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★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

スリーピースバンド

2015年06月27日 12時39分57秒 | 音楽
 音楽の三要素、メロディ、リズム、ハーモニーを最低限満たす、ギター、ベース、ドラムスのスリーピースバンド。
 その中でも、クリーム、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス、グランド・ファンク・レイルロードはロック史上、特筆すべきスーパーバンドだ。
 
 シンプルかつダイナミックで、ロックバンドの編成はコレに尽きる。
 余分なものがないだけに、それぞれのプレーヤーには標準以上のテクニックが求められる。
 クリームは三人の力量が拮抗し、その演奏は鬼気迫るバトルそのものだった。
 ジミヘンとGFRは突出したギタリストのワンマンバンドで、他の二人は縁の下の力持ち的な存在だ。

 高校時代、我が家は田舎の一軒家だったこともあり、この3バンドをセパレートステレオのボリュームをMAXにして聴いていた。まさにロックと対峙するという気概を持って拝聴していたのだ。
 
 リードとサイドに分かれたギターや、キーボード、管楽器などが入ると厚みや広がりは増すが、本来のロックのテンションは薄められてしまう。
 ロックバンドがサポートメンバーも含め大編成になり、デジタル機器による音響操作が容易になった現在では、あの頃のような本来のハードロックは昔の音源で聴くしかない。
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音楽を聴くという事

2015年06月05日 21時05分24秒 | 音楽
 大学生の頃、金はなくても持て余すほどの暇はあるというあの時代、暇つぶしはラジオやステレオで音楽を聴くことだった。
 ビートルズを筆頭にロックを中心とした洋楽全般を聴いていた。
 当時はヒットチャートの曲はほとんど口ずさむことができたし、少々マニアックなバンドの曲も、喫茶店のスピーカーから流れてきたら曲名も言えたものだ。
 
 それがいつの間にか、昔の曲は覚えていても、80年代以降の曲はからっきしわからない。
 当時は仕事に追われて、落ち着いて音楽など聴く余裕がなかったからだ。
 聴かないと興味も薄れる。興味が薄れると、もっと聴かなくなるという悪循環だ。

 50代を過ぎた頃から、また音楽を聴くようになった。
 しかし聴くのはやはり昔の曲だ。
 時代の流れとともに、流行の変化のスピードは加速し、音楽に限らず何事も量産、短命の傾向になった。
 記憶に定着するには種類が多過ぎ、サイクルが早過ぎるのだ。
 もはや、私の脳内ライブラリには新曲は登録されないだろう。
 過去の思い出とともに懐かしい曲を聴くしかない。

 音楽の聴き方にはいろんなタイプがある。
 好きなアーティストやジャンルの曲をひたすら聴く。
 最新の曲を誰よりも早く聴く。
 単にBGMとして聴く。
 高価なオーディオセットで音そのものを追求する。
 ライブやコンサートに足を運び雰囲気で聴く。
 
 人それぞれだが、私の場合は70年代くらいまでの古い音楽を、レコードプレーヤーとかトランジスタラジオで聴きたい。
 ステレオセットが普及する前の、大音量のロックが出回る前の時代の音楽の聴き方だ。
 音楽を愛しむ、あるいは慈しむように、ラジオにかじりついて聴いていたあの頃の聴き方だ。
 今やレコードプレーヤーもほとんどなくなり、トランジスタラジオも音楽を聴く道具ではなくなってしまった。
 音質を追求するあまり、本来の熱さや味わい、心に訴えるメッセージというものがなくなってしまったような気がしてならない。

 最近は、昔聴いていた音楽の、その前のルーツというべき音楽、ブルーズにハマっている。
 行きつけのブルーズバーで聴いているが、JBLのでっかいスピーカーから戦前ブルーズが大音量で流れてくるのは、いかがなものかと思う次第である。
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うち

2015年01月18日 21時28分22秒 | 音楽
 10年ほど前、「たそがれオヤジーズ」という三人組バンドを結成して、地元の音楽祭に出演した。
 そこで3曲披露したうちの1曲が、私のオリジナルナンバー「うち」。
 歌詞は以下の通り。

♪あの街捨ててふたりして
 帰らんつもりで来たけれど
 あんたがくれた約束は
 果たすあてのない空手形
 あんた悲しくなるわ
 あんた強がりばかり
 恨みつらみは山ほどやけど
 もう腹も立たへん
 うちもうなんも言わへんわ
 うちもうなんも望まへん
 あんたがそばにいるだけで
 うちそれでいい

