小谷賢『日本軍のインテリジェンス――なぜ情報が活かされないのか』(講談社, 2007年)
冷戦後の世界において情報が重要な力の源泉となり、核の傘に代わって情報の傘によって安全が保障される時代の到来を指摘したのはジョセフ・ナイであったが(「情報革命と新安全保障秩序」『中央公論』1996年5月号)、それから10年遅れで日本においても本格的に情報(力)、あるいはより広義にインテリジェンスの重要性についての認識が深まり、一般言語として流通するようになってきた。政策実務レベルで情報あるいはインテリジェンス基盤の整備を求める提言が出される一方で、元外交官の佐藤優に代表されるように、インテリジェンスを売りにした肩書きが市民権を得るようになり、いくつかの論壇誌も積極的に特集を組んでいる。インテリジェンス研究の必要性を早くから説いていた中西輝政の論考を筆頭に、『インテリジェンス――武器なき戦争』(幻冬舎, 2006年)の共著者である佐藤優と手嶋龍一の対談などによって構成された『中央公論』2007年7月号の「インテリジェンスという戦争」は、現時点でのインテリジェンス研究の姿を映している。
とはいえ、インテリジェンス(論)を取り巻く状況に関しては、政策実務面での関心が先行する傾向があり、それに比べて学術的な研究が立ち遅れているという需給バランスの悪さが目立つ。その要因の一端はインテリジェンス研究に纏わりつく胡散臭さにあることは確かだろう。イギリス留学を経て、インテリジェンス研究の必要性を痛感した中西輝政に対する彼の指導教官であった高坂正堯の忠告、すなわち「君のそのインテリジェンスとやらは防諜やスパイの研究を前提にしているから、いまの日本の学界の風潮を大きくはみ出している。そんな研究をしたら、君は学者としてはキワモノとみなされて、せいぜいスパイ小説を出している出版社から本を出せる程度にしかなれないよ」(「ウルトラ、ヴェノナ、エシュロン、マスクすら知らない日本でいいのか」『諸君』2007年2月号: 221頁)はそうした雰囲気を伝えている。しかしながら、マーティン・ワイトが述べているように、スパイあるいはインテリジェンス組織は、情報手段であるだけでなく、広くコミュニケーション手段のひとつであり、それは「相互依存の暗黒面(the dark underside of mutual interdependence)」という国際システムのもう一つの像を映し出しているとするならば(Systems of States, Leicester University Press, 1977: 30)、近代ヨーロッパで成立し世界大に広まった「国際社会」の歴史を理解する上で、インテリジェンス活動の実態を明らかにする学術的な作業は不可欠であろう。
こうした要請にもかかわらず、インテリジェンスに関する研究はなかなか進展しなかった。いくつか原因が考えられるが、そのひとつにインテリジェンス活動自体が高度な機密性を有しているため、その内実を実証的・科学的な手続きに基づいて明らかにする学問的基準に合致しないという判断が働いていることが指摘できるだろう。いわば学術性という観点に照らし合わせたとき、インテリジェンス研究はその資格を満たしていないとみなされ、ディシプリンの枠外に位置づけられる。こうした学術的・科学的尺度による排除に加えて、スパイ小説や映画などと関連付けられて主にフィクションの領域に限定されたり、あるいは通俗的な陰謀論の亜種として学術的に研究する価値が見出されないといった(残念ながら中西輝政の一部言動がこうした認識形成に寄与した感は否めない)、ディシプリンとして確立するうえでインテリジェンス研究は多くの困難を抱え、その資格について疑問符が付いて回った。
このような先入観に縛られた状況にあって、インテリジェンス研究を学術的な研究対象として成立させる取り組みのひとつが、既存のディシプリンが要求する実証性や科学性に基づいた形でインテリジェンスの実態を論じる方法であり、具体的には各国情報機関の公文書を渉猟することによって政治外交史研究の一種として提示する方法である。中西の下で学び、博士論文を基にした『イギリスの情報外交――インテリジェンスとは何か』(PHP研究所, 2004年)で、第二次大戦初期のイギリスの対日情報戦の実態を明らかにした小谷賢の研究は、歴史研究の領野に軸足を置きながら、インテリジェンスをめぐる議論状況の現在に対する何らかの含意を引き出すことをその視野に入れている。
