最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●痴ほう症  ●敬語

2009-01-08 21:35:52 | Weblog
●1月8日(2009)

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昨夜から、「科学と哲学」というテーマで
原稿を書き始めた。
しかし数度書きなおして、ボツ。
うまくまとまらなかった。

おかげで、今日は、原稿書きはなし。
気分転換をかねて、ワイフと、
往復8キロの距離を散歩した。

そうそう昨日は、約4キロをランニング。
それが足に、こたえた。
今朝、起きると、下半身が痛んだ。
しかし運動による筋肉痛は、心地よい。
痛いといっても、静かに休んでいれば、
何ともない。

明日も、運動。
10キロは歩くぞ!
明後日から、いよいよ仕事始め!
2009年度も、がんばるぞ!

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●痴呆症模擬体験

数日前から、携帯電話をいじって、遊んでいる。
イーモバイルの(SH11HT)という機種だが、パソコンとほぼ同じ機能がついている。
小さいが、もちろんキーボードつき。
緊急用の携帯電話として使っていたが、これが結構、おもしろい。
で、いくつかおもしろい経験をした。
そのひとつ。
称して「痴呆症模擬体験」。

痴呆症といっても、大きく分けて、(1)アルツハイマー型痴呆症と、(2)脳血管性
痴呆症がある。
アルツハイマー型痴呆症では、脳全体の神経細胞が死滅する。
そのため大脳皮質部が一様に委縮する。
とくにダメージを受けやすいと言われているのが、前頭葉、側頭葉、頭頂葉。
どれも高度な精神機能を司る部位である。
(一方、後頭葉や、運動野、感覚野は、比較的ダメージが少ないと言われている。)

脳血管性痴呆症は、それが起きた場所によって、症状はさまざま。
どちらにせよ、私たちの年代……というより、私には深刻な問題である。
知人や近親者の中にも、そう診断された人が、何人かいる。
そんなこともあって、このところ「アルツハイマー」という言葉を聞いただけで、
ズキンと、心に響く。
そしてそのつど、「私はだいじょうぶか?」と自問する。

で、アルツハイマー型痴呆症の症状としては、記憶力や推理力の減退などがある。
そのほかにも、たとえば手続き記憶の喪失などもある。
以前はできた、簡単な操作ができなくなるなど。
風呂の沸かし方がわからなくなる。
ご飯の炊き方がわからなくなる。
料理の仕方がわからなくなる、など。

しかしそれは、何も痴呆症の人たちだけの問題ではない。
今日、携帯電話をいじっていて、こんなことがあった。
話せば長くなるので割愛するが、要するに、ほんの少し前にできたことが、つぎの
瞬間には、できなくなったりした。
たとえば何かの操作をするとき、(設定)→(システム)→……と進むときがある。
で、そのときはできたのだが、つぎにあちこちをいじっていて、再び、その
操作が必要になったときのこと。

「エ~~、どうだったかな?」と思ったとたん、それがわからなくなってしまった。
それであちこちをタッチペンで、カチカチと叩いていたら、そのうち携帯電話が
フリーズしてしまった。
(携帯電話だって、フリーズすることがあるんだぞ!)

つまり痴呆症の人も、健常な人も(私のことではない。私も、実はあぶない)、
要するにレベルがちがうというだけ。
健常な人から見れば、痴呆症の人がよくわかる。
痴呆症の人を見ながら、「私は健常」と思う。
しかしもっと頭のよい人から見れば、その健常な人だって、痴呆症に見えるはず。

私は軽いパニック状態になってしまった。
「リセットすればいい」ということはわかっていたが、その機種では、リセット
を試したことはない。
「リセットして、今までの設定がすべてパーになったら、どうしよう?」と。

そこでイーモバイル社に電話をすると、「安心してリセットしてください」とのこと。
で、リセットしたあと、またまた悪戦苦闘。
今日になって、何とかほぼすべてをマスターした。
残りは、パソコンとの同期だけ。
しかしこれについては、そこまで必要はないだろう……ということで、今は、
ペンディング。

つまりこうしてアルツハイマー型痴呆症は、進んでいく。
ある日突然、ドカンと痴呆症になるわけではない。
徐々に、少しずつなっていく。
今が、そうかもしれない。
そのうち携帯電話の番号の押し方すら、わからなくなってしまうかもしれない。
さらに自宅の電話番号すら、わからなくなってしまうかもしれない。
さらに数字も読めなくなってしまうかもしれない。

はたして、私は、だいじょうぶか?


