constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「知日派」に対する期待と代償

2009年01月09日 | nazor
「世界で最も重要な二国間関係」と形容される日米関係の今後はアメリカにおける政権交代によってどの程度左右されるものなのだろうか。対アジア政策において日本よりも中国を重視する傾向が共和党に比べて強いとされる民主党政権の誕生がいわゆる「日本軽視(そして無視)」を招来するのではないかという懸念が囁かれる深層心理に流れているのは、戦後の日米関係において「最良」とされたブッシュ・小泉「蜜月」時代への郷愁であり、「最良」ゆえにそれ以上良くなる展望を持てず、むしろ悪化する不安ばかりが目に付く悲観主義が漂うことになる。これまでと同様の日米関係を維持し発展させるため、大統領選挙期間中から積極的に両陣営の対日(・アジア)政策ブレーンと接触していた駐米日本大使館の動きもまたこうした流れのひとつといえるだろう(「NHKスペシャル:日本とアメリカ(第3回)ホワイトハウスに日本を売り込め」2008年11月2日放送)。その意味で『朝日新聞』が先行する形で報じられた国際政治学者ジョセフ・ナイが駐日大使、またカート・キャンベルが国務省東アジア・太平洋担当次官補を起用するオバマ新政権の対アジア外交スタッフの陣容は悲観論をいくぶんか和らげる効果を持つだろうし、このニュースを大きく取り上げた『朝日新聞』もまた日米関係の行く末に少なからず不安を覚えていたことは厳密な意味での「ジャパン・ハンズ/知日派」ではないナイをあえて「知日派」と呼んだり、ナイの大使就任については流動的との見方に言及されていない点に看取できる(「米駐日大使にジョセフ・ナイ氏 オバマ新政権」『朝日新聞』2009年1月8日、大使就任が確定事項ではない点については「ナイ・ハーバード大教授、次期米駐日大使に浮上」『読売新聞』2009年1月9日)。

日米関係の将来に対する潜在的な不安感の裏返しとして、過剰なまでの期待が今回のナイの駐日大使起用をめぐる報道には見え隠れするが、おそらくそうした期待を寄せることは日本側からの一方的な求愛でしかない。たしかに世界的な冷戦構造の崩壊後、その存在理由が揺らぎ、「漂流」状態にあった日米関係に新たなアイデンティティを与える作業においてナイが果たした役割が重要であったことは明らかである。しかしながら、「日米同盟の再定義」をもって彼を「知日派」とみなすことはいささか短絡的だろう。すくなくとも「ナイ・イニシアティヴ」はポスト冷戦時代の日米関係のあり方における政策構想の一つに過ぎず、そもそも防衛問題懇談会報告書(通称『樋口リポート』)に見られる多国間主義への傾斜に対するアメリカ側の強い懸念が日米同盟の再定義の背景にあったことを考えるならば、冷戦の終焉という国際環境の変化がもたらした政策選択の幅の拡充を戦後アメリカが築き上げたアジア地域秩序の構成原理を変えず、むしろそれをより積極的に支えるような関係性へと向かわせる基盤となった点に留意する必要がある。

1960年代後半の「知日派」の対日認識と政策構想に焦点を当てて日米関係を論じた玉置敦彦「ジャパン・ハンズ――変容する日米関係と米政権日本専門家の視線、1965-1968」『思想』(1017号、2009年)の表現を借りるならば、「ナイ・イニシアティヴ」は、「自立する日本」という不安への対策として提起され、さらに軍事的な協力関係を深める形での責任分担を促す意味で「自立しない日本」というアメリカの不満を解消する政策構想であり、まさにアメリカの抱える不安と不満の双方についての処方箋の始点に位置するのが「ナイ・イニシアティヴ」であった。この点を考慮に入れたとき、オバマ政権におけるナイの影響力がどの程度のものか未知数であるものの、たとえ強い影響力を発揮した場合に予想される帰結は、アメリカの世界戦略にいっそう組み込まれた、すくなくとも日本側に政策選択の自由がほとんど残されていない非対称的同盟関係の強化であろう。こうした同盟のあり方が妥当なのか否かの判断が立場によって異なるだろうが、アメリカに見捨てられる恐怖に過敏なあまり、さらなる協力を求める動きが日本側の政策担当者の間から出てくることもこれまでの日米関係の経緯を見れば十分に考えられる。そしてそれは、アメリカが期待する日本の主体性(=従属性)を促す意味で、ナイの専売特許である「ソフト・パワー」の行使といえる。