その問題意識は二作目となる本書にも引き継がれており、米英との共時的比較ではなく、戦前の日本との通時的比較を通じて、日本におけるインテリジェンスをめぐる議論に対してどのような「歴史の教訓」が汲み取れるのかが主題として論じられている。また戦前の日本が情報戦で米英に完敗したという通説に対して、日本軍部が情報を収集・分析・利用していた実際の過程を一次史料と照らし合わせて検証することによって、日本軍部の情報能力が一定の水準に達していたことが明らかにされる。しかしながら副題が示唆するように、情報をどのように活用するかという認識の欠如とともに、円滑かつ有意義な情報利用を可能とするような制度的な基盤が十分に整っていなかったなどの問題点を抽出し、現在のインテリジェンスをめぐる言論への含意を導き出している。
陸軍および海軍の情報収集活動を検討した2・3章から明らかになった問題点は、情報収集活動に極端な偏りが見られたことにあった。陸軍は、暗号解読などで一定の成果を挙げたものの、対ソ重視/対米軽視の方針が維持されたため、来るべき対米戦争への準備不足を露呈することになった。他方で海軍は対米戦争を念頭に置きながらも、それに見合うだけの十分な人員や資金を投入せず、また防諜対策が不十分な状態にあった。情報分析にかかわる問題点としては、収集された情報を総合的に分析する部門および分析官が絶対的に不足していたことに加えて、インテリジェンスをインフォメーションと同一視する軍上層部の認識によって、的確な情報分析が困難となる状況にあった。さらに本来情報部が行うべき分析作業が作戦部で行われるといった情報部と作戦部の非対称的関係など制度上の問題点も指摘される。そして情報の利用に関しては、短期的・戦略的な側面では有効に機能したが、長期的・戦略面に目を移すと、政策決定者の主観的なイメージや判断に左右される利用が顕著となり、「情報の政治化」が進んでいった。楽観主義や希望的観測に満ちた戦略策定の原因は、政策決定者の間にインテリジェンスを求める思考が欠如していた点に求められる。
以上の日本軍による情報収集・分析・利用過程の検討から浮かび上がってくる問題点は、(1)情報部の低い地位、(2)情報集約機関の不在、(3)長期的運用意識の低さ、(4)情報リクワイアメントの不在、の4点に整理される。要約するならば、「日本がインテリジェンスを組織的、戦略的に利用することができなかったという組織構造や、対外インテリジェンスを軽視するというメンタリティー」(217頁)が戦前の日本軍部の情報活動を大きく制約していた。そして以上の考察から導かれた「歴史の教訓」は、上記4つの問題点に加えて防諜の不備とセクショナリズムを是正するとともに、一般国民の世論、言い換えればインテリジェンス・リテラシーの涵養の必要性が説かれる。
このように豊富な一次史料の読解を通じて、インテリジェンス活動が学術的観点からアプローチできる研究対象であることを示している。言い換えれば、本書はインテリジェンスという特異な対象に対してオーソドックスな方法論で切り込むことによって、インテリジェンスに対する先入観を正し、学術研究として十分に成立することを明らかにしている。
以下では、小谷の研究がインテリジェンス研究が今後採るべきひとつの方向性を提示していることを認識した上で、それとは異なる視座からインテリジェンスを論じる思潮の存在を念頭に置いてインテリジェンス研究が持っている多声性の位相を簡単に素描してみたい。しばしば「スパイは売春婦に続いて二番目に古い職業」といわれ、また「情報活動は、いわば『性の営み』にたとえることができよう。つまり、それなしには種の存続がありえないように、情報活動なくして国家の存続はありえない。ただし、情報活動は、性の営みと同様、それに淫すると有害な結果を招くことになる」(中西輝政「大英帝国、情報立国の近代史――民主主義国のインテリジェンス・リテラシーとは」『中央公論』2007年7月号: 34頁)と指摘されるように、スパイと売春婦、あるいはインテリジェンスとセクシュアリティの相同性に目を向けるならば、主流派の(ネオ)リアリズムやリベラリズムの認識論・存在論的基盤を問題化し、徹底的に批判した1980年代後半のポスト実証主義論争との関連性が見えてくる。この論争を通じて、それまで国際関係論(IR)において等閑視されてきた主体(売春婦をはじめとする女性全般やスパイ/インテリジェンス組織)、およびそれらが織り成す関係に着目し、積極的に論じられるようになったことは単なる偶然とは言えないだろう(前者の代表的な文献は、シンシア・エンロー『戦争の翌朝――ポスト冷戦時代をジェンダーで読む』緑風出版, 1999年、後者の例は言うまでもなくJames Der Derian, Antidiplomacy: Spies, Terror, Speed, and War, Blackwell, 1992 である)。
