最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●有島武郎

2010-03-19 07:34:07 | Weblog
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●有島武郎(ありしま・たけお)

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今では、「有島武郎(ありしまたけお)」という名前を
知っている人も、少ない。
明治11年(1878)生まれ。
明治から大正にかけての文豪で、大正12年(1923)、
45歳の若さで、この世を去っている。

明治41年(1908)に、妻、安子と結婚するが、
その安子は、大正5年(1916)に、他界。
有島武郎自身は、そのあと、7年生き、大正12年(1923)に、
軽井沢の別荘で、『婦人公論』の女性記者と情死している。
「情死」というのは、「心中」のこと。

その有島武郎の代表作である、『カインの末裔』を、久しぶりに
読む。
学生時代、有島武郎の大ファンの友人がいて、彼はそののち、
有島武郎論を、あちこちの同人誌に発表している。
それで私も彼につられる形で、有島武郎に興味をもつようになった。
が、好きか嫌いかと問われれば、好きではない。
回りくどい情景描写が、ときにまだるっこい。
・・・というより、それが有島武郎。
回りの情景描写を積み重ねながら、主人公の「心」を
浮かび上がらせていく。

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●『カインの末裔(まつえい)』

 ストーリーだけを追えば、何でもない作品。
ただ昔読んだときも、それを感じたが、今回も、その謎は解けなかった。
つまり主人公の仁右衛門(小作人)は、場主(地主)を、最後のところで殺害したかどうかとい
うこと。
何度かその部分を読み返してみたが、結局、結論は、「?」。
全体としてみると、「殺害した」ということになるが、その部分は、「・・・のぼせ上がったため
に湯気をださんばかりに赤くなっていた」で終わる。
つづいて、いきなりシーンが変わり、仁右衛門は、そのまま自分の小屋に帰り、そのあと、自分
の馬を斧でたたき殺している。

そのつながりの部分が、実のところ、よくわからない。
題名の『カインの末裔』というところから、つまり「カイン」という名前を使っているところか
ら、それなりのことをしたということになる。
「カイン」というのは、アダムとイブの長男。
弟のアベルに嫉妬して、アベルを殺してしまう。
仁右衛門は、そのカインの末裔というわけである。

 で、こうした作品を読んでいつも感ずることがある。
そのひとつは、日本語が、当時と比べただけでも、大きく変化したということ。
私ですら、「昔の作家は、漢字をよく知っていたなあ」と感心する。
(もっとも私は、子どものころから、漢字が苦手。)

「章魚」と書いて、「たこ」と読む。
「溺(いば)る」というのは、「小便をする」こと。
「鬣」と書いて、「たてがみ」と読む。
「漢字で、『たてがみ』と書け」と言われて、この漢字を書ける人は、まずいない。

 最初の数ページを一読しただけでも、こうした漢字がズラズラと並ぶ。

●有島武郎論

 こうした文豪について、それぞれ研究者や論者がいて、無数の論文を書いている。
北海道のニセコ町には、有島記念館まであるという。
私のような素人が、有島武郎について書いたら、それこそ、八つ裂きにされてしまう。
事実、学生時代、冒頭に書いた友人は、私が何を言っても、「君は、浅い」と怒った。
「有島武郎のような文豪の書いた文章を、君のような男に、理解できるはずもない」と。

 しかしその私も63歳。
有島武郎を死んだときの年齢よりも、約20歳も、長生きをしている。
今さら、有島武郎に遠慮しなければならない理由などない。
人生経験という部分では、有島武郎にひけを取らない。
東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)の教授だったというが、肩書きにビビるような年齢
は、とっくの昔に終わった。

 そういう自分と比較してみて、つまりこの『カインの末裔』が、その後の「農場解放」へとつ
ながっていくという部分をのぞいて、若いころ、あれほどまでに畏れ多く感じた私は何だったの
かと思う。
(だからといって、私のほうが上だとか、有島武郎がつまらないとか言っているのではない。
どうか誤解しないでほしい。)

この『カインの末裔』にしても、どこからともなく仁右衛門という小作人がやってきて、またど
こかへと去っていくというストーリー。
最後は貧富の差に疑問を感じ、「同じ人間ではないか」と、場主(地主)を殺害し、自分たちは
またそのあと、どこかへと去っていく。
『カイン』とか、『末裔』とかいうには、少し無理がある?
私なら、『仁右衛門』という題ををつけ、それですます。

