constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

期待値のバックラッシュ

2009年02月23日 | hrat
日本代表の連覇がかかる第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。宮崎での代表合宿を終えて代表メンバー28人が発表され、いよいよ戦いの準備が整ったわけであるが、その選考をめぐってはどうしても賛否が渦巻くことは避けられない。さっそく『夕刊フジ』(2009年2月23日)の記事「星野Jの二の舞?まな弟子起用のWBC原監督」が報じるように、当落線上にいた内海、阿部、亀井の巨人勢が代表入りしたことは、かりに結果が伴わなかった場合、「情実人事」として格好の批判材料になる可能性が高い。

今回のWBC日本代表に対する期待は、合宿をめぐるメディアの報道や、そこに集まった多数のファンによって醸成された過熱気味の盛り上がりから明らかなように、きわめて高い。それは、国際球への慣れなどの北京五輪惨敗から得た教訓を学んでいるはずだし、なによりもイチローや松坂などメジャーリーガーが名を連ね、戦力的にみても北京五輪代表よりも上のはずという星野ジャパンとの対比から導かれる。しかし期待値の高さゆえに、期待が裏切られたときの反動の大きさは、北京五輪で惨敗した星野ジャパン以上のものになりかねない。

こうした日本の熱気とは対照的に、太平洋の向こう側ではWBCに対するシニカルな見方が聞かれる(「日本の盛り上がりに米紙は冷淡…現役監督も奇異と」『毎日新聞』2009年2月18日)。WBCの位置づけがいまだ確定していないこともあって、各国代表の候補となっていた一線級の選手の辞退が相次ぎ(最近ではドニミカ代表のプホルス)、最強チーム同士が争うという理想とは程遠い。またアメリカのメディアは、WBCよりもA・ロッドのドーピング疑惑のほうに高いニュース価値をおいているようにも思われる。

・追記(2月24日)
ノムさん「松中、細川なんで外れたんや」(『スポーチニッポン』)

マスコミとしてもコメントをどうしても取っておきたい野村監督は、その期待にこたえるように、ぼやいてみせているわけで、ある意味台本どおりの展開ともいえる。
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失地回復運動の地理学

2009年02月19日 | nazor

国境意識に対する危機感を煽るような動きがここ最近になって保守派の政治家やメディアの間で生じているが、西方で尖閣諸島や東シナ海の海底油田開発問題に始まり、去年末あたりから『産経新聞』(のみ)が積極的に報じている、韓国資本の進出に晒される対馬、北方に目を転じれば「北方領土」に加えて、たとえば小堀桂一郎「正論:樺太を露領と認めたのはいつか」『産経新聞』(2009年2月17日)のように、昨日の麻生首相が訪問したサハリンの帰属についても未確定であることが強調されている。そして『読売新聞』(2009年2月19日)が報じている自民党外交関連合同会議で外務省飯倉公館に飾られている平山郁夫作「日本列島誕生図」に北海道や沖縄が描かれていないことが問題視され、柴山昌彦外務政務次官が展示を取りやめる意向を示したというニュースもまたこうした危機意識の発露を示す挿話といえる(「外交の舞台に適さず?平山画伯の絵に自民会議で批判の声」)。

「日本列島誕生図」に対する批判が興味深いのは、「領土が地図に先行するのでも、従うものでない。…地図こそが領土に先行する」というジャン・ボードリヤールの言葉を想起させる点にある。若林幹夫が指摘するように、それは、「地図は世界を写し取るのではなく、世界の側が自らの上にそれを重ね合わせることによって一つの領土、一つの帝国を生み出す『原型』のようなものとして機能している」という「ボルヘス・ボードリヤール的な逆説」の介在を示唆している(『増補・地図の想像力』河出書房新社, 2009年: 11頁)。国土を可視化する媒体である地図や絵画は、ある特定の領土を国民化する役割を担っている。その意味で古事記神話に基づく「日本列島誕生図」が現実の日本の領土を「正しく」描いていないと批判することは大人気ないとみなすべきではなく、むしろ批判する自民党議員たちは無意識的にであれ、フィクションである絵画によって北海道や沖縄を欠いた日本という「国のかたち」が規定されることに対する怖れを嗅ぎ取っているわけである。しかしながら彼らが前提する北海道も沖縄も描かれた日本という国土空間それ自体はいうまでもなく近代の産物であり、どちらの領土も(国内)植民地としての歴史を持っていたことを考えると、そうした歴史的経緯を省みることなく北海道も沖縄も日本の領土だと言ってしまう感性はあまりに無邪気すぎる。