 演奏が終わった後、テイチクのプロデューサーを名乗る人物が現れ、ぜひソロで契約したいと申し入れてきた。
 翌日事務所へ出向き、契約書にサインして、スタジオでバックバンドを入れてデモCDを作った。
 プロデューサーが各方面にデモCDを配り、1ヵ月後にはYou Tubeと有線で火がつき、覆面歌手としてデビューが決まり、自作やカバー曲を寄せ集めて本格CDを初回5万枚プレスした。
 その年の年末までにCDは120万枚のスマッシュヒットを記録し、2009年度の有線大賞新人賞を獲得したのはご存知の通り。
 テレビの仕事は断り、もっぱらラジオと地方営業でセールスに励んだ。
 去年までの累計で、CDの売り上げ枚数は450万枚に達し、印税収入だけで5億円ほどに達した。
 会社は今でも勤めているので、あの「うち」が私の曲であると知る人はいない。
 
 そんな夢が実現するのはいつのことだろう。
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「やさしく歌って」と「うつろな愛」

2014年10月11日 23時58分12秒 | 音楽
 1973年4月、18年間の九州の田舎生活にピリオドを打ち、私は青雲の志を胸に京都の地を踏んだ。
 青春のモラトリアム、大学生活の始まりだ。

 下宿探しに出遅れたため、京都での最初の居住地は、通学に1時間以上もかかる、滋賀県との県境の新興住宅地の中だった。京都市内の茶舗が投資目的で買った一軒家を、遊ばせて置くのももったいないとの理由で、学生下宿として貸し出していたものだ。
 その一軒家の4部屋あるうちの、二階の六畳間が私の部屋だった。床の間、バルコニー付きで家賃は6,000円だった。バス、トイレ、台所は共用だった。

 私の大学生活はその下宿からスタートした。同じ下宿の和歌山出身のFや、大学で入ったフォークソング同好会を通じて、友達の輪が広がっていった。
 親や先生や先輩の目を気にすることもなく、自分の意志のままに生活できる喜びに、心は浮かれまくっていた。

 大学生活は予想通りに楽しく、京都の街は見るものすべてが刺激的だった。
 そんな時にトランジスタ・ラジオから流れていたのが、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」だった。春の柔らかな日差しのようなメロディが、私の大学生活を祝福するように心に染み渡った。

 新歓コンパや友達に誘われて覚えた酒は、私に大人の世界への片道切符を与えてくれた。 昼の世界しか知らなかったそれまでの私は、居酒屋やパブに出入りするようになり、人生のもうひとつの側面を垣間見たような気がした。おぼろげな未来に思いを馳せ、ひとまわり成長したような錯覚に陥ったものだ。
  
 そんな時にジュークボックスから流れていたのが、カーリー・サイモンの「うつろな愛」だった。カーリーが力強く歌う哀愁を帯びたメロディが、ほどよくアルコールの回った私に、これから先の大人の試練を予感させるようにガンガン迫ってきた。
 
 今でもこの2曲を聴くたびに、懐かしいあの頃の思い出が、甘酸っぱい感覚と共に脳裏に浮かんでくる。
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グランド・ファンク・レイルロード

2014年08月03日 20時45分29秒 | 音楽
 1969年のウッドストック・フェスの前後あたりから、音楽シーンを席巻し出したヘビーロック(当時はまだハードロックとは言ってなかった)
 大御所のディープ・パープルやクリーム、ジミヘンやレッド・ツェッペリンなどの曲が深夜放送のラジオから流れ、音楽雑誌では特集が組まれ、田舎の高校生の私もレコードを買い漁っていた。

 ヘビーロックの大音量は、青春の入り口のモヤモヤや鬱憤晴らしにはもってこいだった。
 グループサウンズの歌謡曲ベースの曲も嫌いではなかったが、音の迫力が全く違っていた。 グループサウンズの場合は、歌詞とメロディを頭と心と、ちょっとばかり身体で聴いていた。
 ベビーロックは歌詞がほとんどわからないので、純粋にサウンドとして、頭ではなく身体とフィーリングで聴く。
 ステレオのスピーカーから身体に伝わる振動を「これが、音楽雑誌の解説にあったヴァイブレーションというやつか」と勘違いしながらも悦に入っていた。
 単純なギターリフやフレーズは、レコードに合わせて、通販で買ったエレキギターで弾いていたが、複雑なアドリブになるともうお手上げだった。ジミヘンやクラプトン、リッチーやペイジに合わせるなんてできるはずもなかった。

