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あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

どうしてこんなに面倒臭いんだろう(自分の性格

2020-03-20 | from:sachiaki
って改めて感じていたsachiakiです。

なにが面倒臭いって、
右向いて右が出来ないってことですわ。
これ出来ないのって本当に嫌な性格で
大多数の人が「いい!」って言っているものに対して
なんかそれ変じゃない?私は好きじゃないな。
って言わずにはいられないあれなのです。

そうはいっても、あなただって『シンゴジラ』や『MAD MAX』は評価していたじゃない。
って言われるとまったくその通りで、
全てのものに「NO」と言っているわけじゃないんです。

それ、お前のさじ加減一つじゃん。
って、そりゃそうじゃよ。
私の感性なんだもの。

なのでまぁここはさておいて話を進めると
今度はなにが気に食わなかったの?
というと、Twitter発で100日間かけて掲載されていたアレについてです。

私は噂になり出した頃から一貫して自分から見にも行かなかったし、
話題にすることも避けてました。
なんで? って?
そりゃあなた、「死」をコンテンツにしているからですよ。

え?でもsachiakiさん、一番好きな邦画は「リリィ・シュシュのすべて」じゃなかった?
あれって「死」をコンテンツにしてますよね?
って言われたら、うん。そうだねって言うし、
正直胸糞映画でしかないと思いますけどね、
私はあの現実と虚実が精巧に入り組んだトリックと
十代のどうにもならない環境のうねりが精緻に描かれていて好きだったんです。

他にも「死」をテーマにしているものって、あんた好きだろ?
って言われたら好きって真顔で答えるけどね。

じゃぁなんで今回のはダメなの?と言われたら、
100日後に死ぬことを期待させることと、
その死に方に好奇心をそそる「消費」する残酷さがまったく隠されずにあることでした。
今日100日目を迎えて、そりゃぁ美しい死に方をされていて、
物語かくあるべし、なものでしたし、
なんだかんだ言われたりしつつも淡々と毎日1枚ずつアップされていた胆力など
そのパワーには圧倒されるものがありました。
あれはすごいことだと思います。
クリエイターとして尊敬する技量です。
だけどね、私の好きな漫画家が感想を述べていたように
「公開処刑をされているようで好きじゃなかった」
というのが見事に代弁されていたなぁと。
同じく今命の期限ものとして、
森の番人であるゴーレムと人間の子供との交流を描くアニメがやってますけれど、
これはね、公開処刑とは違うんですよね。
「死」がテーマでも「どんな死に方をするんだろう」
なんていうおぞましい心理を喚起させるものではありません。

ついでにいうと、この「100日後に死ぬ〜」は
自分の友人が交通事故で死んで悲しかったことを昇華するために描いたとあって、
さらにゾワッとしてしまったわけです。
友達の死までエンタメに昇華する気味の悪さったらないなと。
いや、友人や知人、肉親の死を乗り越えるために作品としてもう一度向き合う
そういうのはあっても良いし、そういうもんだと思う。
全ての出来事を血肉に変えてこそクリエイターだとも思うし
そういう残酷さを持ち合わせているから。
だけど、向き合い方があまりにも残酷やしないかと思わずにはいられなかったのですよ。
話題になれば「交通事故は、死は突然やってくる」という注意喚起になるのかなって。

とりあえず私がこの件に関して、じゃぁどういう形だったらよかったのかな?
って思った時にカットバック方式だったら
こういう風には思わなかったのかもしれないな、と、そんなことを思いました。

「どういう風に死ぬのか」「死ぬのか死なないのか」そういった好奇心の喚起をさせない方法があるなら
それはきっと、最初に死ぬシーンから始まって、
日常が続いていれば違った捉え方をしただろうな、ってことです。

誰かが「大河ドラマだって結が決まっているものを最初から見るんだから同じか」って言ってましたけれど
最初はそうかな、って思っていたけれどメンタルが全然違うなって今なら思います。
もし「死に方がわかっているなんてネタバレじゃん!」って言うのだったら
「死に方」がネタになってるって相当気持ち悪いぞ、って言いたいです。

まぁどんなことを思おうとも、結局注目されれば勝ちだし、
人々の心を揺らした方がスゴイんです。
私が気持ち悪いと言おうとなんだろうと、
作った方がすごいし、それはその人の表現なので
そういうことだな、って思うしかないのだろうな……と。

まぁ気持ちが悪くなってしまったので、
上で書いたように「公開処刑をされているようで好きじゃなかった」と
ツイートされていた漫画家さんの作品について紹介いたしますわ。
「ツイステッド」って作品があるんだけど(単行本「青い車」に収録されています)
この作品の中で「自殺したら面白いよな」っていういじめっ子のシーンがあるのね。
そのいじめっ子に対して主人公(20代後半のおっさん)が
いじめっ子の手にタバコを押し付けるんです。(いじめっ子はいつもいじめている子の手を灰皿にしていたので)
それに対してギョッとした主人公に取り憑いている幽霊の10代男子が
「なに熱くなってるんだよ」って問いかけるんです。<セリフは曖昧。読み返せばいいんだけどね💦
すると「昔な、同じことを言ったんだよ。そしたらそいつ翌日死んじまった」って主人公は返すわけです。

だから「死」をテーマにする時はそういった背景も含んでいることも入れて消化しなくちゃなんですよね。
消費ではなく消化。
消費されるだけだと過ぎ去ってしまうけれど、
消化ならなにかの血肉になり、なにかとして残るわけで……。
まぁあの作品だって誰かの何かにはなると思いますけれど
あまり良い方面で影響を与えたとは思えず、
マーケティングの勝利、ってことだけにしかならなさそうでウ〜ンってなるだけです。

そういうわけで無作為的に「死に方を好奇心として掻き立ててしまった」としても
私はちょっと嫌だなって思うわけです。
本当、こんなことを思ってしまう自分が面倒臭い。
人気がある作品には人気になるだけの理由があるのだから
その手法を取り込めばいいのにね。

色々とため息。
とりあえずここまで書けたのでいっかって落ち着きました。

こんな面倒臭い私が22日の日曜日に「哲学」をテーマにおしゃべりするので
遊びにいらしてもらえたら幸いです。

そんじゃまた!モイ。
コメント
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