最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●希望と落胆と(2)

2009-06-18 09:29:04 | Weblog




 N君(小五)という、静かでおとなしい子どもがいた。従順で、これといって問題はなかった。し
かし私はある日、彼のノートを見て、びっくりした。そこには、首のない人間や、血だらけになっ
てもがき苦しむ顔、ドクロなどが描かれていた。原因は、父親の神経質な過関心だった。



 言いたいことを言う。思ったことを言う。それができるから、家庭という。あの『クレヨンしんち
ゃん』の中にも、母親のみさえが、義理の父親に向かって、こう怒鳴るシーンがある(V16)。
「ひからびた、ゆで玉子頭」と。そういうことが自由に言いあえる家庭というのは、それだけで
も、すばらしい家庭(?)ということになる。



 私も、よく生徒に、「クソじじい」と言われる。そこである日、こう教えてやった。



私「もっと悪い言葉を教えてやろうか」

子「うん、教えて、教えて」

私「でも、お父さんや、校長先生に言ってはだめだよ。約束するか?」

子「するする…」

私「ビ・ダ・ン・シ(美男子)」と。

 それからというもの、私のニックネームは、美男子になった。生徒たちは私を見ると、うれしそ
うに、「美男子! 美男子!」と。私は一応、怒ったフリをするが、内心では笑っている。

 



(7)親のトラブル



Q このところ親どうしのトラブルが原因で、憂うつでなりません。言った、言わないが、こじれ
て、抜きさしならない状態になっています。



A 親どうしのつきあいは、如水淡交。水のように、淡く、無理なくつきあうのがよい。つきあうと
しても、できるだけ学校の行事の範囲にとどめ、個人的な交際は、必要最低限にとどめる。ほ
かの世界と違って、間に子どもがいるため、一度こじれると、この種の問題は、とことんこじれ
る。親によっては、たいへん神経質な人がいる。神経質になるのが悪いというのではない。そ
れは子育てにまつわる宿命のようなもの。人間にかぎらず、どんな動物でも、子育をしている
間は、たいへん神経質になる。そこでこうしたトラブルを避けるために、いくつかの原則があ
る。



 (1)子どもの前では、学校や先生の批判はもちろんのこと、ほかの親の批判は、タブー。子
どもが先生の悪口を言っても、「あなたのほうが悪い」「そんなことは言ってはいけない」と、たし
なめる。相づちを打ってもいけない。相づちを打てば、今度はあなたが言った言葉として、広ま
ってしまう。それだけではない。子どもは、先生の指示に従わなくなってしまう。そうなれば教育
そのものが成りたたなくなってしまう。



 つぎに(2)子どもどうしの間でトラブルが起き、先生に相談するときも、問題だけを先生に話
し、あとの判断は、先生に任せる。相手の親や子どもの名前は、できるだけ出してはいけな
い。先生は、教育のドクター。判断するのは、あくまでも先生。それともあなたは病院へ行っ
て、自分で診断名をつけたり、治療法を決めたりするとでもいうのだろうか。



 また(3)子どもどうしのトラブルがこじれたときには、まず、あなたのほうから頭をさげる。こ
の世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。先にも書いたように、間に子どもがいるこ
とを忘れてはいけない。大切なことは、子どもが気持ちよく学校へ通えること。またそういう状
態を、用意してあげること。だから負けるが、勝ち。あなたが先に「すみません」と頭をさげれ
ば、相手も、「いいんです。うちも悪いから…」となる。そういう謙虚な姿勢が、子どもの世界を
明るくする。



 が、それでもこじれたら…。先生に問題の所在だけを告げ、一度、引きさがる。これを「穴に
こもる」という。穴にこもって、時間が解決してくれるのを待つ。そしてその間、あなたはあなた
で、子どものことは忘れ、したいことをすればよい。



 ふつう、それほど深刻な問題でないときは、一にがまん、二にがまん、三、四がなくて、ほか
の親に相談と決めておく。ほかの親というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親のことをいう。
そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」というような話で、たいていの問題
は解決する。





(8)帰宅拒否



Q 学校からってくるとき、道草をくってばかりいます。家の中でも、どこか憂うつそうで、あいさ
つをしても返事をしません。(小五男)



