「私の先祖は、○○藩の家老だ
った」とか何とか言う。

悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。
江戸時代には、「家」が身分であり、
「家」を離れて、個人として生きていく
こと自体、不可能に近かった。

日本人がいまだに、「家」にこだわる
理由は、ここにある。

それはわかるが、それからすでに、
約150年。もうそろそろ日本人も、
そうした亡霊とは縁を切るべきときに
来ているのではないのか。

+++++++++++++++

●人間は平等

 かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)と。

その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持っていないアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。

 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。いわんや明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福沢諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。

 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっている人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。

 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。

 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国には、いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものにこだわるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよい。つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。

(付記)

 この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかという問題に行き着く。

 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉を借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦はこう説いている。

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともとは、「自らに由る」という意味である。

 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだらないこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。

 その一言が、これからの日本を変えていく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 血統空想 封建時代 武士道)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●水戸黄門

 『江戸残酷物語』(双葉社)は、あの水戸黄門についても、触れている。
徳川家康につづく、徳川家光、徳川綱吉、徳川吉宗らが、冷酷無比な暴君であったことは、私も知っていた。
このことは、サダム・フセインの息子たち、あるいはカダフィ大佐の息子たちが、どういう息子たちであったかを知れば、おおよそ類推できる。

 が、水戸黄門……つまり徳川光圀までそうだったということは、知らなかった。
『江戸時代残酷物語』は、つぎのように書いている。

「あの水戸黄門の実像は、血も涙もない冷血漢だった!
 命乞いする罪なきものを斬殺、犬も大量に虐殺した無慈悲な副将軍。
……若いころは狼藉の日々、試し切りで、殺人も経験などなど。

 その徳川光圀にしても、徳川光圀にとって都合の悪い事実は徹底的に抹消され、その一方で、ドラマ「水戸黄門」にみるように、徹底的に美化された。
仮にそうであったとするなら、つまりそれほどまでに正義感にあふれた人物なら、なぜその上の将軍に、その矛先を向けなかったのか。
今の今も、その美化は進行中!

時代はあの徳川綱吉の時代。
「生類憐れみの令」などという、まことにもって異常な法律を制定していた時代である。
犬を蹴飛ばしただけで、死罪。
そういう時代だったからこそ、徳川光圀は、マダマシ?
それが今日見られる「美化」の原点になっているのかもしれない。

●封建時代の清算

 日本人は歴史の中で、一度とて、あの江戸時代を清算していない。
していないばかりか、いまだに美化してやまない。
その一例が、NHKの大河ドラマということになる。
たとえば新撰組。

 あの新撰組のおかげで、京都の町は恐怖のどん底へと叩き落とされた。
『江戸残酷物語』の中にも、こうある(P72)

「……幕末の京は天誅(てんちゅう)の名のもとに、暗殺が横行する無法都市であった。
幕府の治安維持能力は著しく劣化し、もはやあてにならない。
どんな理由で尊王派の標的にされるか知れず、人々は暗殺の恐怖におびえた」と。

 それも時代……という形で、私たちは過去を安易に美化してしまう。
日本人特有の精神構造というか、それがあるから日本人はそのつど、歴史を前進させることができない。

 話は変わるが、私は今回の3・11大震災のあと、つぎのことを知った。
NHKをはじめ、公的な報道機関をはじめ、政府は、「ウソこそ言わないが、しかし本当のことも言わない」と。
が、今は、そういう時代ではない。
インターネットを通し、私たちは生の情報を、瞬時に手に入れることができる。
あの原発事故のあと、女川原発付近で放射線が観測されたときもそうだ。
政府は、「今、ただちに健康に被害が及ぶものではありません」と、今から思うととんでもない情報を流布していた。

 最後に、私がその3月15日(2011)に書いた原稿を添付する。
「洗脳」という言葉を、心のどこかに置き、この原稿を読んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原発事故(日本沈没)(はやし浩司 2011-03-16記)

 恐ろしいことが起きつつある。
政府は、「落ち着いて」とか、「冷静に」とか言っている。
落ち着け?
冷静になれ?
しかし落ち着いているばあいではない。
冷静になれるばあいではない。
アメリカ・ホワイトハウス報道官でさえ、「緊急事態」という言葉を使っている。
「緊急」というのは、「緊急」。
それ以上でも、またそれ以下でもない。

●テレビに釘付け

 テレビに釘付け。
じっと見入る。
襲い来る不安感。
政府の役人や東京電力の職員の一言一句に、何も聞き漏らさないと、神経を集中する。
が、どれもおかしい?
まずあのED官房長官。
役人の書いた作文を読んでいるだけ。
それ以上の知識は、ゼロ。
記者の質問には何一つ、答えられない。
質問されそうになると、「私からは以上です」と言って、逃げてしまう。
答えられないばかりか、今朝は、こんな珍説も。
FD官房長官は、こう言った。
「マスコミの無責任は発言は、国民の不安を増大させるだけ。
謹んでほしい」と。

