最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●バケツの底の穴(1)

2009-06-18 09:28:05 | Weblog
【バケツの底の穴】



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フロッピーディスクを整理していたら、

こんな相談が出てきた。



そのときは相談してきた方の立場になって、

それなりに返事を書いたつもりでいる。



しかし、記憶というのは、いいかげんな

もの。「そういうことがあったな」という

程度には、思い出せるが、そこまで。

もし偶然であるにせよ、その相談を見ることが

なかったら、私は、そんな相談があった

ことすら、思い出すこともなかっただろう。



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 何枚かのフロッピーディスクを、整理していたら、こんな相談が出てきた。パソコンからパソコ
ンへの原稿の移動には、私は今でも、フロッピーディスクを使っている。



 まず、そのときの相談を、そのままここに転載する。当時、相談をしてきた方から、転載許可
をもらった記憶だけは残っている。



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【YDより、はやし浩司へ】



以前にもご相談させていただきましたYDです。 今回は私と実父とのことで、ご相談お願いし
たいと思いました。 



18歳のときに、私は、今の主人とつきあい始めました。そのときは、私が進路未定の状態だっ
たので、私たちの交際は、猛反対されました。 



幼稚だった私は当時、交際を隠し続けていたのですが、結局、親が知るところとなり、私は家
を飛び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体の不調が
始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしまし
た。(主治医の先生によると「おびえ」という症状との見解でした。)



実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎたころ、実母が亡くなり、家の敷居をまた
ぐになりましたが、実父との関係は、今でも修復されないままでいます。



母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちを、私には話せるようで、愚痴聞き役のような感じ
でした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。しかし私の話より、
自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思います。そのせいか、
私は心のどこかで、父を軽蔑していると自分では思っています。

 

母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力実家に
は近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと(私を)大事にしてくれ」と訴
えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引き付きあうところが有り、自分と合
わない人間とは付きあわないところがあります。主人の気持ちも考えると、どちらにも強く言え
ないでいます。 



 このお正月に母のお墓参りに行きましたが、場所が北海道と遠いこともあり、また車で行くと
いうこともあり、雪も降ったあとだったので、詳しい日程が立てられないまま行きました。



 結局、予定より2日も余裕ができたので、叔父達に会いに行くことができましたが、事前に詳
しく連絡を入れていなかったことで、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりました。



父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月という
時期だから、余計に考えるべきだった。自分(父)が何も知らないで勝手に決めすぎだ」と言わ
れましたが、今回は行き当たりばったりで、皆に迷惑をかけたのは確かだと、自分では思って
います。 



 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言われた
くないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまった結果だと、
自分では思っています。 



 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行動す
べきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格を考える
と、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーションを取れるよ
うにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。



 また、私たち家族が出向くことによって父が、叔父達に「よろしくお願いします」「お世話になり
ました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にその必要があるの
なら父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会を見ないまま家庭に入っ
た身として常識に欠けているのか判断ができずにいます。まず何から改善すべきか見出せな
い現状です。



 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか? 聞かせていただ
けるととても嬉しいです。



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 今回は、この相談について考えるのが目的ではない。私自身の記憶についてである。冒頭に
も書いたように、この相談を見つけたのは、偶然である。フロッピーディスクを整理していたら、
この相談が出てきた。



 ここで相談してきた人を「YDさん」としたが、もちろん仮名である。こうした記録を残すときに
は、名前はもちろん、住所、さらには、その人自身とわかるような部分については、すべて書き
改めるようにしている。



 だから今となってみると、YDさんといっても、どこのだれだか、わからない。文面に、「以前に
も……」とあるから、当時は、何度もメールをやり取りした人のようである。しかしどうしても、思
い出せない。なぜだろうと思う前に、自分で自分を信じられなくなってしまう。はっきり言えば、
自分がこわい。



 わかりやすく言えば、私の脳みその底に穴があいているような感じがする。記憶そのもの
が、その穴から、どんどんとどこかへ漏れていく。記憶だけではなく、知識もそうだ。とくに新し
い記憶や知識ほどそうではないか。



 発達心理学の世界では、(本当は「老化心理学」と呼ぶべきかもしれないが)、満55歳前後
を境として、人は、急速に回顧主義を傾くことが知られている。未来を展望するより、過去を回
顧することのほうが、多くなるというわけである。



 しかし実際にはそうではなくて、その年齢ごろになると、新しい記憶や知識ほど、どんどんと
忘れてしまい、その結果として、古い記憶や知識だけが脳みその中に残るからではないのか。
つまり加齢とともに、古い記憶や知識だけが、ますますクローズアップされるようになる。回顧
主義に陥るのは、あくまでも、その結果ということになる。



