最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

●雑感・あれこれ

2009-02-15 05:28:58 | Weblog


メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●リバウンド

++++++++++++++++++++++

正月に、ひどい三日酔いをした。
体重が62キロ台まで落ちた。
三日酔いは苦しかったが、そのあと、自分の体が軽くなったのを、感じた。
実感として、それを楽しむことができた。
しかし、だ。
昨日体重計を見て、ギョーッ!
何と、66.5キロ!
4キロもふえてしまった。

ちゃんと運動はしている。
毎日のサイクリングもしている。
加えて、2、3日おきの散歩。
それでも、体重が増加!

いったい、どうなっているのだ、……ということで、
昨日からダイエット(減食)。
しかしこの空腹感は、どうしたらよいのか。
食べ物を見ただけで、ググーッと、食欲がわいてくる。
ドーパミンが線条体を、ガンガンと刺激する。
喫煙者がタバコのにおいをかいだときの反応。
それが、私の脳みその中で起きている。

しかし、ここはがまんのとき。
この誘惑に負けたら、またまた肥満に逆戻り。

(付記)
私の知人に、夕方の散歩だけで、10数キロも減量に成功した人がいる。
毎日1時間前後の散歩だけで、それを達成したという。
しかも3~4か月足らずの間に、である。
が、どう考えても、それはおかしい。
自分で散歩してみて、それがわかった。
散歩だけで、そんなに体重を減らすことはできない。
ワイフは、何かほかに病気があるのではないかと疑っている。
しかしそんなことは口に出せない。
相手の人に、失礼。
私も少なからず、心配しているのだが……。

+++++++++++++++++++++

●加齢臭

私もワイフも、加齢臭なるものを、あたりにまき散らしているはず。
部屋の中も、臭いはず。
しかし自分ではそれがわからない。
(におい)というには、そういうもの。

その加齢臭と闘うためには、つまり他人に不快感を与えないためには、イチに清潔、
ニに清潔。
それしかない。

私も実兄と実母の介護を、自宅でしたことがある。
そのとき、こんな発見をした。
介護というのは、便と加齢臭との闘いである、と。

ある知人も現在、実母の介護で苦労している。
話を聞くと、消臭スプレーを、家中に、10本くらい並べているという。
そのつど、消臭スプレーを、あちこちにまいているという。
「母のパッドや、ときにはお尻に直接かけることもある」と。

実は私にも同じような経験があるので、その話を聞いて、笑った。
しかしこれはそのまま、私たち自身の問題である。

私の実兄も実母も、入浴をいやがった。
寒い冬には、とくにそうだった。
「臭いから……」と言っても、当人たちには、その自覚がない。
自覚がないところが、こわい。
やがて私たち夫婦も、そうなる。

そこで最近、口臭や体臭を測定する器具ができてきた。
薬局などに売っているという話だが、私は見たことがない。
一度、試してみる価値はありそう。

さてさて、今朝も寒い。
寒いが、先ほど、ワイフにこう言った。
「あとで風呂に入ろう」と。
このところ仕事で、帰宅するのがいつも10時前後。
朝風呂に入ることが多くなった。


●ワイフのパーマ

昨日、ワイフが近くの美容院へ行ってきた。
パーマをかけてきた。
このあたりでは、髪の毛が乱れることを、「パーパー」という。
おもしろい言い方と思う。
「髪の毛がパーパーだから、美容院へ行ってくる」というような言い方をする。
で、その美容院から帰ってきた。

ギョーッ!

