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想い出の時を刻む

趣味を楽しみながら、今日の思いや出来事を綴り、想い出として残していく日記

怖い話

2015年07月06日 | 時事

 怖い話1.最近、一部の政治家や評論家がマスコミを懲らしめると発言をして騒ぎになってるが、本当に反対意見を封殺する力がこの世の中を支配するようになったらどうなるだろう?これ以上怖い話は無いだろう。民主主義が墓場に行ってしまうのではないか心配だ。

 

 怖い話2.新幹線での焼身自殺。まさかこんな事件が起きるとは誰も想像してなかったが、今の時代何が起こるかわからない。しっかりとした安全対策を立ててほしいものだ。

 怖い話3.小学生誘拐事件に大分での放火事件。犯人とおぼしき人間は、まじめな若者だったり、自衛官であったという。背景はわからないが、もう人間は外見や肩書では判断できない時代になってしまったと思うと悲しいし恐ろしい。

  暑い夏になればやっぱり出てくる定番の話は怪談。しかし私が今日話した怖い話は、お化けがでてくる怖い話ではなく、人間が犯す怖い話。そして現実の話しです。こんな恐ろしい事や事件が無くなることを祈ってやまない今日このごろです。

 


新幹線火災

2015年06月30日 | 時事

 まさかと思うニュースが今日も飛び込んできた。想像もしてなかったことで本当に驚いたが、新幹線の車両のなかで男が自分の身体に油をまいて焼身自殺を図り、本人と女性一人亡くなり、多数の乗客が負傷したと云う事だ。

 

 まだ、詳細は明らかになってないが、一つ間違えれば大惨事になる恐ろしい事件である。いかなる理由があって自殺を決心したかはわからないが、大勢の人々を道ずれにする行為は全体に許されたものではないだろう。

 

 たまたま対応が早くて、犠牲者を最小限に止めることが出来たが対応が少しでも遅れていたら、間違いなく大惨事になっていただろうと推察される。

 

 私は、このニュースを最初に聞いた時、一瞬テロかと思ったが大袈裟な反応だったであろうか?やたら不安を煽りたくはないが、つい先日、フランスやチュニジアなどで連続テロ事件が発生しており、もうテロは遠い海の向こうの話では済まされない時代を迎えつつあるように思う。

 

 幸いと云う表現も変な話だが、今回の事件は多くの人を巻き込む大惨事にはならなかったが、その場所が大勢の人を運ぶ新幹線の中で起きた事件だけに、公共交通機関が今後も火災に対する安全対策を今一度しっかり確立させるのは勿論、あまり歓迎はしないが、併せてテロ対策もしっかりしてほしいと思う。

 

 ついでの話ではないが近年、テロの危険が世界中で増大するなかで、日本がそれに巻き込まれないにようにする最大の施策は平和で安全な国として世界にその存在をアーピーるすることが一番の対策になると思う。そのため今、国会において安全保障関連法案が論議されてるが、国の安全を守る法案が間違っても、戦争に近づく法案にならない事を切に願ってやまない。

 


東京湾にシャチ

2015年05月27日 | 時事

 まだ5月だたというのに連日猛暑が続き、世間を驚かせている中、昨日からは東京湾にシャチが現れたと話題になっている。

 

 シャチという動物は知っていたが、日本にシャチが来るとは思わなかったので私も驚いた。

 

 調べてみるとシャチはイルカの仲間で、日本では北海道や希に和歌山などにも現れるそうだ。シャチといえば水族館などでイルカと同じように、すごい芸を披露するので人々に大変親しまれていますが、以前見た映画では岸辺にいるアシカを襲い食べてしまうほどかなりどう猛である。

 

 具体的な生態はよく知らないが、ただシャチが東京湾に現れたと聞くだけで、やはり思い起こすのは最近の異常気象である。連続して起こる火山の噴火に地震等のニュースを聞く度に、何か不安を感じるのは私だけではないように思う。

 

 今、政治の世界では日本の安全保障がどうだ、こうだいいながら憲法までも改正し、日本を戦争をできる国にしてしまうようなニュースが伝えられているが、そんな危険な事をするよりは、いろんな異常現象が伝えられる最近の様々な現象を詳しく分析し、それに対処する自然災害に強い国作りを優先的にしてほしいものだ。

 

 昔から言われて居るように備えあれば憂いなしである。「有備無患」だ。いざという時のために防災対策をしっかり立ててもらいたいものだ。

 

 そうすれば、東京湾にシャチが現れたと聞いても驚きもせず、微笑ましい光景だと喜べるが、もし、そうじゃなく異常気象の結果、東京湾にシャチが現れて、何かを知らしてると思えば、笑いながらニュースを見ていられないと思うがどうだろうか。


歴史に刻まれた言葉

2015年02月13日 | 時事

 ドイツの元大統領ワイツゼッカー氏が亡くなられた事が日本で大きく報道された。ドイツの元大統領の死をこれほど世界各国で大きくとらえて報道するのはなぜだろうか?