さらに玉置論文から得られる示唆を指摘するならば、1960年代後半の日米関係を取り巻く状況は奇しくもオバマ政権誕生前夜の現在と通底する点が多い。両方の時期ともアメリカは、軍事面および経済面における二重の苦境に陥っている(戦争の泥沼化と経済危機)。いわばヘゲモニー下降局面に直面しているアメリカは、同盟国の自立および離反に対する警戒感とヘゲモニーの維持のために同盟国の協力と負担の要求という矛盾する課題を追求しなくてはならない状況にある。1960年代後半の日米関係の場合、アメリカ政権上層部とジャパン・ハンズとの間で「日本の国内情勢をどこまで考慮するのか、という点をめぐって齟齬が生じ」、「最終的に出先[ジャパン・ハンズ]の認識と政策構想を、本国がほぼ全面的に受け入れ」た点から「1960年代におけるアメリカ対日政策のダイナミズムを考える上で、日本国内の政治情勢と、それに対するジャパン・ハンズの解釈の重要性を看過することはできない」と玉置は指摘する(122頁)。玉置自身は以上の知見の安易な一般化に慎重であるが、この知見から含意を導き出すとすれば、ジャパン・ハンズ第二世代の行動規範となっていた「すぐれて状況対応的な政策判断」(121頁)の伝統がどの程度オバマ政権の「知日派」に受け継がれているのか、厳密な意味での「知日派」とはいえないジョセフ・ナイの起用が1960年代後半の日米関係で働いていたメカニズムにどのような変化を与えるのか、そしてその伝統が依然として息づいているならば、麻生政権の末期的症状および次期総選挙における政権交代の可能性といった日本国内政治の現況をどのように認識し、政策の立案および遂行に反映していくのか、といった点が興味深い論点として浮かび上がる。それゆえ日米関係の今後を占う上で日本国内の政治情勢が重要な変数となってくるといえる。

「知日派」の起用に一喜一憂する態度はまさしく「世界で最も重要な二国間関係」という視座に起因するものであり、過剰な期待は大きな失望と隣り合わせであり、相応の代償を伴う視野狭窄をもたらす。アメリカ外交全体、あるいは対アジア政策においても対中・対韓政策との関わりで日米関係の意味合いが変わることを考えると、日本の期待とアメリカのそれとの間にはズレが存在することは明らかであろう。この期待におけるズレを埋める作業は逆説的に現実の同盟関係の非対称性を促進し、「世界で最も重要な二国間関係」はその歪さを構造化させていく。「日本重視/軽視/無視」といったアメリカの態度にかかわらず、日本が対米協調の枠外に出ることはできないとすれば、「知日派」の起用如何はそれほど重要性を帯びたイシューとはいえないだろう。

・追記(1月10日)
ジョフフ・ナイの駐日大使起用が規定路線とはいえない点に関して続報記事を掲載しているのが今日の『読売新聞』朝刊で(今のところ読売のサイトには掲載されていない)、それによれば、国務長官起用の噂もあったチャック・ヘーゲル前共和党上院議員が駐日大使の最有力候補で、ナイはあくまで候補の一人として名前が挙がっているにすぎないらしい。その意味で駐日大使の人選は今後しばらく見守る必要があるといえる。

・追記(1月25日)
「元国防次官補のジョセフ・ナイ氏、駐日米大使に内定」『読売新聞』

ジョセフ・ナイの駐日大使起用について慎重な報道姿勢を見せていた『読売』もナイの大使就任内定を報じたことで(本命はチャック・ヘーゲル上院議員だったと言外に匂わせつつも)、とりあえず人選に関しては決着がつき、あとはナイの起用がアメリカの対日政策においてどのような意味合いを持ってくるのかに論点は移っていくことになる。

・追記(2月13日)
「米駐日大使候補ナイ教授が簡単にOKしない理由」『週刊文春』2009年2月19日号

駐日大使の正式発表がないことについて『週刊文春』で小ネタ扱いであるが、ナイの希望が日本ではなくインド大使だとか、ハーヴァードでの研究生活に未練があるとかいろいろ理由が(西側消息筋の話を通して)列挙されている。駐日大使も駐インド大使もケネディ政権で「学者大使」が起用されたポストであることは興味深い(エドウィン・ライシャワーとジョン・ケネス・ガルブレイス)。

・追記(5月20日)
「米駐日大使に弁護士のルース氏 オバマ氏の選挙を支援」『朝日新聞』

ここにきて、駐日大使に日本にも馴染み深いナイではなく、ジョン・ルースの起用の背景にオバマ大統領の意向が働いていたことが指摘されるが、起用に当たって日本との関係ではなく、大統領個人との関係が重視されたことは、「日本軽視/無視」という懸念や批判に根拠を与え、日米同盟の将来に不安を覚えさせるかもしれない。
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