constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

リキッド・スターター

2010年04月22日 | hrat
楽天ルーキー・戸村、ホロ苦4失点デビュー(『サンケイスポーツ』)

左脇腹を痛めてたったの2球投げただけで降板した青山の代役として先発ローテに入った長谷部も怪我で空いた穴を埋める役割が回ってきたドラフト1位ルーキーの戸村であったが、打順が二回りしたところであっけなく攻略されてしまい、昨年5月5日初登板初先発で白星を挙げた井坂の再現という二匹目のドジョウにはなれず、いまだ波に乗り切れない楽天。

揃って2勝2敗の成績の先発三本柱(岩隈・田中・永井)に続く先発陣の整備という問題を打開する糸口は見えていない。長谷部・ラズナー・藤原の「裏ローテ」組みは、3人で3勝6敗、しかも防御率を見てみれば、長谷部が 7.90、ラズナーが 8.79、藤原にいたっては 11.25 と散々たる状態である。拙攻病を患っている打撃陣との組み合わせを考えれば、勝利の確実性は非常に低いといわざるをえない。

こうした現状において、長谷部の故障離脱もあって、先発の枠は流動的であり、戸村もまだチャンスはあるだろうし、昨日の試合で二番手として登板した片山にも近いうちに先発の機会が巡ってくるであろう。

新党「たちあがれ日本」は「フォルツァ・イタリア」の道を歩むのか

2010年04月12日 | nazor
鳩山政権の支持率が危険水域まで低下しているにもかかわらず、最大野党の自民党も「御家騒動」で反転攻勢に向けた動きが見られない閉塞感漂う現状を背景として誕生した新党「たちあがれ日本」であるが、これまでの自民党政治にも、そして政権交代で発足した民主党政権にも失望を感じる有権者の受け皿となりえるかという点について懐疑的な見方が多くを占めている。党の顔である平沼赳夫と与謝野馨との間には、郵政民営化をはじめとして政策および理念上の距離があり、「水と油」と評されるほど大きく開いていることは周知のとおりである。また発起人である石原都知事が命名した党名「たちあがれ日本」については、結党メンバーの5人が古希前後という年齢の高さなどから「立ち枯れ日本」との揶揄する声、そして平沼代表の政敵である竹中平蔵の対談本タイトル『立ち上がれ!日本――「力強い国家」を創る戦略』(PHP研究所, 2001年)や石原との共著『NOと言えるアジア』で知られるマレーシア元首相マハティールの著書『立ち上がれ日本人』(新潮社, 2003年)と(漢字と平仮名の違いがあるものの)重複していると指摘する声が聞かれるなど真剣に受け止められるというよりも一種の(政治)ネタとしての側面に注目が集まっている。いずれにしても「反民主党政権」の一点で結束する状況は将来的に組織政党として発展していく見込みに乏しく、それこそ次期参議院選挙で民主党の単独過半数阻止という当面の目標を達成した段階で自民党に吸収されるなどして解散してしまうことは大いに考えられる。換言すれば、「新」党が喚起するはずの斬新さに欠ける「たちあがれ日本」は、よほどのサプライズがないかぎり、参議院選挙までの「時限」政党の域を超えられないのではないだろうか。

以下では、「たちあがれ」という有権者や国民を鼓舞する党名から、イタリアの政党「フォルツァ・イタリア」を容易に想起できる点に発想を得て一つの展望を試みたい。日本政治と同様に派閥政治や利権絡みの腐敗および汚職が蔓延し、グローバル化などの国際的要因に対応できない行政・経済部門の非効率性が顕著となって、国民の政治不信が高まっていた1990年代のイタリアは、第一共和制から第二共和制への転換、すなわち「革命」とも形容される「戦後西欧最大の平和的体制変動」を経験した(伊藤武「イタリア」網谷龍介・伊藤武・成廣孝編『ヨーロッパのデモクラシー』ナカニシヤ出版, 2009年: 203頁)。検察によるマフィア摘発「清い手作戦」が全国規模に拡大し、戦後イタリア政治の中心にあり議会第一党の地位を占めてきたキリスト教民主党をはじめとする既成政党全体にまで及んでいった。またレファレンダム運動に端を発する、政権交代を可能とするための選挙制度改革の動きも加わって、戦後イタリア政治を特徴付ける「政党支配体制」が機能不全状態に陥り、政治体制上の岐路にあったのである。そうした状況で実施された1994年の総選挙で躍進したのがベルルスコーニ率いる「フォルツァ・イタリア」であった。たしかに選挙後に成立したベルルスコーニ政権は自らの汚職問題などで一年足らずで崩壊し、テクノクラート政権を挟んで中道左派の「オリーブ」連合が政権を獲得したため、一過性の現象に終わる可能性もあった。しかし「フォルツァ・イタリア」は、その後も中道右派勢力の結集において中核を占め、2001年総選挙で政権を奪還したように、イタリアの政党政治にしっかりと定着するまでに至っている。2008年に「フォルツァ・イタリア」は、中道右派政党「自由の人民」の結成によって解散するが、「自由の人民」の党首をベルルスコーニが務めていることから明らかなように、「フォルツァ・イタリア」は第二共和制イタリアの政治史を叙述するうえで不可欠な政党とみなすことができる評価を得ているといってよいだろう。