パーマのかけすぎというよりは、ドライヤーの当てすぎ?
髪の毛がチリジリになって、四方八方へ散っている!
骨だけの大きなちょうちんが、頭に載っているよう。

「何、その頭?」と言うと、ワイフもすでに気がついていたのか、「失敗した……」と。
まるで陰毛のカツラみたい……。

老人の髪の毛はそうでなくても、水分が少ない。
それに強いドライヤーを当てたら、どうなるか?
つまり、ワイフの髪の毛のようになる。

私「あのなあ、パーマ、パーマというけど、それをするのは、50代以上の女性だけだよ」
ワ「……?」
私「今の若い人は、パーマなんか、かけないよ。自然の状態で、うまく髪の毛を
まとめるようにしている」
ワ「……」
私「歳をとったら、髪の毛を大切にしなくちゃあ」と。

ワイフにはワイフの固定観念がある。
美容院では、パーマをかけるものだと思い込んでいる。
結果、あの独特の、バーさんセットができあがる。
バーさん独特の、いかにもパーマをかけましたというセットをいう。
不自然で、ぶかっこう。

「♪パーパー頭が、パーマをかけて、ババーになった」。
私が拍子をつけて言ったら、ワイフが怒った。

「ひどいこと言うわね」と。

今朝の日差しは白い。
ガラス戸の内側にいると、ポカポカと春の陽気。
そういえば、少し花粉症が始まったかな?
今年はあの花粉煎じ茶(杉の実を煎じたお茶)のおかげか、今の
ところ症状は軽い。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●増大する社会不安(Crisis of Thoughts)

++++++++++++++++++

そのうち何らかの統計的数字が示されるのだろうが、
このところ社会不安が増大しているのを、直接、
肌で感ずることができる(2月10日、09)。

国によっては、すでに臨界点に達しているところもある。
ロシアがあぶない。
中国もあぶない。
アメリカもボヤボヤしてきた。
そしてこの日本も……?

しかしこのモロさは、いったい、何なのか?
たった半年、不景気がつづいたというだけで、
世界はガタガタになってしまった。
経済誌を読んでも、「垂直降下」という文字ばかりが目立つ。
つまり世界の経済は、垂直降下している、と。
まさに底なしの様相を見せ始めた。

精神的なモロさというよりは、思想的なモロさ。
それがこの大不況を機に、一気に噴出してきた。
いったい、私たちは、何をしてきたのだ。
豊かな生活の中で、何をしてきたのだ。
ただそれを楽しんできただけなのか?

何というはがゆさ。
何というやるせなさ。

モノの動きが止まったというだけで、どうして
こうまでガタガタになってしまうのか。
私たちには、(思想)という武器があったはず。
しかしその武器が、まったく機能していない。
人間というのは、それほどまでにモロい生き物だったのか。

+++++++++++++++++++

●日本人の老後vs欧米人の老後(How do we live our old Ages?)

++++++++++++++++++++++

日本人は、常に残すことを考える。
欧米人は、常に使うことを考える。
こうした(ちがい)が、明確にわかるように
なるのが、老後。

日本では、腰も曲がり、ヨボヨボになったような
老人が、何千万円も、何億円も金融財産を
もっていたりする。
現金でもっている人も多い。
(それが悪いことだと言ってるのではない。
どうか、誤解のないように。)

一方、欧米人は、必要最小限の生活費を確保した
あとは、使う。
「万が一のため」とか、「いざというときのため」とか、
そういう考え方はしない。
使って、老後の人生を楽しむ。

こうした(ちがい)は、生活のあらゆる場面で見られる。
いわんや「家」の心配など、しない。

少し前だが、フランスに住む友人から、こんな
話を聞いた。
何でもその息子氏(フランス人)が、実の母親から、
実家を買わないかという申し出を受けているという。
わかるかな?

実の母親が、自分の息子に、実家を買わないかと
申し出ているというのだ。

私はその話を聞いたとき、軽いカルチャショックを
受けた。
日本人にはない発想である。
日本人なら、自分が住んでいる実家を、息子に売るような
ことはしない。
が、「実家をあなたに売りたいから、買わないか?」と。

もしそのとき息子氏がそれを断れば、母親は別の人(他人)に、
実家を売ることになる。
売って、そのお金で、母親は自分の生活を楽しむことになる。

+++++++++++++++++++++++

国がちがえば、ものの考え方もちがう。
私たちが常識と思っていることでも、外国では非常識となる。
私たちが非常識と思っていることでも、外国では常識となる。
で、最近だが、私たちの世代を中心に、欧米流の考え方をする人がふえてきた。
「子どもたちに財産を残すくらいなら、自分たちで使ってしまおう」と。
「元気で体が動く間に、そのお金で、余生を楽しもう」と。
実は、私たち夫婦も、そうである。
……というより、これはワイフの考え方。
その考え方に、私もこのところ急速に同調するようになってきた。

「家」意識など、もとからない。
私たちは私たち。
息子たちは息子たち。
いまどき「先祖だの」「子孫だの」と言っている人の、気が知れない。
ホント!

