constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「ヨーロッパ構築」史への序奏/助走

2007年10月23日 | knihovna
川嶋周一『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序――ドゴール外交とヨーロッパの構築 1958-1969』(創文社, 2007年)

グローバリゼーションが進展し、9.11テロとそれに続く「新しい戦争」が展開する21世紀において、「ポスト冷戦」という時代認識は色褪せ、後景化してしまった感があるが、学問的には「冷戦とは何だったか」という問いかけはいっそう重要な課題と認識されている。酒井哲哉によれば、「冷戦終焉後の国際秩序への問いが、冷戦構造変容期であるこの時期[1960年代]に再度関心を向けさせる一因となっている」(「濃密な国際関係の中で生きること――川嶋周一『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序――ドゴール外交とヨーロッパの構築 1958-1969』を読む」『創文』499号, 2007年: 1頁、[]内引用者)。一方の当事者であるソ連(およびソ連ブロック)が解体したことによって、冷戦はアメリカ(と西側諸国)が勝利したという見方が一般に浸透している。その結果、冷戦勝利言説が冷戦の起源まで遡って投影され、善と悪を体現した米ソ(東西ブロック)の対立状況という単純な冷戦観が強い影響力を持つようになっているのもまた、冷戦と冷戦後の連関性を示している。しかしより詳細に冷戦期を見れば明らかなように、冷戦は「生成、発展、成熟、そして崩壊という段階を踏んで変容する『歴史的システム』ともいえるような特色を持った事象」として捉えるのが適切であろう(田中孝彦「冷戦構造の形成とパワーポリティクス――西ヨーロッパvs.アメリカ」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム(1)構想と形成』東京大学出版会, 1998年: 217頁)。冷戦期と呼ばれる20世紀後半の世界政治の流れを理解するために、それぞれの地域や時期において冷戦がどのような形態をとり、展開し、そして終焉したのか(あるいは残存しているのか)を考慮に入れる必要がある。

冷戦の最前線であり、まさしく主戦場でもあった戦後(西)ヨーロッパに関して、二種類の相容れないヨーロッパ像が並存している。すなわち安全保障領域では、冷戦の論理に力点が置かれ、超大国アメリカとの関係を軸とした大西洋同盟の視点から戦後のヨーロッパが描かれる。他方、経済(社会)領域において、冷戦の論理を批判・否定する契機を内包したヨーロッパ統合の試みが注目を集め、統合プロセスの展開に即した形で戦後ヨーロッパの歩みが語られる。換言すれば、安全保障を重視するリアリズムと経済的相互依存や不戦共同体の形成に着目するリベラリズムがそれぞれ異なる戦後ヨーロッパ像を提示し、一種の棲み分けが成立していたことによって、相互の連関性が看過される傾向が強い。

しかしながら、その鮮やかなまでの対照性は戦後ヨーロッパに対する画一的で、分裂したイメージを付与し、定着させることにもつながり、実際において複雑かつ錯綜した戦後ヨーロッパ国際秩序の理解を妨げてしまう危険性を持っている。ヨーロッパ国際関係は、単なる二国間関係の総体ではなく、それに還元できない多国間関係の位相を包含している。したがって、その実態を的確に把握し、理解するためには、多大な労力と困難の伴う作業が要請される。その意味で「1960年代におけるヨーロッパ国際秩序の構造変容を、冷戦とヨーロッパ統合の両側面から検討することで、歴史的な視座から戦後のヨーロッパ国際政治を捉え直そうとする試み」(3頁)である本書は、英独仏の3ヶ国語の一次史料を渉猟し、それらに基づいてドゴール外交に軸足を置きながら1960年代のヨーロッパ国際政治の動きを再現して見せることによって、この課題に正面から取り組んだ意義の大きい研究だといえるだろう。

川嶋は、次の3点を論点として設定する(4-5頁)。すなわち(1)国際環境との相互作用を通じて動的に展開する外交と把握されるドゴールのヨーロッパ政策がどのように60年代のヨーロッパ国際秩序の変容と関わっているのか、(2)60年代の変容を戦後秩序から脱冷戦後(?)秩序へと至る過程に位置づけ、冷戦構造の解体をもたらすメカニズムが形成される過程と捉える、(3)ヨーロッパ戦後秩序の多層性に留意しながら、安全保障秩序とヨーロッパ統合それぞれの文脈がどのように連関していたのかを分析する。いわば強烈な個性を持った稀代の外交指導者であり、1960年代の「ヨーロッパ国際政治の主役」(7頁)であったドゴールに焦点を定めながら、時間的には冷戦の「55年体制」として固定化していたヨーロッパ秩序に変化をもたらし、それが1970年代のデタントおよび1980年代の冷戦構造の解体へとつながっていく過程を考察し、空間的にはドゴールのヨーロッパ認識の変転に即してNATOに象徴される安全保障空間とEECに象徴される経済(社会)空間の二重性が絡み合う複合的な「場」として「ヨーロッパ」空間の生成が論じられる。それぞれ個別の論点だけでも一冊の研究書を著すことができる魅力的なテーマであるが、それをコンパクトに纏め上げている。ともすれば散漫で冗長な印象を与えかなねいテーマ設定にもかかわらず、そうした印象を受けないのは、構造(ヨーロッパ国際秩序)の変容と主体(ドゴール)の行動がバランスのとれた形で分析・叙述されているからであろう。