 そんな時、ヘビーロックシーンに彗星のごとく現れたのがグランド・ファンク・レイルロード(GFR)だった。
 ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドは、ツェッペリンを凌駕するような大迫力で、曲もシンプルなものが多かった。
 マーク・ファーナーの大音量のギターはクラプトンやペイジの重厚さ、流麗さに較べると、単純で力強くミーハー向けだった。
 ハートブレーカーや孤独の叫び、アー・ユー・レディなど、練習すればヘタながらも何とかレコードに合わせて弾けた。

 ロックは聴くだけのものではなくて、実際にバンドを組んで演奏するものだと実感した。 しかし悲しいかな、九州の辺境の田舎町にヘビーロックバンドをやるような高校生などいなかった。ましてやドラムとベースなど、どこをどう探してもいるはずもなかった。
 それと田舎の女子高生もヘビーロックなど知る由もなく、彼女らの気を引くためには、フォークギターで吉田拓郎や井上陽水をやるしかなかった。
 文化祭のミニコンサートでは、陽水の「傘がない」を歌いながら、GFRの「ハートブレーカー」を頭の中では歌っていた。
 コード進行がほとんど同じなんだよね。
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You Tubeでロックを聴きながら

2014年05月17日 20時01分29秒 | 音楽
 音楽、とりわけロックやブルーズを聴くのが好きだ。
 最近はもっぱらYou Tubeで懐かしのロックを楽しんでいる。音質にはこだわらないので、別にオーディオセットがなくても充分だ。

 昔はレコードやラジオでしか聴けなかったバンドが、動画で観られるというのは画期的だ。若き日のビートルズやストーンズ、クリームやツェッペリンのレトロ感あふれる演奏は、結構シビれるのである。

 ロックを聴き出したのは、1969年のウッドストックの前あたりからで、ロックがニューロックとかサイケデリックロック、フォークロックなどと呼ばれていた時代だ。
 ビートルズは別格だったが、ウッドストックを機に、ロックミュージックシーンが混沌からある意味での方向性を持ち、ハードロックを中心としたロックというジャンルに定着したように思う。

 70年代はロックが円熟、完成の域に達した時期だ。
 それ以降(80年代から現在)は、良い意味では現状維持、悪い意味では刺激や面白味がなくなってきた。私の日常が仕事や家庭に関わる時間に占められて、じっくり音楽を聴く暇がなくなってきたのも一因かも知れない。

 戦後のブルーズがロカビリー、ロックンロールと進化し、60年代、70年代のロックへと成長するわけだが、ちょうど狭間の60年代前期のUKロックシーンのマージービート系のバンドが最近のマイフェイバリットだ。
 小さなギターアンプの箱鳴りや、ワウ、ファズもなく、チョーキングもほとんど使わないギターサウンド、コンパクトだがグループ感あふれるバンドのノリが好きだ。

 一昔前の安物のモジュラーステレオで聴いたらきっと最高だろうな。
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北原早苗「少年」

2013年10月27日 21時00分41秒 | 音楽
 ♪去年の~僕の心の中は~ひどく穏やかで静かだった~
 そんな出だしの歌詞だけが、40年来、頭の隅に引っかかっていて、どうしても曲名、歌手名が思い浮かばなかった。おぼろげに加藤和彦の作曲だったと記憶していたが、ネットで歌詞検索しても出て来ず、その都度うっちゃっておいた。
 
 今日たまたま70年代のギター小僧のバイブル的な雑誌「GUTS」をネットで見つけ、バックナンバーのコンテンツを何気なく見ていたら、【「少年」北原早苗】というのが目に止まり、記憶の奥の警鐘が鳴ったような気がした。
 試しにYou Tubeで検索したら、ものの見事にビンゴ! 懐かしい歌が流れ出した。
 
 1970年の、そんなにヒットした曲でもないが、青春の始まりに妙にフィットした歌詞とメロディだ。
 1970年といえば、激動の60年代と狂乱の80年代の狭間の変革の年代の始まりの年で、ちょうど私の高校入学の年と重なっている。少年期から青春へと変わる多感な時で、いろんな情報や流行や変化が押し寄せてきた時期だ。
 
邦楽でも洋楽でも多くのヒット曲があったにもかかわらず、もとまろの「サルビアの花」とともに、なぜか当時の訳のわからない悶々とした心象風景の断片を思い起こさせる曲だ。
 
 You Tubeのコメント欄に同じような思いのコメントがあるのが、嬉しくもあり、切なくもある。
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クラプトンin大阪城ホール