それに対して、すかさず1人の記者が質問した。
「どこのマスコミか?」と。
が、FD官房長官は、それに対して、タジタジ。
FD官房長官の、その発言こそが、「無責任な発言」ということになる。

 保安院の役人にしても、そうだ。
イチバン最初に登場してきた役人は、「マイクロ・シーベル」の意味すら知らなかった(?)。
記者に質問されると、一瞬、二瞬、戸惑った表情をして見せた後、「あとで報告します」と。
さらにこんなバカげた返答も。

 福島第一原発の北、20キロに、女川原発がある。
そこでは8マイクロ・シーベル・の放射能が検出された(14日)。
それについて、「この放射能は、福島第二原発からのものと思われます。
8マイクロ・シーベルは、まったく心配ない数値です」と。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

 あのね、放射能の濃度というのは、距離の二乗に反比例するの!
仮に20キロとするなら、20000メートル。
20000x20000=400000000=4億!

つまり放射能の発生元の1メートル四方では、その4億倍の放射能が漏れたことになる。
もちろん風向きにもよるが、実際には、それ以上とも考えられる。
たまたま南風に乗って、女川原発に直行したと考える方が、無理。
8マイクロx4億が、どういう数値になるか、自分で計算してみらたよい。

(この計算によれば、発生元では、32億マイクロシーベル、つまり320万ミリ
シーベル。
とんでもない放射能が漏れ出たことになる!)

……と思っていたら、またまた同じ発言。

今度は、福島第二原発から、100キロ離れた、東海村原子炉周辺で、5マイクロ・
シーベルの放射能が検出された。
それについても、同じ意見。

「(福島第二原発から流れてきた放射能と思われるが)、この程度なら、心配ありません」
(NHKテレビのコメンテイター)と。
 今度ほど、私は科学者(?)の脳みそを疑ったことはなかった。

 ド素人の官房長官。
役人根性丸出しの東京電力の社員たち。
深刻さを、あえて覆い隠そうとする科学者たち。
「こんな連中が、日本の安全を担っていたのか」と、私は唖然とした。

 が、不測の事態は、不測の事態を呼ぶ。
人為的ミスが、それに追い討ちをかける。
電源機が燃料切れで、2時間も停止していた。
こうして1号基、3号基、2号基とつづいて爆発。
今は、4号基まで、爆発。

 1号基が爆発したとき、「ほかの原発はだいじょうぶです」と、確か、言っていたぞ!
そのとき2号基、3号基、4号基も併せて、対策を講じていれば、こんな大惨事には
ならなかったはず。
いいか、爆発したこと自体、大惨事!
緊急事態!

 私なら総理大臣なら、半径100キロ以内の人たちに、避難命令を出す。
福島第二原発から東京まで、直線距離にして、170キロ。
東京だって、あぶない。

 が、管総理は、こう言った。
「関係者は、命がけで、懸命な作業をしています」(記憶、3月15日)と。
前回のときは、「東京電力に、任せるしかない」というようなこと言っていた。

 だから、どうなの?
それが、どうしたの?
私には責任逃れの詭弁にしか聞こえなかった。

 こういうときほど、ものごとがすべて裏目、裏目と出る。
まるでドミノ倒しのように、それがつづく。
日本の経済も、大きく揺らいだ。
株価は大暴落。
円は急上昇。
円が急上昇したのは、円キャリーの逆流が始まったため。
このあとやってくるのは、国家破綻(デフォルト)。
ハイパーインフレ。
わかりやすく言えば、札が紙くずと化す。

そこで日銀は、昨日(15日)、15兆円のお金を市中にバラまいた。
日本の心臓に、電気ショックを与えた。
メチャメチャな対策としか言いようがない。
ないが、この際、しかたない。
死ぬか、生きるか?

 私とて、日本人。
福島第一原発が、このまま静かに収まってくれればよい。
心から、そう願う。

 が、このザワザワとした不安感を、払拭することができない。
このままでは、この日本は、本当に沈没してしまう!
2011/03/15

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 さあ、みなさん、勇気を出してあの江戸時代という封建時代を、今、ここで清算しよう。
心の中に潜む、おかしな上下意識、職業意識、身分意識を清算しよう。
でないと、日本人は、いつまでたっても、同じ失敗を繰り返す。
過去を未来にひきずる。

もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価はしなければならない。
その歴史がもつ負の遺産に目を閉じたまま、一方的に、あの時代を美化してはいけない。
(はやし浩司 2011-12-10記)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 封建主義の清算 暗黒 恐怖 恐怖政治 はやし浩司 徳川光圀 水戸黄門 安倍川 由比正雪 はやし浩司 徳川時代 徳川幕府 はやし浩司 3・11大震災 女川 女川原子力発電所 女川発電所)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。