A 疑うべきは、帰宅拒否。家庭が、家庭としての機能、つまり体を休め、心をいやすという機
能を果たしていないことを疑う。そこでテスト。



 あなたの子どもは、学校から帰ってきたとき、どこでどのようにして、心や体を休めているだ
ろうか。あなたのいる前で、平然として、休めていれば、よし。しかしあなたの姿を見ると、どこ
かへ逃げていくとか、好んでひとりになりたがるというようであれば、まず家庭のあり方を反省
する。その一つ、『逃げ場を大切に』。



どんな動物にも、最後の逃げ場がある。子どももしかり。子どもは、その逃げ場に入ることによ
り、体を休め、心をいやす。たいていは自分の部屋ということになるが、その逃げ場を親が平
気で荒らすようになると、子どもは、別の場所に逃げ場を求めるようになる。トイレの中や犬小
屋、近くの電話ボックスの中に逃げた子どもなどがいた。さらにこじれると、家出ということにな
る。



 子どもが逃げ場へ入ったら、追いかけて説教したり、叱ったりしてはいけない。いわんや部屋
の中や、机の中を調べてはいけない。コツは、逃げ場から子どもが出てくるまで、ただひたすら
根気よく待つこと。



これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは反対の立
場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとする。そのときあ
なたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あなたはそれに耐えられる
だろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをいう。秘密をつくるとかつくらないとか
いう次元の話ではない。子どもの人格を尊重するためにも、また子どもの中に、「私は私」とい
う考え方を育てるためにも、子どもの逃げ場は神聖不可侵の場所と心得る。



 また子どもに何か問題が起きると、「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちがいじめた」と騒ぐ
人がいる。そういうこともたしかにあるが、しかし家庭が家庭としての機能を果たしていれば、
問題は問題となる前に解決するはず。そのためにも、ここでいう家庭の機能を大切にする。



 子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむ。「絶対的」というのは、疑い
をいだかないという意味。その家庭がぐらつくと、子どもは心のより所をなくし、情緒が不安定
になる。攻撃的になったり、理由もなく、ぐずったりする。ものに固着することもある。神経症に
よる症状(腹痛、頭痛、チック、吃音、爪かみ、髪いじり)を伴うことが多い。ある女の子(小一)
は、鉛筆のハシをいつもかじっていた。





(9)父親の無関心



Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にのしかか
ってきます。



A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうではな
い。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だったかもしれ
ない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。ある女の子(小五)は母親に、こう言った。「どう
してあんなパパと、結婚したの。もっといい男の人と結婚すればよかったのに!」と。理屈で考
えれば、母親が別の男性と結婚していたら、その子どもは存在していなかったことになるのだ
が…。



 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方をす
る。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親のヨセフ
は、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?



 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、そ
の一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約三〇%の夫は、家事をほとんどして
いない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。



 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親にしても
らう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」と。決して男尊
女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親なら、私はその反対
のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬しあうことをいう。まちがっ
ても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とくに子どもの前では、してはいけない。



 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、母親
の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女性(三二歳)
は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑していた。原因は、
その女性の母親にあった。



 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父親は、
まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親を、「甲斐性
(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?



 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過渡期
にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約三〇%の若い夫は、育児はもちろん、炊
事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。



 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を張って
いる。あせらず、じっくりと構えること。





(10)友だちの問題



Q このところ、うちの子が、よくない友だちと交際を始めています。交際をやめさせたいのです
が、どう接したら、いいでしょうか?(小六男)



A イギリスの教育格言に、『友を責めるな、行為を責めよ』というのがある。これは子どもが、
よくない友だちとつきあい始めても、相手の子どもを責めてはいけない。責めるとしても、行為
のどこがどう悪いかにとどめるという意味。コツは、「○○君は、悪い子。遊んではダメ」など
と、相手の名前を出さないこと。言うとしても、「乱暴な言葉を使うのは悪いこと」「夜、騒ぐと近
所の人が迷惑をする」と、行為だけにとどめる。そして子ども自身が、自分で考えて判断し、そ
の子どもから遠ざかるようにしむける。



 こういうケースで、友を責めると、子どもに「親を取るか、友を取るか」の二者択一を迫ること
になる。そのとき子どもがあなたを取れば、それでよし。そうでなければ、あなたとの間に、深
刻なキレツを入れることになる。さらに友というのは、子どもの人格そのもの。友を否定すると
いうことは、子どもの人格を否定することになる。