中西や小谷に代表される現在の研究潮流が既存のIRの中にインテリジェンスの存在を位置づけることを目指しているとするならば、ジェームズ・ダーデリアンの研究は、これまでのIRにおいてノイズとしてしか認識されてこなかったインテリジェンスに光を当てることによって、ディシプリンとしてIRを枠付けている境界線や、国際と国内を峻別することに伴うさまざまな機能分化(戦争/平和、男性/女性、アナーキー/秩序など)を問い直す。この点に関してインテリジェンス活動と表裏一体の関係にある外交を例に考えてみるならば、『オックスフォード英語辞書OED』の定義、すなわち「交渉による国際関係の処理であり、大公使によってこれらの関係が調整され処理される方法であり、外交官の職務あるいは技術」を引照枠として「簡単ではあるが正確な形で、何が外交であり、何が外交ではないか」を明らかにすることを意図したハロルド・ニコルソンの議論は、外交を主権国家の関係、あるいは国家の政策(statecraft)の領分に限定することで、議論の明確さを担保している(『外交』東京大学出版会, 1968年: 6-7頁)。マーティン・ワイトの言葉を借りれば、ニコルソンはその著書で「あたかもそれが唯一の外交の型であるかのように『外交』と呼べるものを記述した」のである(International Theory: the Three Traditions, Leicester University Press, 1991: 180)。しかしながら、ニコルソンがOEDの定義の一項目のみを引いて、それを外交の(唯一の/正統な)定義として提示したことは、外交に関わる主体の資格を国家やそれを代表する使者に排他的に与え、彼らによって構成される制限された領域として外交を把握する思考を定着させる作用を伴う(Costas M. Constantinou, On the Way to Diplomacy, University of Minnesota Press, 1996: 73-74)。外交と外交ならざるものとの間に境界線を引き、そして外交を国家の政策領域に(特権的に)位置づけることによって、外交の意味内容が固定化される。こうした点を捉えて、外交の多義性/多声性を明らかにしたのが、疎外によって創造/想像された他者との仲介の一種として外交を読み替え、その系譜を辿ったダーデリアンの研究(On Diplomacy: A Genealogy of Western Estrangement, Blackwell, 1987)、そして国家政策としての外交(Foreign Policy)の前提にアイデンティティの政治としてメタ外交(foreign policy)が作動していることを指摘したデヴィッド・キャンベルの研究である(Writing Security: United States Foreign Policy and the Politics of Identity , rev. ed., University of Minnesota Press, 1998)。
同様の「境界線の政治」が、現在のインテリジェンス研究においても看取される。すなわち最初に「何がインテリジェンスであり、何がインテリジェンスでないか」という主題の範囲を確定する作業がなされ、その後イギリスあるいは日本の情報活動の実態が考察される論理展開は、ある意味でインテリジェンスの学術的資格を満たすために必要な作業であるといえるが、他方で国家政策のひとつとしてインテリジェンスの意味を固定化する結果をもたらし、インテリジェンス研究がその政策的有意性の観点からのみ捉えられる政策科学(あるいは御用学問)としてみなされる可能性を持っている。それはかつての地政学が歩んだ道であり、現在でも地政学に対する偏見が根強いことを考えると、権力との距離のとり方は難しい課題であり(佐藤優・手嶋龍一「情報機関を『権力の罠』から遠ざけよ」『中央公論』前掲)、そこに現在のインテリジェンス研究にとっての陥穽があるといえる。たとえば小谷が日本軍のインテリジェンスの問題点として、情報の政治化が進み、インテリジェンス・サイクルがうまく機能しなかったことを指摘しているが、政策サイドの主観的判断が問題とされる一方で、情報サイドの主観性はあまり問題とされていない。情報の需給関係がまさしくサイクルを形作っているとすれば、政策決定者からのリクワイアメントに対し、客観的な情報を、時に不都合な真実といえるような情報を上げることが可能かどうかは疑問のあるところである。言い換えれば情報サイドが行政の論理に基づいて合理性を優先させることができるのに対し、政策サイド、とくに政治指導者は国民の目をはじめとしてさまざまな制約に縛られているが、その決定や判断をめぐる正統性に関しては情報サイドに比べて政策サイドの方が高いため、両者の関係はどうしても非対称的になってしまう。その意味で情報サイドの地位向上は民主主義の形骸化に結びつく可能性があり、また国民のインテリジェンス・リテラシーの向上に関しても、その内実は民主的統制の及ばない情報サイドの活動を是認するものに過ぎないのではないだろうか。
