巨人強硬、根来代行仲裁案が紛糾の種(『スポーツニッポン』)
「希望枠」08年撤廃も今年は存続へ(『デイリースポーツ』)
希望枠撤廃優先に巨人が難色(『日刊スポーツ』)
「希望枠」撤廃は来年から!改革先送りにアマ&選手会猛反発(『サンケイスポーツ』)
あえてヒール役を買って出るかのような巨人と根来コミッショナー代行の「共闘」によって今年度は希望枠が残るらしい。多数決という民主主義のルールよりも「声の大きい」球団の主張が通り、飾り物に過ぎないはずのコミッショナー(代行)の権威によって正当化されるという些か倒錯的な決定過程が残存しているようだ。
希望枠存続という決定に対して、アマ球界や選手会から反発が出るのは当然のこととして、入り口のドラフトと出口のFA権をリンクさせるべきだという巨人の主張も一理あることも確かであり、その意味で「正論」である。しかしながら、希望枠が裏金問題とどの程度関係しているのかは今後の検証を待つほかないが、世間一般において希望枠に対する疑念が浸透していることを考えれば、ひとまず希望枠という仕組みを廃止する決断を下すべきだろう。
入り口のドラフトがプロとアマの接点に位置するのに対して、出口としてのFA権はプロ内部の問題であることを念頭に置くならば、両者がリンクしているとしても、その形態には微妙なズレがあり同列に論じられるとは限らない。いわば業界の論理が貫徹するFA権に比べて、ドラフト問題は異なる論理が作用している外部との交渉や調整が求められる領域にある。裏金問題が単にプロ球界に限定された問題であれば、とりあえず今年度は希望枠を残しておくという判断は間違いとはいえない。だが、その判断が外部にどのように映っているのかという想像力を働かせるならば、希望枠撤廃を1年延期することは戦略的な誤りとなるかもしれない。
すくなくともFA権をめぐる議論は依然として巨人の論理が通用する「場」で行われる事を考えると、ドラフトとFAを切り離して希望枠撤廃を優先させることに反対する巨人の立場は奇異に感じられる。
「希望枠」08年撤廃も今年は存続へ(『デイリースポーツ』)
希望枠撤廃優先に巨人が難色(『日刊スポーツ』)
「希望枠」撤廃は来年から!改革先送りにアマ&選手会猛反発(『サンケイスポーツ』)
あえてヒール役を買って出るかのような巨人と根来コミッショナー代行の「共闘」によって今年度は希望枠が残るらしい。多数決という民主主義のルールよりも「声の大きい」球団の主張が通り、飾り物に過ぎないはずのコミッショナー(代行)の権威によって正当化されるという些か倒錯的な決定過程が残存しているようだ。
希望枠存続という決定に対して、アマ球界や選手会から反発が出るのは当然のこととして、入り口のドラフトと出口のFA権をリンクさせるべきだという巨人の主張も一理あることも確かであり、その意味で「正論」である。しかしながら、希望枠が裏金問題とどの程度関係しているのかは今後の検証を待つほかないが、世間一般において希望枠に対する疑念が浸透していることを考えれば、ひとまず希望枠という仕組みを廃止する決断を下すべきだろう。
入り口のドラフトがプロとアマの接点に位置するのに対して、出口としてのFA権はプロ内部の問題であることを念頭に置くならば、両者がリンクしているとしても、その形態には微妙なズレがあり同列に論じられるとは限らない。いわば業界の論理が貫徹するFA権に比べて、ドラフト問題は異なる論理が作用している外部との交渉や調整が求められる領域にある。裏金問題が単にプロ球界に限定された問題であれば、とりあえず今年度は希望枠を残しておくという判断は間違いとはいえない。だが、その判断が外部にどのように映っているのかという想像力を働かせるならば、希望枠撤廃を1年延期することは戦略的な誤りとなるかもしれない。
すくなくともFA権をめぐる議論は依然として巨人の論理が通用する「場」で行われる事を考えると、ドラフトとFAを切り離して希望枠撤廃を優先させることに反対する巨人の立場は奇異に感じられる。