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●「大人ドリル」

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コンビニで、「大人ドリル」(so-sbooks)
という本を買ってきた。

最近、この種の本を買うことが多くなった。
その中の問題。

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【問】下の文の中には、敬語の使い方がまちがっているものがあります。
それはどれですか?
正しい言い方になおしましょう。(p88)

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A ご不用になった古新聞
B 社長はただ今、お戻りになりました。
C 社長がおっしゃられました。
D 資料を拝見いたしました。

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日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
上下の身分関係は、とくにうるさい。
そういう歴史的背景もあって、敬語が生まれた。
が、この問題を読んで、ハタと考え込んでしまった。
順に考えてみよう。

A ご不用になった古新聞

だれがだれに対して言っているのか。
第三者が、その人に、たとえば「ご不用になった古新聞をください」と言っているのか。
私だったら、こういうとき、「ご」はつけない。
「不要になった古新聞をください」と言う。
相手が目上の人でも、また目下の人でも、そう言う。
「不用」に「ご」などつけるだろうか?
「お読みになった古新聞」とは言う。
「お捨てになった古新聞」とは言う。
もしそうなら、「ご不用になった古新聞」は、まちがってはいない。
これは一応、「○」かな?

B 社長はただ今、お戻りになりました。

これもだれがだれに対して言っているかによって、ちがうのでは。
同じ会社の中の社員どうしだったら、そのように言うかもしれない。
しかし外部の人に向って、「お戻りになりました」は、おかしい。
外部の人には、「社長が戻ってきました」でよい。
状況はわからないが、まちがってはいない。
だからこれも一応、「○」。

C 社長がおっしゃられました。

これも(B)と同じ。
外部の人に向って、「おっしゃられました」は、おかしい。
あるいは「おっしゃいました」?
「言われました」?
これは「×」だろうな。

D 資料を拝見いたしました。

正しくは、「資料を拝見させていただきました」ではないのか。
「拝見しました」というと、どこか、威張っている感じがする。
こんな言い方をされたら、私だって、「ムッ」とくる。
とくに相手が、私よりはるかに若くて、力のない連中だったら、そうだろう。
しかしまちがっているわけではない。
どこかのエラーい人に、資料を届けたとする。
その人だったら、私に「資料を拝見いたしました」と言うだろう。
だから一応、「○」。

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率直に言って、まだ解答は見ていない。
が、その前に一言。

私は自分の文章を書くとき、敬語は、ほとんど使わない。
相手が天皇でも、「天皇が浜松へ来た」と書く。
だから敬語の使い方が、苦手。
いまだによくわからない。
迷う。

ただ会話では、敬語は使う。
言葉をやわらかくしたり、相手に不快感を与えないために、そうする。
そんなわけで、私は敬語廃止論者の一人と考えてもらってよい。
世界広しといえども、こうした敬語を使っている国は、そうはない。
(ただし敬称は、別。
英語にも「ハイ・エクセランシー」とか「ユア・マジェスティ」とかいう
敬称はある。)

そこで解答を見てみる。
こうある。

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答は「C」だそうだ。
二重敬語は、相手に対して、失礼、と。
正解は、「おっしゃいました」と。

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この種の問題は、大学入試でもよく出てくる。
「まちがってはいない」、だから「正しい」と。
しかし状況によっては、「まちがっている」。
そういうときでも、入試問題のような問題では、一応、「○」とする。