また、既存の境界線を横断する試みとしてインテリジェンス研究を捉えるならば、インテリジェンスに対して持たれていた先入観も克服すべきものではなく、積極的に利用できる研究素材となる。すなわちフィクションと現実の境界線が曖昧化され、たとえばスパイ小説や映画の読解を通して、実際の国際関係がどのように表象され、理解されているのか、そしてそうした表象が現実に対してどのような影響を持っているのかが考察の対象となってくる。ポップカルチャーを題材にして国際関係を論じることはポスト構造主義に属する研究者たちにとって馴染みの深いものである(Jutta Weldes ed., To Seek Out New Worlds: Science Fiction and World Politics, Palgrave, 2003、Daniel H. Nexon and Iver B. Neumann eds., Harry Potter and International Relations , Rowman & Littlefield, 2006)。それこそイアン・フレミングやジョン・ル・カレなどの典型的なスパイ小説が冷戦の展開によってどのような影響を受け、またその読者がそれらのスパイ小説を通じてどのような国際関係認識を抱くようになったのかを明らかにする作業は、高次の政治と低次の政治あるいは国家と社会といった区別を前提とするIRに対する批判的視座を提供する。たとえば、架空の防衛庁情報局(通称ダイス)に関わる人物が主人公となっている福井晴敏の一連の小説は、エンターテイメント性の高さとともに、防衛関係者の間でも広く読まれたことを考え合わせると、2000年代の日本を取り巻く国際環境に対する一定のイメージを与えているといえる。そこで取り上げられる日本の安全保障論や脅威対象としての北朝鮮の表象について作品ごとの変化を追っていくことによって政治的無意識の位相にまで切り込んだ洞察が得られるだろう。
さらに付け加えれば、「主権者の居場所、不浸透な国境線や厳密な地政学によって規定された領域から、加速化する流れ、異議申立てを受ける国境線、そして流動的な時政学の場へと移行しつつある」(ジェームズ・ダーデリアン「国際関係の(時)空間」『現代思想』30巻1号, 2002年: 156-157頁)現代の国際関係では、戦争自体がスペクタクル性を帯び始め、イメージ戦争の様相を呈している。別の論考でダーデリアンが論じているように、従来の軍事と産業の結びつきに加えて、戦争を報道するメディア、そしてメディアによる演出や伝えられる映像のゲーム的相似形など娯楽的な要素が絡み合う形で(MIME-NET)、戦争をめぐる現実性とフィクション性の融合が進んでいる(「脅迫――9.11の前と後」K・ブース&T・ダン編『衝突を超えて――9.11後の世界秩序』日本経済評論社, 2003年)。そしてこうした戦争形態を可能にしている要因が、通信情報技術の発展にあることは言うまでもなく、それらに依拠したテキント(TECHINT)がインテリジェンス活動において中心的な役割を果たすようになっている。たしかに、テキントの信頼性はイラク戦争に至る過程でブッシュ政権が提示した「証拠」の欠陥から明らかなように十分とは言えず、小谷が指摘するように(42頁)、テキントをヒューミント(HUMINT)で補完して情報分析を行う必要性があるが、理論上あらゆる場所に存在し、対象を監視し、客観的で詳細なデータを迅速に伝達するテキントは、高度に情報化した現代社会の要請に沿うものであるともいえる。その意味で、インテリジェンス研究は情報社会/監視社会をめぐる問題圏と重なり合う面があり、国家政策の域に限定されない射程を有している。
インテリジェンス研究の必要性や意義が唱えられ、研究対象として確立されつつある過程で、曖昧で多義的なインテリジェンスの意味が整理されていくことは当然の成り行きであるといえる。このような境界画定としてのインテリジェンス(研究)に対して、既存の境界を揺さぶり、横断する主体あるいは対象としてインテリジェンスを把握する視座が存在する。あるいはミハイル・バフチンに倣って言うならば(『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』せりか書房, 1973年: 序論)、グロテスク・リアリズムとしてのインテリジェンス(研究)の可能性を視野に入れておく必要がある。
