最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●しつけ

2007-11-21 10:18:02 | Weblog
●しつけは普遍

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子どもにとって、しつけとは?

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 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、その人の人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。たとえばTさん(70歳女性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしくなってきた。

近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまうのだ。人はそれを、Tさんが老人になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグセは、Tさんが2。30歳のときからあった。

ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの気力があった。しかし70歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。

子どもが中学生になるころには、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというのは、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわかる。してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。

しかししてはいけないことをしたときには、どこか不快感が心に充満する。そういう常識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「しつけは普遍」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 しつけ 子どものしつけ)



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