最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●ベンチャー企業

2007-12-02 10:20:14 | Weblog
●ベンチャー企業

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オーストラリアへ行ってみて、
まず驚くのが、個人企業が多いこと。

「電話1本と、車1台あれば、仕事ができる」
というのが、オーストラリアの現状である。

「排水口のつまりをなおします」
「庭の芝生を刈ります」
「屋根の修理をします」と。

そういう看板を描いた車を、1ブロック
走るごとに、1~2台は、かならず見かける。

問題もないわけではない。

「そのため組織的な大企業が育たない」(M大
某教授)とも。

一方、この日本では、事情が逆転する。

集団依存性が強く、個人企業を、むしろ
嫌う傾向が強い。「嫌う」というより、
「忌み嫌う」。「軽蔑する」。

少し前、ある女性(S新聞社記者)が、
私にこう言った。

「林さん、あなたのような人が成功する
のは、困るのですよ。あなたのような
人が成功すると、会社にいる人たちは、みな、
自己否定しなければなりませんから」と。

つまり組織にいる人たちは、私のような
立場の人間がそのつど失敗するのを
見届けながら、「やはり、俺たちの
選択は正しかったと思いなおすのだ」と
いう。

だから……。「日本では、ベンチャー企業は
育たない」という。

個人が個人でプレーするのを許さない。そればかりか、
そういう個人を、みなで、寄ってたかって、
たたきつぶそうとする。

ひょっとしたら、あなたにもそういう意識が
あるかもしれない。

「企業に属している人間は、信用できる」
「個人プレーで仕事している人間は、
信用できない」と。

しかしそれこそまさに、明治以来、国策として
作られた意識。けっして、世界の常識ではない。

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 映画『ロッキー・ザ・ファイナル』の中に、こんなシーンがある。息子が働く会社を、ロッキーが訪れる。そのときのこと。会話の内容は忘れたが、ロッキーは、息子にこんなようなことを言う。

 「こんな世界に埋もれるな」と。

 超近代的なオフィスビルで働く、自分の息子に、である。日本的に考えれば、まさに「出世組」(この言葉は、ほんとうに、いやな言葉だが)ということになる。

 一方、ロッキーは、レストランの経営をしながら、チャンピオン・ボクサーとの対決を画策する。

 ……と書くと、「それは映画の中の話」と思う人も多いかと思う。しかし日本を離れた世界では、ロッキーのような生き方、考え方のほうが標準と思ってよい。日本的な会社人間など、どこをさがしても、まず、い・な・い。

 つい先日も、こんなことがあった。

 私のオーストラリアの友人の娘が、相手の男との婚約を破棄した。相手の男というのは、資源開発会社に勤める男性である。いわば、オーストラリアでは珍しい、大企業の社員ということになる。

 その理由が、おもしろい。いわく、「週に3、4日は、現地へ行っている。土日には、フットボールばかりしているから」と。つまり「私との時間を作ってくれないから」と。

 日本の女性なら、より大きな企業に勤める男性を、結婚相手に選ぶだろう。またそのほうが、安心と考える。が、こうした意識は、オーストラリアでは理解されない。その理由を書き始めたら、キリがなくなるので、この話は、ここまでにしておく。が、これだけは言える。

 失敗しても、(失敗する確率のほうが高いが)、自分の人生は、自分で生きる。そのほうが、「生きた」という実感が、ともなう。「やりとげた」という達成感を、自分のものにすることができる。

 ……と書きながらも、ここにも書いたように、「この日本では、失敗する確率のほうが高い」。しかしこういう日本のほうが、おかしい。まちがっている。日本人の私たちがまず、それに気づき、これから先、それを是正していかねばならない。

 話をもとにもどすが、「日本ではベンチャー企業が育たない」とは、よく言われる。その原因は、日本人の意識そのものにあると考えてよい。



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