昭和60年の日航機墜落事故から30年目となる8月12日・・・この様なナレ―ジョンがテレビから流れて来て、
早いものだなーっと思いました。
多くの方がお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
当時、事故が起きるちょうど一週間前に非常に鮮明な夢を見ました。
「私の家は、夢の中ではコンクリート作りの三階建ての建物で、その屋上で私は洗濯物を干しています。
白いシーツがはためき、空は青空で夏の日がサンサンと照らしています。
私が空を見上げると富士山の方に頭をヤヤ上向きにした飛行機が飛んでいます。後ろの高い羽根が有りません。
なぜか私は1・2・3・1・2・3」と夢の中で繰り返し、繰り返す声で眠りからさめました。
当時は仕事が忙しく、実際に事故が起きても「きっとご遺族が見るはずの予知夢を、たまたま私が受信してしまったのだ」と思っていました。
それから1年後、たまたま知り合いになった大阪の女の子がお父様を御巣鷹山の日航機事故で亡くされている事を知りました。
早いものだなーっと思いました。
多くの方がお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
当時、事故が起きるちょうど一週間前に非常に鮮明な夢を見ました。
「私の家は、夢の中ではコンクリート作りの三階建ての建物で、その屋上で私は洗濯物を干しています。
白いシーツがはためき、空は青空で夏の日がサンサンと照らしています。
私が空を見上げると富士山の方に頭をヤヤ上向きにした飛行機が飛んでいます。後ろの高い羽根が有りません。
なぜか私は1・2・3・1・2・3」と夢の中で繰り返し、繰り返す声で眠りからさめました。
当時は仕事が忙しく、実際に事故が起きても「きっとご遺族が見るはずの予知夢を、たまたま私が受信してしまったのだ」と思っていました。
それから1年後、たまたま知り合いになった大阪の女の子がお父様を御巣鷹山の日航機事故で亡くされている事を知りました。