絵画はもちろんのこと一見客観的に思われる地図でさえもそれを眺める視線の位置によって異なる意味合いを持つことは言うまでもない。世界地図を思い浮かべたとき、地図の中心にどの地域を持ってくるかによって、たとえば多くの日本人にとって太平洋、つまり日本が真ん中にある地図が馴染み深いが、ヨーロッパ地域では当然大西洋を中心に据えた地図が一般的であるし、また南半球では南北が逆転した地図があるように、あるいはメルカトル図法がロシアやアメリカといった北半球に位置する国家の領土を相対的に広大に見せるように、どのような地図をどのような視点で眺めるかによってその人の世界認識は規定される。また日本についても、網野善彦『日本の歴史(00)「日本」とは何か』(講談社, 2008年)で取り上げられている富山県作成の「環日本海諸国図」は、「海を国境として他の地域から隔てられた『孤立した島国』であるという日本人に広く浸透した日本像が、まったくの思い込みでしかない」(35頁)ことを示唆している。

こうした地図に内在する権力作用が端的に現れているのが「国境に分かたれた世界」としての世界地図である(地図/権力関係一般についてはジェレミー・ブラック『地図の政治学』青土社, 2001年参照)。国境線に区切られ、それぞれの国の領土が色分けされている地図に慣れ親しんでいるため、国境の内側は均質化された空間として認識され、その均質的な空間が過去に遡って投企されることによって、ひとつの国民史が形成されていく。国民意識形成と地図の共犯関係を通して、空間の均質化が時間の均質化を促し、固有の領土や悠久の歴史、あるいは単一民族といったナショナリズムを支える言説が生まれてくる。

こうした国民/国家創造=想像の過程に注意を払うならば、「日本列島誕生図」をめぐる批判は「ひとつの日本」という別様のフィクションに基づくものであるといえるだろう。彼らが抱く「ひとつの日本」は歴史的に見ればまさに幻想にすぎない。日本列島という地理的空間とその政治・経済・社会的な空間との間には決定的なズレが存在していたのであり、いわば「複数の日本」が常態であった。そして明治維新後の近代日本はそのズレを解消しようと試みたわけであるが、次第に主権線と利益線の区別が曖昧になり、日本列島の外へと膨張し、台湾や朝鮮半島に植民地を抱えることによって逆説的にいっそうズレを大きくしてしまったのである。結局のところ帝国日本という「国のかたち」が否定されたとき、日本は「ひとつの日本」という理想にもっとも近づいたといえるのかもしれない。海外植民地を放棄し、朝鮮人や中国人といった他者が非国民化され、内なる他者である沖縄はアメリカの統治下に入るなど敗戦によって国民と国家の相同性がきわめて高い領域空間が出来上がった(終戦がさらにずれ込んでいたならば北海道もソ連の占領下に入り切り離されていた可能性が高い)。しかしこの意図せざる受動的な「ひとつの日本」の形成は純粋な意味におけるナショナリズムの欲望を満たす一方で、領土的欲望を抑制する。この二つの欲望の相克を沖縄の復帰に関連付けるならば、再び内なる他者を抱え込むことによって「ひとつの日本」という擬制が蝕まれることを意味すると同時に、沖縄において復帰という選択肢が必ずしも全面的な支持を受けていなかった点で日本による沖縄の再領有、あるいは失地回復運動の一環と捉えることができる。

北海道も沖縄も描かれていない「日本列島誕生図」は、日本という国の成り立ちを改めて考えさせる絶好の素材である。それは最近の国境・領土に対する保守派の危機感に反して、「ひとつの日本」という擬制を再認識させてくれる。領土的欲望あるいは危機感はナショナリズムの高揚を導くどころか、ナショナリズムが目指すところの「ひとつの日本」それ自体に対する批判的眼差しを提供する意味で逆説的な効果をもたらすものである。