冷戦後の世界において情報が重要な力の源泉となり、核の傘に代わって情報の傘によって安全が保障される時代の到来を指摘したのはジョセフ・ナイであったが(「情報革命と新安全保障秩序」『中央公論』1996年5月号)、それから10年遅れで日本においても本格的に情報(力)、あるいはより広義にインテリジェンスの重要性についての認識が深まり、一般言語として流通するようになってきた。政策実務レベルで情報あるいはインテリジェンス基盤の整備を求める提言が出される一方で、元外交官の佐藤優に代表されるように、インテリジェンスを売りにした肩書きが市民権を得るようになり、いくつかの論壇誌も積極的に特集を組んでいる。インテリジェンス研究の必要性を早くから説いていた中西輝政の論考を筆頭に、『インテリジェンス――武器なき戦争』(幻冬舎, 2006年)の共著者である佐藤優と手嶋龍一の対談などによって構成された『中央公論』2007年7月号の「インテリジェンスという戦争」は、現時点でのインテリジェンス研究の姿を映している。
とはいえ、インテリジェンス(論)を取り巻く状況に関しては、政策実務面での関心が先行する傾向があり、それに比べて学術的な研究が立ち遅れているという需給バランスの悪さが目立つ。その要因の一端はインテリジェンス研究に纏わりつく胡散臭さにあることは確かだろう。イギリス留学を経て、インテリジェンス研究の必要性を痛感した中西輝政に対する彼の指導教官であった高坂正堯の忠告、すなわち「君のそのインテリジェンスとやらは防諜やスパイの研究を前提にしているから、いまの日本の学界の風潮を大きくはみ出している。そんな研究をしたら、君は学者としてはキワモノとみなされて、せいぜいスパイ小説を出している出版社から本を出せる程度にしかなれないよ」(「ウルトラ、ヴェノナ、エシュロン、マスクすら知らない日本でいいのか」『諸君』2007年2月号: 221頁)はそうした雰囲気を伝えている。しかしながら、マーティン・ワイトが述べているように、スパイあるいはインテリジェンス組織は、情報手段であるだけでなく、広くコミュニケーション手段のひとつであり、それは「相互依存の暗黒面(the dark underside of mutual interdependence)」という国際システムのもう一つの像を映し出しているとするならば(Systems of States, Leicester University Press, 1977: 30)、近代ヨーロッパで成立し世界大に広まった「国際社会」の歴史を理解する上で、インテリジェンス活動の実態を明らかにする学術的な作業は不可欠であろう。
こうした要請にもかかわらず、インテリジェンスに関する研究はなかなか進展しなかった。いくつか原因が考えられるが、そのひとつにインテリジェンス活動自体が高度な機密性を有しているため、その内実を実証的・科学的な手続きに基づいて明らかにする学問的基準に合致しないという判断が働いていることが指摘できるだろう。いわば学術性という観点に照らし合わせたとき、インテリジェンス研究はその資格を満たしていないとみなされ、ディシプリンの枠外に位置づけられる。こうした学術的・科学的尺度による排除に加えて、スパイ小説や映画などと関連付けられて主にフィクションの領域に限定されたり、あるいは通俗的な陰謀論の亜種として学術的に研究する価値が見出されないといった(残念ながら中西輝政の一部言動がこうした認識形成に寄与した感は否めない)、ディシプリンとして確立するうえでインテリジェンス研究は多くの困難を抱え、その資格について疑問符が付いて回った。
このような先入観に縛られた状況にあって、インテリジェンス研究を学術的な研究対象として成立させる取り組みのひとつが、既存のディシプリンが要求する実証性や科学性に基づいた形でインテリジェンスの実態を論じる方法であり、具体的には各国情報機関の公文書を渉猟することによって政治外交史研究の一種として提示する方法である。中西の下で学び、博士論文を基にした『イギリスの情報外交――インテリジェンスとは何か』(PHP研究所, 2004年)で、第二次大戦初期のイギリスの対日情報戦の実態を明らかにした小谷賢の研究は、歴史研究の領野に軸足を置きながら、インテリジェンスをめぐる議論状況の現在に対する何らかの含意を引き出すことをその視野に入れている。