 またこういうケースでは、親は、そのときのその状態が最悪と思うかもしれないが、あつかい
方をまちがえると、子どもは、「まだ以前のほうが、症状が軽かった…」ということを繰り返しな
がら、さらに二番底、三番底へと落ちていく。よくあるケースは、(門限を破る)→(親に叱られ
る)→(外泊するようになる)→(また親に叱られる)→(家出する)→(さらに親に叱られる)→
(集団非行)と。



が、それでもうまくいかなかったら…。そういうときは、思いきって引いてみる。相手の子ども
を、ほめてみる。「あの○○君、おもしろい子ね。好きよ。今度、このお菓子、もっていってあげ
てね」と。



 あなたの言ったことは、あなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。それを耳にし
たとき、相手の子どもは、あなたの期待に答えようと、よい子を演ずるようになる。相手の子ど
もを、いわば遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも、高等技術に属する。あとはそれ
をうまく利用しながら、あなたの子どもを導く。



 なおこれはあくまでも一般論だが、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経
験した子どもほど、おとなになってから常識豊かな人間になることがわかっている。むしろこの
時期、無菌状態のまま、よい子(?)で育った子どもほど、あとあと、おとなになってから問題を
起こすことが多い。だから、親としてはつらいところかもしれないが、言うべきことは言いながら
も、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、様子をみる。あせりは禁物。短気を起こ
して、子どもを叱ったり、おどしたりすればするほど、子どもは、二番底、三番底へと落ちてい
く。

 

 

(11)子育ての指針



Q 子育ての情報が多すぎて、どう子育てをしたらいいか、わかりません。指針のようなものは
ありませんか。



A 子育てには、四つの方向性がある。まず未来を見る。子どもに子ども(あなたからみれば
孫)の育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、子どもを育て
るのですよ」「こういうふうに、子どもを叱るのですよ」と。見せるだけでは足りない。幸せな家庭
というのは、どういうものか、夫婦というのは、どういうものか、それを子どもの体にしみこませ
ておく。



 つぎに自分の過去をみる。もしあなたが心豊かで、満ち足りた幼児期、少年少女期をすごし
ているのなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの性格は、どこかがゆがんでいるとみ
る。ひがみやすい、嫉妬しやすい、いじけやすい、意地が悪い、冷たいなど。そういうゆがみを
知るために、自分の過去を冷静に見る。そしてよい面は、子どもに伝え、そうでない面は、あな
たの代で切る。子どもの代には、伝えない。



 三つ目は、あなたの子育てを、できるだけ高い視点から見る。最初は、近所の人や親類の人
の子育てと比較してみるのもよい。そしてそれができるようになったら、世界の子育てと、自分
の子育てを比較してみる。「日本の子育ては…」と考える。その視点は高ければ高いほどよ
い。まずいのは、小さなカラにこもり、その中で、独善と独断で、ものの考え方を先鋭化するこ
と。これをカプセル化と呼ぶ人もいる。親は、一度このカプセルの中に入ると、何をするにも、
極端になりやすい。



 最後に、あなたの心の中をのぞいてみる。子育ては、ただの子育てではない。たとえばある
母親は、自分の子どもが生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなってもいい。私の命と交
換に、うちの子の命を助けて」と願ったという。こういう自分の命すら惜しくないという、まさに至
上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。



 それだけではない。あなたは家庭という小さな世界であるにせよ、子どもに対して、神の愛
や、仏の慈悲を、そこで実践できる。それはまさに崇高な世界といってもよい。子どもの問題を
ひとつずつ克服しながら、神々しいほどまでに、すばらしい人になった母親は、いくらでもいる。



 こうして自分の子育てを、いつも四つの方向から見るようにする。未来を見て、過去を見る。
上から見て、心の中を見る。



 最後に、親が子どもを育てるのではない。親は子育てをしながら、幾多の山を越え、谷を越
える。そういう苦労を繰りかえすうちに、ちょうど稲穂が実り、頭をたれるように、姿勢が低くな
り、人間的な丸みや深みができてくる。つまり親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育
てる。それに気づけば、あなたは子育てのプロ。もう道に迷うことはない。




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