群裏好の打ち倒し日記

昭和の時代から叩き続ける老スロッターの戯言集。ですが5号機になってから打つのはパチンコばかりでして。。。

オリンピックとパチスロ

2008-08-11 21:44:58 | 雑談
ニュースでも連日話題のオリンピック。水泳の北島は金メダル獲得したみたいですね。ニュースでしか見てませんがおめでとうございます。その他の日本選手団も頑張っているみたいですね。
こんばんは、群裏好です。
今日は、今話題のオリンピックと私の趣味のスロットの意外な結びつきをご紹介したいと思います。(マニアの方ならご存知かもしれませんね。しかも私もずいぶん昔に読んだ資料の反復なので間違えている箇所もあるかも・・・)
まあトリビアとしてお読みください。

時は1964年、アジアで初めて開催されたオリンピックは日本の「東京」でした。戦後の復興もめざましく、当時の日本国民のフィーバーぶりはそりゃハンパなものではなかったようです。
(私も生まれる前の話なので詳しくは知りませんが・・・)
そしてこの年、私の趣味であるパチスロもアメリカの占領下であった沖縄で産声を上げたのでした。一番最初のパチスロはアメリカ軍からの払い下げでアメリカ本土から輸入されたものでストップボタンも無いシンプルなスロットマシーンだったようです。
(ラスベガスなどのスロットマシーンを思い浮かべてもらうとよろしいかと)
それを遊技機として設置した沖縄では、当時の東京オリンピックにあやかって「オリンピアマシーン」と呼んでいたそうです。はい、最初は「パチスロ」という名前では無かったんですね。
ここでピーンと来た方、かなりのスロットマニアです。
このオリンピアマシーンを取り扱っていたのが現在も主要パチスロメーカーである「アリンピア」なんですよ。
(確かオリンピアの本社は沖縄にあったのですが、平和と合弁した際に東京へ移ったのかな?。それと最初の国産スロットは今のゲームメーカーであるSEGA社のものだそうです)
そして沖縄で当時設置されていたオリンピアマシーンはアメリカの50¢硬貨を直接入れるタイプのものだったそうです。この「50¢硬貨」なんですが、直径がなんと30Φなんですよ。はい、沖スロ=30Φという図式はここに由来しているみたいです。
では何で本土版は25Φなのか?ということになりますが・・・、そこまでは私も知りませんw。確かアメリカの25¢硬貨が25Φなんでしたっけ?、違ったかな?。
また昔の沖スロはライトアップ型?といって右に大きなレバーが付いていました。また普通のスロットより背丈が大きくで上部にドル箱を置けないような構造だったようです。ですから沖縄のホールでは台の左横にドル箱を置くスペースがあるのが基本だったそうです。
(私がスロットを始めた頃の1.5号機の時もドル箱は台の横に置くスペースを設けている店が多かったと記憶しております)
そして少しずつですが本土のパチンコ屋さんの一角に設置されていったオリンピアマシーンが「パチンコ屋のスロット」ということでパチスロになっていったそうです。
1970年代に0号機なる目押しで何とでもなるような夢の国産パチスロが登場し、その後は箱型回胴遊技機の内規改定に伴って1号機、1.5号機、2号機、3号機、4号機、4.5号機、4.7号機、5号機へと移り変わっていくのでございました。
私のにわか知識はここまでございますm(__)m。

PC持ってる方はググったりするともっと詳しい内容が見れるはずだと思います。ちゃんとしたHPなんかだと一番最初のオリンピアマシーンの写真なんかも掲載されているんじゃないかな?。沖縄にもそういうレトロ台の博物館があったような無かったような。。。
スロットとオリンピック、設置された年とメーカー名が一致しているだけでしたねw。東京オリンピックが1964年ということはスロットは今年で44周年ということですな。
約半世紀のわたって進化し続ける日本特有のギャンブル「パチスロ」。液晶やARTなどのサブ的な要素が現在の主役になりつつありますが、基本はボーナス絵柄が揃うことなんですよね。
偉そうに語らせていただきましたが、私もこの知識は他の文献の受け売りでございます。しかも所々間違えて覚えていることが多いと思います。
もしお盆休み中にお時間があったらこういうスロットの歴史なんかを漁っても面白いかもしれませんよ。
いつのまにかオリンピックの話題が無くなってスロットの歴史紹介になってしまいましたねw。

本日はこれにて失礼いたします。ではでは。
コメント (2)
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