ついでに私の先祖について書く。

私の父方の祖父は、貧しい農家に生まれた。
何番目の子どもだったかは知らないが、祖父は10歳くらいのとき、町へ出て、
鍛冶屋の小僧となった。
それから15、6歳まで働き、さらに2年間、礼奉公というのをして独立した。

鍛冶屋で身を起こしたが、いち早く自転車に目をつけ、それ以後は自転車屋を営んだ。
1度、祖父は、祖父が生まれ育った家を見せるため、私をそこへ連れていってくれた
ことがある。
道路から、(道路といっても、当時は農道だったが)、3~5メートルほど入ったところに、
それはあった。
幅は2間、長さは4間ほどの、土壁むき出しの家だった。
窓はなかったように記憶している。
私が中学生のときのことだった。
私はそのあと、記憶は確かではないが、1週間とか、1か月後ではなかったかと、
思うが、こんどは、ひとりでその家を見に行った。
私はあまりのみすぼらしさに、再度、驚いた。

それだけではないが、そういうこともあって、親類の人たちが、ことあるごとに
「林家」「林家」と、「家(け)」をつけて呼んでいるのを聞くたびに、
大きな違和感を覚えた。

ただ祖父の甥(おい)にあたる人が、そのあと、そのあたりでかなりの財産家に
なったらしい。

立派な家を建て、そこに住んでいる(姉の言葉)。
親類の人たちは、その甥の家を見ながら、祖父の先祖の家と思い込んでいる。
しかし祖父が生まれ育った家は、先に書いたとおりである。

話を戻す。

要するに、「私」を大切にするか、「家」を大切にするか。
それが日本人と欧米人の(ちがい)ではないか。
こと私のオーストラリアの友人たちについて言えば、「家」意識など、もとからない。
おそらく彼らは、日本人がもつ「家」意識そのものを理解できないだろう。
説明するだけ、ムダ。

つまりそのあたりまで掘り起こして考えないと、日本人と欧米人の老後の送り方
の(ちがい)を説明できない。
もちろん宗教観もちがう。
それはあるが、あとはそれぞれ個人の生き方ということになる。
「それでも家は大切」と考える人もいるだろう。
「やはり個人のほうが大切」と考える人もいるだろう。
大切なことは、それぞれの立場の人が、それぞれの立場を尊重すること。

多くのケースでは、保守派の人たちのほうが、力をもっている。
伝統を背中に負っている。
その分だけ、強い。
「昔からこうだ」と言えば、相手を黙らすことができる。
私たちのような改革派を、異端として退けてしまう。
力のバランスにおいては、私たちは弱者でしかない。

そんなわけで、「私は私だア」と叫んだところで、この話は、おしまい。
苦しい戦いは、まだまだつづく。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司

●安土城(Azuchi Castle)

+++++++++++++++++++++

安土城(あづちじょう)といっても、今は三重塔と
二王門をのぞいて、何も残っていない。
天主跡、本丸跡までの山道には、石段が残っているだけ。
そのはずれに、三重塔と二王門がある。
ともに信長が、甲賀から移したものとされる。
「移した」というと聞こえはよいが、本当は略奪したもの(?)。
あるいは戦利品。
しかし行ってみてまず思うのが、「どうしてこんなところに?」と
いう疑問。
が、その謎も、天主跡まで登ってみると、解ける。
天主跡からは、遠く琵琶湖がすっぽりと見える。
入り口でもらった案内書には、こうある。
「現在は四方とも干拓により陸地となっているが、
当時は琵琶湖の内湖に囲まれ、南方のみが開けた地形であった」と。

ナルホド!

「岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった」とも。

さらにナルホド!

それにしても入場料の500円は高い。
「国の特別史跡に指定されている」とのことだが、それが理由で、500円?
400段近い石段を上って、下りるだけ。
随所に、「許可なく~~するな」の看板だけが、やたらと目立つ。
観光客を、もう少し温かく迎えてほしい。

同じ案内書には、こうある。
「石段は急で、危険な箇所があっても、安全策をほどこすことが
できません。史跡内では、各自、自己責任で御入山ください」と。
こういう文章そのものが、実にお役人らしい。
どこかインギン無礼?

+++++++++++++++++++++

●入場料が500円

安土城の最大の特徴は、日本最古の(?)天守閣を備えた山城であったということ。
案内書にも、「……高さ33メートルの木造高層建築は当時、わが国ではじめてのもの
であった」とある。
つづけて「内部は信長公の御用絵師、狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配していた」と
ある。
しかし、ちょっと待てエ!

「わが国はじめてのもの」とあるが、何が、その「もの」なのか?
サラッと読むと、「木造高層建築」ということになる。
そのまま読めば、「日本ではじめての城」ということになる。
それで私は、「日本最古の山城」と書いた。
が、こういう内容は、まず疑ってかかってみたほうがよい。
そこで調べてみると……。

日本最古の山城は、『663年、中大兄皇子(天智天皇)が、唐と新羅の連合軍に敗れたと
き、大宰府を守るために築かれた、朝鮮式山城「大野城」である。 今では国の特別史跡に
指定されている』(福岡県立四王寺県民の森管理事務所・HP)とある。
さらに高層建築物ということになれば、法隆寺の五重塔がある。
時代は同じく6~7世紀までさかのぼる。

となると、「33メートルもある建築物が、わが国はじめて……」ということになる(?)。
案内書にも、こうある。
「……5層7階(地上6階地下1階)」と。
つまりそういう高層建築物としては、「わが国はじめて」ということか。

が、安土城は、信長が本能寺で自刃してからまもなく、「一夜にして焼失、落城した」。
信長が本能寺で自刃したのは、天正10年(1582)の6月2日。
安土城が落城したのは、同じ年の6月15日。
「織田信雄が誤って焼き払ったという説や、敗走する明智光秀軍による放火という説など
が有名」(同、案内書)と。
いろいろと説が交錯しているらしい。

どうであるにせよ、今は、何もない。
ないのに、「わが国はじめて……」は、おかしい。
あまりたとえはよくないかもしれないが、パンを買いに行ったら、「これは日本で
はじめてのパンを包んだ包装紙です」と言って、包装紙を買わせられるようなもの。
あとは頭の中で、勝手に想像しろということか。

だとするなら、やはり500円は高い。
浜松城だって、石段を上り下りするのは、ただ。
城の中へ入るときだけ、料金を取られる。
が、安土城では、いちばんふもとの大手道へ入るときに、500円!
信長にしても、どうせ当時の民衆を虐げて作らせた城ではないか。

どうして500円にこだわるかって?
それには理由があるが、ここには書かない。

(付記)
日本人は、自分の家をもつと、こう言う。
「これは私が建てた家です」と。
私も以前、オーストラリアの友人に手紙でそう書いて、失敗したことがある。
友人は、あわてて手紙をくれた。
「ヒロシは、大工だったのか?」と。

正しくは、「私が買った家」、もしくは「大工さんに建ててもてらった家」である。
同じように、案内書には、「信長公が築城した」などとある。
おそらく信長は、木材一本、削っていないだろう。
が、この日本では、「私が建てた家」という。
このあたりにも、日本人独特の「家」意識が隠されている。
その家意識が、そういう表現の仕方につながっている。

繰り返すが、安土城は信長が建てた城ではない。
信長が命令して、建てさせた城である。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。