2006年11月12日 23時47分14秒 | 音楽
 クラプトン、今回も懲りずに行ってきました。
 毎晩行きつけのバーで大画面、大音量で聴いていますが、ナマは迫力、臨場感が違いますね。
 今回は70年代ナンバーもしっかり演ってくれたので、35年来のファンの私にとっては大満足でした。リードギターが三人もいたので、贅沢な聴き比べもできました。アコースティックのブルースが、洗練され過ぎて、もはやブルースに聴こえないのは良いのだか悪いのだか…。
 レイラでアリーナが総立ちになりましたが、今ひとつ違和感がありました。クラプトンにスタンディングは似合わない気がしました。年のせいですかね。
 コカイン、クロスロードが特に良かったです。あとホワイトルームを演ってくれていたら、私の中でノスタルジック・セブンティが完結していたのですが…。
 ひとこと言わせてもらえば、あのホームレスファッションは、そろそろ見切ったほうがいいように思われました。チェンジ・ザ・ファッション。
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マイナーコードの夏

2005年08月19日 22時17分06秒 | 音楽
 夏といえば、暑い、明るい、にぎやか、元気などメジャーなイメージを想像しますが、夏を歌った曲で結構マイナー(短調)の曲ってあるんですね。
 
 代表的なところでは、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」。全編、夏、夏、夏の映像ですが、なぜかテーマ曲は物悲しい短調。
 
 昔、ザ・ピーナッツが歌った「恋のバカンス」。♪銀色に輝く、熱い砂の上で・・・歌詞はどう考えても真夏の海辺、なのに短調なのです。
 
 あのサザン・オールスターズの「勝手にシンドバッド」、「チャコの海岸物語」も舞台は夏なのに全編マイナーコード。
 
 まだまだあります。大作曲家ガーシュインの、曲名もズバリ「サマータイム」、女王、美空ひばりがブルー・コメッツをバックに歌った「真っ赤な太陽」、吉田拓郎の「夏休み」、石川セリ「八月の濡れた砂」、郷ひろみ「裸のビーナス」・・・。
 
 どの曲を聴いても、もろに夏をイメージしてしまいますが、その夏は、どちらかというと、かすかな秋の気配を含んだ晩夏という気がしないでもありません。
 
 盆休みも終わり、マイナーコードが似合う秋は、もうすぐそこ。 
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iPod Shuffle

2005年06月12日 10時36分11秒 | 音楽
 先日iPod Shuffle(512MB)を購入しました。
 
 ものすごく小さく、薄く、軽いので、ワイシャツのポケットに余裕で入ります。
 
 演奏時間4分の曲で約120曲収録可能ですが、昔の曲、例えばビートルズとかオールディーズあたりですと、演奏時間が短いので180曲前後収録可能です。また、4時間充電で12時間の使用が可能なので、会社の行き帰りで、ちょうど1週間ほど持ちます。

 早速、レンタルCD屋で、ビートルズのほぼ全てのアルバムや、60、70年代ロック、フォーク、ブルース、昭和歌謡など思いつくままに借りてきて、iTuneライブラリに転送しました。

 今では毎日の通勤時間にシャッフル設定で、ビートルズやマイフェイバリットを堪能しています。このシャッフル機能はとても素晴しいです。毎回、曲順が変化するので、新鮮な感じがします(例えば、Get Backのあとに君といつまでもが出てきて、そのあとにSweet Home Chicagoとか)。

 iTunes Music Store Japanの早期オープンが待たれます。
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You're So Vain...うつろな愛

2005年06月11日 17時57分07秒 | 音楽
 大学1年の時、毎週金曜日と土曜日の夜に、友達とふたりで映画館の売店でオールナイトのアルバイトをしていました。映画の休憩時間に混み合う程度で、あとは至って暇でラクチンな仕事でした。

 始発電車が出る前の午前5時には仕事から解放され、私たちは近くのオールナイト喫茶店で、夜明けのモーニングを食べるのが習慣になっていました。

 その喫茶店にはジュークボックスがあり、それで洋楽の新譜をチェックしていました。新しくセットした曲は、レコードジャケットが掲示されていて、捜しやすくなっていました。

 カーリー・サイモンの「うつろな愛」も、そこで初めて聴きました。

 原題の「You're So Vain」が、友達の徹夜明けの青白い顔にマッチしていたので、選曲してみました。

 大口カーリーの、ねっとりとした声が、哀愁を含んだ旋律に見事に調和して、切ないような、懐かしいような気分になりました。途中のコーラスの部分で聴こえるミック・ジャガーの声も、曲に不安の彩りを添えるスパイスになっていました。

 いまでもこの曲を聴くと、冬の夜明け時の、遺跡のような街並を思い出します。
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音楽七曜日