具体的には、「特定の路線を確定せず、常に複数の選択肢を模索して実現可能性が高くなるとその選択肢を主張するという点」(23頁)に特徴があるドゴールの外交指導を二つの時期に分けて、個々の論点が考察される。第一部では米英仏の三頭体制を目指した再編構想が挫折し、エリゼ条約に見られる独仏協調に帰結する過程が考察される。戦後秩序の変革を射程に入れたドゴールの大構想は、英仏を軸としたユーラフリックから、アメリカを巻き込んだヨーロッパ共同体と大西洋同盟をまたいだ秩序構築を経て、独仏協調へと流れていく。その過程でドゴール外交は秩序変革の駆動力となり、率先する形でヨーロッパ秩序の構築に関わっていく。続く第二部では、ドゴールのデタント政策およびNATOやEECにおける危機、つまるところの「フランス問題」の浮上とその解決過程が対象となる。1963年を境にドゴール外交は行き詰まりを見せ始め、秩序変革の作用よりも攪乱要因とみなされ、大西洋同盟およびヨーロッパ共同体における危機を招来することになる。NATOもEECも「フランス問題」の解決を通じて、機構としての新たなアイデンティティを再定義することに成功し、冷戦という環境要件が取り払われた後でも存続することができる素地が作られたのである。

このように「戦後ヨーロッパにおける安全保障と経済統合の二つの磁場を、国際秩序の一体的な作用として把握しようとする多国間関係史研究を志す」(17頁)本書はきわめて錯綜したヨーロッパ国際関係の諸相を「ヨーロッパ構築」の視座から立体的に描き出す。「ドイツ問題の対処のために生まれた、NATOに体現される米欧一体の安全保障秩序と、ヨーロッパ統合を基盤とする欧州国際政治経済上の緩やかな求心圏とが組み合わさって成立した」(6頁)ヨーロッパ国際秩序は、安全保障においては、西側諸国の外交による交渉空間の拡大をもたらし、それが後のデタントや東西関係の変革につながっていき、ヨーロッパ統合の文脈では、共同体の機構的深化が進み、超国家的な統合でも政府間機構でもない中間的な路線が採られ、「政策を共有する行政共同体」の誕生という方向で変容したのである(248頁)。

対象自体が複合的であるため、川嶋の試みは今後さらなる精緻化と実証研究の蓄積が求められるが、「試論」の水準は十分にクリアしているといえる。以下ではいくつか本書から触発された形で発展的な議論の素描を試みたい。

第1に、本書が主唱する「ヨーロッパ構築」(史)に関わる点である。外交史の復権が喧伝される昨今にあって、国際関係(政治)史と衣替えした新しい研究潮流がその対象としたのがヨーロッパ統合であり、「ヨーロッパ統合史は、絶滅しかけていた外交史を国際関係史として再生させた」と称される(川嶋周一「前を向きながら過去を遡ること/後ろ向きに未来の中に入ること――ヨーロッパ統合史研究の射程と課題に代えて」『創文』499号, 2007年: 7頁)。そしての統合史とほぼ等値され、「統合という枠組に限らず、ヨーロッパという枠組を意識して展開される国際関係の史的研究」(8頁)であるヨーロッパ構築史の射程を考えるとき、川嶋は秩序の多層性と政治空間化、国際秩序の空間形成と認識、広域秩序としての欧州共同体の3点を取り上げる。すなわち層ごとの厚みが異なる複数の政治空間が並存しているとともに、各層が持つ「ヨーロッパ」観念が相互に影響を及ぼしあい、国際秩序の空間形成と認識を作り上げる。こうして形成されたヨーロッパの国際秩序は、「複数の統治体制を内包しつつもその広がりには何らかの境界をもつ国際秩序」(8頁)を意味する広域秩序としての性格を併せ持っている。こうして「ヨーロッパ」を構成する複数の政治空間それぞれの展開過程を考察すると同時に、それら政治空間を包み込む形で存在する「ヨーロッパ」空間を総体的に把握する視座として提起される「ヨーロッパ構築」史の潜在性はきわめて魅力的である。