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戦後史のなかのポスト小泉時代

2009年02月18日 | nazor
漢字が読めない(KY)政治家というイメージが定着してしまった麻生首相が読めなかった漢字「未曾有」は、そのインフレ気味な使用頻度によって、麻生首相(そして政権期)を言い表す枕詞として認知されていると言ってもよいだろうし、後世の歴史家などがこの時期を振り返ったとき、安倍・福田・麻生と続くポスト小泉時代は日本にとって「未曾有の時代」、しかもプラスではなくマイナスの意味で「いまだかつてなかった」時代と回顧されるかもしれない。

おそらく麻生首相の「盟友」中川昭一財務・金融相がG7財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見における「酩酊疑惑」で辞任せざるをえなかったことも「未曾有」の出来事のひとつであることは明らかだろう。しかしその辞任にいたるまでの経過を見る限り、「未曾有」というよりもむしろ既視感を覚えずにはいられない。安倍政権の赤城農水相の事務所経費および絆創膏問題との共通点を指摘する声があるように、疑惑の当事者は十分な説明責任を果たすことなく大臣の椅子に執着するような態度を見せる一方で、任命者である首相は自分で「お友達」を切る決断を下せず、周囲の反発や圧力に押される形で辞任を追認してしまう流れが繰り返されている。ただし決定的に異なるのは、内輪(=日本国内)の問題に過ぎなかった赤城農水相と違って、中川財務相の場合は世界的な経済危機への対応策を協議するG7が舞台であったこと、そして辞任をめぐる騒動がちょうどクリントン国務長官の訪日と重なったことが示すように外交問題の位相を孕んでいる点にある。景気対策を優先し、また外交を売りにしている麻生首相にとってみれば、国内政治の失点を埋め合わせる格好の場を奪ってしまう、いわば援護射撃をしてくれるはずの「盟友」による裏切り行為になったといえるだろう。

戦後日本を築き上げた政治家の子孫たちが相次いで政権を担うポスト小泉時代の政治は、あくまで「ポスト小泉」である点において小泉政権と比較対照されるとともに、その功罪、とりわけ罪の部分についての後処理を引き受けなくてはならない役割にあるが、安倍・福田・麻生の三人とも小泉政権の罪が典型的に現われている国内の経済および社会制度をめぐる問題に対して確かな政策理念や構想そして手段を持っていたとは言い難いのではないだろうか。それよりも彼ら三人は国内政治の困難さから逃れるかのように、政権のアピールや浮揚の契機を外交に求めていたように思われる。たしかに利害が交錯し、調整に時間がかかる内政に比べると、外交は、政治指導者の意思を反映する余地が大きく、また国民的な一体性を高めることも期待できる政策分野と考えられる。しかし内政と明確に区別された独自の政策空間としての外交を想定する見方はかつての古典外交のイメージを引きずったアナクロニズムである。内政と同様あるいはそれ以上に利害の錯綜する空間が国際社会であるとすれば、ポスト小泉時代の内政に対応する術を持たない政治指導者が外交に活路を見出したとしてもそこから得られるものは皆無であろう。

反対に小泉首相が成功したのは内政と外交の双方で「情念の政治」を展開した点に求められるのではないだろうか。もちろん「情念の政治」は、対米関係において「戦後最良の関係」をもたらした一方で中韓との歴史認識や対北朝鮮外交に見られるように東アジア諸国との間では多くの対立や緊張を生み出した意味で両義的であり、全面的に評価できないが、すくなくとも内政と外交をつなぐ一貫した行動論理に基づいていたことは確かである。一方で外交を売りにするポスト小泉の政治指導者が、まさに異質な価値や正義が林立する国際社会に比することができる「ねじれ国会」の運営に苦慮し、「ねじれ国会」状況に対する打開策を見出せずに政権が投げ出される事態が続いたことは皮肉的である。換言すれば、たとえ「内政と外交は異なる」という旧来の前提に立った場合でも、彼らは古典外交の作法を身に付けていなかった、あるいはそれを内政に応用するだけの柔軟性に欠けていることを意味している。吉田茂、岸信介、福田赳夫といった戦後日本外交において重要な役割を果たした先人たちの遺産がもっともよく知るはずの子孫たちに継承されていないことはまさに世襲議員の病理とも言うべきであり、それは日本政治にとってきわめて不幸なことであろう。