その問題意識は二作目となる本書にも引き継がれており、米英との共時的比較ではなく、戦前の日本との通時的比較を通じて、日本におけるインテリジェンスをめぐる議論に対してどのような「歴史の教訓」が汲み取れるのかが主題として論じられている。また戦前の日本が情報戦で米英に完敗したという通説に対して、日本軍部が情報を収集・分析・利用していた実際の過程を一次史料と照らし合わせて検証することによって、日本軍部の情報能力が一定の水準に達していたことが明らかにされる。しかしながら副題が示唆するように、情報をどのように活用するかという認識の欠如とともに、円滑かつ有意義な情報利用を可能とするような制度的な基盤が十分に整っていなかったなどの問題点を抽出し、現在のインテリジェンスをめぐる言論への含意を導き出している。
陸軍および海軍の情報収集活動を検討した2・3章から明らかになった問題点は、情報収集活動に極端な偏りが見られたことにあった。陸軍は、暗号解読などで一定の成果を挙げたものの、対ソ重視/対米軽視の方針が維持されたため、来るべき対米戦争への準備不足を露呈することになった。他方で海軍は対米戦争を念頭に置きながらも、それに見合うだけの十分な人員や資金を投入せず、また防諜対策が不十分な状態にあった。情報分析にかかわる問題点としては、収集された情報を総合的に分析する部門および分析官が絶対的に不足していたことに加えて、インテリジェンスをインフォメーションと同一視する軍上層部の認識によって、的確な情報分析が困難となる状況にあった。さらに本来情報部が行うべき分析作業が作戦部で行われるといった情報部と作戦部の非対称的関係など制度上の問題点も指摘される。そして情報の利用に関しては、短期的・戦略的な側面では有効に機能したが、長期的・戦略面に目を移すと、政策決定者の主観的なイメージや判断に左右される利用が顕著となり、「情報の政治化」が進んでいった。楽観主義や希望的観測に満ちた戦略策定の原因は、政策決定者の間にインテリジェンスを求める思考が欠如していた点に求められる。
以上の日本軍による情報収集・分析・利用過程の検討から浮かび上がってくる問題点は、(1)情報部の低い地位、(2)情報集約機関の不在、(3)長期的運用意識の低さ、(4)情報リクワイアメントの不在、の4点に整理される。要約するならば、「日本がインテリジェンスを組織的、戦略的に利用することができなかったという組織構造や、対外インテリジェンスを軽視するというメンタリティー」(217頁)が戦前の日本軍部の情報活動を大きく制約していた。そして以上の考察から導かれた「歴史の教訓」は、上記4つの問題点に加えて防諜の不備とセクショナリズムを是正するとともに、一般国民の世論、言い換えればインテリジェンス・リテラシーの涵養の必要性が説かれる。
このように豊富な一次史料の読解を通じて、インテリジェンス活動が学術的観点からアプローチできる研究対象であることを示している。言い換えれば、本書はインテリジェンスという特異な対象に対してオーソドックスな方法論で切り込むことによって、インテリジェンスに対する先入観を正し、学術研究として十分に成立することを明らかにしている。
以下では、小谷の研究がインテリジェンス研究が今後採るべきひとつの方向性を提示していることを認識した上で、それとは異なる視座からインテリジェンスを論じる思潮の存在を念頭に置いてインテリジェンス研究が持っている多声性の位相を簡単に素描してみたい。しばしば「スパイは売春婦に続いて二番目に古い職業」といわれ、また「情報活動は、いわば『性の営み』にたとえることができよう。つまり、それなしには種の存続がありえないように、情報活動なくして国家の存続はありえない。ただし、情報活動は、性の営みと同様、それに淫すると有害な結果を招くことになる」(中西輝政「大英帝国、情報立国の近代史――民主主義国のインテリジェンス・リテラシーとは」『中央公論』2007年7月号: 34頁)と指摘されるように、スパイと売春婦、あるいはインテリジェンスとセクシュアリティの相同性に目を向けるならば、主流派の(ネオ)リアリズムやリベラリズムの認識論・存在論的基盤を問題化し、徹底的に批判した1980年代後半のポスト実証主義論争との関連性が見えてくる。この論争を通じて、それまで国際関係論(IR)において等閑視されてきた主体(売春婦をはじめとする女性全般やスパイ/インテリジェンス組織)、およびそれらが織り成す関係に着目し、積極的に論じられるようになったことは単なる偶然とは言えないだろう(前者の代表的な文献は、シンシア・エンロー『戦争の翌朝――ポスト冷戦時代をジェンダーで読む』緑風出版, 1999年、後者の例は言うまでもなくJames Der Derian, Antidiplomacy: Spies, Terror, Speed, and War, Blackwell, 1992 である)。