 ……こんなことを書くと、この道の研究家たちによって、袋だたきにあいそうなので、やはり
この話は、ここまで。
久しぶりに、骨太の短編小説を読んだ。
おもしろかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●『恋するベーカリー』

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メリル・ストリープの出る映画は、
『マジソン郡の橋』以来、すべて観ている。
で、昨夜は、『恋するベーカリー』を
観てきた。

星は2つか3つの、★★。

もちろん深夜劇場。
が、入ってみて、驚いた。
観客は、私とワイフの2人だけ!
完全、貸し切り!

久々に、2人で、ああでもない、
こうでもないと、ペチャペチャと
しゃべりながら、映画を観た。

帰ってきて時計を見たら、深夜の
0時を過ぎていた。

今までにたくさんの映画を観てきたが、
観客が、私たち2人だけというのは、
はじめて。
それだけに、今回の映画は、特筆すべき
映画となった。

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●パソコン

 生徒(小4)の母親から、「息子にパソコンを買ってやってほしい」と頼まれている。
そこで選んだのが、TOSHIBAのMX33。
雑誌などでも、評価が高いパソコンである。
標準バッテリーだけで、9時間半も作動する。
私も以前から、ほしかった。

 で、近くの店で買うと、安いところで、7万6000円前後。
駅前のBショップでは、7万9800円。
が、ネットで買うと、4万5000円。
この差額は大きい。
約半額!

 今日、もう一度値段を確認に、その母親に了解してもらったあと、注文を出すつもり。
言い忘れたが、私も買う。
カラバリ(色)は、赤、黒、白の3色。
私は白、その生徒は黒。
楽しみ。

 ところでパソコンというのは、バリバリ使って、使い倒す。
使って使って、使いまくる。
磨いて、飾っておくものではない。
保証期間中に故障が起きたら、即、修理。
どうせ1~2年で、使い物にならなくなる。
(2月23日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●農業とパソコン

はじめて庭先で畑作を始めたころのこと。
私は毎回、自分の人生観が大きく変わって
いくのを感じた。
その第一。
「やるべきことはやって、あとは時の流れを待つ」。

畑作というのは、そういうもの。
土を耕し、肥料を混ぜる。
苗を植えたり、種を蒔いたりする。
棚を作ったり、風よけを立てたりする。
が、すぐに収穫があるわけではない。
あとは(時の流れ)を待つ。

こうした人生観は、それまでの私には、なかった。
魚釣りにたとえるなら、釣り竿をたれてじっと
待つという方法がある。
しかし私は、その「待つ」ということができなかった。
魚を手に入れたかったら、水の中に飛び込んで
いけばよい。
モリで突けばよい。
それが私の人生観の基本だった。

で、今、パソコンを相手に、同じように考える。
たとえばYOUTUBEで、5本のビデオを
アプロードしようとすると、40分前後の
時間がかかる。
何ごとも、瞬時、瞬時に片づいていく世界だが、
時に、こうして(時の流れ)を待つことがある。

ファイルチェックするときも、デバッグするときも
そうだ。
大きなファイルを保存するときも、やはり
時間がかかる。
が、そういうときも、「設定だけをしっかりして、
あとは時の流れを待つ」。

が、最近、もうひとつ、こんなことも考える
ようになった。

たとえば今、私はこうして愚にもならない原稿を
書いている。
こうした原稿が、どこでどうなっていくか、
本当のところ、まったくわからない。
一生懸命書いたからといって、読者の人たちに
受け入れられるというわけではない。
軽い気持ちで書いた文章だからといって、
そのまま消えるわけではない。
そういう意味では、まったく予想が立たない。

が、そういうときも、こう考える。
「あとは、時の流れに任せればいい」と。
それはまさに、畑作の世界。
やるべきことはやって、あとは時の流れを待つ。
どんな花が咲き、実がなるかは、そのときに
なってみないとわからない。
あるいは風雪に耐えられず、そのまま枯れて
しまうかもしれない。

そういう意味で、農業とパソコンの世界は、
よく似ている。
今朝は、そんなことを、いちばんに考えた。

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