しかしながら「ヨーロッパ構築」史の時間的射程が冷戦期を包含するものであるとすれば、そこで誕生した「ヨーロッパ」という国際秩序は、冷戦のもう一方の主体であるソ連およびその衛星国である東欧諸国の存在によって大きく規定されていたともいえる。「分断という動かしがたい事実の上に形成された、アメリカを引き込み、西独を封じ込め、フランスを安心させるための体制」(247頁)である戦後ヨーロッパの国際秩序は、いうまでもなく「ロシア(ソ連)を締め出す」体制でもあった。ソ連ブロックの国際関係が社会主義的国際主義で結ばれた「社会主義共同体」という独自の国際関係観で把握されてきたことを考えると、「鉄のカーテン」の向こう側でも同時期に別様の「ヨーロッパ構築」が試みられたと理解することもできるだろう。しかしその試みは、秩序の多層性を志向するのではなく、ソ連を頂点とする一元的な階層性によって特徴付けられる点で、対照的なものであった。冷戦は社会体制間の対立でもあるといわれるが、それに倣うならば、「ヨーロッパ構築」をめぐる対立としても捉えることができる。他方で、CSCEのような地域機構の創設や1970年から80年代にかけて東欧諸国の反体制派知識人たちによって積極的に唱えられた「中欧」論のように、二つの「ヨーロッパ」の競合状況を乗り越える発想や試みが媒介となって、それぞれ「ヨーロッパ」の意味内容が変化し、一方はより多様な政治空間からなる秩序へと変貌を遂げ、他方はその存在を消滅させてしまうことになった。

それゆえ、川嶋は「地域の概念が形成される固有の歴史的文脈性や定義そのものが持つ恣意性といった問題からは一端距離を取る」(序章註38)という禁欲的な態度を表明しているが、それでもやはり「『ヨーロッパ』という概念自体が歴史的な形成物であり、かつその内容は他者によって確定されるものにすぎない」(250頁)以上、「ヨーロッパ構築」(史)の地平を切り開き、より豊かなものにするうえで、今後の研究において他者として措定されるロシア(ソ連)/東側諸国、あるいは現在におけるトルコの側からの逆照射が必要となってくると思われる。またより長期的なヨーロッパ(外交)史の文脈に位置づけるならば、いわゆる古典外交の華やかな18・19世紀においてヨーロッパがひとつの共同体あるいは連邦として観念されていたように、きわめて同質性の高い政治空間が(エリート間に限定されていたが)存在していた。と同時にナショナリズムや共和主義といった同質的な空間に亀裂を生じさせる動きに対する脅威認識もこうした「ヨーロッパ」意識の形成に大きな役割を果たしていたとすれば、どうしても異質な他者や理念との関係性を包摂した形で分析の射程を広げていくことが求められる。さらにいえば、本書第1章などでも論じられている点でもあるが、イギリスとフランスの場合、植民地の独立に伴う帝国秩序の解体が進行した時期として戦後を把握することができる。植民地という「劣位の他者」を切り離すことによって、新たな「ヨーロッパ」の意識や観念が醸成されたとするならば、このような脱植民地化の位相もまた「ヨーロッパ構築」の関連において考察されなければならないだろう。

第2に、ヨーロッパ国際秩序の「多層性」という表現をめぐるものである。「変容が問題となるのかということは、戦後ヨーロッパ秩序が多層的なものだったことと深く関わっている」(5頁)と述べられているが、高橋進が指摘しているように、「戦後秩序の『多層性』という表現がでてくるが、それは層が重なりあっていることを意味するのであろうか、それであれば変化することもあると思うが、何が基層で何が表層であるのかを明らかにする必要があるのではなかろうか」とう疑問が浮かんでくる(「戦後ヨーロッパ外交研究の地平――川嶋周一著『独仏関係と戦後ヨーロッパ国際秩序――ドゴール外交とヨーロッパの構築 1958-1969』を読んで」『創文』499号, 2007年: 12頁)。たしかにその意味内容は明らかであるとは言えず、また「多層的」と「重層的」といった類似の表現が相互互換的に使われていることを考えると、層とはいったい何を指すのかという点が明らかにされなくてはならない。