中西や小谷に代表される現在の研究潮流が既存のIRの中にインテリジェンスの存在を位置づけることを目指しているとするならば、ジェームズ・ダーデリアンの研究は、これまでのIRにおいてノイズとしてしか認識されてこなかったインテリジェンスに光を当てることによって、ディシプリンとしてIRを枠付けている境界線や、国際と国内を峻別することに伴うさまざまな機能分化(戦争/平和、男性/女性、アナーキー/秩序など)を問い直す。この点に関してインテリジェンス活動と表裏一体の関係にある外交を例に考えてみるならば、『オックスフォード英語辞書OED』の定義、すなわち「交渉による国際関係の処理であり、大公使によってこれらの関係が調整され処理される方法であり、外交官の職務あるいは技術」を引照枠として「簡単ではあるが正確な形で、何が外交であり、何が外交ではないか」を明らかにすることを意図したハロルド・ニコルソンの議論は、外交を主権国家の関係、あるいは国家の政策(statecraft)の領分に限定することで、議論の明確さを担保している(『外交』東京大学出版会, 1968年: 6-7頁)。マーティン・ワイトの言葉を借りれば、ニコルソンはその著書で「あたかもそれが唯一の外交の型であるかのように『外交』と呼べるものを記述した」のである(International Theory: the Three Traditions, Leicester University Press, 1991: 180)。しかしながら、ニコルソンがOEDの定義の一項目のみを引いて、それを外交の(唯一の/正統な)定義として提示したことは、外交に関わる主体の資格を国家やそれを代表する使者に排他的に与え、彼らによって構成される制限された領域として外交を把握する思考を定着させる作用を伴う(Costas M. Constantinou, On the Way to Diplomacy, University of Minnesota Press, 1996: 73-74)。外交と外交ならざるものとの間に境界線を引き、そして外交を国家の政策領域に(特権的に)位置づけることによって、外交の意味内容が固定化される。こうした点を捉えて、外交の多義性/多声性を明らかにしたのが、疎外によって創造/想像された他者との仲介の一種として外交を読み替え、その系譜を辿ったダーデリアンの研究(On Diplomacy: A Genealogy of Western Estrangement, Blackwell, 1987)、そして国家政策としての外交(Foreign Policy)の前提にアイデンティティの政治としてメタ外交(foreign policy)が作動していることを指摘したデヴィッド・キャンベルの研究である(Writing Security: United States Foreign Policy and the Politics of Identity , rev. ed., University of Minnesota Press, 1998)。
同様の「境界線の政治」が、現在のインテリジェンス研究においても看取される。すなわち最初に「何がインテリジェンスであり、何がインテリジェンスでないか」という主題の範囲を確定する作業がなされ、その後イギリスあるいは日本の情報活動の実態が考察される論理展開は、ある意味でインテリジェンスの学術的資格を満たすために必要な作業であるといえるが、他方で国家政策のひとつとしてインテリジェンスの意味を固定化する結果をもたらし、インテリジェンス研究がその政策的有意性の観点からのみ捉えられる政策科学(あるいは御用学問)としてみなされる可能性を持っている。それはかつての地政学が歩んだ道であり、現在でも地政学に対する偏見が根強いことを考えると、権力との距離のとり方は難しい課題であり(佐藤優・手嶋龍一「情報機関を『権力の罠』から遠ざけよ」『中央公論』前掲)、そこに現在のインテリジェンス研究にとっての陥穽があるといえる。たとえば小谷が日本軍のインテリジェンスの問題点として、情報の政治化が進み、インテリジェンス・サイクルがうまく機能しなかったことを指摘しているが、政策サイドの主観的判断が問題とされる一方で、情報サイドの主観性はあまり問題とされていない。情報の需給関係がまさしくサイクルを形作っているとすれば、政策決定者からのリクワイアメントに対し、客観的な情報を、時に不都合な真実といえるような情報を上げることが可能かどうかは疑問のあるところである。言い換えれば情報サイドが行政の論理に基づいて合理性を優先させることができるのに対し、政策サイド、とくに政治指導者は国民の目をはじめとしてさまざまな制約に縛られているが、その決定や判断をめぐる正統性に関しては情報サイドに比べて政策サイドの方が高いため、両者の関係はどうしても非対称的になってしまう。その意味で情報サイドの地位向上は民主主義の形骸化に結びつく可能性があり、また国民のインテリジェンス・リテラシーの向上に関しても、その内実は民主的統制の及ばない情報サイドの活動を是認するものに過ぎないのではないだろうか。