政党システム論のジャーゴンに従うと、左右の両翼にそれぞれ西ヨーロッパ最大の共産主義政党(イタリア共産党)とファシスト政党(イタリア社会運動)を抱え、キリスト教民主党を軸とした中道勢力の連合政治が展開してきた第一共和制のイタリア政治は、一般に「分極的多党制」に分類されてきた(あるいは選挙で第一党の座を獲得し首相職をほぼ独占してきたキリスト教民主党に日本の自民党との共通点を看取し、「一党優位制」と捉える議論もあった)。このような特徴を持つイタリアの政党政治は閉塞状況に直面した結果、比例代表から小選挙区比例代表併用制への選挙制度改革によって政権交代を可能とする二大政党制の実現が目指された。そして第二共和制のイタリア政治の展開を振り返ってみるならば、「フォルツァ・イタリア」や「北部同盟」といった新党や体制外政党「イタリア社会運動」(および後継政党の「国民同盟」)が核となって中道右派勢力の結集が生じ、「自由の人民」が誕生した一方、中道左派勢力の側でもキリスト教民主党左派や左翼民主党などが中心となって「オリーブ」連合を経て民主党の結成に至っているように、政党の結晶化が進展し、「自由の人民」と民主党という左右の二大政党(政治ブロック)による政党政治が実現しているとみなしてもよい状況にある。このような二大政党(政治ブロック)に帰結したイタリアの政界再編過程は、戦後政治の歩みの類似性とポスト冷戦の国内政治動向の対照性ゆえに(伊藤: 188頁)、「政権交代のある政治」を目指した日本の政治改革や政界再編論争にとっての比較事例として最適な候補であるといえる。

すでに新党結成ブームが起こり、細川政権の誕生に結実した1993年前後の時点で、イタリア政治を参照点とする見解が出されている。たとえば、『朝日新聞』の論壇時評を中心にまとめた時論集『解体する現代権力政治』(朝日新聞社, 1994年)の「あとがき」で、高橋進は、イタリア政治を補助線として日本政治のシナリオを、「かなりの希望的観測を含む楽観的なシナリオ」と断りつつも、次のように描いた(321-322頁)。すなわち政党からの政治家の自立が進行して、政党の液状化が起こり、原子化された政党システムへ移行していく。そして多数派形成に向けた離合集散状況で、個々の政治家は、自らの見解を有権者に対して積極的に表明し、また有権者も政治家に対して説明責任を求めていく。このサイクルを通じて個々の政治家の意見表明が蓄積され、同じ理念を持つ政治家グループの形成につながり、それらを軸とした新しい政党が誕生する。そしてこのシナリオにおいて鍵となるのが「政治家の見識と実践的英知であり、選挙制度と合わせて新しいタイプの政党をどこがどのように発明するのか、コアーとなる政治家集団を束ねるリーダーの力量、そして政策に対する個々の政治家の感受性と責任感」であると指摘した。

その後の日本政治の展開を見たとき、イタリアとは違って、政界全体に及ぶような再編劇は起こらなかった。それは、非自民政権が短命に終わり、社会党との連立というアクロバット的な手法で政権与党の座に返り咲いた自民党が、その後一貫して政権を握ってきたためであり、政界再編の動きは、野党勢力の離合集散という形で進んでいくことになった。そしてようやく二大政党の一翼を担う政党として民主党が台頭してきたわけであるが、その間、一方の極を占める自民党は、公明党との連立や選挙協力、そして新自由主義路線に舵を切るなどしてその時々の政治情勢を読み取り、政権の延命を図っていった。野党勢力の離合集散が長期化することによって、自民党政治の継続が可能になったといえるが、それは同時に自民党政治の劣化現象を昂進させ、危機感覚を麻痺させることにもなった。ポスト55年体制の政治に適合した政党の在り方を模索し、それにあわせて党内改革を進める試みを怠った代償は、安倍・福田・麻生政権で一気に表面化し、2009年の政権交代に至る結果をもたらしたといえる。

このように日本政治における政界再編が、野党勢力に限定された片面的なものであったことは、政界再編が貫徹していないことを意味している。政権交代後に自民党から離党者が相次いでいることは、政界再編の第二ラウンドが自民党を舞台として展開していく可能性を示唆しているのではないだろうか。そのとき、新党「たちあがれ日本」は、「フォルツァ・イタリア」のように、中道右派の政治勢力を結集する媒介となれるならば、「たちあがれ日本」は日本政治史にその名を刻む政党として記憶されるだろう。しかしながら、結党の経緯やその内実を見る限り、多くの新党のように泡沫政党として歴史に埋もれてしまう可能性のほうが大きいといわざるをえない。

巻き返し政策

2010年04月09日 | hrat
ローテーションの関係上、ダルビッシュと(西武の帆足と並ぶ)天敵・武田勝と当たらない好条件を活かせず、チーム状態が最悪の日本ハム相手に3連勝の機会を逸してしまった楽天。それでも今季初の同一カード勝ち越しであり、また不調に苦しんでいる主砲・山崎に2試合連続HRが出るなど今後に期待を抱かせる要因も見え始めている。

これで各球団との対戦が一巡したわけで、5勝9敗の5位という成績は明らかに開幕ダッシュに失敗したことを意味する。その理由は、いうまでもなく球団創設以来の慢性疾患ともいうべきリリーフ陣に求められる。福盛とモリーヨが期待を裏切る状況で、当面のところ川岸が抑えを務めることになったが、去年のパリーグの成績からも明らかなように、いくら岩隈・田中・永井の先発3本柱を擁するといってもAクラスに入るためには安定したリリーフ陣の確立が必須である。ひとつの光明をあげるならば、高卒2年目の辛島が使える目処がついたことだろうか。打線に関していえば、山崎に加えて、フィリップスとリンデンの両外国人の主軸がどれだけ調子を取り戻すのかがカギであろう。

今日からのオリックス戦は、開幕で見事に3タテを喰らわされただけに、またオリックスも当初の勢いがなくなっていることを考え合わせると、巻き返しに向けた試金石といえるだろう。