最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●教育の自由化(3)

2009-02-26 10:25:24 | Weblog



●日本の常識は世界の非常識



★学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が
教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州
政府が家庭教師を派遣してくれる。



日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合で
ふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。



それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開い
たり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、
こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。



★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位
(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。



そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは
学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二〇〇一年
調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日
本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職
するまで、最長二七歳まで支払われる。



 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対
する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をも
つが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。



そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が
先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文
化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話を
します。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。



★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中

高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚い
た。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、は
さんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に
話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアで
はどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。



 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子ども
は、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクー
ルには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行
き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。



●そこはまさに『マトリックス』の世界



 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。



その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私
はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰してい
る。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世
界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかない
まま、仮想の価値に振り回されている……。



●解放感は最高!



 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。



※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後
三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めるこ
とができる。



●「自由に学ぶ」



「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を
引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。



 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。



 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。



いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。



 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は
むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所シス
テムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべき
ではないのか」と(以上、要約)。



 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生で
は、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。

 

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 制度を変えるためには、意識を変えなければならない。ところが教育というのは、なかんずく
教育観というのは、親から子へと、代々と引き継がれるという要素が強い。そこでその意識を
変えるためには、その意識を見直すという作業が必要となる。



 そのもっとも簡単な方法は、日本という国を、一度、外からながめてみること。すると、そのお
かしさが、よくわかる。



 フィンランドの教育法にも、いろいろな問題点があると聞いている。しかし教育の自由かは、
もう世界の流れ。この(流れ)を止めることは、だれにもできない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育の自由化 自由化 自由な
教育 フィンランド 教育自由化論)





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(付記)



●世界の子どもたちの学力(learning Ability of the youth of the wrorld)



(読解力)(Reading Ability)



1位  韓国(Korea)

2位  フィンランド(Finland)

3位  香港(Hong-Kong)

……

15位 日本(Japan)



(数学的応用力)(Math Application)



1位  台湾(Twaiwan)

2位  フィンランド(Finland)

3位  香港(Hong-Kong)

……

10位 日本



(科学的応用力)(Science Application)



1位  フィンランド(Finland)

2位  香港(Hong-Kong)

3位  カナダ(Canada)

……

6位  日本(Japan)



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 この結果を、小学5年生の子どもたち(6人)に話してみた。子どもたちは、読書について話し
始めた。



I talked about this result to some six kids of Grade 5th of school. They started talking about
themselves.



 驚いたことに、その中の2人が、1年に、300冊近くも本を読んでいることを知った。300冊と
いえば、1日に、ほぼ1冊ということになる。



With my surprise I know two of them are reading 300 books per year. Almost one book a day!



 「どうしてそんなにたくさん読むの?」と聞いたら、「学校で、読書競争があるから」と。中に1
人、親から、読書時間を制限されている子どもがいることもわかった。その子どもは、1日に、
1時間までと決められているそうだ。



I asked them why you read so many books a year and one of them told me that there is a
class-competition of reading. Moreover I was surprised to know that one of them is limitied
to read books less than an hour a day!



 読書は、あらゆる学力の基本である。社会科にしても、理科にしても、読書が基本。とくに小
学生のばあい、社会科は、社会科的な国語、理科は、理科的な国語と理解するとよい。



Reading is essential and we say in Japanese "reading is the pillar of education". As for
socioloy and scienace, they are only parts of reading.



 が、それだけではない。



But it is not all.



 読書を日常的にしている子どもには、ある種、独特の(深み)がある。沈思黙考タイプという
か、目つきが、いつも静かに落ち着いている。理知的というか、じっと周囲の様子を観察してい
るといった雰囲気がある。



Those kids who read books in their daily life look different from those who do not. Those kids
who read more books have a kind of a very special mood and they give us an impression of
deep-thinking. They are more logical and even when we do our conversation, they always
try to observe things around them.



 読書がいかに大切かは、今さら言うまでもない。欧米では、読書(reading)を、教育の柱にし
ている。学校教育は、読書に始まり、読書に終わると言っても過言ではない。



It is no use to say that reading is so important. In western world, reading is one of the most
important subject to learn. School education starts from reading and it is everything.



 一方、読書をまったくと言ってよいほど、しない子どももいる。このタイプの子どもは、どこか、
軽い。中身がない。バラエティ番組の中のタレント風といった感じ。ものの考え方が、表面的。
直感的。よくしゃべる。小学5、6年生になると、その差がはっきりとしてくる。



On the contrary there are some who do not read books at all. This type of kids also have a
kind of special mood. They are "light" in thinking and we feel no deepness in their thoughts
just like TV talents of cheap varaiety programs. They talk a lot. The difference comes clear
when they are about the age of thre grade 5th.



 さらに日常的に作文をしている子どもは、ものの考え方が論理的。言葉の使い方そのもの
が、ちがう。読書、作文は、子どもの教育の(要=かなめ)と考える。



And also there are some who write things in their daily life. They are more logical and when
they talk they use more proper words to express themselves. Reading and writing are the "
pillar" of education, I am quite sure.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist reading writing learning ability
of the Japanese students)




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