 もし私が、YDさんからの相談を、20代のころ受けていたとするなら、私は、折につけ、YDさ
んの相談を思い出していたかもしれない。しかしその相談を受けたのは、50代の今。だから記
憶に残ることもなく、そのまま忘れてしまった。



 回りくどい言い方になってしまったが、今回のこの事実は、私に重要な教訓を与えた。要する
に、(バケツの底の穴)ということになるが、その(穴)があることを知っているのと、知らないで
いるのとでは、老後の生きザマに大きな差が出てくる。



 つまりそういう(穴)があることを知り、穴から漏れ出る以上に、記憶や知識を、脳みその中に
注入していかねばならない。そういう作業を怠ると、やがて頭の中はカラッポになるばかりでは
なく、先にも書いたように回顧主義ばかりが強くなってしまう。それこそ毎日、仏壇の金具を磨
きながら日々を過ごすような、そんな生き方になってしまう。



 ……といっても、50歳を過ぎてから、新しいことを始めるというのも、勇気のいることである。
60歳を過ぎれば、なおさらである。どうしてもものの考え方が、保守的になり、後退的になる。
しかしなぜ人はそうなるかといえば、ここに書いた、(バケツの底の穴)で、説明がつく。



 記憶そのものが、残らない。残っても、すぐどこかへ消えてしまう。知識も、そうだ。だからこ
そ、人も50代、60代になったら、それまで以上に、新しい経験をし、知識を補充していかねば
ならない。(バケツの底の穴)が防ぎようのないものであるとするなら、そこから漏れ出る以上
のものを、補ってやる。それしかない。



 今回、YDさんからの相談を読んで、別の心で、その思いを強くした。



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当時のことを思い出すために、

YDさんからの相談を、自分の

原稿集の中で、検索してみた。



で、さらに驚いたことに、この相談を

もらったのは、(06年 FEB)とある。



つまり今年の2月!



私はたった9か月前のことすら、

もう忘れてしまおうとしている!



ついでにそのときYDさんに書いた

返事を、そのままここに載せる。



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●「家族」とは何か?



 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しかし一度、
歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることがある。ふつうの苦
しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。



 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我群」と
呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に近い部分に
まで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易なことではない。



 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛される。
「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景となって生まれ
る。



 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、親
子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生まれた
が、親を絶対視する子どもは、少なくない。



が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私は「悪玉
親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い人ということにな
る。こういう人は、「親に向かって、何てことを言うのだ!」「恩知らず!」「産んでやったではな
いか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやったではないか!」というような言葉
を、よく口にする。



 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、上下
意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」というのも、
それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはずの、親類の人た
ちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。



 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」を口に
する人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもない。観念的な
(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。



 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は家族
がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、良好な人
間関係を保っているばあいのみ、という条件である。



 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その人を苦
しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自らに「親捨て」と
いうレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。



 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のばあい、
鳥類とは違い、生後、0か月から、7~8か月くらいの期間を経て、この刷りこみがなされるとい
う。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。



 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、まず、自
分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でもない。もちろん
あなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、(刷りこみ)という作
用によるものだということを知る。



 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それをコントロ
ールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深い底から、あ
なたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思っていても、そう思うのは、
あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。



 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人と同棲
を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書いている。ま
た実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。

 

 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強烈なものである。



 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、安穏
に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につきあって生
きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここでは考えない。



 (2)の方法を、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみの原因
が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずかしくはない。
文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく言えば、得体の知れな
い、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。



 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけだが、
それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分自身が、だれか
に依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存性の原因としては、Y
Dさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではないか(?)。



 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立していれ
ば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「おまえはダメな子」
式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつづけてきたように思う。



 そのことにYDさん自身が気がつけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決すると思わ
れる。



 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘れたほう
がよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではない。いわんや、郷
里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについてたとえYDさんの父親
が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。それこそまさに、悪玉親意
識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親のほうこそ、幼稚と言うべきであ
る。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付しておく。



【YDさんへ……】



 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。



 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求めてく
るまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのないことです。また
どうにもなりません。



 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケラと笑っ
てすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。



 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっている
と、前に進めなくなります。



 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいはその原因と
なっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天上高くいる神なら、
そう考えると思いますよ。



 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あなたの父
親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。だから、あな
たの父親は、親失格ということになるのです。



 そんな父親に義理立てすることはないですよ。



 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あなたの夫の
ところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。あなたの夫が、
「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいのです。



 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。



 では、今日は、これで失礼します。



 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに返事を書
いておきます。お許しください。





【YDさんより、はやし浩司へ】



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