 

 それは、彼が残した名言があまりにも有名だからである。

 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」彼の残したこの言葉はドイツ人の心に刻まれただけではなく世界の多くの人々の心に刻まれた歴史的な演説であった。

 

 私はドイツの歴史には詳しくはないが、若い頃、とりわけ日本が戦後問題で盛んに議論がなされている時、この演説を聞き日本の戦後問題のとらえ方に議論の余地がない結論が出たような気がした事を今でもはっきり覚えてる。

 

 聞くところによると、ドイツ国民は戦後、永らく第二次世界大戦中ナチスドイツが犯したユダヤ人虐殺の暗い歴史から目をそむけ、忌々しい歴史とどう向き合うか戸惑いをもったまま復興の道を歩んできたが、そうした国民の戸惑いをワイツゼッカー大統領の歴史的なこの演説によって「過去に終止符」打って「世界に信頼されるパートナー」となり再び国際社会の一員として、その権威を取り戻したと言われる。

 

 大統領は退任の演説でこうも語っておられる。「外国で自分たちがどう見られているかばかりを考えるべきではない。もっと重要なのは、鏡に映る自分たちの姿に何を見いだすかだ」

 

 本当に歴史に残るすばらしい演説だと思う。

 

 戦後70年を迎えた今年、今まさに日本でも戦後問題が再びクローズアップされ、また安全保障問題なども議論されてる最中、安倍総理がどんな談話を発表をされるのか注目される。

 

 今一度「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」の言葉を思い浮かべる。日本が戦前の出来事をどう見つめ、どう評価し、これからどこへ向かうか世界の耳目が注目している。

 

 


阪神淡路大震災ーもうひとつの記憶

2015年01月18日 | 時事

  昨日は阪神淡路大震災が起きてから20年になる日である。テレビ、新聞をはじめマスコミがこぞって震災の特集番組や記事を書いていた。そして、みんな声を揃えて震災の記憶を風化させてはならないと訴えていた。

 

 

 ごもっとな話だ。しかし私は今日ここで、マスコミの様々な報道とは別にあまり語られたり、取り上げられていないひとつの話をしたいと思う。それは、被災した日本人たちを助けてくれた外国人の話である。

 

 当時、私は会社の要請で震災当日からボランティア活動に参加し、多くの被災者の方の救済と生活の再生のため3か月余り現地で働いた。

 

 そうした、活動のなかで、私はある人に出会い驚く話を聞かせてもらった。それは被災した日本人たちを助けるため在日の朝鮮人たちが日本人、朝鮮人の区別なく救援活動を行こなった話だ。

 

 神戸市には在日朝鮮・韓国人一世たちが建てたと云う2つの朝鮮学校があると知らされたが、そのうちのひとつ東神戸朝鮮初中級学校という所を私が訪れた時であった。私はそこで自宅が崩壊し学校に避難して来ていた、当時自治会副会長していた北川嘉広さんという方にお会いし話を聞く機会があった。

 

 朝鮮学校の存在すらよく知らなかった私はそこに日本人が居るだけでも驚きであったが、北川さんの話を聞いてもっと驚いた。

 

 北川さんによれば自分の自宅前に朝鮮学校があるのは当然知っていが、戦前の軍国主義教育を受けたため自分はどうしても朝鮮人に対する差別意識があり、たった3メートルしか離れてない、目の前の朝鮮学校に一度も足を踏み入れたことがなかったそうだ。ところが地震が起きて自宅が壊れ、九死に一生を得て、やむなく飛び込んで行ったのが、皮肉なことに向いの朝鮮学校だったそうである。

 

 命からがら避難した朝鮮学校では、自分たちを温かく向かえ入れくれて、何もなかったそんな状況でも、避難して来た住民たちに熱いお茶とおにぎりを提供してくれたのが北川さんにとって無性にありがたかったそうだ。まさか差別していた人達に助けられるとは不思議な運命だとも言っていた。その後も北川さんは学校に留まり避難生活を続けたのだが、その間も炊き出しで食事を提供してもらい、届いた救援物資で生活必需品を揃えてもらうなど本当に親切にしてもらい、その過程で在日の方に対する考えが大きく変わってしまったと笑いながら話なされていた。

 

   当時のエピソードだが北川さんは混乱した避難生活が続く中、自分の誕生日を迎えたのだが、驚いたことにどこで調べてきたのか在日の若いボランティアたちがサプライズで、誕生ケーキとプレゼントまでしてくれたと涙ながらに話していたのを今でもはっきり覚えている。(後に聞いた話だが北川さんはそのプレゼントの品物を大切に保管しておき、亡くなった時に棺に必ず入れてほしいと遺族に言い残していたそうである。)

 

 

 あれから20年が過ぎ、当時の事を思うと忘れられない記憶が沢山あるが、北川さんの話はいまだに忘れられない記憶として私の脳裏に焼き付いている。

 

  しかし、こうした話は今ほとんど知られていないしマスコミも取り上げない。なぜだろか?(私の記憶では当時、地元紙やいろんなマスコミがこの事実を結構報道をしていたのだが・・・)

 

 北川さんはその後、病気で亡くなられたと聞いている。震災後20年がたち神戸の街は素晴らしい復興をとげたが、そこには被災者の救援と生活の再生のため、日本人と同様に在日朝鮮・韓国人たちの民族を分け隔てない親身になった救援活動があったと云う事も私たちは決して忘れてはならないし、語り継がれなければならないと思う。