また、既存の境界線を横断する試みとしてインテリジェンス研究を捉えるならば、インテリジェンスに対して持たれていた先入観も克服すべきものではなく、積極的に利用できる研究素材となる。すなわちフィクションと現実の境界線が曖昧化され、たとえばスパイ小説や映画の読解を通して、実際の国際関係がどのように表象され、理解されているのか、そしてそうした表象が現実に対してどのような影響を持っているのかが考察の対象となってくる。ポップカルチャーを題材にして国際関係を論じることはポスト構造主義に属する研究者たちにとって馴染みの深いものである(Jutta Weldes ed., To Seek Out New Worlds: Science Fiction and World Politics, Palgrave, 2003、Daniel H. Nexon and Iver B. Neumann eds., Harry Potter and International Relations , Rowman & Littlefield, 2006)。それこそイアン・フレミングやジョン・ル・カレなどの典型的なスパイ小説が冷戦の展開によってどのような影響を受け、またその読者がそれらのスパイ小説を通じてどのような国際関係認識を抱くようになったのかを明らかにする作業は、高次の政治と低次の政治あるいは国家と社会といった区別を前提とするIRに対する批判的視座を提供する。たとえば、架空の防衛庁情報局(通称ダイス)に関わる人物が主人公となっている福井晴敏の一連の小説は、エンターテイメント性の高さとともに、防衛関係者の間でも広く読まれたことを考え合わせると、2000年代の日本を取り巻く国際環境に対する一定のイメージを与えているといえる。そこで取り上げられる日本の安全保障論や脅威対象としての北朝鮮の表象について作品ごとの変化を追っていくことによって政治的無意識の位相にまで切り込んだ洞察が得られるだろう。
さらに付け加えれば、「主権者の居場所、不浸透な国境線や厳密な地政学によって規定された領域から、加速化する流れ、異議申立てを受ける国境線、そして流動的な時政学の場へと移行しつつある」(ジェームズ・ダーデリアン「国際関係の(時)空間」『現代思想』30巻1号, 2002年: 156-157頁)現代の国際関係では、戦争自体がスペクタクル性を帯び始め、イメージ戦争の様相を呈している。別の論考でダーデリアンが論じているように、従来の軍事と産業の結びつきに加えて、戦争を報道するメディア、そしてメディアによる演出や伝えられる映像のゲーム的相似形など娯楽的な要素が絡み合う形で(MIME-NET)、戦争をめぐる現実性とフィクション性の融合が進んでいる(「脅迫――9.11の前と後」K・ブース&T・ダン編『衝突を超えて――9.11後の世界秩序』日本経済評論社, 2003年)。そしてこうした戦争形態を可能にしている要因が、通信情報技術の発展にあることは言うまでもなく、それらに依拠したテキント(TECHINT)がインテリジェンス活動において中心的な役割を果たすようになっている。たしかに、テキントの信頼性はイラク戦争に至る過程でブッシュ政権が提示した「証拠」の欠陥から明らかなように十分とは言えず、小谷が指摘するように(42頁)、テキントをヒューミント(HUMINT)で補完して情報分析を行う必要性があるが、理論上あらゆる場所に存在し、対象を監視し、客観的で詳細なデータを迅速に伝達するテキントは、高度に情報化した現代社会の要請に沿うものであるともいえる。その意味で、インテリジェンス研究は情報社会/監視社会をめぐる問題圏と重なり合う面があり、国家政策の域に限定されない射程を有している。
インテリジェンス研究の必要性や意義が唱えられ、研究対象として確立されつつある過程で、曖昧で多義的なインテリジェンスの意味が整理されていくことは当然の成り行きであるといえる。このような境界画定としてのインテリジェンス(研究)に対して、既存の境界を揺さぶり、横断する主体あるいは対象としてインテリジェンスを把握する視座が存在する。あるいはミハイル・バフチンに倣って言うならば(『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』せりか書房, 1973年: 序論)、グロテスク・リアリズムとしてのインテリジェンス(研究)の可能性を視野に入れておく必要がある。
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