一方、解答を書く受験生もそうである。

テストでよい点を取る秘訣。
それは「正しい答を書こうと思うな。まちがった答を書くな」である。

以前、こんなことがあった。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●要領

 中学三年生のテストに、こんな問題が、出た。英語の質問に、英語で答えるという問題である。ここ五、六年、こうした問題が、急速にふえた。

(1) When is your birthday?(誕生日はいつですか)
(2) What sport do you like?(何のスポーツが好きですか)
(3) Do you like English?(英語が好きですか)
(4) What do you want to do next year?(あなたは来年、何をしたいですか)
(5) Do you come to school on foot or by bus?(あなたは学校へ歩いてきますか、それともバスで来ますか)

 このテストを受けてきた子ども(女子)がこう言った。「何も、書けなかった……」と。「白紙で出したのか?」と聞くと、「そう……」と。

 そこで理由を聞くと、こう言った。「私の誕生日は、二月。フェブルアリィ(二月)という単語を忘れてしまった。スポーツは、バレーボールが好きだけど、バレーボールという単語がわからなかった。英語は、好きなときもあるし、嫌いなときもある。話すのは好きだけど、書くのは嫌い。来年は、これといって、とくにしたことはない。それに私、毎朝、母に学校まで送ってきてもらっている。英語で何と書けばよいか、わからなかった……」と。

 私は、こう言った。

 「二月という単語がわからなければ、五月(May)と書けばよい」
 「バレーボールという単語がわからなければ、テニスと書けばよい」
 「英語が好きかと聞かれれば、はいそうですと書けばよい」
 「来年は、富士山へ登りたいと書けばよい」
 「学校へは歩いてくると、そのまま書けばよい」と。

 だから、答は、(My birthday is May 10th.)(I like tennis.)(Yes, I do.)(I want to
climb Mt. Fuji.)(I come to school on foot.)となる。

 それに対して、その子どもはこう言った。「へえエ~、私、五月生まれじゃ、ない。テニスは好きではない。英語も好きとは言えない。富士山なんか、登りたくない。それに学校へは歩いていかない」と。
 
 そこでさらに私は、こう言った。「あなたの英語の力で、『英語は好きなときもあるし、嫌いなときもある。話すのは好きだけど、書くのは嫌い』とは、書けない。だったら、どうして、Yes, I do.(はい、好きです)と書かないのか。それで丸がもらえる」と。

 「でも、それはウソになるでしょ! ウソは書けない」
 「ウソ? 英語は、バツでなければ、マル。何も、本当のことを書けという問題ではない。すなおに簡単に書いて、マルをもらえばよい」
 「誕生日は、二月で五月ではない」
 「たとえそうでも、そんなこと、学校の先生が、いちいち調べるとでも思っているのか。そんなことはしない。だったら、May(五月)と書いておけばいい。正直に二月と書く必要はない」

 ……と教えながら、当然のことながら、言いようのない矛盾が、私の心をふさいだ。しかししょせん、受験勉強などというのは、そういうもの。またそういうことが平気でできる子どもほど、よい成績をとる。要領といえば、要領。その要領のよい子どもが、有利。もっと言えば、受験指導など、教育ではない。だからそれを教えるのは、教師ではない。先生ではない。ただの指導者。

 しかしこの日本には、歴然とした受験競争がある。また好むと好まざるとにかかわらず、それが人間選別の関門になっている。要領が悪い子どもほど、つまり正直な子どもほど、この受験競争の世界では、不利。もちろんすべてがそうであるとは言えないが、しかしそういう面があることも否定できない。この子どものケースでも、何ともあと味の悪い指導になってしまったが、受験競争には、いつもそういうあと味の悪さがつきまとう。

 その子どもは、それからずっと、顔をふせたまま、何も言わなかった。私も、その子どもの気持ちがわかるので、何も言えなかった。気まずい沈黙だけが、最後までつづいた。
(02-12-8)※

● こうした受験競争をスイスイと通りぬけた人が、結局は、社会のリーダーになっていくというのは、悲劇的ですらある。たとえば高校時代、勉強しかしない、勉強しかできない、どこかおかしな子どもほど、スイスイと受験競争を通りぬけていく。中には、よい点をとるのが、趣味になっているような子どもすらいる。日本では、こういう子どもほど高く評価されるが、本当にそれでよいのか。あなたもそういう視点で、一度、受験勉強そのものをながめてみてはどうだろうか。


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