先に安倍・福田・麻生と続くポスト小泉時代をマイナスの意味での「未曾有の時代」と捉える見方を示したが、ポスト小泉時代を戦後日本政治史の文脈に位置づけてみれば、「未曾有の時代」という見方は近視眼的かもしれない。つまり小泉政権後ほぼ一年周期で政権が代わる状況は、佐藤政権や中曽根政権とその後の短期政権との共通性を想起させるし、それらとの比較類推によってポスト小泉時代の政治の新奇性を相対化する視点を得ることが可能となる。以下思いつくままに共通性を列挙していくならば、まず佐藤政権後の田中角栄や中曽根政権後の竹下登がその前評判とは反対にスキャンダルで短命政権に終わったことは、ちょうど小泉政権後の安倍普三と重なる。あるいは比較的安定した国際環境、とりわけアメリカとの良好な関係が長期政権を可能にした要件のひとつとすれば、これら長期政権後の国際環境は、多極化の時代といわれた1970年代、冷戦終焉後の1990年代、そして現在と政治的・経済的な変動の時代に当たる。さらにいえば国際環境の安定と変動という周期性は、1970年代から次第に強まっているグローバル化という長期的な趨勢によって次第にその速度を増し、変動が常態化するようになっていく。このことは政権の維持には高度な政治手腕が必要であることを意味し、その点で小泉政権は逸脱事例ともいえる。こうした国際環境とあわせて、国内においても政治的には与野党伯仲、55年体制の崩壊、ねじれ国会、経済的には石油ショック、バブル崩壊、そして現在の金融危機というように舵取りが難しい条件が揃っている。また政権の変遷から見れば、首相の死がひとつの触媒となって長期政権に帰結した面もあり、それぞれの政権が達成した成果の起源は任期途中で逝った大平および小渕政権期に見出すことができる点は中曽根と小泉に見られる共通性であろう。

同時代から批判を含めて論じられる政治家もいれば、後になって再評価される政治家もいるが、日本政治史の文脈において、安倍・福田・麻生は、それぞれ一人だけでは一冊の評伝に著すだけの魅力に乏しい、小物に属する政治家にすぎない。そんな世襲政治家たちが政権をたらい回しにしているところに「ポスト小泉時代」を「未曾有」と形容できる意味が見出せるかもしれない。
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list30

2009年02月14日 | hudbeni
TM NETWORK / GORILLA
BOSTON / WALK ON
甲斐バンド / 破れたハートを売り物に
THE ENDS / THE ENDS
LED ZEPPELIN / HOUSES OF THE HOLY
福島高博 / Crowds in Cloud
TOTO / FALLING IN BETWEEN
THE MAD CAPSULE MARKET'S / カプセル・スープ
FENCE OF DEFENSE / GREAT FREAKERS BEST ~FENCE OF DEFENSE 1987-2007~

いまさらながらドアーズを聴き、ザ・サーフコースターズがカヴァーした「ハートに火をつけて」にゲストヴォーカルとして参加しているとはいえ、遠藤遼一/エンズの音楽性から身体性にいたるまでドアーズの影響が強いことを改めて思い知る。

ends / 炎天


The Doors / Break on through to the Other Side
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新規開拓 vol.2 & more

2009年02月02日 | hudbeni
音楽的嗜好性の保守化傾向が強まっているなかで、昨年のブンブンサテライツを耳にしたときのような衝撃をもたらしてくれたのが「相対性理論」。シンプルなサウンドに載せられた歌詞のひねくれ具合がいい。

相対性理論 / スマトラ警備隊


相対性理論 / 地獄先生


ついでながら、大麻汚染や横綱の品格など何かと話題に事欠かない大相撲。対応に追われる高砂親方や尾車親方の現役時代はちょうど千代の富士全盛期に該当するが、米米クラブの系譜(あるいはエピゴーネン)に位置づけられるであろう The 家元の「マッスル千代の富士」が当時の雰囲気の一端を伝えてくれる。

The 家元 / マッスル千代の富士
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