「多層」あるいは「重層」という表現は、複合的なヨーロッパの国際関係を描写するときにきわめて有用であるが、層という言葉が醸し出す意味合い、そしてそれら層がいくつも存在し、重なっている状態を想像した場合、どうしても高橋が言うように「表層」と「基層」あるいは「深層」というような垂直的な関係がイメージされる。そこからどの層が重要なのかという重要性の優劣をめぐる問いが生じてくる。また「多層/重層」から連想されるのはまず先に何らかの層が存在し、それら複数の層が幾重にも関係している構図が思い浮かぶ。しかし複数の層の存在を指摘しただけでは多層性や重層性の意味を把握したことにはならない。換言すれば、重なり合う状態によって層の内部にどのような影響が生じ、層の構成原理にどのような変化がもたらされるのかという点まで踏み込むことが求められる。この点について、川嶋は別の論考でいくつかの手掛かりを与えてくれている。すなわち「重要なのは、層の厚さは不均等である」、「多層的な世界における各層間のダイナミックな動き」(「前を向きながら…」: 8頁)といった表現で、層内部の変容可能性を示唆している。今後この点をさらに深めた方向で多層性や重層性の意味を確定していく必要があるだろう。

あるいは高橋の言うように「多層性」より「多次元性」という表現のほうがうまく事象を掴まえているかもしれないし、あえて層のイメージに拘るとすれば、そして各層間の相互作用や相互関係ではなく相互浸透の意味合いを強調する点を考慮に入れて、「貫層性」という表現のほうがより的確ではないだろうか。その意味で山影進の以下の指摘は示唆に富むものであり、ひとつの方向性としてさらに深められるべきだろう。「地域の重層性を認識するだけでは不十分であり、重複性を含まなくてはならないのである。形式的には、樹状構造ないし同心円構造に置き換えることのできる地域構造ではなく、『すぐ上と下』の関係をさまざまな地域の間で考えることのできる『束』構造に親しむ必要がある」(『対立と共存の国際理論――国民国家体系のゆくえ』東京大学出版会, 1994年: 303頁)。

最後に、高橋進も本書の難点のひとつとして挙げているが(「戦後ヨーロッパ外交研究の地平」: 11-12頁)、デタントをどのように捉えるかという点にかかわる問題である。デタントをめぐる研究は、公文書の解禁によって実証面で著しい進展が望まれ、実際に本書もそうした流れに位置づけられる。他方で「デタントとは何か」というより根源的な概念ないし理論的な探求はそれほど進んでいない。R・W・スティーヴンソン『デタントの成立と変容――現代米ソ関係の政治力学』(中央大学出版部, 1989年)が依然として参照され、その定義が採用されていることは、スティーヴンソンの定義が有用性にすぐれたものであることに拠るとはいえ、むしろデタントそれ自体の意味を探求する重要性が十分に認識されていない点にも起因するのではないだろうか。その結果、デタント一般の特徴と冷戦期デタントのそれが曖昧なまま残され、デタントを概念化する作業は停滞した状態にある。

1958年の第二次台湾海峡危機に始まり、第二次ベルリン危機を経て、1962年のキューバ危機につながる「危機の時代」が米ソ両国の政治指導者に戦争の危険性を突きつけ、共存の道を模索する方向へと政策転換を促すことになった。その意味で1963年という年は冷戦史における重大な転換点であり、それ以降さまざまなレベルや形をとったデタントが試みられた。すくなくとも1963年を起点とする米ソ間のデタントがあり、またヨーロッパでは本書の考察対象であるドゴールのデタント政策が始まった。さらに時代を下ると、1960年代末期から米ソおよびヨーロッパのデタントは新たな段階に入っていくとともに、アジアにおいては米中間のデタントが始まる。こうして「デタントの時代」と称される1970年代を迎えるわけであるが、一連のデタントと一括して呼ばれる政策および状態の異同ならびに相互の関係性を視野に入れた形でデタントを論じること、川嶋の表現に擬えて言い換えるならば、デタントの多層性をどのように描き出すかが問われる。また冷戦とデタントの関係についても整理が必要となる。すなわちデタントは冷戦を代替する秩序構想の一種とみなすことが可能なのか、それとも冷戦に代わって構想される秩序への橋渡しとしての役割を担うものなのかという点も明確にされる必要があるだろう。そしてデタントと冷戦の終焉はどの程度(因果的および相関的に)関係しているのかという問題として捉え返すこともできる意味で、冷戦(史)の叙述においてデタントの考察は不可欠であるといえる。

「ヨーロッパ構築」史の試みは、以上のような論点について考えをめぐらせるだけの魅力を持った、きわめて興味深い研究潮流だといえる。本書の議論を起点として、さらなる「ヨーロッパ構築」史関連の研究が生み出されることが期待される。

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