2005年06月09日 16時31分03秒 | 音楽
戯れに、日曜から土曜までの曲を集めてみました。

★Beautiful Sunday (Daniel Boone)
  ビューティフル・サンデー (ダニエル・ブーン)
★Mr.Monday (Original Cast)
  ミスター・マンデー (オリジナル・キャスト)
★Ruby Tuesday (Rolling Stones)
  ルビー・チューズデイ (ローリング・ストーンズ)
★Wednesday Morning,3AM (Simon & Garfunkel)
  水曜の朝、午前三時 (サイモンとガーファンクル)
★Thursday Afternoon (Brian Eno)
  サーズデイ・アフタヌーン (ブライアン・イーノ)
★Freaky Friday (Aqua)
  ドキドキ・フライデー (アクア)
★Saturday Night (Bay City Rollers)
  サタデー・ナイト (ベイ・シティ・ローラーズ)
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思い出のS&G

2005年06月04日 17時52分22秒 | 音楽
 大学に入学してすぐに、私はフォークソング同好会に入りました。ジャパニーズ・フォークしか知らなかった当時の私に、先輩達が演奏するアメリカン・フォークはとてもまぶしく映りました。早速、「我が祖国」や「風に吹かれて」、「花はどこへ行った」などのスタンダード・ナンバーを教えてもらい、ひとりで弾き語りしながら悦に入っていました。

 秋に新歓コンサートが予定されており、1回生は基本的にはバンドで出演というルールがありました。ひとりでも多くの1回生を出演させようという、先輩達の心遣いがあったようです。

 私は夏休みが終わっても、ジャンルや方向性の違いから、バンドを組むことができないでいました。そんな時、中途入会希望で、Nという1回生が部室にやって来ました。Nは、私が戯れに歌っていたサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」に、完璧にハモをつけました。

 意気投合した私とNは、その場でバンドを結成し、バンド名は二人の苗字の頭文字をくっつけて、「なかよしバンド」と決めました。とりあえず、新歓コンサート用にS&Gの曲を練習することにしました。

 新歓コンサートでは「サウンド・オブ・サイレンス」、「アイ・アム・ア・ロック」、「ホームワード・バウンド」の三曲を演奏しました。青いスポットライトの中での初ステージは、最高に感激しました。

 2回生の途中で、Nは勉強で、私は他の遊びや付き合いで忙しくなり、フォークソング同好会を辞めました。それ以来Nとは会っていません。今でもS&Gを聴くと、あのコンサートのことが鮮明に思い出されます。今頃NもどこかでS&Gを聴いているのでしょうかね。
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音楽と競馬

2005年06月01日 13時55分13秒 | 音楽
 競馬が趣味のひとつで、土日の特別レースは毎週買っています。

 競走馬にはおもしろい名前がたくさんあります。
 そのものズバリ、オモシロイという馬もいます。
 オレハマッテルゼ、オトコノユウジョウなど男らしい名前もあれば、オトハチャン、ウォーニングムスメなど女の娘みたいな名前もあります。笑えるところでは、マチカネソウダッセ、オジャマシマス、アッパレアッパレ等々。

 私がよく買うのが、音楽関連の名前の馬です。
 サイモンセッズ、ローエングリン、ロックカーニバル、ジャズなど結構いるのです。

 昨年の菊花賞も音楽関連で、デルタブルース、スズカマンボ、オペラシチー、あと、こじ付けで、コスモステージ(音楽はステージで演奏されるから)、ハーツクライ(いい音楽は心を泣かせるから)の馬連5頭ボックスでトライしました。

 結果は1着デルタブルース、2着ホウキパウェーブ、3着オペラシチ-で、あと一歩届かずでした。2着のホウキパウェーブのホウキパとは、ハワイの海岸の名前でした。
 ハワイといえばハワイアン・ミュージック・・・そこまでの深読みはできませんでした。 残念。
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BEATLES 私のベスト10

2005年05月24日 18時50分14秒 | 音楽
★Come Together
 シュッ、トゥルルルルルル~ルが印象的。コカコーラも出てきます。

★Don't Let Me Down
 シングルGet BackのB面の渋い曲です。

★Get Back
 アップル屋上のライブは最高でした。

★Nowhere Man
 冒頭のアカペラのハモリは絶品です。

★Something
 ジョージもやればできるんだ。彼の最高傑作です。

★The Long And Winding Road
 ビートルズ崩壊へのレクイエム。ポールのボーカルが淋しそう。

★Two Of Us
 生ギターがいい味出してます。 

★While My Guitar Gently Weeps
 クラプトンのギターが泣きまくってます。 

★You Can't Do That
 曲調が変化するサビの部分が心地よいです。

★You're Going To Lose That Girl
 若いビートル達が楽しそうにコーラスしてます。
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